第9話 感謝。





なんだか不思議な夢を見ていた気がする。怖くて、でもそれ以上に温かい夢だった。

夢の最後、私と同い年くらいの優しい少女と話をした気がする。

幾度ともなく私の幸せを願ってくれた。何度も何度も愛していると囁きかけ、最後には私と一つになるように消えていった。


とても不思議な夢だった。






夢の名残を惜しみながらわたしは目を覚ました。


目を覚ましてまず目にしたのは自室の天井だ。

体を起こして机の上に置いてある縦鏡を見ると夢を見ながら涙を流していたのか、頬には泣き跡も残っていた。

夢の余韻が残り、温かい気持ちで迎えた朝はとても幸せだった。






寝巻きのまま居間に向かうのはなんだか恥ずかしく思えたので、急いで制服に着替えてから居間へと向かった。


居間ではソファーに座りテレビを見ている清香やあたふたと大学へと向かう準備をする綾香。台所で朝ご飯を用意している由紀菜の姿があった。


「おはようございます、清香さん。

またその番組見てるんですね。」

「……あら。おはよう、彼方。

ニュース番組付けてもいつもと同じのしかやってないから面白くないのよ。」


「おはようございます、綾姉さん。今日の服も可愛いですよ。」

「……あ、おはよう、彼方。

ありがと。この服最近買ったばっかりだから着てみたかったの。」


「おはようございます、由紀菜さん。

朝ご飯までに髪整えてきますね。」

「うん。おはよう、彼方。

やっぱり制服姿似合ってるね。可愛いわよ。」


一人一人と朝の挨拶を交わしたあとで洗面台に行き、顔を洗って歯を磨く。

寝癖を直すために櫛で髪を解くと髪留めゴムを使ってお気に入りの髪型を作る。

居間に戻ると朝食を作り終わった由紀菜に髪型のチェックをしてもらい、少し直してもらうと朝の身支度は終わる。

四人で囲む食卓で朝食を摂る。


今日も由紀菜さんのご飯は美味しい。


朝食を食べ終えた後は食器を片付けて、先に出ていく綾香を見送って学校に行く準備をする。

準備を終えると、荷物を持って玄関へ。


「由紀菜さん、清香さん。いってきますね!」

「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」

元気な声で出かける挨拶をして、家を出る。


さあ、中学生生活2日目が始まりますよ。








「なんだか、昨日と違ってこんなに普通にあの子を送り出せているなんて不思議な感じね。」

「ええ、本当に。あの子が元気に家を出る姿が見れてとても嬉しいですね。」

彼方が家を出たあとで二人は彼方の元気な姿に喜びを感じていた。

このまま何も起きずに中学生生活を送ってくれたらいいな、という願いを抱きながら。


とそこで清香は由紀菜を見て、思い出したように疑問を口にする。

「それはそうと由紀菜さん。今朝のあの子、なんだか様子が変じゃなかった?なんだか幸せそうというかちょっと大人びた雰囲気というか……。敬語だったし……。

こういうのってタイにいる間にもあったの?」

「時折そう感じることもありましたよ。でも今のところは大丈夫だと思います」

「あなたの診た感じではどんな感じ?」

「はい。私の私観としては統合している人格の一部が顔を出してるんだろう、という感じです。これが後々に何かの影響を及ぼすようであれば一度私の働いている病院で見せようかなとは思っていますが、今のところ特に影響はないようなので」

「そう。それなら良かったわ」

精神科医である由紀菜の意見に納得し、当面は様子見の方向で行くことが決まった。


二人は次に昨日彼方から聞かされたことついて話し始める。

「昨日の話、ビックリしましたね。まさか同じ中学校の同じクラスに剛くんの娘さんと大和くんがいたなんて」

「ええ、本当にね…。剛くん、彼方に会いたがるんじゃないかしら」

「会いたがるでしょうね。だって彼方が産まれた日以来会うことも出来なかったんですもの」

「そうね。それに大翔くんもね。今度二人を家に誘ってみようかしら」

「あ、良いですね!今の彼方の顔、菜穂香さんにそっくりですからきっと驚きますよ」

「いいわね、それ」

由紀菜と清香は彼方に会いたがっているであろう大翔と剛の話で盛り上がった。

「でも、大和くん…ですか…」

そんな盛り上がりも束の間、話の中で出てきた知己のもう一人の同級生、大和についての話になると空気は一変した。

「運命かしらね…」

「初めて愛が大和くんのことを話してくれた時にも驚きましたけど、ここまで来るとそう言いたくもなりますよね…」

「ええ。でもあの子達はお互いの繋がりなんて知らないみたいだから、今はこのままにしておきましょう。下手に教えて関係がこじれるよりはいいはずだから」

「そうですね。折角、元気に学校にも通えてますからね」



そう言って、その一言を最後に話を閉じた。








学校に着くとなんだか気分が変わって楽しくなってきた。



教室に入り、先に教室にいたクラスメイトに順に挨拶をしていった。

そうしていると街田さんが教室に入ってきた。

「おはよう…植村さん。」

「おはよう、街田さん。……、どうかしました?」


なんだか浮かない顔でわたしを見つめる街田さん。何かあったのだろうか?

それともわたし、昨日何かをやらかしてしまっていたのだろうか。

そう思うとなんだか申し訳なくなった。

「ごめんなさい。街田さん」

「べ、別に謝らなくてもいいのよ。ただ、ちょっとビックリしただけだから。」

段々と焦りを覚え始めたわたしはすぐに謝った。特に謝る意味も理解しないまま謝ったが、彼女は何らかの理由で謝られたと思ったのだろう。そう口にした。


何に驚いたんだろうか。

そう思った時、意識が途絶えた。





目を覚ますとなんだか違和感が付き纏う。

あれ、なんで私学校にいるんだろう。


今日、朝起きたんだっけ。由紀菜さん達に挨拶したっけ……。

あれ、記憶が繋がらない。


昨日の夜寝てから今まで起きた記憶が無い。


目の前に立っている街田さんが少しイライラしたような顔で私を見ていた。

「あの、ごめん街田さん。私何か悪いことしてた…?」

「え…?もしかして理由も分からなくて謝ったの?」

「え?あ、あはは…」

「はあ…まったく…。」

あれ、謝ったんだ。なんでだろう……。

よく分からないけど呆れられてしまった。

いや、悪いのは確かに私なんだけど…。

「はあ…じゃあ一から説明するわね。

まず私がビックリしてしまったことっていうのは、貴方が実はおとk…」

「ああああああああ!ダメ待って!ダメだから!

っていうかなんで知って…!」

「ん?なになに?植村さんどうかしたの?」


街田さんに暴露されそうになったのを慌てて止めようとして大声出してしまったせいで、それに反応したクラスの女子達が私の元により始めた。


まずい…

どうしようか…


「あの、街田さん。二人で話がしたいんだけどいいかな…?」

「ええ、別に構わないけど…」

このままじゃまずいからとりあえず街田さんを二人で話が出来そうな場所に連れて行って話をする。

二人で話ができそうな場所と言われて一番に思い浮かんだ場所は誰も使わないと言われている女子トイレだ。

そこに入り、二人で話をする。

「あの、話ってつまり…、私の過去についてだよね…?」

二人で話をするとまで言ってしまったのだ。もう言い逃れは出来ない。

だから彼方は全てを話した。

性同一性障害で産まれてきたこと。小学生の時に色々あったこと。その後、約7年掛けて男から女になったこと。


その話を聞いた彼女は驚いたような顔でこちらを見ていた。

「出来ればクラスの人には言わないでほしい…かな。

私、この学校ではあの時みたいなことになって欲しくないから」

嫌な想像をしてしまって、どうしても顔をしかめ、下を向いてしまう。


もし、この学校でも同じことになったら…。


そう考えてる時だった。

街田さんは私の肩に手を置いた。

「別に言いふらしたりはしないわよ。もちろん貴方の性別のことも驚いたけど、一番驚いてしまったのは貴方と私の深い繋がりについてなの」

言いふらしたりはしない、と言われて心の底から安心した。


でも『深い繋がり』…?

私が間違っていなければ街田さんとは昨日が初対面のはず。

もしかしてそれ以前に出会っていたのかな…?

「あの、ありがとう。

街田さんと私の深い繋がりってなに…?」

「そうね。まずは私の父親のことからね。私の父の名前は街田剛。あなたのお母さん不知火菜穂香さんの生徒だった人よ」

街田剛。

その名前は彼方も聞いたことがあった。母が教師をしていた頃の話も何度か耳にしたことはあるので恐らくその時に聞いたのだろう。


「まだ終わりじゃないわ。

貴方が入院中に出会って仲良くしていたという少年。和人は私の幼馴染みで私の父と同じくあなたのお母さんの生徒だった佐藤大翔の息子だったのよ」


性適合手術で入院中に知り合い、重い病気で命を落とした和人とそんな繋がりがあったなんて。

もっと早くに知りたかった。


「そしてもう一つ」

「まだあるの?」

「ええ、貴方と同小で今も…」


彼女が何かを口にしかけた時だった。


「やっと見つけました!

こんなところで何をしてるんですか。植村さん、街田さん」


担任の松川だった。

朝のHRが始まっても戻ってこない二人を探し回ったのだろう。凄く疲れた様子だった。


「もうみんな待ってるから早く来て」


そう急かされて話が中途半端なまま街田さんとの話は終わった。


慌てて教室に戻るとみんなが席に着いた状態で待っていた。

自分の席に着いてみんなに一言謝った後で今日の日課が始まった。



昼食の時間になり、近くの人と席をくっつけて給食を食べていると、街田さんから手紙を渡された。

そこには丁寧な字で初めて遅れながらの『母へのお悔やみの言葉』と共に『菜穂香の子どもである貴方に会いたかった』という旨と『詳しい話は娘に頼んである』といった旨が書かれていた。


給食を食べ、すぐに街田さんの席の傍に行った。


「父が植村さんと話がしたいから今月末あたりで都合の合う日に誘ってくれって言ってたの。

どう?」

私に会いたくて仕方がなかったような文面だったので有無を言わずに了承したいが、一応由紀菜さんや清香さんの意見も聞かなきゃいけない気がする。

「今日家に帰ってから由紀菜さんや清香さんに聞いてみる。お父さんにもそうお伝えください」

「うん、分かったわ。伝えておく。」

「ありがとう。遅くても今週中には返事が出せると思う。」

「うん、分かったわ。」


「ところで植村さんは高校受験はどうするの?今月末には私立の入試が始まるわよ?」

「…え?入試って何?」

「それ本気で言ってるの…?」

「……うん」

「……はあ…、では後で一緒に先生のところに行きましょう」

「ありがとう…?」


昼休みになってから街田さんに連れられて職員室に向かった。

職員室前に来ると街田さんに待っているように言われた。

街田さんがドアを開けて松川先生を呼ぶとすぐに松川先生が来た。


街田さんに促されるようにして先生に高校受験についての話を訊いた。


高校生になるためには試験を受けて合格しないといけないらしい。

私にとっての新事実だ。


来週には高校受験対策の模擬試験というものをやるらしい。

試験なら満点を取れるように頑張らなきゃいけない。

そのために先生から模擬試験の範囲や対策方法を訊いて対策用プリントも貰う。


そうこうしてる内に街田さんは疲れたような顔になっていた。

先生に聞くと、街田さんは勉強が苦手らしい。


「そういえば本郷くんはどこか志望している高校とかあるんですか?」

ふと私と同じくらいの成績を取っていた本郷くんの事が思い出された。

先生に彼の進路について尋ねると

「大和くんの詳しい進路はまだ聞いてないかな…。でも植村さんや大和くんならどこにでも行けると思うわよ?」


本郷くんもまだ進路決めてないんだ…



あー、でも進路か…

まだなりたいものなんて決まってないもんなあ…

んー、これも帰って由紀菜さんと話し合わなきゃだ…。


そうして昼休みがすぎ、午後の日課が始まる。


進路は決まっていなくても模擬試験で満点を取らなきゃいけないのは変わらないから勉強には集中しないとね。



そうして中学生生活二日目が終わった。







「あ、高校受験か…」

「高校受験ですか…」

家に帰って由紀菜さんと菜穂香さんに進路について相談したところ二人揃って忘れていたようだ。


「先生は、私ならどこでも行けるって言ってたし、私も別にどこでもいいんだけどね。」

「えー、そんな適当じゃダメですよ。折角行くんですからちゃんと選んで決めないと…」

「そうよ、彼方。

あなた、なりたいものとかはないの?」


「特には…。」

由紀菜さんみたいに優しい女の人になりたいけど、精神科医になりたいかと聞かれると分からない。

清香さんは前に保母さんをしていたらしいけど、子どもでも大人でも人に囲まれるのは苦手だから難しそう。

弁護士の女性はカッコイイけど、難しそうだよね。

先生は…。

そういえばお母さんって先生だったことがあったって…


そこまで考えて思い出した。


「あ、そういえば今日、街田さんのお父さんから家に招待されたの」

「え?どこかで剛くんと会ったの?」

「ううん、街田さんからの手紙と都合だけ聞かれただけ。」

今日聞いた話を由紀菜さんと清香さんにする。

今月末という話だ。

「あ、それで受験の話になったわけね。」

「そうなの。んね、街田さんの件、どうしようか。」


「んじゃ行く予定で話を進めて、彼方は受験のことを真剣に考えましょうか。」


「あの、清香さん?

進路の話で思い出したんだけど、お母さんってどんな教師だったの?」

それを尋ねた途端。清香さんの顔色が急変した。

なにか嫌なことでも思い出したのだろうか。


そんな顔をしたあと、誇らしそうな顔で「菜穂香は生徒をとても大事にしていたわ。辞めることを決めた時なんて自分の全てを投げ打ってまで生徒を守って教師を辞めたのよ。あの子は生徒のためを思って行動できる立派な教師だったわ。」

そんなふうに言った。

私が知らないお母さんの話を。



一体過去に何があったのだろうか。

知りたい。私が知るお母さんになるまでのお母さんを私は知りたい。知ってるんなら教えて欲しい。


「清香さん、お願い。お母さんのことをもっと教えてください。私、お母さんのこと知らなすぎるんです。もっとお母さんのことを知りたいんです!教えてください!」

今まで何も知らず平気な顔をしてきたけど、知らないのは嫌だって思う。

だから必死に頼んでみた。


でも清香さんは首を振った。

「ダメ。教えちゃったらあなたを幸せにできなくなっちゃう。

教えちゃったら、菜穂香と同じ道を辿っちゃう。

怖いのよ。私はもう…」

誰も失いたくない。

清香さんがそう言いかけた時、

「清香さん、話してあげましょうよ。この子は菜穂香さんの子なんです。聞く権利も知る権利もある。

それに、もしこれを聞いて彼方が苦しむようなら私たちが助けてあげればいいんですよ。

今は手遅れなんてことにはなりませんから。」

笑顔でそう清香さんを説得する由紀菜さん。

清香さんは由紀菜さんに言い負かされてしまった。


やっぱりあの笑顔には勝てないよね…。



それから夜中まで私はお母さんがどんな風に生きて、どんな風に私が生まれたのか。

全て知った。


頭がおかしくなるかと思った。

おかしな環境で生まれ育った母が抱いた夢や目標。

それが叶って一年も経たないうちに奪われた。

自由のきかない環境に置かれ、無理矢理結婚させられ、清香さんとの対話でやっと決意を固めたのも束の間、監禁され凌辱され、子どもの産めない体にされた。


お母さんの代わりに私を産んでくれた人は本郷くんのお母さんで、胎児だった私が負担を掛けてしまっていたせいで本郷くんを産んだ後すぐに亡くなった。


何も知らなかった。

お母さんはいつも私の為に働いてくれていたけれど、そこに至るまでにこんな事があったなんて知らなかった。


清香さんはついでに私が手術を受けるために入院してる間や整形治療のためにタイに行ってる間に、康隆さんや佐藤大翔さん、街田剛さんと一緒に協力して父を法的に罰したとのことだった。


その段階で私の『不知火彼方』としての戸籍は無くなっていて、私は『植村彼方』として戸籍登録されているらしい。



ちょっと頭の整理が追いつかないせいで、その場で意識を失ってしまった。






数時間後に目を覚ましたらしいわたしは、ベッドで横になったまま考えた。

わたしはたくさんの人に愛されて生まれてきたのだとお母さんも清香さんも由紀菜さんも言っていた。

お母さんは辛い人生を乗り越えて私を作り、わたしを育ててくれた。


辛い過去を聞いた。今知りたくもなかった事実も知ってしまった。

わたしを産もうと努力してきた人。

わたしを産んでくれた人。

影でわたしを支え続けてくれた人。


みんなわたしの為に努力して死んでしまっていた。

そう思うと罪悪感でいっぱいになりそうだった。今までならば今生きていることへの疑問や生まれてきてしまったことへの疑問を持ってしまっていただろう。

でも今は違う。

私はもうたくさんの人に大事にされてきたこともされていることも知っている。そんな人たちのために私はこれからも生きなければならない。

たくさんの人のたくさんの想いに答えるためにこれからも生きなければならない。


そう思った。


倒れるほどにキャパオーバした脳は落ち着きを取り戻していた。

ベッドから起き上がり、まずは心配かけたことを謝らなきゃ。


自室から出て、居間に着くと安心したような顔でこちらを向く二人の顔があった。


二人に心配をかけてしまったことを謝って、さっきの話の続きをしようと切り出し、進路の話を再開した。


さっきまでは何もやりたいこともなくて、何も思いつかなかった。

けれど、お母さんの過去を聞いて、わたしにも目標ができたかも知れない。

だからそれを突きつけてみた。




『わたしは--------になるよ』




これを聞いた二人はとても驚いた。

あまりに想定外のその私の目標に白目を向いていた。

何でだろう、おかしなことを言ったのだろうか。普通のことだと思うんだけど…



でも否定もしなければ諦めろとも言わなかった。


きっと二人共私が望めば応援してくれるだろう。今までだってたくさん応援してくれてたんだもの。


自分の目標を見つけたわたしはすぐに志望校を決めた。





その次の週。

なんとなく決めた志望校の試験。

私は模擬試験で満点を取り、A判定をゲットした。







今日は街田家へとお邪魔する日だ。


由紀菜さんと清香さんを連れ、訪れたそこはとても綺麗な家だった。


弁護士って凄いな。


そんなことを思いながら中に入ると、着飾った街田さんが出迎えてくれた。

「家の中で『街田さん』って呼ぶと紛らわしいし、丁度いいのでこれから私のことは『奏』って呼んでちょうだい。」

「うん分かったよ、奏」


名前呼びに憧れていたのだろうか。『奏』と呼び捨てたら嬉しそうな顔で恥ずかしそうに顔を隠した。


可愛い。



奏に案内してもらって剛さんの執務室に辿り着いた。

恐る恐る中に入ると、生真面目な顔で席に着き、書類に目を通している男性がいた。

その男性は私たちに気づくと、書類をまとめて机の角の方に寄せて置くと私たちをソファーへ案内してくれた。


「お久しぶりです。清香さん、由紀菜さん。

そして…。

…ッ!!

は、初めまして彼方ちゃん。」

私の顔を見て驚いた後で目を潤ませながら挨拶をしてくれた。


話はそんな軽い挨拶から始まった。


そして少し話をした。


過去のことや私の事、お母さんのこと。

話した後で私は寝てしまった。





「大翔も呼んであるから少し待ってくださいね」


それから数分後、突然に勢いよくドアが開き、驚いたわたしはそちらを見た。

そしてそこに立つ男性と目が合った。

男性はわたしの顔を見た直後に泣き始め、その勢いのまま私を抱きしめた。


「あ、えっと…」

突然抱きしめられた私は為す術もなく腕のやり場に困っていた。

「会いたかった、ずっと会いたかった。」

男性の腕はさらに強くわたしを抱きしめる。もう離さないと言わんばかりに…。


どうしていいか分からなかったが、男性の気持ちはなんだか嬉しく思えた。だからわたしは男性を抱き返してあげた。

そうすると男性はさらに泣き始めた。

だから今度は頭を撫でてあげた。


ああ、やっぱりわたしは愛されてるんだな…



二人の様子を見て感化されてしまったのだろうか。

清香さんも由紀菜さんも剛さんも目元を拭いながら涙を堪えていた。



「ほら、会えて嬉しいのは分かるけど、ちゃんと自己紹介しないと。」

清香さんは途中でそう促した。


「……、俺は佐藤大翔だよ。」


そう言われた男性はわたしを離さないままに顔だけ上げて泣きながら自己紹介してくれた。


「はい、初めまして。植村彼方です。」

お母さんが教師をして出会った初めて好きになった人で、わたしが元気になるきっかけをくれた和人くんのお父さん。

おそらく、大翔さんはすべて知っているんだろう。知ってるからこそこんなに喜んでいるのだろうか。

それともお母さんとそっくりな顔になったわたしにお母さんを重ねているのかもしれない。

でもそれでも良かった。

この腕の力からどれだけわたしを大切にしてくれていたか、どれだけわたしに会いたがっていたかが分かるから。




わたしはもう一度彼を抱きしめた。


「今までたくさんわたしのことを心配してくれてありがとう。実はわたし、少し前に初めて大翔さんを知ったんです。その時にたくさん心配してくれてたってことを聞いて嬉しかった。だからわたしを心配してくれてる人達のために精一杯生きなきゃダメだなって思えたんです。

大翔さんは和人くんのお父さんなんですよね。わたし、和人くんと出会えてなかったら今のわたしは居なかったと思うんです。だから不謹慎かもしれないけど、言わせてください。

和人くんと出会わせてくれてありがとうございます。

お母さんを愛してくれてありがとう。

お母さんはたくさんの人に支えられて生きてきたんだって聞いたけど、その中にはもちろん大翔さんもいて、大翔さんが居たからこそ頑張れた事だってあったと思います。

だからありがとう。


大翔さんにはまだまだたくさん、感謝してもし切れないことがあるんですけど、でもこれだけは伝えないといけない『ありがとう』だと思ったから…。』


口から自然と出てきた感謝という感謝。


わたし、今までこんな面と向かって感謝を伝えたこと無かったかもしれない。

感謝を伝えるよりか謝ることの方が多かったからかな。

これからは色んな人にもきちんと感謝を伝えられる人にならなきゃ。





そこから数時間後、目を覚ますと知らない男の膝の上に座らされていた。最初は少し怖かったけど、私を抱くその腕が乱暴なものではなく優しいものだったからなんだか安心できた。


今、由紀菜さん達は私の過去のことについて話をしているみたいだ。お母さんのことやその他のことも含めて話をしているらしい。



清香さんの隣には奏と同じ色の髪をした男性が立っている。もしかしたらあれが街田剛さんなんだろうか。そして私を大事そうに抱いてくれているこの人が佐藤大翔さんかな。


そこまで考えてやっと分かった。

大翔さんと思える男性が私のことを大事そうにしてくれる理由が。


お母さんにそっくりになった私とお母さんを重ねているのだ。あとは和人くんとの繋がりかな。


少し嬉しくなってきた。



話が私や周りの人との関係にまでいった。

私は奏から大まかなことは聞いていたし、なんとなく察しはついていた。


一番驚いたのは本郷くんと私が同じ人のお腹から生まれてきたという話だった。

その話の途中で寝てしまった気がする。


あとの詳しい話は覚えていない。

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