第2話 遮断の声


「お兄ちゃん、そんなにお水いれちゃダメだよ!」


「土はそっと……ああ、かき回しちゃダメなの!」


「お花はデリケートなものもあるけど、頑丈なものもあるんだよ。例えばー……」


 彼女はいつの頃か土いじりを覚え、いつの間にかベランダに小さな花園を作っていた記憶がある。手伝おうとして、不慣れな分野だったためか、何度もダメだしを食らった。


 そして反省した分、「えらいえらい」と何故か頭をハグされた。

 次の瞬間、植木鉢をひっくり返した時には、ハグではなく鯖折りが襲ってきた。


 空手を習いだしたのは小学校に入ったと同時だった。何故急に? と聞くと、彼女は得意げな顔で「昨日見たカンフー映画が格好良かったから!」と、ずいぶんお手軽な理由を聞かされた。


 しかし中学に上がる頃には黒帯をとり二段まで昇段した。女子の部門で常に大会上位常連であり、道場ではヒロインならぬヒーローだった。


 元来真面目な性格で、言い出したら止まらない性格でもあった。

 責任感が強く、自分に厳しい。毎日こつこつと勉強にトレーニング、そして土いじりとみているだけでハードな毎日を送っていた。

 だが彼女はケロッとした顔でいる。それが彼女の当たり前なのだろう。

 あらゆる意味で出来た人格。故に、優れた『カタワラ』の適正を持っていたことも、何の不思議にも感じられなかった。


 既に世間では、この街では被害が出ていた。『佇み病』。それを引き起こす、未だ謎の多い存在、『ステイビースト』。

 そして、それらと唯一対抗出来る手段を持つ組織『神威』。


 その組織には、既に幼なじみがいた。

 彼はその組織の正式な後継者であり、代表だった。彼が組織に身を預けると決めたのは、高校を卒業したと同時だったと言う。しかも、その日に代表に就任したと、後から聞いた。


 かつて公園でかけっこを、泥だらけになって遊んでいた頃の面影はなく、冷たい目をした彼と再会したのは、彼女が『カタワラ』として就任する日、同行した時であった。


 対面した瞬間、言葉に困った。

 通された客間にいた彼は出迎えてくれたものの、あまりにも張り詰めた表情で、別人のようだった。だが、「しばらくぶりだったな」と、声はかけてくれた。それが、何よりの救いだった。


 状況は、芳しくないとのことだった。

 本来部外者である自分に話していいことでない、機密事項に当たることも話してくれた。彼女と供にそれを固唾を飲んで聞いていた。

 想像以上に、その『ステイビースト』という存在は厄介なものらしい。直接見たことも、報道で映されたこともないので実感は伴わないが、現場で……最前線でいる彼が言うのなら、本当なのだろう。


 それでもやれるか。

 彼は彼女に問うた。


「成すまでです」

 

 まっすぐに、迷いなく言い切った言葉は、客間の空気を一瞬にして澄み渡らせた。

 それほどまでに、強い意志と奥底に秘めた使命感が、もう彼女の体では収まりきれていないのだろう。気圧されるものが、隣で座っている俺にも感じられた。


 数ヶ月も経たないうちに、彼女は伝説的な存在となる。

 『神威』史上最強の『カタワラ』。天才児、新垣赤音。

 『神威』総帥であり最大の『ウタカタ』霧島刻鉄の元、忠義を交わし、勢力図はわずか数ヶ月でひっくり返ろうとしていた。


□□□


 発信元がごまかせるよう細工したプリペイド式の携帯電話で、原本の情報から割り出した専用回線へと通話をつなげる。

 翌朝の朝八時。青比呂は青く晴れた口の端を気にしつつ、通話が繋がるのを待った。

 コールは四回鳴った。発信元が流石に雑だったか、と今更ながら後悔し始めたところで、受話器の向こうの気配が変わった。


『こちら、『神威』総帥執務室が承ります』


 落ち着いた女性の声が聞こえた。


『失礼ですが、アポイントはございますか? 新垣青比呂様』


 青比呂がどう切り出そうかと考えていた矢先に、先制を許した。手のひらで顔を覆う。


「ほとんどアポになってるんじゃないか、それ」


『先日のことはこちらにも報告が上がっております。しかし追求はいたしません。このまま、引いていただけるのでしたら』


 女性の声はあくまで淡々としたものだった。青比呂は痛む唇をかみしめ、唸るように言った。


「いや、断るね。赤音の所在を知りたい。どこにいる。直接教えてくれなくてもいい。せめて刻鉄さんにつないでくれ」


 口の中が血の味で苦くなる。しゃべったことで傷が開いたようだ。


 電話口からは、若干の沈黙を挟んで返答が帰ってきた。


『……新垣赤音は、確かに「行方不明」。でも、分かるでしょう。二年前の大規模な戦闘。あの惨状を見て、本当に字面を真に受けているの?』


 視線のやり場に困っているような声だった。声も小さくなり、気遣う様子がうかがえた。


「ご忠告痛み入るが、あんたの意見は聞いてない。演技もな。結構な女優かもしれないが、懐柔しようっていうなら同情や哀れみを込めないことだ。むかっ腹が立っただけだぜ」


『噂通り、みたいね』


 受話器越しの空気ががらりと変わった。しっとりとした流れの水が、急速に凍てついたように、鋭利で冷徹な声がこちらの呼吸音さえそぎ落とそうとする。


『死んだ妹の死が受け入れられない……危ない橋も渡っている。かける言葉を探してもいいかしら』


「結構だ。それに赤音は死んでない。死ぬもんか。あいつは最強なんだ、負けるわけがない。それはあんたら『神威』の人間が一番よく知ってるはずだぜ」


『……そうね』


「さあどこにいる。何故教えない。聞かれちゃ都合の悪いことでもあるのか?」


『……私には答える気はないわ。権限もない。何より、哀れで耳を塞ぎたいぐらいよ』


「演技には反省点を入れたようだな。あんたの名前を教えてくれないか」


『私個人を揺さぶったって何も出て……。私の名前ね。川上英子よ』


「待て、今誰かの指示があったな。妙な間があった」


『ええ、あなたを明日、霧島邸に招待するように、とね』


「……刻鉄さんがいるのか?」


『今度はそっちに間があったわね。もし私たちの『ウタカタ』の指示だったら、どうするの?』


「質問しているのはこっちだ。刻鉄さんがいるのなら替わってくれ。明日行く手間も省ける」


『指示しているのはこっちよ。迎えが明日あなたの家に行くから、それまで大人しくしてなさい』


 通話は一方的に切られた。リダイヤルしようにも、もうその通信コードは消されて、つなぎようがなかった。


 青比呂はため息一つ落とすと、プリペイド携帯をゴミだらけの床に放り投げ、乱暴にベッドに身を沈める。


 家、とはあるものの、ほぼ形だけのものだった。

 両親は二年前を機に離婚、母親が親権を持ったがほとんど家には寄りつかず、毎夜飲み歩いているらしい。青比呂はそんな母親に特に興味はなく、また母も子に無関心らしく、それが丁度良い距離感だった。


 きっと今晩もホストクラブに入り浸っているのだろう。そう思うだけですぐに思考から母の存在は消え、次の事柄をくみ上げる。


「明日、か」


 いよいよ。しかも向こうから迎えが来る。

 この日をどれだけ待ち望んだか。


「赤音の居所……二年前の真相を明らかにしてやる……」


□□□


「……。これで、よろしいのでしょうか、刻鉄様」


 ショートヘアの女性が電話の子機を片手に提げたまま、つぶやくように言う。


「構わない。よく切り返してくれた」


 声は、くぐもって聞こえた。


「あなたの機転にはいつも助けられている。川上さんが秘書官でよかった」


「……いえ。私でよろしければいくらでも……しかし、かの少年、新垣青比呂は……」


 川上英子は視線を主である『ウタカタ』、霧島刻鉄より外した。

 執務室は広く、ほとんど何も置かれていない。目立つものといえば部屋の中央にある大型の机だけだった。

 そこには三つのモニターが設置されており、その向こうに座る人影は、コツンと鉄を叩く音を立てて言う。


「構わない。それも、俺がケリをつけるべきものなんだ。……逃げ回っていたのは、俺の方なんだからな」


 再び、コツンと固い鉄の音。川上英子は知っていた。これは彼、霧島刻鉄がこめかみをつつく癖が出た時の音だと。その癖はほとんど、陰鬱な気分の時に出る癖だった。


「私は、これで失礼します。あとでお飲み物でもお持ちしましょう」


「……何から何まで気を遣わせてしまってすまない。ありがとう」


 執務室の大きなドアが閉じると、霧島刻鉄は大きく息を落とした。

 暗く、月夜がまぶしい夜が切り取られた出窓に目をやる。


「……。来ているんだろう。別に隠れなくてもいい」


 無人の部屋で、霧島刻鉄は声を上げた。

 それとほぼ同時に、出窓に人影が張り付いた。足場となる箇所などないはずの場所に、平然と立つようにして、背丈の高いシルエットが姿を現した。


「クク。ご機嫌麗しゅう、『神威』の総帥」


「……アカジャク。時は来た。アイツが……青比呂が追いついてきた」


 窓の外の人影は、ロングコートをなびかせ、首元に下げたぶ厚い鉄の輪のようなものを手でもてあそびながら、


「アイツ?」


 と、興味なさげに聞き返す。


「そうだ。会えば分かるさ。俺の言っていた意味全てが。これで、お前とのいたちごっこも終わりとなる」


「……含んだ言い回しだな。いいだろう」


 ロングコートが風に吹かれ、シルエットはつり上がった口の形だけを切り取り鈍く光らせた。


「なら改めてお邪魔しよう。大して期待はしてないがな。二年前……新垣赤音以上の逸材が現れたとは聞いておらんし、今のお前では俺には勝てない。俺を楽しませてくれる相手が出てきたというのなら、大歓迎だ」


 強風が出窓を叩いた。フレームが軋んだ音が止んだ時、もう窓の外には誰もいなかった。静かな月夜が広がっている。


「……確かに、今の俺じゃお前には勝てない」


 コツン、コツン。こめかみを叩く音がする。


「こんな仮面をかぶらなければ何も出来なくなった俺では……」


 左右を囲むモニターには、ぶ厚い鉄仮面を着けた青年の影がうっすらと反射されていた。コツン、とこめかみを叩くたびにでる音は、耳まで覆った金属部分の表面を指で叩く音だった。


「……『セルフファイア事件』……。これさえ、なければ……」


 モニターの一角に移る画像には、大規模に破壊された町並みが映されていた。

 ビル街は根元から崩れ落ち、道路は陥没、そして街の境目には巨大なクレーターが地面を穿ち、住宅街の手前でその堀を深々ととどめていた。


「避難中の市民を襲った『ゼロ式』……それをかばった代償、か」


 コツン、とこめかみを鳴らして一つ嘆息をついた。



続く

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