7.バイヤス
「――と、いう感じにまとまったのですが。どうでしょうか、荒川先生」
ここは医局。
ショウコたちと話を終えた今田はすぐに荒川の元へと向かった。
「お、いいじゃないか。ショウコさんはこの流れで納得してくれた?」
「はい、やってみたいとのことでした。最後なんて、笑顔見せてくれたんですよ」
「そうか。それはよかった。診断書なんて、本人さんのためならいくらでも書くよ」
荒川は「これ食べる?」と、誰かのお土産であろう箱根温泉の饅頭を差し出してきた。今田は十四時を回っていたというのに昼食もまだ摂っていなかったため、有り難く頂戴し、その場で食べ始める。
「あ。ところでショウコさんといえば――」
荒川は、デスクにくるりと椅子を回すと、一枚のメモ用紙を今田に見せてきた。
「ショウコさんの職場の店長さんから電話が掛かってきてるんだよね」
荒川の手に持たれたメモには店舗の名前と電話番号、そして店長の名前が書かれてあるようだった。
「ショウコさんの体調を聞きたいって電話があったんだよね。僕宛の電話だったんだけど、ちょっと今田さん代わりに対応してくれないかな? 個人情報があるから診察の内容は話せないけど、ちょっと店長さんの話を聞いてみてほしいんだ」
今田は手に持っていた残りの饅頭を全て口に放り込むと、荒川からメモを受け取った。
「いいですよ。早速電話してみましょうか」
そう言って今田は「ごちそうさまでした」と荒川に一言告げると、【地域医療連携室】へと足早に向かった。
今田のデスクの隣では金本がどうやら役所の障害課へ電話をしているようだった。ちらっと金本のデスクを見ると、『折り返し待ち』と書かれたメモが十枚近く溜まっている。これはよくある光景なのだが、相談員宛の電話は常にひっきりなしにかかってくる。常にデスクに座っているわけではなく患者対応をしている時間が大半を占めるため、どんどん折り返し待ちの案件が溜まってしまう状況だ。
ちなみに今田のデスクには三件のメモが溜まっていた。荒川の元へつい十五分程席を外していただけなのに、三件もの電話があったようだ。またこの電話の後にでも折り返そう、と考えている今田の昼食タイムはどんどん先延ばしになっていく。
とりあえず今田は、ショウコの職場に電話を入れるために受話器を取る。
販売職のため、電話で話せる時間が果たして今取れるかは分からなかったが、いったんメモに書かれた電話番号へと電話を掛ける。
『はい。ドクターナチュラル・コスメティック、○○店の○○と申します』
「お世話になっております。こちら、やまざと精神科病院の相談員をしております、今田と申します。店長さんからお電話を頂いていたようなのですが、今いらっしゃいますでしょうか」
『店長ですね。はい、少々お待ちください』
化粧関連に関して、知識の乏しい今田。そして女性となかなか縁のない今田は、どこか少し緊張しているようだった。
「ふ~」「は~」っと深呼吸をする。
すると、保留音が切れるとともに店長と思われる主の声が聞こえた。
『もしもし、お電話変わりました。初めまして、お電話ありがとうございます。店長の
「はじめまして、笹谷さん。やまざと精神科病院で相談員をしています、今田と申します」
四十代から五十代と思われる女性の声質。さすが大手化粧品メーカーの店舗で店長をしているだけのことはある。電話の声だけでその身に備わった
『えと……。今田さんはショウコさんの主治医、なんですか?』
「いえ。主治医ではないのですが、相談員として関わらせてもらっています」
『え、そうなんですか? 相談員? 私は主治医の先生から話を聞きたかったのですが……。相談員とかいう、ちょっとよく分からない方が電話を掛けて来られましても』
「すみません、主治医は他の患者さんの対応もありますので、まずは私が先に笹谷さんからお話を伺えればと思いまして」
『ああ、そういうことでしたか。そういうことは先に言って頂かないと。はぁ、これだから精神科に電話するのは嫌だったのよ』
この人がショウコさんに対して『甘え』だの『迷惑をかけるな』だの言っていた人か、と今田はこの数回のやり取りで察した。
今田とは初めての会話だというのに、丸く包むような言い回しはなく、直球で容赦がない。この言われ方が初めてだったわけではないが、これが店長まで上り詰めた女性の威厳というものなのだろうか、と今田は迫力を感じつつも話を続けた。
「早速なのですが、そもそも笹谷さんがお電話を頂いた件について、もう一度お話お聞かせ願いますか?」
『いや、ですからね。電話に出た方にも伝えたんですけど、ショウコさんの体調がどうなのかを聞きたいんですよ。そもそもね、もうそちらに入院する前からずっとお店に来ていないの。トータルで二、三週間は来てなかったかしらね。もっとかもしれないわね。正直困るんですよ。ショウコさんを求めて来店するお客様も大勢いらっしゃるっていうのに、
何という言い方だろうか。これが店の頂点に立ちスタッフをまとめる店長の発言か、と穏やかで人に対してほとんど怒ったことのない今田でさえ、怒りを覚えるほどであった。
『私にもね、他のスタッフを守る義務があるんです。今後ショウコさんがこの職場に復帰したところで、またいつ
笹谷は、信じられない言葉を口にした。
『――主治医の先生から、仕事を辞めるようにショウコさんに言って頂けないかしら』
主治医からショウコへ退職を勧めるように、笹谷自らが提案してきた。
『私たちはね、労働基準法に
せっかく持ち堪えたショウコの気持ち。
やっぱり好きな職場で働きたい、そのためにもまずはできることから始めていきたい、ついさっきそう思いなおしてくれたばかりではないか。
甘えなんかじゃない。
怠けているわけじゃない。
平気で休みの電話を掛けていたわけじゃない。
ずっとひとりで悩み、苦しみ、生きることへの意味を見出せず、一度は死に選んでしまったひとりの命ある人間のことを、どうして分かってあげようとしないのか。
今田の目は、怒りに満ちていた。
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