序章

あんなのファンじゃないわ!

 航空自衛隊・松島基地は、不気味なまでに静まり返っていた。

 建物にも、飛行場にも、人はおろか他の生物の姿がどこにもない。

 駐機場エプロンには、忘れ去られたように並んでいる、数機の青いF-2戦闘機達がいるのみ。

 尾翼に描かれている、数字の「4」を象った青いマークが、日の光を浴びて寂しそうに輝く。


 そんなF-2戦闘機の真上を。

 突如、2つの影が旋風と轟音を伴って通り過ぎた。


 2機の航空機が、青空で激しいチェイスを繰り広げている。

 白と黒の軌跡が何度も弧を描き続け、追う黒側が黒い銃撃まで放っている。

 どう見ても、空中戦だった。

 黒い方は、翼こそあるが赤黒い影に覆われ、はっきりとした姿が見えない。そういう意味ではUFOそのものである。

 白い方は逆に、矢印のような姿をはっきり見せる、古風なジェット機だった。

 真正面であんぐりと開けた口のような空気取り入れ口(インテーク)に、愚直なまでに35度後ろに曲げられた翼。そして、胴体と翼にある日の丸。

 航空自衛隊の戦闘機、F-86セイバーである。

 だが、その塗装はかなり目立つものだった。

 白いボディのところどころには、青の鋭利なラインが走り、スピード感を感じさせる。

 翼から下げた赤いタンクには、筆記体で書かれた「Blue Impulse」の文字。

 そして水滴型のキャノピーに覆われたコックピットの真下には、大きく「847」の数字が誇らしげに書かれていた。

 戦いのためでなく、まるでショーのためにおめかししたような、そんなセイバーが、謎の黒いUFOからひたすら逃げ回っている。

 その様はまるで、姫君とその命を狙う暗殺者のようだった。

「ちっ、しつこいお客さんなこった!」

 コックピットの中で、フライトスーツを着たパイロットが振り返りつぶやいた。

 ヘルメットと酸素マスクのせいで素顔は見えないが、全速力で走ったかのごとく、息遣いがかなり荒い。

 彼は、コックピットに顔を戻す。

 所狭しと並んだメーターの数々が、必死さを証明するように不規則に回り続けている。

「リハーサル中に乱入してくるなんて、余程熱烈なファンみたいだな!」

『変な事言わないで! あんなのファンじゃないわ!』

 その中で。

 1つだけある近代的なモニターに、1人の少女の胸像が映っていた。

 首元の青い水晶付きチョーカー以外、何も身に着けていない。彫りが深い胸の谷間を僅かに覗かせ、ふわりとウェーブがかかる長髪は外側が青で内側が朱色という不思議な色。顔立ちは清楚な印象を与えるが、さすがにこの状況では焦りを隠せていない。

「そうだな! 俺も、あんな迷惑千万なファンは大嫌いだ!」

 パイロットは、操縦桿を思い切り左に倒す。

 何度目かわからない旋回を繰り返し、ジェットコースター以上に揺れるコックピットの中でも、彼は映像の少女と会話し続ける。

『くみなは? くみなはまだ来ないの?』

「こっちが、聞きたいくらいだね! どうする? 一発やり合うか?」

『そんな、私が、戦うだなんて……』

 パイロットの問いに、少女は戸惑って視線を泳がせる。

 すると、パイロットの目が少し笑った。

「なんてな、冗談だよ。はしなの手を汚すなんて、俺もごめんだ!」

 直後、弾丸がコックピットのすぐ真横をかすめた。

「逃げきってやるよ! ハチロクを――セイバーを舐めんじゃねえ!」

 叫びと共に、再び操縦桿を思い切り倒す。

 セイバー847とUFOは、基地の上空を、犬の喧嘩のごとく何度も回り続ける。時に右に左、さらに垂直と方向を変えながら。

 だが、UFOとの距離はどんどん詰まっていく。

 生命反応が一切ない地面をぎりぎり掠める程度の高度まで下がっても、なおも追いすがる。

 それに参ったかのように、847の動きが鈍くなる。

『セイ、追いつかれるわ!』

「へへ、わざとだよ!」

 だが、パイロット――セイの目は、予想通りとばかりに笑っていた。

 遂に、UFOが847の後方を捉える。

 狙いが定まり、まさに射撃が始まろうとした、その瞬間。

「くらえ!」

 セイが、操縦桿のトリガーを引く。

 すると、ノズルから青い煙が噴き出した。

 それは、UFOにもろに直撃し、視界を遮る形となる。

 結果、姿勢を崩したUFOは失速し、847の背後から脱落してしまった。

「へへ、どうだ!」

 その様子を見て、ガッツポーズをとるセイ。

 UFOは姿勢を立て直して、再び847を追おうと上昇する。

 これで戦いは仕切り直し、かに見えたが。

 突如として、コックピット内に警告音が鳴り響いた。

 驚いたセイが、計器を確認する。

 見れば、コックピット上部にある、とある赤いランプが点滅していた。

「げっ、燃料切れ!?」

『ごめん、セイ……私、もう――』

 画面の中の少女――はしなが、見るからに苦しそうな表情を浮かべている。

 立っているのがやっととばかりに、姿勢も若干前のめりになっていて、僅かに見える胸の谷間がより深みを増していた。

 そんな時だった。

 UFOから突然、一発の白い閃光が放たれた。

 白い煙を噴きながら、一直線に847へ向かっていく。

「やばっ、ミサイル!?」

 気付いたセイが、慌てて操縦桿を倒す。

 だが、僅かに遅かった。

 追いかけてくるミサイルを完全に振り切る事ができず、ミサイルは847の尾部で爆発。

「82-7847」と書かれた垂直尾翼の一部が、吹き飛んだ。

『あうっ!?』

「大丈夫か、はしな!?」

『尾翼が、やられた……まだ、飛べる、けど――』

 画面に映るはしなの顔色が、さらに苦しさを増す。

 UFOは、再び847の背後につく。

 セイバーはすぐに振り切ろうとするが、明らかに姿勢がおぼつかず、振り切れない。

『嫌……! これじゃ、と、同じ――』

「バカ言うな! 夢が目前だって言うのに、こんな所でやられてたまるか!」

 頭を抱え始めるはしなに対し、勇気づけるように呼びかけるセイ。

 だが、その言葉に反して、847はどんどん追い詰められていく。

 銃撃が降り注ぐ。

 847の翼に、次々と風穴が開けられていく。

『ああーっ!』

 悲鳴を上げ、画面の中で悶えるはしな。

「は、はしな――っ! くっ、バカな、こんな所で――」

 そんなはしなを見て、悔しくうつむき操縦桿を握るセイ。

 機首を下げ、落ち始める847。

 追うUFOの射撃が、止まる。

 だがそれは、次の一撃でとどめを刺すべく、狙いを定め直している故のものだった。

 もはや、次はない。

 セイは、あきらめたように目を閉じた――

『待て待て待てーい!』

 そんな時。

 無線で響く、陽気な少女の声。

 はたと我に返ったセイが、顔を上げる。

 すると、正面にもう1機の機影が見えた。

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