18

 流星が降る日の夜。時任先生は約束どおり、夜八時に私の家に現れた。てっきり徒歩でやってくるのかと思っていたら、何と運転手付きの車で乗り付けてきた。これには、私も両親もたまげた。



「研究室の教授に頼んで、車を借りようと思ったのだけど、『お前に運転させてぶつけられたら堪らない』と言われてしまってね。先生お抱えの運転手さん込みでしか、貸して貰えなかったんだ。大袈裟になってしまってごめん。僕も運転手付きの車なんて、先生の付き添いでしか乗らないから、緊張しているよ」



 後部座席に先生と並んで座ったものの、恐縮している私に、先生はバツが悪そうに言い訳した。



「あ、いえ、全然。むしろ、嬉しいです。こんな立派な車なんて、多分一生乗らないだろうから」



「それは分からないよ。あの学校は、君たちを淑女に育てあげ、良家の御令室にするのを最終目標にしている。在学中にお見合いをする子もいるようだし、櫻内さんも、お金持ちで高貴な家のご子息と結婚するかも」



 そうしたら、もっと凄い車に乗れるよ、と無邪気に笑う横顔に胸がちくりと痛んだ。この人は、私が誰かのお嫁さんになる未来を想像しても、何とも思わないのだ。だから、こんな眩しい笑顔を保てる。



「私は……あまり興味ないです。玉の輿とか、そういうの。旦那さんのお金で贅沢をするのも、窮屈にならないか心配ですし」



「ふうん。となると、職業婦人希望? それとも、上の学校に進むとか?」



 あと一年半程で女学校も卒業だ。けれども、まだ私は卒業後に何をしたいか、分からずにいた。タイピストや事務員として、会社で働いている自分を想像できなかったし、父の職場の男性とお見合いをしながら、実家で花嫁修業している自分なんて、もっと考えられなかった。



「まだ決めていませんが、できれば自分一人でも生きて行かれる仕事に就きたいです。結婚は、できるか分からないですし。でも、もし結婚するなら、一生忘れられないような恋をした相手とがいい」



「うーん、君は現実主義者なのか夢想家なのか、分からないな」



「両方だと思います。殆どの人は両方の側面を持っているのではないでしょうか。人間、そんなに簡単に分類できませんよ。先生は自分がどちらかなんて言えますか?」



 夢想家と言われたのが気恥ずかしくて、同時にほんの少し腹が立ち、私はムキになって反論を試みた。しかし、先生は顔色一つ変えず、即答した。



「現実主義者だよ、僕は」



 首を捻って、こちらを見た顔は、未来人とかタイムマシンなんて口にしたら、非科的な戯言と冷たく一蹴しそうな科学者のものだった。




 女学校の校門前で、私たちは車を降りた。先生は、目深に帽子を被った運転手に、十時に迎えに来るよう頼んでいた。

 遠ざかるエンジン音を背中に、夜の校庭に踏み入る。進行方向先に佇む鉄筋の校舎は、輪郭が闇と溶け合い、昼間とは全く違う顔を見せていた。震災後に建築された比較的新しい建物なのに、昇降口は魔界へ繋がる扉のようで、気味が悪かった。ジョージは、たった一人でこんな恐ろしげな場所に出入りをして、怖くはないのだろうか。



「曇っているな。湿度も高く、気圧も低い。雨にならないよう願うばかりだね」



 うっすらと灰色の雲の膜で覆われた夜空を見上げ、時任先生が呟いた。



「雨、降りそうなんですか。天気予報には書いていなかったけど」



 来たるジョージとの逢瀬に胸躍らせ、私は新聞でもラジオでも、今夜の天気を確認していた。両方とも、雨が降るとは言っていなかった。



「天気予報は、ラジオでも数時間のずれがあるし、あくまで『予報』だ。今現在の雲の状況や湿度、気圧の高低から判断した方が正確だよ」



 理屈としては仰るとおりだが、現在の気候から最新の天気を予測してしまう人は早々いないだろう。さすがは、理科教師だ。




 校舎内に入ると、私たちは協力し、理科室から天体望遠鏡を持ち出して、屋上に設置した。一通り使い方を説明すると、先生は背中を向け、さっさと屋上を出て行こうとした。

 慌てて呼び止めると、いたずらを思いついた少年のような笑顔を向けられた。



「詮索はしないけど、流星は一人で見たいのだろう? 僕は理科室にいるから、終わったら呼びに来て。僕の首が飛ぶようなことがないよう、節度を持って、安全に十分配慮して天体観測をすること。じゃあ、また後で」



 ジョージではないのかもしれないが、時任先生はやはり只者ではなかった。

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