俺は、初めて手に入れた勾玉を握り締めている


 夕方の保健室は、笑い疲れの喘ぐような呼吸音で満たされていた。

 いや、発生源は姉ちゃん一人なんだけどさ。


「笑った! 最高よあんたたち!」

「ウチは納得いかねえ!」

「そんな紫丞さんも好き!」

「うるっせえ! 埋めちまうぞ!」


 どうなってるんだ、これ。

 姉ちゃんは笑い疲れて倒れそうになってるし、花蓮は胸のつかえが取れたっぽい笑顔浮かべてるし。


 渋い顔になってるのは俺と沙那だけ。

 でも、その沙那も何が起こっているかは理解してるっぽい。

 

 俺だけか、理解してねえの。

 みんなが俺を置いて大人になっちまったような不安感。


 置いてかないでくれ。


 急に、クラスの男子みんなが彼女出来てるのに俺だけはできねえんじゃねえかとか想像し始めちった。


「花蓮。ケチャップ弁当やるから、お前だけはこのイケメンを見捨てないでくれ」

「私は見捨てたりしないわよ、ブサイクな男は」

「そりゃ困る。ささ、この弁当を……」

「いらないわよ食べかけなんか。それに太っちゃうわよ。…………あ」

「ようやく思い出したみたいね。太りたくなかったら全力で勾玉を探しなさいな。外は未だに大騒ぎよ?」

「え? まだ見つかってねえのかよ!」

「変態が寝てる間に、大変な事になってるの。残った大きめのかけらを巡って大バトルよ」


 なるほどね。

 じゃあ、なんで落ち着いてるのさ?


 そんな疑問を吹き飛ばすように、わざわざ俺の耳の横で、花蓮がパンパンと手を鳴らして注目を集める。


 ほんとに疑問吹き飛んだわ! なに考えてたか一発で分かんなくなった!

 耳! キーンて!

 どうしてここで叩いた!?


「さて! 諸君! 大きな問題がおかしな形で片付いたところで、本題よ! 唐揚げだけは断固回避する!」

「そうね、花蓮ちゃん! 太ったりしたら紫丞さんに嫌われちゃう!」

「骨だけになったっててめえのことは大っ嫌いだっての! てか、まとわりつくな!」

「そこのバカップル、うるさい。じゃあ、この難問を倒すわよ!」


 俺にはこのカオスな状況の方が断然難問だが。

 まあ、みんなして説明する気も無さそうだし。

 ひとまず唐揚げ回避に集中しよう。


 四人が額を突き合わせる真ん中へ、花蓮が携帯を差し出す。


 そこに書いてある文字を見た瞬間、また全部の文字が真っ赤に見えて、頭痛が激しくなった。


「いたた。悪い、頭の頭痛が痛い」


 おでこの冷却シートを剥がしてこめかみに当てながらみんなから一歩離れると、花蓮が心配そうな顔で俺を案じてくれた。


「変態、無理しないでいいわ。頭が悪いんだから」

「あれ? 俺、言い間違えたか? 悪いんじゃなくて、頭の側頭部が頭痛なんだってば」

「言い間違えてないわよ? ちゃんと伝わってる。頭が悪いのよね」


 あれ?


「雫流は休んでて。あんな事故の後だもん」

「おお、朱里ちゃん優しい」

「一番の友達だからね!」


🐦がんっ!


「ぐおおおおおっ! てめえ、ハト! 今はちょっとシャレにならないから、合いの手はやめろよ!」

「無理すんじゃねえよ姫。ほんと寝てろ」


 沙那が俺に向けて伸ばした手。

 それが、ためらいの気配と共にぴたっと止まる。


 だからさ、寂しそうな顔してんじゃねえよ。

 らしくねえっての。


「……まあ、あれだ。助けてもらった礼に、ウチがてめぇの分まで頑張っからよ。それに、姫に暗号解読はまだちょっとはえぇし」

「子供にミョウガ食わせないおばちゃんかてめえは。そうはいかねえ。はなから諦めんのはやめたんだ」

「ん? ……なんだよ、男らしいこと言いやがって。でも邪魔でしかねぇ」

「って、むりくりベッドに押すないでででで!」

「いてっ!」


 ん? おい沙那。なに痛がってんだよ?

 指先を握って顔をしかめた沙那に声をかけようとしたら、姉ちゃんに先を越された。


「しーちゃん。……だめ」

「お、おう。分かってるぜサタン様。てめえは姫、てめえは姫。よし。ってわけで、役立たずは寝てろ」

「まてまて! だから押すなだだだだ!」

「こっちのバカップルもうるさい! 落ち着いて考えられないじゃないのよ!」


 ベッドへ無理やり座らされた俺に、花蓮のヒステリーが襲い掛かって来た。

 カップルじゃねえっての。


 そしてようやく両肩に電撃をかましてくれたバカが離れて花蓮の携帯に顔を向けると、その肩に、今度は背後から誰かがしなだれかかって来た。


 もう次から次へと!

 今度は誰だ!


 …………ほんと、だれ?

 全員、視界内。


「うおぉぉぉい! 誰だよ怖えよ!」


 慌てて振り向いたせいで、見慣れた銀髪天使のおでこにヘッドバッド。

 すげえ音と星が飛び出した。


「いでえええ! 美嘉姉ちゃんかよ! 頼むから頭部への物理攻撃はやめて!」

「…………おしい。私のおでこがもう少し低かったら、歴史が変わっていたのに」

「なんだよそのクレオパトラ」

「…………ちゅーできたのに」

「頭部への魔法攻撃も禁止だバカ野郎」


 あたまいてえ。

 ダブルミーニング。


 肩越しによく見れば、隣のベッドのカーテンが開いてる。

 美嘉姉ちゃん、そこで寝てた?


「…………雫流ちゃん、無事。安心」

「しー君、美嘉に感謝なさい。あんたの事助けてくれたんだから。それにしてもびっくりしたわ。滝が壊れそうだって言うから見に行ったら、見慣れたのが落ちてきて」

「…………慌てて祝福ブレスした。間に合わなかった」

「いやいや、十分よ。最初に頭を打った後は守れてたわよ」

「そうなんだ。すげえありがと」


 美嘉姉ちゃんが体を離して、直立不動で俺を見下ろす。

 おお、長い付き合いだからよく分かる。


 佐渡おけさでも躍り出しそうなほど喜んどる。


 しかもそれを誤魔化そうとしてるな、これは。

 無理やり違う話を始めようとして、赤黒金の頭を寄せ合う三色団子へ顔を向けると、ぽつりとつぶやいた。


「…………アエスティマティオ。まだ見つからない」

「おお、そうな。改めて推理中なんだ。さすがAランク」

「…………また、答えを教える」


 バカ野郎。すました顔で俺の口元見つめるんじゃねえよ。

 代償に、ちゅーはハードル高すぎる。

 なんとか黙らせねえと。


「やめねえか。今度こそ、きっとひどい目に遭うぞ?」

「…………遭わない。変わらない、何も」

「ほんと?」

「…………でも、ゼロ才になるから雫流ちゃんにおしめを替えて欲しい」

「殺されてるじゃねえか! ぜってえ言うんじゃねえ! ……そして俺に断られたからって靴を脱ぐな遺書を置くな十字を切るな! ベッドに飛び込み自殺したってふっかふか! 指、いったーってなるだけだっての!」


 ああもう!

 記憶を持ったまんま転生できる連中のモラルハザードな!


 姉ちゃんもほいほい魔眼使うから、そのうち殺さしかられるかもね! とか平気で言うし!


 ……そういや、いつもなら俺を甘やかすなーとか怒り出す姉ちゃんが苦笑いで眺めてるけど。

 美嘉姉ちゃんが俺を助けてくれたことに恩義でも感じてるのかな。


 しゃーねーな。

 答えもヒントも言わせねえように、それでも何か好きなようにやらせてやるか。

 えっと……。


「なあ美嘉姉ちゃん。答えもヒントも出しちゃダメだけどさ、俺も少しはみんなの役に立ちてえんだ。教師として、暗号解読についての意見が欲しいんだけど。……ああ、佐渡おけさはいいから」


 無表情で、随分陽気なポーズのまま美嘉姉ちゃんが咳払い。

 先生扱いすると、ほんと嬉しそうになるよね。

 でも教師モードの美嘉姉ちゃんは厳しいのだ。


「…………雫流ちゃん。この暗号、どう見える」

「ゲンゴロウ」

「…………すごい。天才」

「だろ?」

「…………天才度数、円グラフ。大天才。361度」


 毒吐かれたし。


 俺にだけは、いつも優しい美嘉姉ちゃん。

 でも、こと勉強系の話になったらこれなんだよね。

 猛毒天使、爆誕だ。


「一文字読めねえのがあるせいかな、それ以上読めねえ。なあ花蓮! えっと、あれだ。その、ボツって字はどういう意味なんだ?」

「漫画家が聞いたら卒倒する言葉よ」

「雫流、一回教わったらちゃんと覚えなさいよ。これはゴツ。でっぱりって意味」


 朱里ちゃんがムッとしながら教えてくれた。

 つめてえ。


 でも、教えてくれる分には見込みあるよな。

 えっと、それだと……。



 田区十下兀示天



「……じゃあ、田んぼで区ぎった十もんじの下のほうにあるでっぱったところで、天を示してるもの?」


 こら。なんだよ、三色団子。

 一斉に呆れ顔でにらむんじゃねえよ。


 みんながため息をつく中、美嘉姉ちゃんが俺のバカにとどめを刺すかのように、氷の瞳で見つめながら呟いた。


「…………正解」

「は? ………………………っ!!! あれか!」


 慌ててベッドから立ち上がり、扉に飛び付く。

 まさか、暗号が『1メートル小人』って物を表しておいて、漢字自体が場所を表してたなんて!

 

 扉を思い切り開いて廊下を駆け出すと、背後から三つの気配が俺を追う。


 振り向いて確認する必要なんてない。

 俺は夕日がところどころに差し込む廊下を、西に向けてひた走った。


「花蓮! 覚えてるだろ!? 朝……」

「待って雫流! しゃべっちゃだめよ! この間のこと忘れたの?」


 おっとと、またやっちまうとこだった。

 サンキュー、朱里ちゃん。


 誰かに聞かれたら、また全校生徒が大集合だ。


 ……でも、ちょっとだけ手遅れみたい。

 俺たちの姿を見た連中が、後ろから追いかけてきた。


「どうする? 変なところ行って誤魔化すか?」

「……いえ、ここは攻めるわよ! 朱里! 沙那! 朝の田んぼ、その南端の水門周辺がゴールよ! 誰も近寄らせないで!」


 おお、頭脳派が攻めるとか言うとかっこいいな!

 じゃあ、俺だって魅せてやる!


 北西農園の田んぼが廊下の窓に見え始めたところで、あつらえたように開いた窓を発見した俺は、走る勢いに任せて窓枠に手足をかけてひらりと顔面からコンクリの地面に落ちた。


「何やってんのよ! ほら、ハリー!」

「いってー! うわ! すっげえはなぢはふーん♡♡♡♡ ごががががが!」


 いだだだだだだだっ!

 おお、久しぶりだぜこの感覚!

 そして久しぶりだったな、相棒! 今日はやけに恥ずかしそうに赤く染まっ


🐦ごがんっ!


「ぐああああああ! 地面に置いて待ち構えてやがった! 新兵器!」

「何やってるのよ! ちゃんと前を見てて!」

「見て気付いたからってどうにもならんだろ!? どうやって避けたらいいのさ! それに、今の俺には他の物なんか目に入らなっ」


🐦ごがんっ!


「ぐはあぁぁぁ! 割れるわ! 砂糖醤油がこぼれちまう!」

「おら、姫! お楽しみのとこわりいが着いたぜ! 紅威!」

「オッケー! 発射!」


 朱里ちゃんは、二度も自分を助けてくれた一番の友達を勢いよく射出すると、後ろから迫り来るみんなに鞭を振るって足止めし始めた。


 俺だって負けてられない。


「ごひんっ!」


 まるですべてを切り裂くカマイタチを彷彿とさせる高速きりもみから水門に直撃。

 颯爽と泡を吹くと、目を回しながら大の字になった。


「ほんとてめぇは役立たずだな! おい起きろ! どれだ!」

「おお……。なに言ってんだよ、一匹しかいねえだろおおおおお!?」


 水門の周りを囲む、憎らしいニヤリ顔。


 その数、ざっと三十体。


「ど、どれって言われても……」

「沙那! 朱里が撃ち漏らしたのが抜けて来るからそっちを頼むわ! 変態は最初に落ちてきた人形を探して! 朱里! 右に三人来てる!」


 すげえ頭いてえけど、泣き言なんか言ってられねえ。

 最初の?

 おお、用水路に落ちて、俺の命を奪いかけたあいつか。

 だったら……、


「いた!」


 天に指を向けて、川の中に立ってるあいつだ。


 俺は痛いって感情を怒鳴りつけて黙らせると、言うことを聞きゃしない体を引きずりながら用水路に向かった。


 朱里ちゃんの辛そうな喘ぎ声が響く。

 あんなに頑張ってるんだ、俺だって。

 俺だって…………?


 よく考えたら、こんなに辛いことになってるの、全部お前のせいじゃねえか!


「ちきしょう、後でこっぴどく手作り弁当を要求してくれる! …………さて、着いた。は、いいけど。……これを?」


 どうすれば?


 用水路に浸かりながら体中をぺたぺたまさぐってみたけど、まったくもってどこに勾玉があるのか分からん。


 ……そんな俺をあざ笑うにやけ顔。


「ほんとムカつくなお前! へらへらしてんじゃねえ!」


 頭にきてキノコ帽子を殴りつけたらガコンと外れて、俺に向かってくるりんぱ。


「ごはっ! 鼻がああああ! なにすんじゃ! 鼻が顔面に潜ってなくなるわ! マスクのワイヤーの意味が……、お?」


 人形の頭、ご丁寧に帽子の中でカールしていた髪の上。


「あった…………、あった!」


 夕日をガラスの内に封じ込めた勾玉が、燦然と光り輝いていた。


 思えば、俺は今まで暗号解読のきっかけをみんなに与えてはきたけど、解読して実際に手にしていたのは朱里ちゃんと花蓮だ。

 沙那だって、自力で手に入れてきた。


 今日だってもちろん、みんなの協力無くしてここにたどり着いていない。

 でも……。


「俺は…………、俺は初めて、勾玉を手に……っ!」


 その初めてをつかむために伸ばした手が握り締めたもの。



 ――それは、どこまでも白く、陶器を思わせるような手だった。



 嫌われ者になった俺の肩に、優しく乗せられてきたもの。

 悲しいことがあった俺の手を、暖かく包んでくれたもの。



 その、透き通るように真っ白な手が、俺たちの努力を掠め取って行った。



「……………………はるひとおおおおっ!!!」



 俺の叫び声と同時に、三人の敵意が爆風となってこの場を圧する。


「てめぇ!」

「白銀さん!」

「……まったく。どうして君たちは生きているんだい? 僕の想いを無にして欲しくないんだけど」


 治人の口調は、いつものように穏やかだった。

 その涼風に、熱風が渦を巻いて襲い掛かる。


 早いのは、もちろん朱に染まった鞭。

 これが静謐を穿つように爆音を引き連れて治人の体に牙を立てた。


 だが、治人は軽々と片腕で弾くと、逆にその鞭を掴んで朱里ちゃんを引っ張り、吠える猛獣と化した沙那に背中から叩き付けた。


 もつれて地を転がり、目の前でうめき声を漏らす二人を見下す治人の赤い目。


 間違いない。


 ……こいつは、既に治人じゃない。



 大精霊六柱。

 夜の支配者、フルーレティ。



「勾玉か……。こんなの、もう意味なんか無いのに。だって、僕の想いが届くことなんて永遠に無いんだから……」


 赤い瞳が、冷たく俺の目を射貫く。

 そして何も言い返すことが出来ない俺に身も凍るような謎を残して立ち去った。



「今度こそ、僕の願い通り、皆に死を与えよう。……最高の舞台を整えておくよ」





つづく


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