田区十下兀示天 ~横棒を消すと~

俺たちは、連敗記録をさらに伸ばしている


 また負けた。


 そんな俺を慰めてくれるのは、二匹のシオカラトンボだけ。


 呆然と田んぼを見下ろす俺の両膝に、仲良く止まるふたつの青銀。

 そんな二匹も、急にくしゃみをした俺を見限って飛び去ってしまった。


 早朝から開始されたアエスティマティオ。

 そこで朱里ちゃん、沙那、今日のパートナーである花蓮からも、グズバカ変態と罵声を浴びせられ、終わってみたらキースと絵梨さんのペアに大差を付けられて敗北。


 まったくのくたびれ損、罵られ損だ。


 …………ああ、今気付いた。

 花蓮は俺のこと、いつも通りに呼んでただけか。


 …………いい加減、その呼び方やめね?



 校舎に四分割された校庭の内、北西校庭は食堂と学生農園の為のスペースだ。

 その一角にある田んぼも学校同様、水路で十文字に区切られていて、俺が今座っているのはその南端。


 コンクリ作りの水門は、田んぼを眺めながらぼーっとできる癒しスポット。

 傷心の俺の為に作られたような場所だ。


 ここからの眺め、実に美しい。


 北には山の稜線。

 そこから連なる灰色の雲。

 そして頭上には、ところどころに青い空が浮かんでいた。


 ……まあ、そんな視界に、二つほど入れたくない物があるんだが。


 一つはサンショウの木。

 この水門に上るために作ってある三段ほどの階段に、ちょうど被さるように生えてる低木。


 こいつの棘は、俺の敵。

 今まで傷付けてくれた分、いつか詫びを持って来い。


 俺、なんでかここに上るたびにあれでひっかき傷を作るんだ。

 今日は膝まで無理やり捲った制服から覗く弁慶がやられた。

 勝手な先入観があるせいで、激痛に感じてる。


 そしてもう一つ。


「……なあ、花蓮。やっぱあいつ、ムカつく」

「さっきから、なんであんたは人形とケンカしてるのよ。前世で何かされた?」

「七人の小人に姫様をさらわれたんだと思う」

「いいじゃない、また本屋で買ってくれば」


 ……俺の姫様、せめて実写であって欲しい。


 それにしても腹が立つ。

 なんだよあの人形。


 日本人がイメージした七人の小人。

 そんな感じのおっさんが厭味ったらしい顔で俺を見てる。

 …………ぜってえ見てる。


「やいてめえ! こっち見てんじゃねえぞコラ!」

「やめなさいよ。小者感丸出し。主人公にこうされるタイプ」

「ひだだだだだ! 腕を背中で捻じりあげるな! 花蓮ったら意外とダイタン!」

「違うわよ。そこは、覚えてやがれ~でしょ?」

「それは腕を離した後だ!」


 水門には、俺に並んで花蓮が足をぷらつかせている。

 そんな呑気な姿勢で腕を極めながらも、いつものクールフェイス。


 田んぼ仕事のせいで制服が泥だらけになった俺と、同じアエスティマティオに参加したとはとても思えないほど綺麗なおべべ。

 口だけしか参加しなかったこいつのせいで、俺が1.5人分くらい働いたのに負けたんだ。


「それにしても、あんた半人前くらいしか仕事できてなかったわよ?」

「いろいろ文句はあるが、今、頭の中でかなり盛ったから素直に謝っとく。すまん」

「盛った? ……まあいいわ。解放してあげるから次は頑張りなさい」


 やっと腕を離してくれた花蓮に、待望の捨て台詞を吐いてやったら笑われた。

 ちきしょう、次はちゃんと手伝えよ?


「ほんと頑張らねえと。姉ちゃんから『もっとあんたたち頑張らないと毎食鳥の唐揚げにするわよ』宣言が出てんのに」

「そう、それ。説明しなさいよ。あんたの怯え方が尋常じゃないんだけど、沙甜の唐揚げってそんなにまずいの?」

「めちゃくちゃうめえ。気付けば十個くらいペロリだ」


 痛む肩を揉みながら返事をしたら、口をへの字にされた。

 分かってねえ奴だな。だから困るんだよ。


「……ここの所、勾玉が手に入っていないのはただの偶然。まじめに取り組んでいればそのうち手に入る。それまで数日間、美味しい唐揚げ食べ放題の何がいやなのよ?」

「姉ちゃんの唐揚げ、一つ食べると次の日一キロ太ってるんだ」

「……そういう非科学的なことを言わないの」

「ほんとなんだ。何が入ってるのか知らないけど、美嘉姉ちゃんが言うには一個で千キロカロリーって話なんだけど」

「絶対に勾玉手に入れるわよ!」


 おお、さすが女子。

 カロリーって単語に対する敵意が半端ねえ。


「じゃあ、朱里ちゃんがくれた弁当でも食べて次の戦いに備えますかね」

「……今の話の流れで出す? デリカシーないの?」

「無いよ?」


 細い二の腕をぷにぷに摘まみながら俺をひとにらみした花蓮は、お弁当の包みを奪い取ると、膝に置いて上品に包みをほどいていく。

 すると中から、三角形の小さな弁当箱が二つ現れた。


「おにぎりか。いいなあ」

「……あんたのは違うみたいね。コロッケとご飯」

「うん」


 俺が膝の上に乗せた、レンジで温めるごはん。

 その上に冷凍食品のコロッケを破いた袋からゴロゴロ転がして乗せる。


「……朱里、随分怒ってるわね」

「やっぱそう思う?」


 割り箸を無理やり米に突き立ててみたけど、真ん中から半分に折れた。

 しょうがない、これは後にしてコロッケから食べよう。



 ――沙那と朱里ちゃんが仲良く捻挫しているせいで、今日は花蓮がパートナー。

 朝早くからのアエスティマティオだったから、準備とかしてたせいで朝ごはんも食べずにここに来た。


 朱里ちゃんは応援ってことで来てくれて、朝ごはんを渡してくれたから昨日のことも怒ってないのかと思ったらこれだよ。


 俺はシャリシャリという、コロッケから鳴ってはいけない音を響かせつつ携帯を取り出した。



  本日の進級試験


 Dランク:八時二十分より学生農園にて耐雨作業。ペアで参加の事。最も貢献したペアに勾玉を授与。妨害不可。他チームとの協力可。軍手支給。

 Aランク:十時発表。チーム内での協力可。



「昨日よりグレード上がってるじゃん。俺たちを何だと思ってやがる」

「体のいい農作業員ってとこでしょ。まあ、授業で農作業するよりはいいわ」


 俺が芋風味のアイスを食べ終えて、いよいよ米風味すら感じられないアイスにかじりついている間に花蓮はぺろりとおにぎりを平らげていた。


 珍しいな、早食いなんて。

 よっぽど脳みそ使ったのか?


 ……そうだな、花蓮は俺に指示を飛ばし続けてたっけ。


「それにしても、なんで私の指示通りにちゃんと動けないのよ」


 そんなに体力ねえよ。

 でも、そんな情けないこと言えねえ。


「……沙那と朱里ちゃんの罵声でまるで聞こえなかった」

「嘘言わないの。いちいち指図すんなって怒鳴ってたじゃない」

「おお。俺の心の声、そんなに漏れてたか」

「変態の嘘は分かりやすいわね。バカだから?」

「それは変だろ。ばれない嘘はばれないだろうが。ばれた嘘は分かりやすいって思うだろうが」


 まともな事を言ったせいで、花蓮の手が俺のおでこに吸い寄せられた。


「熱でもある? たまにまともなこと言うから驚くわ」

「……って、昨日絵梨さんに言われた」

「返しなさいよ褒め言葉。後で蒼ヶ峰そうがみねさんにあげて来なきゃ」

「やめとけよ中古品なんて。それにさっきの、褒め言葉にしちゃ相当ひでえし」


 花蓮は溜息をつくと、お弁当包みを綺麗に縛り始めた。

 おっと、俺も早く食べなきゃ。


「蒼ヶ峰さんといつ話したのよ」

「アエスティマティオの後。なんか、治人が悩み事あるんじゃねえかなって思ったから聞いてみたんだ」

「ふーん。それで?」

「たしか…………。なあ、お腹が冷えた」

「私には影響ないから早く続きを言いなさい」

「えっと、何かあったら力を貸して欲しいって言われた」


 俺の返事に、花蓮が難しい顔をしながら立ち上がる。

 そして一段が随分と高い階段を二つ降りたところで振り向いた。


「まあ、それは後で考えましょ。もうそろそろ時間よ。ついて来なさい」

「おお。ちょっと待て。って、花蓮! スカートが枝に引っかかって捲れてる!」

「え? ……っきゃーーーーーー!」

「サンショウの恩返しは驚きの三段レース!」


🐦がんっ!


「ぐおおおおお!」

「アンダースコートだけど、じろじろ見るな変態! 後ろ向いてなさい!」

「おお、任せろ。苦手分野だけど」


 言われるがままに顔を背けながら首を捻る。

 これはやらかしたの? それとも偶然? あるいはほんとに恩返し?


 ……しかし、かなり段差がある階段だから、あの状態から上に戻れないよね。

 スカート取れにくそう。


 この時間、花蓮は何分もかかってるように感じてることだろう。

 前に沙那が教えてくれたんだよな。

 相対性理論だっけ?


 なんでも、美人といる一時間は一瞬に感じるとか言うあれ。

 まったく意味が分からんよ。


 俺にとっては何の時間が一瞬に感じるんだろ?


 ……………………………………………………。


 考えているうち、我ながら最低なことに気付いた。

 俺、下手な下着よりアンダースコートの方がドキドキするかもしれん。


 ……試してみるか?


 というか見たい。


 まさか、タライに勝るほどの好奇心が湧くとは。

 俺は背徳感にすら興奮しながら、勢いよく振り向いた!


「早いよぅ!」

「何がよ。ちなみにさっきの記憶は全部消しなさい。今すぐに」

「……俺、どれくらい後ろを向いたまんまだった? 一分くらい?」

「はあ? 十秒くらいじゃない?」

「相対性!」

「……何言ってるか分からないけど、とっとと準備なさい。もう始まるわよ」


 ちきしょう。

 でも、きっとまた機会があるさ。


 しかし将来の夢が揺らぐほどのことを知った気がする。

 高校生って、将来なりたい物を探すための準備期間と聞いたことあるけど、なるほど納得だ。


 俺、ペットボトル屋じゃなくて、学校卒業したら女子テニス部に入ろう。


 そんなことを考えていたところに着信音。

 Aランクの問題、来たな。


「ん。来た。早速使いなさい」


 へいへい。

 俺はいつものように、携帯の画面に集中しながら視覚以外の感覚を切り離した。



  本日の進級試験

 Aランク:田区十下兀示天。ここに、勾玉がある。個人参加可能。最も早く発見した者に授与。妨害不可。チーム内の協力可。



「……どう?」

「田、区、十、下、よめない、示、天。全部真っ赤」

「はあ? …………今日も役立たず?」

「今日は役立たず。……うそ。先日に続きまことに遺憾」


 花蓮の可愛らしい鼻から盛大に漏れる二酸化炭素。


 まじか。

 昨日の半分真っ赤になったやつと違って、今回は絶対に意味がない。


 俺は階段を降りて花蓮に並びながら申し訳ないと顔で表現しつつ、逆側の弁慶に付けられた新しい傷の痛みに堪えた。


「やれやれね。じゃ、正攻法で行きましょ。まずは音読み。それから分解、合成、アナグラム、あとは……」

「いやいや、俺には無理だって。今回は任せたよ。…………はあ。なんか、沙那には酷いことしちまうし、朱里ちゃんには嫌われるし、『これ』も役立たずになるし、弁慶はいてえし。嫌になるぜ」


 弱音を吐きながら用水路の脇にしゃがみ込んで、水を覗き込む。

 ここんとこの雨で随分濁ってる水の中、健気に流れに逆らうメダカたち。

 そうな。俺は今、お前ら以下だ。


 ため息をついた俺の肩に、優しく乗せられた花蓮の手。

 やめてくれよ。

 今優しくされたら、泣いちゃうぜ。


「……ちょっとこっち向きなさい」


 そう言われて振り向いた俺の顔が、両側からパシンと音を鳴らした。

 じんわり広がる、熱さと傷み。


 ……花蓮が、両手で俺の頬を叩いて挟み込んだまま、厳しい目を剥いていた。


「シャキッとしろ! 雫流!」

「…………え?」


 前にもこんなことあったな。

 こいつ、たまに俺の事を名前で呼ぶんだ。


 これずるいって。

 なんか、胸にずしっと来るって。


「二人のことは流れに身を任せたまま! これもヒントが見えなかったから諦める? 舐めてんのか! 朱里を助けてあげた時のがむしゃら、見せてみなさいよ!」

「…………そんなに唐揚げがイヤ?」

「バカ! そんなのどうだっていい! ……私はこれでも、あんたのがむしゃらについては尊敬してんのよ。さっきの弱音は聞かなかったことにしてあげる。だからバカはバカらしく、私の前ではかっこいいバカでいなさい」


 花蓮の灰色の瞳が、俺の目の奥、自分でも知らないどこかを見据えてる。


 その、見つめられてるところ。

 頭の奥、いや、心の奥のとこが熱くなる。


 ……誰かに信頼されるって、こんなにも心が震えるものなのか。


「わかった! 目が覚めた! ……ありがとう、花蓮」

「分かればいいのよ。あんたは下僕らしく、私の手足になってきりきり働きなさい」

「お、おお。……なんか台無し」


 貴族然とふんぞり返る花蓮の口は調子に乗って嫌味に歪んでるけど、その目は優しさと嬉しさに満ちている。


 そして、ちょっと照れくさいことしたからだろうな。

 めずらしく赤くなった顔が可愛い。


 目が覚めた俺には眩しすぎる美少女。

 見つめてるだけで、ドキドキするぜ!


🐦ひゅー…………ごんっ!


「ぐほあああぁぁぁぁぁ!」

「…………ごめん。さっきの無しね。バカもほどほどになさい」


 俺の脳天を割らんばかりに落ちた人形が、用水路にざぼんと浸かる。


 空を指差す嫌味顔の小人。

 こいつのせいで、俺はせっかく覚めた目を再び閉じることになった。



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