5I-5A-IWABEEAWI-A2-I2 ~三つの物と位置関係が解れば正解です。が、本当にそれで正解ですか?~

美嘉姉ちゃんの授業は変わっている


  本日の進級試験

 Eランク:八時二十分より学生農園の水抜き作業。ペアで参加の事。最も貢献したペア三組に、勾玉を授与。妨害不可。他チームとの協力可。雨がっぱ、軍手支給。

 Dランク:九時二十分より観賞用人形の設置作業。ペアで参加の事。最も多い数を設置したペアに勾玉を授与。妨害不可。他チームとの協力不可。雨がっぱ、軍手支給。

 Cランク:十時二十分よりトレイルランニング。個人種目。南東球技校庭集合。東山山頂の三角点を触った後、北西動植物校庭の北門を最も早く潜り抜けた者に勾玉を授与。妨害不可。

 Bランク:十三時四十分発表。個人種目。



 ――雨音はショパンのごとき調べなんてよく聞くけど、ちょっと興味が湧いてきたから今度ダウンロードしてみよう。


 ショパン。どんなメタルバンドなんだろ。

 デス系かな。


 先生の声がまるで通らないほどの土砂降りは、ドラム奏者数十人による壮絶なリズムを窓に刻む。

 さっきから、無意識のうちにヘッドバンギングだ。


 そんな三限目、俺は強制的にアエスティマティオへの参加を却下され、教室で授業を受けていた。


 まあ、やむなし。

 今、俺たちの正面に立って教鞭を握っているのは美嘉姉ちゃん。

 この弟大好き女が、俺といる時間をみすみす手放すわけがない。


 ……酒と蟹のせいでそんな時間を棒に振ることもあるようだが。


 昨日はまるで絡まれなかったし。

 自分で仕掛けた罠にかかってどうするよ。



 クラスに残っている生徒は四十五人中四十人。

 この土砂降りだし、競技はトレイルランだし、はなから諦めている連中の多い事。


 その反動で、Bランクのアエスティマティオへの参加者が大変な事になりそうだ。


「…………これは物語。真実を残す伝記とは異なる。信憑性という秤では一切の価値なし。それを良しとするか否か、皆の価値観で測る。それが真の学問」


 おっといかん。真面目に聞かないと。

 呆けていたことがばれたら、美嘉姉ちゃんは絶対身投げする。


 この前は、絵本を読み聞かせしてくれるとか言い出したのを断っただけでバラの花壇に身投げしたし。


 美嘉姉ちゃんは繊細なんだ。

 俺は、黒板に書かれた美しい文字を食い入るように見た。



 時は永禄えいろく三年のこと。嗟嘆なげきの王が厄奇門やっきもんよりこの地に上がる。

 この者、数百の供を連れ、坊主を食らいておおよそ人の姿を手に入れると、山を下りて尾張に住みかを築き、日の本を手に入れんと企てる。

 人は恐れをなしてこれに従い、鬼の将を頂いた人の軍勢、ついに都へわずかとまで迫る。

 明知あかしの一族、あま御使みつかいより日輪を封じた勾玉を授かりて、これを倒せと命を受ける。

 新たに受けた日の力、鬼の軍勢に見つかるまいと、知恵を以て日を隠す。

 即ち明智あけちを名乗り、嗟嘆なげきの王が油断するその時が訪れるまで側遣えとして埋伏した。

 そして天正てんしょう十年六月二日、ついに嗟嘆なげきの王が十年ぶりに眠ったその時、明智の将は日輪の勾玉より炎の檻を吐き出し、これを封じた。

 明智の将は嗟嘆なげきの王を一飲みにすると、火車に跨りて都を越えて、美濃へ入ると姿を消す。

 鬼共は、王が消えると互いに潰し合い、勢いを落とすと、人の手に日の本を返すに至るのであった。



 ……やべえ、おもしれえ。

 美濃ってこの辺じゃん。

 どこかに封印されてるのかな、信長。


「なあ、美嘉姉ちゃん」

「…………学校では教師。呼ぶ、美嘉ちゃん先生」

「美嘉姉ちゃん先生、歴史の担当だったっけ? こないだ美術教えてなかったか?」

「…………担当、無い。私は自由。私が教える教科、その名は『リベロ』」

「リベロだって決まったとこ走るんだよ。勝手に走ったらだめだっての」

「…………雫流ちゃん、授業、つまらないと言う。ならば私に存在価値ゼロ」

「そんなこと言ってねえから身投げは止めて!」


 白銀の髪をなびかせて、窓を開く美嘉姉ちゃん。

 開けた瞬間、髪が勢いよく舞い上がって、全身びっしょびしょ。

 もちろんすぐに窓ピシャリ。


「…………ちょっと躊躇」

「そりゃよかった。美嘉姉ちゃんの授業、最高に面白いから続きを頼む」


 俺が心からの言葉を口にすると、天使の無表情が首ごと振り返る。


 天使は、表情を変えない。

 眼球も動かず、瞬きもしない。


 でも、俺には見える。


 美嘉姉ちゃんは、今にもスキップしそうなほど喜んでいた。


「やれやれね。美嘉、とっとと授業を続けなさい」

「…………まだ、ノートを取る者がいる。花蓮、お前はなぜ取らない」

「覚えちゃったわよ」


 まじかすげえな。さすが天才。


 花蓮は美嘉姉ちゃんが板書してる間、凄く集中していた。

 天才ってのは、集中とか努力とか、誰しも嫌がることを頑張れるヤツへの褒め言葉だって姉ちゃんが教えてくれたけど、俺もそう思う。


 尊敬するし、負けたくないって気持ちになる。

 俺だってちょっとは頑張らなきゃ。


 ……そうか。だから世間一般の教師は、真面目でストイックな人が多いのか。

 あんな大人になりたいって思った時、そいつが不真面目でいい加減だと何の教育にもならん。

 生き方と言うか、在り方そのもので大切なことを教えてるんだな。


 その点、天使はまじめで勤勉。

 指導者としてはうってつけなわけだ。


「という結論に達したんだ。ぼったぼった水を垂らしながら俺の横に立たないで欲しいんだけど、教師よ」

「…………よく分からないが、教師らしいことはしよう。教師だし。質問があるなら教えよう。教師だし」


 ええと、板書した話についての質問だよな。

 これが真実かどうか、なんて聞いても答えてくれそうにないし。

 だったら特に無いなあ。


 あれ以外だったら、聞きたいことが山ほどある。

 世の中、俺の知らないことばっかりだ。


 例えば、トイレに付いてる「おしり」ってボタン。

 小さい頃、何が起きるか興味があったから押して観察してたら、顔をびしょびしょにされた。


 あれ以来、俺の中であのボタンは永遠の謎としてくすぶり続けている。


 他に聞きたいことは……、ああ、そうか。


「アエスティマティオについての質問とか、しちゃだめなのか?」

「…………構わない。では、Bランクの勾玉の場所、会話の中に隠して教える」

「待てこら。そんなことしたら美嘉姉ちゃんが裁判にかけられるだろうが」

「…………そんなものはない」


 ほんとか? この人なら、俺のために無茶なこと平気でしそうだけどなあ。


「…………バレたらその場で処刑されるから」

「お前は永遠に口を開くな!」


 なんで? って感じに首を傾げるのやめろや。

 はあ、やれやれ。


「俺達悪魔にさ、転生できるからって命を無駄にするなと教えてるのはお前ら天使でしょうが。それを教えるなら、自分も命を大切にしねえと。そうだろ?」

「…………いや。お前たちはどうせ転生する。そうは思わない。教師マニュアルに書いてあるから言ってるだけ」

「身も蓋もねえな」

「…………そうか。私は勾玉の場所も教えてあげられない役立たず。ならば……」

「だから悪い見本を実践するな窓を見るな靴を脱ぐな遺書を俺の机に置くな手を合わせるな仏教かい!」


 俺が身投げ待ったなしのお姉ちゃんの手を慌てて掴んで引き留めた時、館内放送が響いた。


『……告知。全学傾注。アエスティマティオ、ランクC。発見者一名確定。チーム山岳愛好会、布施ふせ祐樹ゆうき。以上』

「…………沙那は残念だったな。では、授業を再開するとしよう」

「靴っ! ああもう!」


 靴下のまま教壇に戻ろうとする美嘉姉ちゃんを再び引き留めると、引っ込み思案でいながら誰にでも優しい遠山さんが、靴を持っておずおずとお姉ちゃんに履かせ始めた。


 ああもう、床にしゃがみ込んで。

 ほんとにいいやつだなお前は。


「ありがとな、遠山さん。なんか、世話になってばっかだな」

「お世話? ……そんな、こと、無いよ?」


 片足立ちになった美嘉姉ちゃんを支える俺を、大きめのメガネの上から見つめるおさげ髪。

 君は萌えを正しく理解してるね。


🐦がんっ


「…………雫流ちゃん、教師に暴力」

「偶然です。それより遠山さんに迷惑かけるな。俺にイタリア語を教えてくれる先生なんだぞ」

「イタリア、語? ちがう、よ。ローマ字だよ?」

「そうそう、ローマの言葉な」


 くすくすと笑いながら、逆の靴へと手をかける遠山さん。

 美嘉姉ちゃんも、上げる足を逆にする。

 俺もそれに合わせて支える位置を変えると、後ろの席に座っている朱里ちゃんと目が合った。


 ……と、思ったらあっという間に目を逸らされた。

 なんだろう、嫌われるようなことしたかな、俺。

 そんなに真っ赤になって怒らなくても。


 しかし朱里ちゃんが出場できていたら独壇場だったはず。

 学生農園でのアエスティマティオで足首を捻った朱里ちゃんは、二限目からずっと教室で赤髪ポニテを寂しそうに揺らしてる。


 ……朱里ちゃんらしくない。


 朝から、いや、昨日の晩からぼーっとしっぱなし。

 話しかけても逃げて行っちゃうからその訳も分からない。


 まあ、今日の所はチームロワイヤルも不調なようだし、他のチームに勾玉を譲ってやる日と思うことにしよう。


「山岳愛好会なんてあるんだな。それじゃ沙那が負けるのも当然だ」


 俺の言葉に、珍しく美嘉姉ちゃんが厳しいオーラを出す。

 片足立ちだから、威厳も半分だけど。

 なんだよ。


「…………そんな考え方、無い。他の部活の者、帰宅部の者、足腰を鍛えている者はいくらでもいる。前回のトレイルランニングで釣り部の者に負けた布施、奮起したと記録にある」


 おお、そうか。

 部活がどうだからとか、仕方がないとか、確かにそんな考え方は間違ってた。

 頑張ってきた人に失礼だ。


「釣り部の人も優勝したことあるんだ。山岳愛好会だから勝てたとか、間違った考え方だったぜ。ありがとうな、美嘉姉ちゃん」

「…………ちなみに、釣り部の部室は東山の中腹」

「おいこら。ちょっと関係あるじゃん、部活」

「…………部室の魚拓もキュート。上から、アユ、ヤマメ、ハヤ、イワシ」

「キュートが過ぎる。渓流で釣れたらびっくりだ、イワシ」


 魚屋で買うのは奥さんへの見栄だけにしろ。


「…………たしか、マグロの魚拓もあったはず」

「いい加減にしろよ? でも、そんなの飾れるでかい部室なんだ」

「…………いや。魚拓、これくらい」


 美嘉姉ちゃんは、指の動きで小さな四角を描く。


「切り身じゃねえか」

「…………タンポポまで美しく再現」

「小さい頃、誰かにアレが大トロだって騙されて、喜んで食ってた覚えがある」

「…………あの時の雫流ちゃん。可愛かった」

「まさか十年越しで犯人を見つけることになるとは思わなかったよ」


 そんな会話に、クラスの皆は笑っている。

 俺が英雄だから、こうなるのは当然のことだ。


 でも、一番笑顔でいて欲しい人は、けだるそうな顔を土砂降りの窓に向けたまま。


 俺は元気のないポニーテールを見つめて、溜息をつくことしかできなかった。



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