夕方には、きっと焼きすっぽんのスタンプが届いている


 姉ちゃんが、イチゴ屋さんと呼んで愛してやまないこのお店。


 駅前のオフィスエリア。

 その一角に揺れるCLOSEDの看板。


 高級スイーツ喫茶「花丸」は、俺たち五人の貸切となっていた。


 店内一番奥のボックス席にエクストラチェア。

 お誕生席に腰掛けるのは姉ちゃんだ。


 白いワンピースにピンクのストール。

 真っ赤なぴかぴかベルト。


 イチゴに対して最大限の敬意を払うと、この服装になるそうだ。


 俺の正面に座ってる、沙那も正装だ。

 ホットパンツに、胸元がルーズなカットソー。

 それだけ。


「二人の服を見比べるとすげえ差だな。なんだそれ」

「ああん? ウチだって、ちゃんと蝶ネクタイしてんだろうが」


 そう、カットソーの胸元に安全ピンで留めたプラスチックの蝶ネクタイ。


「そんなのぶら下げてっから谷間が見えちまうんだ」

「お? そっかそっか、今日はずっとぺったん子と一緒だったからコレが気になんのか! ほれほれ、遠慮しねえでうずもれてもいいんだぞ?」

「やめねえか。そんなんされたら、ハトに月を落とされる」


 ブラジルの人が月見できなくなっちまうだろうが。


 だから、指でシャツ引っ張って、ほんのり褐色の渓谷を剥き出しにしなさんな。

 ドキドキ寸前だっての。


 まずは心を鎮めよう。

 今の俺に必要なのは、平穏。平坦。ぺったん子。

 ……よし、落ち着いた。


 一本気な物をお持ちの朱里ちゃんを見て心を沈静化させていたら、その横顔に悲壮という名のチークが色濃く塗られていることに気が付いた。


「ねえ、花蓮ちゃん。……大丈夫?」


 彼女は、正面に座る花蓮を心配していたようだ。

 実は俺も、ずっと気になってるんだけど……。


 金髪がかかるカーキのシャツ。

 ショート丈のカーゴパンツ。


 今日はボーイッシュ可愛い花蓮が、煮込みっぱなしで忘れてた餅みたいにとろけた顔で、ふわふわと船をこいでいるのだ。


「花蓮ちゃん、幸せそうなのにすっごいクマ」

「へへ……、えへへ……、そう?」

「どうしたんだよお前? 何か、良い事と悪い事でもあったのか?」


 両方の特徴が同時に出とる。


「この店のホームページを眺めていたら、どれを食べたらいいか一晩中悩んじゃったのよ。悩ましいわ、どうして私の胃は一つなのかしら」

「落ち着け天才。個数じゃなくてサイズの問題だ」

「へへっ、そーゆーこった。ウチぐれえでかけりゃ、いくらでも食えるぜ?」

「ほんとにな。そういやてめえ、また伸びた? いくつだったっけ?」

「ひとつに決まってんだろ」

「胃の話に戻るな。バカか」


 突っ込む俺に、水のグラスを掲げるにやけ顔。

 おお、くるしゅうねえよ。

 それくらいわかりやすいボケならいくらでも突っ込んでやる。

 ヒパヒパー。


 チーン


 グラスの音に合わせて、軽いため息。

 こめかみに指を置いたのは、姉ちゃんだった。


「よかった、貸切にしといて。あんたたち、うるさいんだもん」

「そういや、沙那と三人で来てた時は貸切になんかしたことないよな」

「へへっ。じゃあ、こいつら二人がやかましいってことだ」

「何よ! あたしがうるさいわけはんぐっ」

「……おお、自主規制」


 自分で自分の口を押えて沙那をにらみつける赤髪ポニテ。

 悪知恵が働く相手にゃ分が悪いかな。


 君は手玉に取られやすい。

 だって、一本気だからね。すとーん。


「姉ちゃん、貸切って、お高いの?」

「二代目とは長い付き合いじゃない。サービスしてもらってるわよ」


 そう、ここの二代目店主とは付き合いが長い。


 長いも何も、ろくに子育てもできない姉ちゃんの代わりに、生まれたばかりの俺の面倒をみてくれた三人のうちの一人なのだ。


 なんて噂をすれば、キッチンから規則正しい靴音が近付いてくる。

 俺が元気に手を振ると、長い黒髪が慇懃なお辞儀で迎えてくれた。


「ようこそいらっしゃいませ」

「久しぶり、四宮お姉ちゃん。おっと、じゃなくて、今は……」

「いいわよ、雫流。姫様もそう呼んで下さるし」

「姫ではない。殿下だばかもの」


 凛として、クール。

 切れ長の目が美しい、四宮しのみやお姉ちゃん。

 この人、実は俺の理想の女性だったりする。


「昨日は、うちのバカ亭主が大変失礼いたしました」

「よい。店は綺麗になっていたしな。それより、午前様にしてしまったな。許せ」

「ご心配なく、姫様。私も午前様でしたから」

「なんだと!?」

「実はこっそり、いつもの四人で掃除しました」


 そして姉ちゃんと一緒に、何かを懐かしむように優しく笑い合う。


 俺が知らないほど昔からの付き合い。

 だからこそ生まれる、心からの笑顔。


 ……俺も、こいつらとそんな関係になれるのかな?


「それではチゴのフルコース、ご堪能ください」

「明日は芝生の手入れも頼んでいるのに、連日手をわずらわせる。許せ」

「もっとお言いつけ下さいませ、姫様。……雫流は、今年も手伝ってくれるの?」

「治人たちが来るから相手しなきゃいけねえんだ。ごめんな?」


 片手をあげて謝ると、四宮お姉ちゃんもくすっと笑いながら、真似して片手をかざした。

 クールなのに、こういう所はお茶目なんだよね。


「ふわー……。綺麗な方ですね……」


 キッチンに入る彼女の後姿を、口をぽけっと開いて見とれる朱里ちゃん。

 そんな君の横顔の方が綺麗だと思うけど、女子って絶対に自分が一番って認めないよね。


「ほんとにね。一之瀬になんか勿体ない。まったく、縁は異なもの、ね」


 姉ちゃんがいつもの口調に戻りながら携帯を取り出した。

 そして土曜日ならでは、テーブルの真ん中にそれを置いて、メッセージを打ち込んでいく。


 父ちゃんも一緒に、みんなで過ごす時間。

 土曜日は、昔からそういう日なのだ。


 しかし、縁か。


 姉ちゃん、父ちゃんとどんな縁があったんだろう。

 不思議な関係ってことくらいは分かるけど、詳しく知らないし。


 四宮お姉ちゃんに、こんどこっそり聞いてみよう。

 旦那の方は、ウソばっかで当てにならないからな。


「そういえば一之瀬おじさん、最近一気に太ったね」

「良いのだ。幸せ太りというのは、奥方には嬉しい物だからな」

「そうかあ? 冗談じゃねえぜ」

「うん。旦那さんが急に太ったら嫌だなあ」

「体型管理もできないような男は捨てるけど?」


 うわあ、大反撃。

 姉ちゃん、目を真ん丸にして驚いてる。


「珍しいわね。まさか全員から反対されるなんて」

「じゃあ沙甜。あんたのお相手だったらどう思う?」

「…………ほんとね」


 言うが早いか、姉ちゃんは携帯にメッセージを打ち込みだした。



<一之瀬、太ったぞ。お前はどうなのだ?



 待つことしばし。

 帰って来たメッセージは、



    あわせなきゃ 中年太りに まえみごろ>



「父ちゃんの才能に、たまに嫉妬するんだよね。でも残念なことに、季語がねえ」



<30点。季語はどうした


    中年太りという単語が、晩秋の悲哀を表>

    現している。これはそもそも劉備玄徳の

    髀肉ひにくたんにちなんでだな


<お前は嘆いているのか?


      『名無し:さんは、退室しました』>


<何度もやられていい加減慣れた。誤魔化

 すな。ちょっとは運動しておけよ?


  『名無し:さんは、しぶしぶ了解しました』>




 バカなやり取りに、一同苦笑。

 ここで、最初の品がテーブルに並べられた。


「待ってました!」


 イチゴパフェとノンシュガーのカフェオレ。

 これこれ。この組み合わせが絶妙なんだよ。


 みんなが上品にいただきますとか言っているあいだに、俺と沙那は同時にスプーンを手に取る。

 そして鏡に映したようにてっぺんのイチゴだけを掬い取って、これまた同時に口の中へ放り込んだ。


「あまあ。今日はパンを一口しか食ってないから、すきっ腹に沁み渡るぜ」

「うそ? レタスもチーズも食べたでしょ?」

「それを食ったのは朱里ちゃんだけです」


 ふくれっ面でにらみ合ってると、ぼそっと聞こえた不機嫌そうな声。


「今日は朝から一緒だったんだよな。そのハートマークの絆創膏もてめえの仕業なのか?」

「え? はとマークだろ?」


 ヅラを外して絆創膏をはがして確認。

 ハトが二羽。ハートマークになってチューしてた。


「うわあかわいー♡ じゃねえっ! 恥ずかしい!」


 これ付けて歩いてたのに何も言われないって、どうなってるんだよ世間?


「えー? かわいいのに」

「てめえが張ったのか?」

「ううん? ハトさんだよ?」

「なんで絆創膏とか張れるんだろ。ハト、賢いよな」


 しかもくちばしだけで。

 どんだけ器用なんだあいつら。


「そうね、変態には張れないもんね。ハトの方が賢いことが理解できた?」

「張れるわっ!」

「じゃあ、鏡を見ないで、その絆創膏をおでこの傷にぴったり張れる?」

「え? …………そりゃできねえと思うけど」

「だったら、ハトの方が変態より賢いじゃない」

「え? ……あれ? ほんとだ」


 ショック。俺の知能指数、まさかのハト以下。

 そこに運ばれる二品目。

 今度はイチゴのミルクブリンかな?


「花蓮ちゃん! 雫流だって頑張って勉強してるんだからいじめないで!」

「おお、そうだ。すぐにハトくらい追い抜いてやる」

「頑張ってもしょうがないの。結果が全て」

「結果だって出してるよ? こないだだって……」

「まて。その話をするなら、半分は伏字にしてくれ」


 対戦相手がばれたら絶対バカにされる。

 

 すべてを察してくれた朱里ちゃんは、こくりと頷いて、俺の弁護を続けてくれた。


「こないだ近所の六年生の子と暗算対決して、ごにょごにょだったんだから!」

「伏せ方へったくそだな弁護士!」

「負けたのか」

「負けたのね」

「勝ったよ! ギリギリだったけど!」


 くっそう、なんだよ花蓮から時計回りに三つ並んだそのツラは!

 呆れ顔って、どんな美人でもブサイクになる魔法のメイクアップ。


「てめえ、ウチが勉強付き合ってやってるのになんてザマだ」

「おお、ティーチャー・ビリビリ。申し訳ない。次こそは必ず」

「そう言えば雫流、さっき伊能忠敬は分かったじゃない。すごい!」

「そりゃあピンポイントだったな。ついこないだ教えてやったとこだ」


 おお、なんか久しぶりに感じる。

 沙那と朱里ちゃんがまともに会話してるよ。


 昨日、あの後仲直りしたのかな?

 でもさっきはちょっと険悪だったし……。


「そうなんだ。歴史?」

「んにゃ、地理」

「おお。今の俺、地理なら神にも等しいレベル」


 だよな、ティーチャー。

 ……おい、なんだそのツラ。

 笑うか呆れるかどっちかにしろ。


「じゃあ……、ほら変態。まずはこれを見なさい」


 花蓮が携帯を渡してきた。

 うーんと、これは日本のどのあたりだ? ちょっとわからん。


「四国はどーれだ」

「バカにすんな。そんなのティーチャーの特訓が無くても分かる。これだろ?」

「……あんたが指差してるところ、なんて書いてあるのよ?」

「オーストラリア」

「ドンマイだよ雫流! 次、海を渡る時は瀬戸内海にしとこうね! 太平洋渡っちゃダメだからね!」


 あれ? 間違えた?


「こら姫。ウチに恥かかすんじゃねえよ!」

「ぐばばばば」


 俺が甘んじて罰を受けている間に、イチゴのタルトが運ばれてきた。

 これこれ、カスタードとイチゴの絶妙なハーモニーがたまらないんだよね。


「じゃ、間違えた罰にイチゴを没収だ」

「私もいただいておくわ」

「しょうがないなあ、あたしはあまりでいいや」

「普通そういう時は一個ずつ持ってくもんじゃねえかと俺は思う」


 なぜ三分の一ずつ取る。


「はあ……。ほんと良かった、貸し切りにして」


 姉ちゃんも、困るのか笑うのか、はっきりしない顔やめれ。

 一緒に笑えばいいじゃん。


「これぐらい賑やかな客、たまにはいるだろ」

「そのたまにがあたし達になるのがいやなのよ。……まったく、しー君が絡むとどうしてそうなるの? 朝から駅前で何かやらかしたようだし」


 おう。ばれてら。


「いくつかそれっぽいのあったけど、どれがあんたたちの仕業?」

「たぶん全部」

「……なんでそんなことになるのよ」

「朱里ちゃんが」

「雫流が」


 そして再びにらみ合い。

 絶対俺のせいじゃねえからな?


「じゃあ今度はウチと行こうぜ。こいつとみてえなことにはならねえから」

「何よそれ!」

「なんだよ!」


 おっと、二人の腰が少し浮き始めた。

 でも、ここなら止めようがある。


「お前ら、ここでそれやると、どうなると思う?」

「そうよ? せっかくのイチゴを台無しにした場合、悪魔王の奥義をお見舞いするからね」


 一瞬で黙る赤と黒。

 しかし怖えな。奥義ってなんだ?

 ごはん抜きかな?


 そして、多分最後の品だろう。イチゴティラミスが運ばれてきた。

 大好物!

 いっただっきまー


「我が家の恥を駅前にばらまいた罰。没収」


 取られた。

 恐ろしいな、奥義。


「ふふっ。雫流を見ていると、昔の七色そらはしを思い出しますね」

「うそ!? ……ごほん。いい加減な事を言うな」

「おお、それそれ。四宮お姉ちゃん、姉ちゃんの昔話聞きたいんだけど」

「いえ、それは話せないわ。……姫様の前だから」

「こら! あたしがいなくても話すな! あと、姫ではない!」


 あはは、姉ちゃん、真っ赤。

 これは是非とも聞き出さねば。


「……そうだ。雫流は七色の事、いまだに嫌いなのよね?」

「おお……。そうな」

「一つだけ教えてあげるわ。あなたのお父さんは、姫様の罰を消すために、神に立ち向かったのよ」


 え? ……神に?

 どういうこと?


「まあ、その話はお父さんがあそこから出て来た時に直接聞きなさい」

「ですが、姫様……」

「よいのだ。同じ罰の被害を被った者同士、すぐに意気投合することだろう」


 なんだよ。なんで内緒なんだ?

 みんなも、大人たちに視線を向けたまま黙っちまってる。


 聞きたいけど、聞いていい話とは思えない。

 空気感だけで気持ちが伝わって来る。


 そんな沈黙の中、メッセージが一通届いた。


「あら、ようやく来たのね。しー君にいいとこ見せるんだって張り切ってたから、今日こそ見直すことになると思うわよ?」

「ならねえよ」

「……最近、あんたたちが気まずい雰囲気になってる理由、彼には分かってるみたいなの。それを解決する暗号を作るって……」

「やめろ!」


 姉ちゃんの話を遮って、沙那が噛みつくような声を上げた。


 ここんところのおかしな様子、今日はあんまり感じなかったけど。

 ……実は、無理してたんだな。


「安心なさいな。その辺りは年の功。七色に任せておきなさい」


 姉ちゃんは気楽に言ってるけど、沙那が発する空気が重い。

 甘いイチゴの香りまで、胸にこびり付いて苦しく感じる。


 こんな状況を、たった一つの暗号でひっくり返すことが出来るって言うのか?


 父ちゃん……。



 俺が好きな人、みんながあいつを好きだと言う。

 だから多分、あいつのことを嫌いな理由は、やきもちなんだ。


 そして今、あいつは俺にできないことをやってのけようとしている。


 惨めな思いと悔しさを堪えながら、俺はメッセージをちらりと覗いた。




          648、48730、81482、5!>




「これが……、沙那の気持ち?」


 俺がいつものようにとっかかりを見つけようとしたら、お誕生席に座る姉ちゃんから一瞬にしてどす黒いオーラが噴き出した。



「そーーーらーーーはーーーしぃーーーっ!」



「うえっ!? な、なにっ!? 俺の七色じゃなくて父ちゃんの七色だよね!?」


 怖えよ姉ちゃん! 魔眼まがん開くな!


 びびって朱里ちゃんにしがみついていると、花蓮がため息をつきながら呆れたように両手を上げた。


「ばかばかしい。誰がいいところを見せるって? 私にはバカが一人増えたことしかわからないわよ」

「ど、どういうこと? ……おい、沙那!」


 沙那までため息をつきながら席を立った。

 そして背中越しにぼそっと呟く。


「ちょっくら一人になりてえから、歯医者にでも行って来るわ」

「……しーちゃん。ごめんね」

「いや、サタン様が謝ることじゃねえ。……でも、どおすっかなあ、ほんと」


 沙那の背中が小さく見える。

 おいおい、らしくねえっての。


 ……俺が、助けてやんなきゃ。


「なあ、俺にもなんかできねえか?」

「うるせえ。てめえは今まで通り、ウチの姫でいりゃそれでいいんだ」

「えっと……。罰のせいなのか? なら俺、お前の罰を消してやりてえ」

「はあ!?」


 急な大声と共に刺すような視線が飛んで来た。

 振り向いた黒い炎。

 あれは、ガチで怒ってる時の目だ。


「……そうか。てめえはそういう奴か」

「なんだよ。なんで怒ってんだよ」

「うるせえ!」


 半身で振り向いた沙那は、俺がしがみついたままの朱里ちゃんに一瞬だけ目を向けると、大きく鼻から息を吐きながら店を出て行ってしまった。


 いやいや、まるで分からねえ。

 罰を消してやるって言ってんのに、なんであそこまで怒られにゃいかんのだ。


「花蓮。今のなんだ? 教えてくれ」

「高いわよ?」

「…………無理」

「冗談よ。高い方のお茶、一週間分でいいわ。今のあんたが……」

「無理だって言ったの! 押し売りすんな!」


 冗談じゃねえ。

 そもそも一週間分ってのが絶対怪しい。


 もし定期券方式だったら、俺は自動販売機泥棒界にデビューすることになる。

 万が一掴まったら、憧れのペットボトル業界へも入れなくなることだろう。


「まず、あんたが何をどこまで把握してるか言いなさいよ」

「……どあほうの父ちゃんが、いつものように姉ちゃんを怒らせたってことだけ。この暗号、なんて書いてあるんだ?」

「ああ、これはただの当て字よ。虫歯、沙那さんは、歯医者にGO! ね」

「おお、あいつ、むしばだった…………わけがねえからこんなに怒ってんのか」


 姉ちゃん、魔眼開きながらイチゴティラミス丸呑みしないで。

 すっげえ怖い。


「……あんたには、朱里を救ってもらった恩があるから感謝してるの。でも、これ以上は教えられないわ。それに、私にも分からないことがあるし」


 なんか、昨日の晩みたくなってきた。

 五里霧中というか、みんなして俺の事をケムにまこうとしてねえか?


「沙甜。……あの晩、なんで沙那は気絶したの? 当然詳しくは聞かないけど、この変態と他の男じゃなにか違うっての?」


 花蓮の質問に、姉ちゃんは首を左右に振る。

 言いたくないのか、あるいは何も言えないのか。


 ……キッチンから出てきた女性が、テーブルにイチゴのコンポートを置いた。

 これは思い出の品らしくて、姉ちゃん限定のサービスなんだ。


 小さな粒を口に運んだ姉ちゃんは、冷たい音を立てながらスプーンを置く。

 そして、柔らかい笑みを浮かべながら、ぽつりと呟いた。


「こんなにおいしくないイチゴ、あれ以来だわ。……姫って訳には、いかなくなってきたのかもね」

「姫? 俺の事? どういう意味だよ」

「……しーちゃんは優しい子だから。触れ合いたいのに、触られたくない。だって、触れ合えば相手に痛い思いをさせることになるからね」

「ハリネズミかよ」

「ハリネズミ……。そうね。そんなジレンマを抱えているのかも。あたしもあの時はそうだったし。でも、しーちゃんのは、ちょっとだけ違うから」


 やっぱり昨日と同じ。

 分からないよ。

 お願いだから教えてくれ。


 ……俺は、あいつが苦しんでるの、嫌なんだよ。


 でも、姉ちゃんはただ、寂しそうにイチゴを口に運び続けるだけだった。



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