第3話 犠牲者ハ。

「アハハッ」

 外部との連絡を断たれた男女20人は、動揺し叫び回っている。それを見て、天井より高らかな笑い声が轟いた。

 妖しく、怪奇的なものだ。機械の声に魂が宿ったごとくで、ただでさえ恐怖な状況に拍車をかけた。

「サァ。選ブンダ、犠牲ニナル者ヲ」

 続けざまにそう告げ、天井の声は消えた。


「ふざけないでッ!」

 女子大生の重盛育美が綺麗にデコレーションされたアイフォンを白い床に叩きつけた。

 その後は想像に難くない。叩きつけられたアイフォンの液晶に亀裂が入り、ガラスが飛び散る。

 電池パックもなく、タダの箱と成り下がったそれには一瞥もくれずに重盛はその場に崩れ落ちる。

 肩を揺らし、嗚咽を上げる。

 泣いているのだろう。恐怖で押し潰されてしまいそうなのかもしれない。

「この壁ぶっ壊れねぇーのかよ!」

 筋骨隆々のアニメキャラがプリントされた服を着た堀は、両手に拳をつくり、壁を殴り続ける。

 バコっ。という音はするも、しかし穴などが開く様子はなく、代わりに白い壁に鮮血がつき始めていた。

「もうやめなよ!」

 それがあまりに痛々しく、見るのも嫌になった下條が涙目で訴える。

「そうよ。それに、このまま嘆いてた所で投票はしないといけない。それなら話し合おうよ」

 見るものを虜にするモデルの歩は、真剣な顔持ちで告げる。

 誰も反論はしない。しようものなら、代案を出さなければならない。そんなものあるはずが無かったのだ。

 ──これは逃げられない、殺人ゲームなのだから……。

 今は知らない。だが確実にいる首謀者は心の中で呟く。


「投票って絶対しないといけないの?」

 しばらく各々に会話をした後に、赤の服に身を包む森下がこのゲームの根本を覆す質問をする。

 誰もが思いつきそうなものではあるが、それが出来るとは思わなず口にはしなかったもの。

「そ、そんなのこと……できるのか?」

 一ノ瀬はおどおどとした様子で、森下と天井を交互にチラチラと見ながら訊く。

「んー、分かんないけど。そのまま無視してたら……」

「そんなの大丈夫なの?」

 弱々しく答える森下に、丈の短いタイトスカートに純白のカッターシャツを着こなすOLの早川リホが訊ねる。

「知らない」

 斎藤はそっけない態度を見せる。だが、表情はこわばり、何かに怯えているかのようにとれる。

「おい、顔強ばってんぞ?」

 もうすぐ子どもが産まれるという和泉が、斎藤の顔を訝しげに見つめる。

「は、はぁ!? な、な、何言ったんだよ」

「ど、動揺……してます……よ?」

 消え入りな声。だが、確実な不審感を乗せてモジモジとしながら武内が発する。

 斎藤はわかった。自らで、自らの立場を危うくしているという事実を。でも、怖かった。その先のことを考えると、恐怖で身が持たなかった。

「してるわけ……」

 ――ない。そう紡ぎたかった。だが、その先は口にすることができなかった。

 斎藤の脳裏にのことが過ったから。

「いまはそんなことより、この問題でしょ。どうにかして……ここから出る方法を考えないと……」

 表情に焦りを伺うことのできる主婦の相川ミクが、巻いたエプロンで手をすり合わせる。

 その姿はどこか不信感を抱かせるものがあった。例えるならば、何か重大なことを隠しているような。そんな感じであった。

「じゃ、案くれよ」

 恐怖から訪れる圧倒的な怒りがこみ上げ、鬼の形相を浮かべた放送ディレクターの井森おさむが声を荒げた。


 狭く真っ白な空間。その中に似合わない数の人間。まともでいられるほうが異常。精神を蝕む見えざる何か。

 それがこの場にいる20人全員に等しく襲い掛かり、狂気にへといざなう。


「無効投票……」

 投票箱にかかれた瀬戸野崎中学せとのさきちゅうがくの生徒である木下穂乃果は、何かを思い出したかのような表情でぽつりと零した。

「そ、それだ!」

 カーディガンにチノパンというどこにでもいる大学生スタイルの男子大学生の橘光輝たちばな-こうきがポンと手を叩く。

「無効投票。つまりは誰にも表は入れずに済む。と、なれば――」

 目を輝かせる橘に合わせるように、自称作家の桜田雫さくらだ-しずくが口を開く。

「犠牲者は生まれず、誰も死なずにゲームクリア?」

 その言葉は、この空間を満たす永遠の魔法であった。生まれるはずのなかった奇跡きぼうになった。


「残リ16時間」

 容赦のない言葉が天井より降り注ぐ。しかし、今その言葉に怯える者は誰もいなかった。

 なぜなら――

 奇跡こたえを見出したから。誰かを殺して、自分が生き残る。という定石を打ち砕く奇跡こたえを。


「今何時だろう……」

 奇跡が見つけられたからだろうか。モデルの歩は緊張感のない腹の虫が鳴るお腹を擦りながら天井を見上げた。

 なんの変哲もない、いたって普通の天井である。

「あー、そういえば……」

 腰の曲がった最年長、植村忠一うえむら-ただかずがこんこんと腰を叩きながら白い、いかにもといった腹巻の中に手を突っ込み、何かを探し始めた。

「おー、あったわい。腹の足しになるか分からんが、良ければ喰うてもええぞ?」

 嗄がれた声でそう紡ぎ、腹巻の中から取り出した生暖かい駄菓子屋で20円で売っていると思われるコーラ味の飴玉を差し出す。

 歩は、何とも言えない微妙な笑顔を浮かべ、

「け、結構です。あ、あはは」

「そうか。ならわしが喰うぞ?」

「ど、どうぞ……」

 植村は小首をかしげながら、その包み紙を開け、少し大きめのコーラ味の飴玉を口に入れた。


 想像してみてくれ。仮にだ。仮にテレビも携帯も使えない空間に放り出されたとして、何をする?

 自分一人しかいないなら、暇で暇で仕方なくなり寝るだろう。なら、ほかに人がいれば?

 話すだろう。しかし、20時間も持つだろうか? 答えは否だ。

 謎の部屋に集められた20人の男女もそうであった。

 それぞれが白紙で投票し、すべてを無効投票にすることで死を免れゲームに勝つという台本シナリオができた以上、過度な恐怖はなくなっていた。代わりに訪れるのは、先ほどまでの恐怖で体にかかった負担が疲れとしてドッと襲い掛かっていた。

 それは耐えきれない睡魔としてそこにいる全員に襲い掛かった。

「ふ、ふわー。ね、眠い……」

 大きな欠伸とともに、目じりに涙を浮かべる一ノ瀬時雨は、ぱたんとその場に倒れ込んだ。

 欠伸は移るとよく言う。それは事実だろう。疲れがあったのも事実だが、その場にいる19人全員が欠伸を同時にしたのだ。

 もし監視をしている者がいるならば、とても陳腐な光景とともに、腹立たしくもあるだろう。

 自らが仕掛けたゲームは、制作時に怠った小さなほころびから脱出されようとしているのだから。

 だが、本当にそうかな?

 次々と人々が疲れに耐えきれず転がっていくなかの一人、人が人と被さり、顔も体系も服装さえもはっきりとしないものが、口角を釣り上げ、不敵に不遜に微笑んだ。


 * * *


 ウー、というサイレンのごとくけたたましい音が室内に響いた。

「うっ……」

 ――いつ眠ったのだろうか? わしにはてんで見当もつかぬ……

 寝起きに聞く音量ではないそれを耳にしながら、虚ろな目を腕でこすり強引に目を覚まさせる鈴木宅すずき-たく。着こんだ着物は眠っている間に少々着崩れていた。

 首を回してから立ち上がるや、慣れた手つきで崩れた着物を整え辺りを見渡した。

 皆似たようなものだった。寝よだれで口元を汚している者、寝ていたんだろうなと一瞬でわかる寝起き独特の顔つきの者が、慌てた様子で投票箱の前に群がっていた。

「何事だ?」

 不思議そうな顔の鈴木に、ため息交じりに近くにいた斎藤が口を開く。

「あんただけだよ。あの声が響いている最中もグースカ寝てたの」

「声が……、したのか?」

「あぁ」

 斎藤は答えるや、人と人との間に僅かにできた隙間に手を入れ、白紙の紙を手元に引き寄せる。

「残り、3分だってよ」

 斎藤は手にした紙を、四つに折りながら答える。

「そんなに経っておったのか?」

 目を見開く鈴木に斎藤は「そうみたいだ」と答えてから、

「ちょっと通してくれ」

 と告げ、投票箱の人で塗れる中に消えていった。

「わしも急がねば」

 鈴木は独り言ち、斎藤同様に人ごみに飛び込んだ。


「投票時間、終了ー」

 機械仕掛けの感情のない声が、天井より降り注ぐ。氷柱のように冷たく、尖っているかのように、言葉の一つ一つが心臓に突き刺さるように感じられる。

「結果ヲ発表スル」

 刹那に心臓が跳ね上がるような感覚に陥る。

 ──大丈夫。無効投票で、ゲームは犠牲者を出さずに勝ちのはずだ……

 誰もがそう思い、そうなることを祈ったはずだ。

「ノ前ニ。今回ハ白紙デノ投票ガ多ク見受ケラレタ」

 天井の声は無情に告げる。まるで体の芯から凍てつかされているような。そんな気分になる。

「本当ハソイツラ全員ヲ殺シテヤリタイトコロダガ──」

 機械の声はまるで人であるかのように、ひとときの間を取り、更なる恐怖を与える。

「い、いい加減にしろよ!」

 恐怖に耐えられなくなったのか、和泉が驚愕に満たされた顔で天井を仰ぎ叫ぶ。

 目を向き、今にも目玉が零れ落ち血が吹き出しそうな……、そんな感じだ。

「ウルサイナ」

 今度はやけに冷徹的で、気だるさも感じ取れる機械とは程遠い抑揚である。

「無効投票19名、一ノ瀬時雨1名」

 そして続けざまに、投票の内訳が発表された。

「嘘でしょッ!?」

 声を上げたのは投票された一ノ瀬ではなく、無効投票という案を出した木下穂乃果だった。

 気合いの声は刹那に弱々しくなり、へたーっとその場に座り込んでしまう。

「嘘ナンテツカナイ」

 その絶叫に答えるように、天井の声は機械的に部屋に響く。

「誰だよッ!? 裏切ったやつはッ!」

 和泉が鬼なんて言うのが優しいと思えるほどに、高圧的で猟奇的な瞳を残る19人に向ける。

「私はちゃんと無効投票したよっ!」

 森下はその大きな乳房を揺らしたゆん、と揺らしながら叫ぶ。

 その2人だけをピックアップすらなら、さしずめミュージカルのワンシーンとでも言えよう。

 だが今行われているのは、虚構フィクションじゃない現実ノンフィクションなのだ。

 遅まきながら、自分がに選出されたことに気づいた一ノ瀬時雨は、両手で頭を抱え込み嗚咽をあげ始める。

 その直後。一ノ瀬はぶるぶると脚を震わせ、産まれたての子鹿のごとくになり、その場に立っていることすらままならなくなる。

「イヤだぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! し、死にたくないッ!!」

 涙にまみれた顔を天井に向け、『殺さないでくれ』と懇願する。

 だが、天井の声がそれに対する返事をすること無くただ機械的に死を迎える一言を放つ。

「オマエノ罪ヲツグナエ」

 瞬間。部屋の電気が落ちる。

「な、なにっ!?」

 上擦った声で甲高い悲鳴のごとく声を上げる穂乃果。

 電気が消えていたのは、ほんの五秒も無かったと思われる。

 しかし、電気がついたその時──

 一ノ瀬時雨は、既にその場にいなかった。

「ど、どこに行ったの?」

 戸惑いを隠せない下條が部屋中を見渡す。だが、どこにも隠れられそうな場所はなく、またどこにも向け道のようなものは見当たらない。

「サァ、ショータイムダヨ」

 そしてまた。電気が落ちる。

「もうっ! 何回も何回もなんなのよ!」

 穂乃果が今にも泣き出しそうな声音を上げる。

 だが誰も何も言わない。いや、言えなかった。

 壁面にとある映像が浮かび上がったからだ。そこは、この部屋とは真逆の存在。全面真っ黒で、僅かな明かりの木漏れ日すらも許さないといった漆黒の世界。

 黒に黒で、何が起こっているのか分からなかったが、次の瞬間。

「や、やめてくれ……」

 しゃくりを交えながら、間違いなく一ノ瀬の声が壁から聞こえた。

 誰かが生唾を呑んだ。そんなような気がした。

「ボ、ボクは何もしてないよ!」

「いや、したねぇー」

 機械的な声ではない。ボイスチェンジャーで声音を変化させたものが一ノ瀬に恐怖を迫らせる。

「2年前。4月12日土曜日の午後9時17分。場所はとある居酒屋」

 まるで呪術。一ノ瀬の表情が歪み崩れる。涙は消え去り、代わりに恐怖が全身を苛んでいるようだ。


 ──遠い過去としたい……その記憶。それでもボクの夢には、毎日現れる。

 営業部の新入社員歓迎会の日だった。

 ボクと上司二人は唯一の新入社員である明坂美優あかさか-みうは、とても嬉しそうな顔をしていた。

「おい、呑めよ〜」

 上司の1人が明坂に詰め寄る。

「えー、わたしそんなに強くないんですよ」

 あはは、とそれでも笑顔を絶やさない。

 優しい人なんだろうな……。ボクはそう感じ、少しばかり好意を抱いていた。

「遠慮はいいんだよー。イケイケ! グビッといけー!」

 あはは、とオッサン臭い笑みで明坂の眼前にビール瓶を出す。

「そ、それじゃあ……」

 引き攣った笑みだ。ボクはすかさず「嫌ならやめていいんだよ?」と言う。

「だ、大丈夫ですよ」

 しかし、美優は柔和な笑みを浮べボクに告げた。

「行きます」

 続けざまにそう言うや、覚悟を決めた表情になりビール瓶に口をつけた。

「一気、一気ッ!」

 上司二人はあははと笑いながら、掛け声を上げる。

 瞬間──。明坂は顔色を悪くし目を向き、その場に倒れた。

 どれほど声をかけても反応はない。

 その後。救急車を呼んだが、医者からはこう告げられた。

 急性アルコール中毒だと──



「あ、あれは……ボクじゃない!」

「責任逃れか? お前はあの場にいて唯一罪を償っていない」

「そんなっ!?」

 怯える表情は段々と濃くなる。

「確か、お前の他に2人いたよな? そいつらは皆──死んだ」

 もう話すことすら出来なくなったのだろう。糸の切れた人形のように、その場に崩れピクリとも動かなくなった。

「お前の罪は罰を以て許そう」

 ボイスチェンジャー越しに怒りを感じ取れる。どれほどの怒りなのだろうか。

 それは映像越しに見る19人に図り知ることは、決してできないだろう。


 カランカラン。

 その緊迫した雰囲気には似つかない、大衆居酒屋の店内によく響くビールグラス同士があたる音がした。

「ここに100杯分用意した。さぁ、全部一気飲みしろ」

 明らかなる怒りを含んだ声が一ノ瀬に浴びせられる。だが、一ノ瀬に生の灯火は無かった。

「チッ」

 明らかに舌打ちをし、背中しか見ることの出来ないボイスチェンジャーの主は、ビールが満タンに入ったビールグラスを取るや、一ノ瀬の口の中に流し込んだ。

 1杯。2杯。3杯。一ノ瀬はぐびぐびと飲んでいく。そして、ちょうど6杯目だった。

 一ノ瀬が苦しみ始めた。喉元をぐっと掴み、まるで呼吸が上手くできてないように。

 そしてそのまま、隣に並べてあるビールグラスを蹴倒し、悶え始める。

 バタバタと悶絶を始めてから数十秒後。一ノ瀬は、完全に動きを止めた。

 そう。まるで死んだかのように。


 瞬間、映像が途切れ、部屋に電気が宿る。

「嘘だよね……?」

 歩が目尻に涙を浮かべながら、残った18人に訊ねる。

「いや。あれは……急性アルコール中毒じゃろ。あれほど短時間に呑み続けさせられると、幾ら何でも体が耐えきれんじゃろ」

 必然の結果。小学生ですら、保健の授業で習うことだ。

「じゃあ……死んだってこと?」

 男子大学生の橘が声を震わせる。植村忠一は、無言で首肯した。


 画して犠牲者を一ノ瀬時雨とし、このゲームは終わりを迎え──なかった。


「サァ。次ノ殺人ゲームヲ始メヨウカ」


 天井の声は、機械越しにより一層楽しそうな声でそう告げたのだった。

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