3. フェルメール・ブルー

 ★

 石屋まちこ


 帰宅途中、思わず足を止め、そう書かれた木の看板を何気なくみつめていた。

 石屋って何だろう?

 こんな店、あったけ?

 いつもならとっとと素通りしてしまう通りだが、今日は奥田愛海の行方がようとして知れず、そして彼女の先輩である河合拓未の抱える違和感などを悶々と考えていたせいで、いつもより歩く速度が遅かったのだろう。おかげでこの店に気が付いた。

 なんとなく惹かれるものがあり、興味津々で、店を覗き込んだりしていると、奥から和装の女性がにこやかに現れた。

「いらっしゃいませ、石屋まちこへようこそ」

 澄み切った空の色の着物を来た彼女はなかなかの美人で、肩にかかった癖のない黒髪が微笑むたびにさらりと揺れる。金色の蝶々の形の髪飾りがとてもよく似合っていた。

「どうぞ」

 と、彼女は優雅な仕草で俺を店に誘う。そうなって初めて焦った。

「あ、いえ、客じゃないです。石屋って何だろうと思って見ていただけで」

「でしたら、ぜひ中に入ってご覧ください。疑問が解けると思いますよ」

「あ、でも」

「どうぞ」

 そして、極上の笑み。

 あ、だめだ。抗えない。

 男という生き物はどうしても美人に弱いものだ。結局、のこのこと彼女について店に入ってしまった。そして、ほうっと感嘆の声を上げる。

 細長く奥行がある店には、所狭しと色とりどりの石が陳列されていた。高い位置にある細長い窓がそれらの石に明るい日の光を注ぎ込み、石そのものが光を放っているように見える。

 きれい、というより圧倒的だ。

 のろのろと店の奥に進むと、ひとつの石が目に止まった。目が覚めるような美しい青色の石。

 ガラスの器からそっと手に取ると、そのひやりとした感触に驚いた。石の冷たさは手の平からじわじわと体の奥へと浸透していくようで、俺は思わずそれを落とすように器に戻していた。少し、怖いと思ったのだ。

「あら、お気に召しませんでしたか?」

 真後ろから声がして、俺は慌てて振り返る。和装の彼女が無邪気に微笑んでいた。職業柄、こんなに近くまで人が接近していたのに、まったく気が付かなかったことに我ながら驚く。

「……あの」

「はい?」

「いえ、いいです。……この石、何という名前なんですか?」

「ラピスラズリですわ」

 彼女はそう言うと、俺がたった今取り落した青い石を愛おしそうに取り上げた。

「きれいな青色でしょう。フェルメール・ブルーですわ」

「え。フェルメール? それって画家の?」

「ええ。あなたもお好きですの?」

「あ、ええっと、そういうわけでは……ちょっと最近、絵画に縁があって……」

 河合の部屋で見た数々の絵画が頭を掠めた。

 そういえば……。

 複製だろうが、俺のような門外漢でも見たことがある有名な絵がいくつも壁に飾ってあった。だが、フェルメールはなかった……よな。すくなくとも青い絵は。

「……フェルメール・ブルーか」

「はい?」

「あ、あの」

 そんな必要はないのに、少し声を落として聞いてみた。

「フェルメールって有名な画家ですよね。それと、この石が関係あるんですか」

「ええ。『真珠の耳飾りの少女』あるいは『青いターバンの少女』と呼ばれているあの有名な絵に、この石の青は象徴的に使われていますよね」

「それってこの石は絵具の原料になるってことですか?」

「その通りよ」

 にこりと蠱惑的に笑って彼女は言った。

「ラピスラズリはウルトラマリンブルーという絵具の原料なのですわ」

「ウルトラマリンブルー。何だか大層な名前ですね」

「ラピスラズリは、ヨーロッパの近くではアフガニスタンでしか産出されなかったとか。そのため海路で運ばれたので『海を越えて運ばれる青』、ウルトラマリンブルーという名が付いたのですわ。ロマンを感じますわね」

「はあ」

「ところでこの石、よおく見て。金色が見えるでしょう」

 いきなり、石を目に前に突き出された。思わず半歩下がってしまったが、言われた通りにその石じっと見てみる。確かに濃い青の中に金の模様が散らばっている。

「『星のきらめく天空の破片』この石はそう表現されていますのよ」

「天空の破片……なるほど。夜空に光る星、といった風情ですか」

 俺は一呼吸置くと、言葉を足した。

「きれいですが、でも……何だか悲しい感じがしますね」

「そうねえ」

 石を手の平に乗せると、和装の彼女は静かに目を伏せた。

「あなたはご存知かしら。先ほど言いましたフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』。あの絵には……一説には、ですけどね、元になった絵がありまして」

「元になった絵……」

「はい。それにまつわる物語はこの石のように悲しいのですわ」

「……どのような物語ですか?」

 すっと目を上げると、彼女は真っ直ぐに俺を見た。そして染入るような静かな声で一言、言った。

「親殺しの物語、ですわ」

 とくんと胸が鳴った。

 俺は思わず身を乗り出していた。

「それ、詳しく教えて貰えませんか?」

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