漱石物語

やまだ。

序 自称厭世家の独白。

私は厭世家えんせいかである。


なぜ世を厭うのかと問われれば、それは汚いからだと答えよう。


外の世界には苦痛と問題と欺瞞ぎまんが山積みである。

だが誰がそれを指摘したか。あるいは指摘した人間の多くは消え去った。評価された少数の哲人も、その多くは自らの指摘した汚物を消毒できなかった。


汚さは諦めるしかなく、そのため私は諦めたのである。

それが賢明だと知っている。



社会に出たら今のようには行かないぞと人は言う。

私はそれに外に出ないと答える。


外に出て社会に貢献しろと人は言う。

貢献した社会は私に何をくれるだろうか。

金か。満足か。あるいは愉悦だろうか。そういうところが汚いと言うのだ。


夢は無いのかと人は問う。

夢は竹林の七賢人しちけんじんだと私は答える。働きアリよりはマシだろう。


部屋では楽しくないだろうと人は諭す。

何をバカな。今や室内はどんな世界よりもリソースを容易に入手出来るのだ。


真面目で勤勉で綺麗な夫人も居るあの人を、君も見習えと人は言う。

あの人よりも不真面目で怠惰な人間でも、彼より成功している人はいると私は答える。勤勉さが報われない世界で真面目に生きるなどごめん被る。


何がしたいのかと人は問う。

特にないときっぱり答えた上で、それがわかっている人間が外の世界にどれだけ居るのかと私は答える。そもあなたはわかっているのかと。


大人になれと人は言う。

大人とは何だ。歳か。金か。職か。態度か。思うに、大人に明確な定義など存在しない。定義が不明確なものを目指すことは不毛としか思えない。


お前は何のために生きているのかと人は問う。

お前は何のために生きているのだと私も問う。人に構っている暇があるのかと。


社会は我々を嘲笑う。

私はあなたたちに優越感を与えているのだ。敬いたまえよ、思慮浅き愚か者。


そう、外は愚かさで満ちている。それを直視しない者も変えられない者も、愚かである。即ち、世界はみな愚かなのだ。

私はその世界から隔絶されたい。何がおかしいだろうか。



とかく外に出ることは私のポリシーに反する。


私がすることはと言えば、この六畳間で全て済む。読書、情報収集、買い物、寝食、映画、音楽、その他娯楽。外にいる私の同期とやっていることはそう変わらない。


外と中の区別など、今や無いも等しい。

移動というからの時間を考えれば、屋内生活というのは合理的である。

エネルギーなどいらない。たとえば食事なら、一日1.5食ほど食べれば事足りる。


私は自分を怠惰だと思っているが、他人に同じく思われるのは納得がいかない。彼らはこの部屋で私が何をしているか知っているのだろうか。千里眼か透視の類だろうか。否、決めつけである。


私が怠惰だと言うにはまだ早いだろう。外で肉体労働に励む時代はとっくのとうに過ぎ去っている。私の通帳を見れば彼らは驚くに違いない。私は無知でありながら私を嘲笑う彼らを嘲笑う。


さあ、今日も今日とて、そちらには一歩もはみ出ない私の生活が始まるのだ。

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