第2話 和菓子は繊細な味よ 後編

「犯人は、やはり江戸庵のお孫さんではないな」


「どうしてですか?」


「和菓子、おいしかったからなー」

秋田は、それだけで確証をもったのだ。しかし、ふたりはその意味がわからなかった。


「君はあの店の和菓子を見たことがあるかい?」


「はい。聞き込みにいったときに、見ましたけど」


「食べてみたかい?」


「捜査中なので、食べてはいません」


「食べてみてくださいな。私が許しますから」


「しかし、食べておいしいからといって、孫が犯人ではないということに、どうつながるんですか?」


「よく観察して、よく味わってみなさい。和菓子は繊細な味よ」


「それで、犯人は」


「わかったんですか?」


「これでわかるほど天才じゃないですよ。この、殺された女性の恋人について調べましょう」


「それだったら、もう調べました。ちょうど殺害されたときには、アリバイがありました」


「殺害されたというのは、近くにいた観光客が見ていたんだったね。それも複数人の。だから、殺害された時間というのは確証がもてるとしよう。次に、犯人の背格好。これも観光客複数人が大体同じことを言っている。これも確証。それで、浮かび上がったのが女性の恋人と江戸庵のお孫さん。お孫さんの方は女性との関係がないのでしょう?だったら、疑うのは恋人だけです」


「しかしアリバイが」


「それが何?」

秋田の顔が、急に強張った。


「し、調べ直します」


「あの、すみません」

福岡が、恐るおそる質問する。


「江戸庵の孫と女性との関係はないのですが、殺害現場は江戸庵から歩いて5分ほどの距離にあります。通りすがりに、たとえばぶつかったとかで衝動的に殴ったということは考えられませんか?」


「江戸庵のお孫さんは優しいが故にいじめられる子だった。人に殴られることはあっても、自分からは殴らない子」


「それは僕たちも聞きました」


「であれば、そのとおりですよ。なぜ君たちは一番関係のある恋人をアリバイがあったというだけで除去し、関係のないお孫さんをわざわざ犯人にしようとしているのですか?」


「アリバイは、立派な証拠です」


「立派な証拠であれば、とことん隙間がなくなるまで調べるべきです。それでどこから見てもつけ入る隙がない、となった時にアリバイのない人を調べるんです。殺害されたのは夜ですよ。ライトアップされている滝を見に行っている観光客ならともかく、地元の人は家で休んでいる時間帯でしょう。家族とともに過ごさず、ひとりで部屋に閉じこもっている若者が多いのですから、アリバイがないということなど当たり前なのです。手を洗っていたから、血を洗い流していたのではないか。そんな予想だけで犯人にするなど、警察のやることではありません」


秋田は、強い口調でふたりにそう話した。ふたりは黙りこみ、下を向いた。

その態度を見て、言い過ぎたと思ったのか、秋田は優しくふたりに語りかけた。


「刑事をやっていると、どうしても犯人を捕まえることが前提になります。だから、犯人探しをしてしまうのです。しかし、犯人ではないという視点から考えてみてください。きっと、犯人が浮かび上がってくるはずです」


秋田は欠伸をした。長旅で疲れたようだ。


千葉と福岡は顔を見合わせた。

「いくか」

恋人について再度聞き込みにいった。


「ちょうど居酒屋で飲んでたんだよなー」


「友人の証言だけじゃなく、店員の証言もあります」


「彼女との交際も上手くいっていたみたいだしな」


何度聞いても同じ証言。聞き込みは数をこなせとはいうものであるが、わかりきっている上に同じことを尋ねるほうもうんざりする。

恋人に直接聞くにも、当然、「アリバイがあったろ?」と追い出された。収穫がまったくない。署への道のりは、重かった。


ふたりが江戸庵の前を通るとき、千葉がぽつり言う。

「食べてみるか」

「え?」

「秋田さんが食べてたじゃないですか」


「いらっしゃい」

ふたりの顔ぶれをみて、またきたと言わんばかりの表情の店主。


「これですよね、和菓子」

展示されている和菓子を見ながら、福岡が言う。

「きれいですね」

その様子を見て、店主が試食を勧める。


「おいしい」

「孫が作ったんだよ」


千葉は思い出していた。あのとき、秋田とここで会ったとき、秋田はこの試食を食べた。そして、和菓子を座って食べていた。

「これ、ください」

千葉は、秋田が注文したものと同じ和菓子を頼んだ。

そして、同じように椅子に座り、店主が持ってきた和菓子を食べる。

「同じ味だ」

「うん。試食したのと同じ味です」

「確か、試食用はお孫さんで、商品はご主人が作っているんでしたよね?」

「ああそうだ。孫はまだ和菓子をうまく作れない。その紫陽花あじさいも、同じ花の形にできないんだ。だから、失敗したものをというと失礼なんだが、試食として出している。でもな、味のほうは達者なもんで、私のものと変わりない」


店主は、ふたりの前に足をつけ、頼み込む。

「孫はな、この紫陽花を作れるようになりたいと、必死に夜も寝ないで作っておった。事件の夜、孫が起きておったのは和菓子を作っていたからなんだ。それが、たまたま手を洗っていたということで、犯人呼ばわりされて、部屋から出てこれないでいる。……小さい頃に両親が亡くなって、私と家内が育ててきたんだが、内気な性格でね。社会からも閉ざしておった。それがやっと、心を開き、自ずから職人になると言ってきたんだ。そしたらこの有様だ。前へ一歩一歩踏み出している奴を、連れ戻さないでやってくれ」

店主は、涙しながらそう語った。


「あんた」

奥から、店主の奥さんが出てきた。


奥さんは、刑事に向かい、和菓子を見せた。

「これが、事件の日に孫が作った和菓子です」

店主の和菓子とは違い、少しいびつではあるが、紫陽花ということがわかる和菓子だ。


「まだ未熟者ですが、ここまで仕上げるのには相当な集中力と手先の器用さ、そして、思いやりが必要です。和菓子は、心を表します。人を殴り殺す人間が、このような和菓子など作れるわけがないのです」


千葉たちは、その和菓子を見ながら、少し孫が犯人ではないという気持ちが湧き出てきたような気がしたのだった。


「なんか、犯人じゃない気がしました」

「そうだな」

江戸庵の前で、店の看板を見つめていた。


「あっ、僕、先に行きますね。トイレ」

と福岡が走り去ろうとすると、千葉は思いついた。


「なあ、居酒屋に行くと、トイレって行きたくなるよな」


「そうですね。お酒が入っているので」


千葉は福岡を追い越して走っていった。


「千葉さんもトイレですかー?」


違う。千葉が取りに行ったのは、

「逮捕状ー」




取調室。男は素直だった。

「あいつが別れるなんて言ったからだよ。こっちはあいつのために、とことん時間を使ったし金も使ったよ。それなのに、おかしいだろ」

男は、殴り殺したことを全面自供した。


男がいなくなると、取調室に体をのばした。

「これで、解決ですね」

福岡が千葉にそう言う。

「そうだな」

取調室から、源泉漬けを頬張っている秋田を見ていた。


千葉たちは、秋田に報告書を提出した。

「ありがとうございます」


「あれ、お土産は?」


「お土産?」


「江戸温泉まんじゅう」


「すみません。買ってきてません」


「なんだ」 


「買ってきます」


「いいよいいよ。お孫さんに会ってくるから」


秋田は、帰り支度をし、江戸庵に寄った。

「いらっしゃい」


「おー、お孫さんかい?」


「はい」


小さな声でも、元気だという気持ちが秋田にはわかった。

奥から、店主が出てくる。

「これはこれは、あのときのお客さん」


「どうも」


「どうぞ、召し上がっていってください。今日は、孫がお作りしますので」 


「それは楽しみですな」


紫陽花を描く孫の横顔を、店主が嬉しそうに眺めていた。

秋田もまた、その姿に心を打たれた。


「どうぞ、お召し上がりください」


「いただきます」


その紫陽花は、今まで食べたどの和菓子よりも、やさしい味であった。






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