第8話 秘密基地

 目を覚ました。

 時間の概念はこの世界では取っ払われてしまったも同然なので気にならない。その筈なのに、窓の外に広がる青空は、偽りの太陽光を俺に突き刺して得意気だ。


 俺が死んで三日、つまり、ユミルさんに真実を告げられてから二日が経過した。

 この部屋にある壁時計が俺の認識している二十四時間を刻んでいるならの話ではあるけれど、一応は規則正しく、生前と同じように生活を送っている。外出出来ない事と、空腹が訪れない事が精神に言葉では表す事の出来ない違和感をもたらすけれど、別段そこまで困ってはいない。


 とりあえず体を起こし、廊下にある冷蔵庫の扉を開けた。中身はいつも空である筈だけれど、そこにはミネラルウォーターのペットボトルが一本あった。この空間では飲みたいと心に浮かべたものが冷蔵庫の中に現れる。詳しくは知らないけれど、兎に角そういうものなのだと理解した。神様の世界ってのは随分と便利だ。



 寝起きの体に流入する冷たい水が、五臓六腑に浸透する感覚に襲われる。寝起きは常温の飲み物を飲むのが体に良いらしいけれど、死んだ今健康に気を遣う気にはなれない。もっとも、生前からそんな事気にしなかったけれど。


 ユミルさんは、俺を一位で指名すると言って直ぐ、調べものがしたいと部屋を出て行った。有事に反応出来ないといけないから、ユミルさんに渡された青い石はずっと枕元。俺にある唯一の通信手段だとは思うのだけれど、二日の間、光るだとか振動するだとかの反応は一切ない。


 この二日間、俺は時間を浪費しただけだった。聞いた話が真実ならば、ドラフト会議まであと五日。死後の世界が仮に無限の時間に浸っていたとしても、会議開催までの時間は有限だ。


 今日もまた無駄な時間が針に化けて時計を回る、と思った矢先、玄関チャイムが鳴った。おおよそ来客の目処は立っている。


「おはよう、ユミルさん」


 玄関の扉を開けて言うと、大量の紙束を抱えたユミルさんは、深く頭を下げた。


「おはようございます、真澄さん」


 今日も乱れる事なく纏ったスーツ。そして、長く揺れる黒い髪を掻き上げると、良い匂いがした。


 神様もシャンプーをするのだろうか?


「すみません、全く連絡しなくて。私、集中すると周りが見えなくなる性質があって……上がってもいいですか?」


「勿論、どうぞ」


 ユミルさんをリビングに通す。とは言っても、俺の済む部屋は1Kだ。ここ以外に通す所はない。


「よいしょ」


 俺が敷きっぱなしの布団に腰を下ろすと、ユミルさんは抱えた紙束をテーブルの上に置く。


「これは……?」


「資料です! 見たままです! この二日間で私が掻き集めたものです!」


 腕を組んで自慢気な表情をするユミルさん。どうだと言わんばかりの顔で俺を見下ろす。


「本当はもっと調べたい事があったんですが、これ以上時間をかけると、他の事をする時間がありません。私達に残された時間はあと五日。その間に、リラリさんを出し抜く術を考えなければいけません! 今日は作戦会議です! ここが本部ですよ! 真澄さん!」


 正に息巻いている。鼻息荒く、声高に宣言するユミルさんに若干気圧される。

 

 ユミルさんは、リラリが許せないと言った。来期のドラフトで指名する為に、俺に死ねと言った女。魂の尊厳を傷つける行為だと、ルールの穴を突いた正当な手段であるが、決して許される事ではないと激昂した。

 その激情が、こうして今ユミルさんのモチベーションに変換されているのだろう。


「は、はあ……作戦会議ですか……」


「はい! 作戦会議です! あ、確認ですけど、私が居ない間に、リラリさんから接触はありましたか?」


 ユミルさんは、二日前部屋から飛び出す直前に、一言だけ俺に言った。「誰にも、私との接触を告げない様に」と。それはリラリが俺に残した言葉と全く同じだったけれど、ドラフトの事を知った今、その理由は馬鹿でも分かる。


 魂に接触した神は、その魂に興味がある。つまり、ドラフトで指名候補にしているという事だ。これは、ドラフトの性質上、大きな情報となる。



「いや、なかったよ。この二日間、リラリどころか、俺を尋ねる者はなし。ずっと退屈な時間だった」


「本当ですか?」


 俺の言葉にやや食い気味に、ユミルさんが言った。いつもの緩い笑顔ではなく、真剣な眼差しだった。


 それを見て、色々を理解出来た。

 接触の有無は、駆け引きをする上で重要な事であり、それを使った情報戦は珍しい事ではないのだろう。


「過去に、接触していないって嘘を吐かれた事あるの?」


「この形式……ドラフト会議が始まってもう三十回を超えましたからね。色々な事がありました。他の神からの接触がないからと油断して指名を遅らせたら、先に指名されてしまった、なんて事はしょっちゅうです。ですから、リラリさんは真澄さんにそう言った。私も同じです」


 それを証明する手立てはないけれど、俺に出来る全力はこれ。真っ直ぐにユミルさんの目を見返して、言う。


「嘘じゃない。嘘じゃないよ、ユミルさん。二人でリラリを出し抜くんだろ?」


 そう言うと、胸を撫で下ろした様子でユミルさんが俺の向かい側に座る。


「良かった……」 


「そんな簡単に信じていいの?」


「大丈夫です。私だってただ騙され続けた訳じゃないです。目と態度を見れば、それとなく分かります」


 意地悪のつもりで返した軽口だったけれど、ユミルさんに一笑に付される。


「それに、真澄さんそういう事出来るタイプじゃないでしょ?」


 今度は、逆に意地悪っぽく言われる。確かに、俺は騙りが苦手だ。経験がない訳ではないけれど、嘘が目と態度に出易いと小さい頃から両親に言われていた。


「図星だよ。で、作戦会議ってなにするの?」


「今日持って来たのは、リラリさんが管理している世界のリスト。そして、今期のドラフトで指名されるであろう優秀な魂のリストです」


 積み上がった紙束を二つに分けて、その上にぽんと手を置いたユミルさんが言う。


「真澄さん、ドラフトのシステムは分かりました? 私達が魂を如何にして獲得するか」


「リラリに持って行かれちゃった紙を再発行して貰えたからね。まさか自分のスマートフォンにトゥラウトゥさんの番号が入ってるとは思わなかった」


 暇潰しに何気なく起動したスマートフォン。SNSや電話は勿論の事、ソーシャルゲームも通信が出来なかったものだから無用の長物と化していたが、ふと目に入った電話帳に、なぜかトゥラウトゥさんの番号が入っており、通信をした事が二日間で俺のした唯一の行動だ。


「てかさ、ユミルさんももしかして電話でいけるの?」


「はい、私達が使う様の回線がありますから。電話の形態は様々ですが、真澄さんが使っているタイプのものもあります」


「じゃあ、なんでこんな宝石みたいなの使ってるの?」


「そっちの方がぽくないですか? 神様が携帯電話じゃかっこつかないです」


 言いながら、ニヤリと笑うユミルさん。意外と子供っぽいところもあるんだな。確かにこちらの方が神様っぽいけれど。


「まあなんでもいいや。説明書を再発行して貰ってなんとか目は通したから、ドラフトの事は分ったよ。神は自分の管理している世界を救いたい。しかし、必要以上の介入が出来ないので、その世界を変革させる才能、及び、その世界の脅威を打倒する才能を持つ魂を転生させる。その際の形態は、転生、神に関する以外の記憶と肉体を保持した状態、つまり転移か、才能という魂の情報を保持しただけの完全転生かを選択出来る。それらはドラフト獲得に関する条件にも使われる。獲得はドラフトシステム。神同士で同時に欲しい魂を指名し、被りがなければ獲得。被った者同士はくじ引きにより決められ、外れた者同士で再度ドラフト。これを一巡事に行い、魂を獲得していく。こんな感じだっけ?」


「はい、お見事です。私はシステムに関して調べておいて下さいなんて一言も言っていないのに、きちんと調べてくれたんですね」


「まあ、ほら、それは、あれじゃん」


 ドラフトには、拒否権が存在する。大体の場合、事前に指名する魂には神が連絡をするけれど、転生する世界が気に入らないのならば、異世界への転生を拒み、元の世界に通常転生する道を選べる。それは、魂の尊厳、当然の権利である。魂は誰のものでもない、自分のものなのだから。


 しかし、この世界を俺に教えてくれた女はそれを秘匿した。女の口振りでは、俺の魂には尊厳がなかった。権利がなかった。故に、ユミルさんは拳を振り上げた。


「ユミルさんが言ってくれたじゃん。二人でリラリを出し抜こうって。だから、俺も手伝いたい。俺には分からない事だらけだけれど、せめて足を引っ張らない様にはしたいからさ」


 俺は俺なりの覚悟を口に出した。

 それを聞いて、ユミルさんは少しだけ笑う。


「うん……足手まといになんてならない。絶対に。二人で頑張ろう!」


 ここは、たった二人の反乱軍。その秘密の基地。


 たった二人の秘密基地。

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