教職員研修センターにつくと、トイレに行きたくなったので入口のところにいる警備員さんに場所を聞いた。その警備員さんは、黒っぽい制服を着た小柄で少し神経質そうな雰囲気の人で、指で指してトイレのある方向を教えてくれた。

 トイレに行ってから、指定された3階の軽部元校長先生のいる部屋に行った。そこは、天井が高くて蛍光灯がたくさんついているばかに明るい大部屋、全体的に白っぽくて影がほとんどないがらんとした空間で、無機質な印象だった。 

 部屋に入るとすぐ、軽部元校長先生の姿が目に入った。四角い顔で髪がやや薄く白髪交じりで黒縁のメガネをかけていて、外見は8年前とあまり変わっていなかった。自分の姿を認めるとさすがに懐かしそうな顔をしていたが、もしかしたら、自分も、元校長からそう見られていたかもしれない。

 となりの机の職員がいないのでその席に座るようにすすめてくれたので、そこに座った。

「最近はこんなものも使えないと仕事ができなくてね」

 なんていいながらパソコンを終了させてから手紙を取り出した。

 それは、昨年・一昨年・その前の年の12月に自分が書いた年賀状で、いずれも、P高校にいた時の同僚の田上先生という2歳くらい年下の女性の教員に宛てたものだった。

 それを見てぼくは、「なんだ、そのことだったのか」と思った。

 なんでこのことでわざわざ呼び出して話をしようとするのだろうか。どういう資格とか立場で、こういう話をしようとしているのだろうか。年賀状の内容というのが学校の勤務と直接関係があることのようには思えないが、元校長という立場でそれについて何を言おうとするのだろうか。

 まあ、しかし、確かにその年賀状の内容自体は一風変わったもので、こんな変な年賀状を出す人は、たぶん自分しかいないだろう。


 あけましておめでとうございます。

 田上さんのヒステリックに叫んで叫んで叫びまくる凄まじい姿を今でも生々しく思い出します。

 本当に恐ろしいものでした。

 忘れようと思っても、どうしても思い出してしまいます。

                (その年の年賀状)


 あけましておめでとうございます。

 私は、今でも田上さんの狂ったように怒鳴りあげる凄まじい有様をよく思い出します。

 田上さんがああやって怒鳴りあげていたのは、怒鳴りあげること自体に楽しみを見出していたんじゃないかな。

 私は、今では、そんなふうに考えています。

                 (その前の年の年賀状)


 あけましておめでとうございます。

 私は、今でもP高校にいた時のつらかったことを思い出します。

 P高校にいた頃は、銀行のATMでお金をおろすのがつらかった。

 ATMからお札が出てくるのを見ると、いつも「ああ、こんな紙切れをもらうために、田上さんのあの凄まじい叫び声や醜くゆがんだ顔を我慢するんだなあ。田上さんという頭のおかしいヒステリー女のことをいつもいつもバカにして「はい、はい」となんでもかんでも言うことを聞かなければならないんだなあ、本当に嫌だ。本当につらい」と、そんなふうに思っていました。

 だから、その頃は銀行のATMに行く時は、とても嫌な気持ちになっていた。

 今は田上さんのようなすさまじいばけもののいない職場なので、本当によかった。天国だ。と思っています。

                     (その前の前の年の年賀状)


 これが見せてもらった内容。

 実際、自分で書いたものだし、自分の記憶の中にある内容とも一致している。

 軽部先生はこの手紙を見ながら、機関銃のように話し始めた。

「田上さんはねえ、田上さんはねえ、田上さんはこの手紙を見てパニックを起こしそうになっているんですよ」

「沢田さんから見ると田上さんは憧れのお姉さん」

「逆恋慕なんていうことで傷害事件でも起きたら大変だ」

「ストーカーなんだよストーカー」

 あんまりストーリーになっていない雑駁な感じの話しぶりで、とにかく「こういう手紙はよくない」「こんな手紙を書くのは絶対にやめるべきだ」ということを言おうとしていろいろと思いつくがままにしゃべっていた。

 そして、ヒステリックに似たような内容を繰り返していた。

 軽部先生は、P高校に勤務していた頃はこれほどではなかったと思う。

 確かにヤクザ映画に出てくる暴力団の幹部みたいな人格的圧力を重視する圧迫的・暗示的なしゃべり方を重視し頻繁に用いていた。そして、それがうまくいかないと興奮して同じ内容を繰り返すようなところは、確かにあった。でも、こんなに最初から興奮して支離滅裂な文言繰り返し言い続ける人ではなかった。年を取って少し変わったのだろうか。

 ぼくは、あっけにとられ、「はいはい」という返事を繰り返していた。自分が逆の立場だったら「どういうことが言いたくてこういう手紙を出すことにしたのか」「どんな気持ちでこの手紙を書いたのか」等々うまく質問して相手の見方・考え方をうまくつかむようにしたいところだと思った。

 目の前にそれを書いた張本人がいるのだから、まずはどういうつもりで書いたのか聞きたい。どうも好奇心が少なくて、いろいろな角度から物事を考えていくようなことが嫌いで、最初から結論が決まっている予定調和的な世界を偏愛しているらしい。あらかじめ自分が正しいと思っていることが決まっていて、それを相手の頭に植え付けることだけに頭の働きが偏っているような印象だった。

 あんまりなんにも言わないで「はいはい」ばっかり言っているのもかえって失礼だと思いこちらからも話すことにした。

「ストーカーということでしたが、年に1回年賀状に何か書いて送るだけでストーカーになるんですか。ストーカーといいうのはもっとすごく日常的にしつこくつきまとうような人のことを言うのではないですか」

「相手が困っているというだけでストーカーになります」

「ならないような気もするのですが、ここは見解がわかれているので、田上先生の方から警察に被害届を出してもらって、警察に判断してもらうのがいい方法だと思います」

「そんなことをしたら大変だ」

「でも、それが一番いい方法だと思いますよ」

「そんなことをしたら大変なことになる。沢田さんの今後に関わる大問題になる」

「本当に大変なことになるかどうかはやってみないとわからないと思いますし、問題になったらなったで表現の自由に関する一つの問題提起になっていいと思いますが。こればかり話していても仕方がないので、それでは、ここは意見がわかれているということをお互い認識し『判断保留』『これからの検討事項』ということにして、次の傷害事件のことについての話に移ってもいいですか」

「ああその話か」

「『その話か』と言われるのですか。違う話の方がいいですか」

「うーん、そうでもないが」

「軽部先生が今言っておられたことに即して話をすすめていきたいと思います。別に先生が言われたことについて一つ一つこちらが思うところを述べて話し合っていくこと自体は、普通の話の進め方で特におかしくはないと思いますけど。それで、こういう手紙を出した場合と出さない場合で、出した場合の方が傷害事件が起きる可能性が高まると考える根拠はなんですか」

「そんなことはどうでもいい」

「どうでもいいことではないような気がします。傷害事件が起きたら確かに大変ですが、こうした手紙を出すことと傷害事件とどうして関係があるんですか。『自分の考え方を文章で伝えることができる、言論によって表現することができる』ということならば、別に傷害事件を起こす必要はないように思うのですが」

「理屈ばかり言うな」

「理屈を言わないでどうやって話し合えるんですか。やはり理屈も大事だと思いますよ。やはり、言論の自由があれば暴力に訴える必要はないと思うのですが」

「こんな年賀状は、どう考えてみても異常だ」

「今は、年賀状が異常かどうかの話をしているのではなく、言論の自由と暴力についてのことを話しているのですが、どうしても別の話に移りたいですか。それで、私の書いた年賀状が異常という見方もあっていいと思いますが、異常かどうかは、読んだ人の感性によるので、なんとも言えないと思います。でも、もしぼくが、自分のところにこういう内容の年賀状が出て、それを読んだとしたら、なかなか率直な文章なので、『こういうふうに率直に自分の考えを文章に書く人であれば絶対傷害事件なんか起こさないだろう』と考えますよ。理屈ではなくて、感性を重視するのであれば、この手紙を読むと『書いた人にはいい意味でも悪い意味でも傷害事件を起こすような凡人の枠をはみ出した大きな欲望はなさそうだな。これならば安心だ』という感じがするだろうと思います」

「そんなことはない」

「『そんなことはない』ということは言えないんじゃないですか。今述べたのは、『もし自分が逆の立場だったら』という私自身のことについて述べたんですよ。どうして他人の心理について本人が話していることと違うことをそんなに断定的に述べることができるんですか」

「理屈ばっかり言うな。とにかく、こういう手紙は絶対異常だ」

「異常かどうかということに関して、軽部先生の感性が絶対的に正しいとは限らないと思います。まあ、確かに変わった内容の年賀状ではあると思うのですが、異常という言葉を使うとそこで思考停止に陥る可能性があるので、この言葉はこの場面ではあまり使い勝手のいい言葉だとは思えません。それで、こういう紙切れと言うか手紙がそんなに大変なことなんですか」

「そりゃーショックだったんだろう。わざわざ私のところに送ってくるんだから」

 ここでぼくは嬉しくなった。あの手紙は確かに効果があったようだ。

「そうですか。まあ、こういう手紙を見て、『自分がどういうふうに見られているのか客観的にわかって参考になる』というのが、実用的な態度じゃないですか。逆に、『こういう手紙が送られてこないということがすごく大切なんだ』という感性は『見ないですめばそれでよし』という安易な考え方だと思います。もしも、あんまり参考にならなければ、くしゃくしゃに丸めて捨てればいいんじゃないですか」

「男だったらくしゃくしゃに丸めて捨てればいいかもしれないけど、そこは女だから怖がっているんだ」

「こういうことは相手の立場に立って考えることが大事だと思います。やはり自分が田上先生の立場でこうした手紙をもらったら、なにかの参考にはなると思いますよ。まあ、『見てすぐに大反省し、心を入れ替える』というほどでもないかもしれませんが。基本的には、自分のことを直接知っている人の考えが書いてあるものというのは、自分自信について知るための第一級の基本的資料と考えて、できるだけ大事にした方がいい。自分だったらそう思いますけど」

「女だから、弱いんだ。怖がっているんですよ」

「少なくともこういう場合は男より女の方が強いと思いますけどね」

「いや、女は弱いものだ」

「どういう根拠があってそう思うんですか」

「それで、田上さんのどういうところを批判したいの」

「その話題に入る前に、 『男より女の方が強いと思う』と言ったので、それに対する根拠なり理由なりを言ってください。どんどん別の話に移っていくようだと対話にならない」

「女が弱いに決まってるじゃないか」

「それはどうしてそう思うんですか」

「いちいちそう言うな…」

 と元校長は部屋全体に響き渡るようなものすごい声で怒鳴りあげた。勤務時間が過ぎているらしく残っている職員は少ないが、怪訝そうな顔をしている人もいる。

 「まともな対話が成立しそうになると怒鳴りあげてぶち壊すところが田上ティーチャーと似ている」と思った。

「…田上さんのどういうところが不満だったか聞いているんだ」

「うーん、本当はどんどん別の話に移っていかないで、ちゃんとそれぞれの話題について対話が成り立つように話し合いたいのですが、そういうわけにもいかないのでしょうか。不満という言葉が適当かどうかはわからないのですが、田上さんに関しては、結局、真面目にこちらの意見を言い始めるとヒステリックに怒り出すんですよ。だからいつもいつもバカにして『ハイハイ』言っていうことを聞いてないといけない。それじゃあ、自分も嫌だし、本人にとってもよくないでしょう。こちらの見方なり考えなりを伝えることによって田上さんだって、自分が他人からどう見られているかわかって、なんらかの意味で参考になるんじゃないですか」

「田上さんは悪気があってやってたわけじゃないんだぞ」

 元校長は、また怒鳴りあげた。

 怖かったが、ここが非常に興味深いところなので質問を続けることにした。

「悪気がないということはどうしてわかるんですか」

「田上さんは、そんな悪気がある人じゃない」

「今お聞きしたのは、『どうして田上先生が悪気がない人だとわかるのか』という質問なのですが」

「そりゃーわかっている」

「よほど現実離れした善人や悪人でなければ、どんな人にも悪気がある時もあれば悪気がない場合もあるので、そんなに極度に属人的に考えないで、落ち着いて事例ごとにケースバイケースで考えた方がいいと思いませんか」

「ケースバイケースも場合によりけりだ。田上さんがそんなに悪気があるわけがない」

「悪気はないかもしれないけど、田上先生の場合、普通の人と違って心の醜さ・あくどさを周りの人に露骨に見せびらかし、ぶちまけるようにしてしゃべる面があるのでしょう。そこを隠すようになると、周りの人も接しやすくなるし、本人も生きやすくなると思うんです。そのためには、周りから見てどう見えたか教えてあげるのは、いいことじゃないですか」

「そんなことはない」

「どうして『そんなことはない』ということがわかるんですか」

「とにかく田上さんに悪気はないんだ」

「うーん、悪気がないんだったら、時間がたってから教えてあげれば、なにか気づくところもあるんじゃないですか。少なくとも考える材料ができていいんじゃないですか」

「とにかく、こんなものが管理主事レベルに知れたら取り返しのつかないことになるぞ」

 元校長は、ハガキを指さして芝居じみた大声を出し叱りつけるような強い口調で言った。

 管理主事というのは、民間企業で言えば人事課長か人事課長補佐のような立場の人である。 

 ところで、これまで書いてきたやりとりをこうして文字にして読むと、確かにこれらのやりとりは、内容的にはお互いに自分の演説をやっているだけで対話とはいえない面が多々あるが、形式的には一応交互に話をしていたようにもとれる。でも、実際には、軽部元校長が話す時間が圧倒的に長く、たまにぼくがチャンスを見つけて話すというふうだった。

 軽部先生の様子・言動は基本的に、「目の前にいる人がどういう考えを持っている人かを知るためには、どういう質問をしたらいいのだろうか」という問題意識が乏しいように思えた。

 こちらが話すと、それを理解しようと次の質問をすることはなく、それに対してすぐに自分の考えを述べる場合が圧倒的に多い。また、こちらが質問してもそれとは関係のないことを言う場合も多かった。

上記は、多少はやりとりらしくなっていたところを無理やりつなぎ合わせたものである。軽部校長が言っていることは、同じ話の重複が圧倒的に多かったので大幅に省略した。

 こんな調子で話はかなり続いたが、最後は、いくら聞いていても果てしない感じだったので「それでは、これについてはちゃんと真面目に考えます」などということを言って帰らせてもらった。

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