十八

 日曜日の朝、ぼくは学校に行くために山道を登っていた。

 秋が深まり、朝は少し寒い。落ち葉が道を敷き詰められているので、足を下すたびにカサカサ音がする。

 その日は野球部の練習試合があり、先週もう一人の先生が出てくれたので、自分が行く番だった。

 西田君は、あの職員会議の5日後に謹慎解除になった。ぼくも見に行ったが、授業中とは180度違う優等生のような態度だったので、解除されたのは当然だと思う。

 西田君がクラスに戻ってから1度だけ2Bの授業に行った。流石に西田君は真面目に授業を受けていたし、事件前よりは授業がやりやすくなった。

 ロッカーで着替え、グランドに出た。

 生徒たちはメンバーがそろったので体操をしていた。と言っても男子の部員は全員で11人しかい。女子のマネージャー3人を入れても14人。

 相手チームが来たのでグランドの片隅で着替えてもらい、そしてグランドで準備運動をしてもらって、それが終わった後シートノックになった。

 こちらのグランドなので、試合は後攻、シートノックは先にやる。

 最近は、内野は自分、外野は監督がノックをする。外野もやりたいのだがフライを打つのが下手なので監督がやってくれる。

 監督は事務職員の方で、高校野球の経験者だ。教員の中に適任者がいないのでお願いして引き受けてもらった。ただし、事務職員は部活の顧問にはなれないので、休日に活動する時は教員が一人ついていないといけない。

 適当に柔軟体操をしてからノック用のバットを持ってホームベース付近に進む。そして、マネージャの女子からボールを受け取りバットを振った。

 ボールがバットに衝突する時の手ごたえがなんとも言えず心地よい。なによりカーンという乾いた音がいい。

 生き物のように弾んでいくボールのリズミカルな動き。ボールを追う子どもたちの輝いている目。体の躍動感。ボールをうまく捌いた時の子どもたちの嬉しそうな顔。

〈幸せだな。この学校に来てよかったな〉

 と思う。

 学習塾で働いていた頃、どういうヒントを出すと生徒の「あっ、わかった」を引き出すことができるか、というところが醍醐味だった。

 それとよく似ている。

 どういう打球を打つと一番子どもたちの目の輝きや体の躍動感を引き出すことができるか。そこが醍醐味で、特に最初に球が地面に着地する地点が肝心だ。それによって打球の性質が決まる。

 高校の教員になる時には、部活顧問の仕事が好きになるとは思っていなかったので、未来というのはわからないものだと思う。

 試合が始まると、ぼくは審判を務めた。

 監督はベンチにいてサインを出さないといけないし、選手が審判をするのもできれば避けたいので、自分がやるのが一番いいのだろう。最近練習試合の審判は、自分がいる時はたいてい自分になる。

 最初P校のキャッチャーはA君だった。

 A君は小柄で顔にニキビがたくさんあるやんちゃ坊主のようなキャラクターで、判定に不服だと露骨に不機嫌そうな顔をして「今のボール」と非難するようなしゃべり方をする。

 まあ正直で憎めない子なのだが、どうも厳しく判定したくなる。

 一人で二つ以上のポジションできるようにしようという監督の方針で、5回くらいに大幅なポジション変更を行う。

 キャッチャーがA君からB君に変わった。

 B君は運動神経抜群で勉強もよくできるセンスがいい優男だ。

 きわどい球をボールにとられると「あー、ボールか」と残念そうな声を出す。

 何回かそう言われると、なんだか自分が悪いことをしているような気持になり、知らず知らずのうちにピッチャーに有利な判定になってしまう。

 B君は、相手を責めるよりも自分の心情を訴える方がうまくいくということをちゃんと心得ている。

〈高校生でもよくわかっている子がいるんだな〉

 といつも感心する。

 練習試合が終わり、昼過ぎに帰れた。

 試合はP高校が負けてしまったが、生徒たちの生き生きとした姿を見ることができて楽しかった。

 野球部には勉強はきらいだが部活が好きで、そのおかげで学校をやめないですんでいるような按配の生徒がいる。A君なんかはたぶんそうだ。

 情けないことだが自分はその教員版ではないだろうか。

 授業はなかなかうまくいかないが部活の顧問の仕事は楽しいので、そのおかげで教員を辞めて塾講師に戻るのを思いとどまっているのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、ぼくは落ち葉を踏みしめながらバス停に行くために山道を下っていた。

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