国際合コン忘年会(3)


 セクシー映画俳優が手配したタイ料理レストランは、東京タワーを前方に見ながら七、八分ほど歩いた所の路地裏にあった。


 大きな象の置物に出迎えられ、明るい木目を基調としたアジアンテイストな空間に入ると、途端にツンと尖った匂いに包まれた。

 タイ人らしき女性店員がぎこちない日本語で声をかけてくる。映画俳優が艶やかな笑みを浮かべながらタイ語で何か話すと、店員は嬉しそうに微笑み、一行を半個室型のテーブル席へと案内した。


 佳奈は言われるままに川島と蘭野の間に座った。それに続いて男たちも席に着いた。タイプの違う四人のイケメンたちの顔が、明るい照明の下で、ぐっと近くなる。

 何となく目のやり場に困って縮こまった佳奈に、川島がいたずらっぽい顔を寄せてきた。


「このヒトたち、さっきカオスな自己紹介してたけど、誰が誰だか分かる?」

「あ、キットさんだけ……。タイ大使館の方ですよね?」

「じゃあ残りを……。私の前にいるのがドイツ大使館のレオンで、藍原さんの前がカナダ大使館のマイケル」


 ゲルマン軍人が精悍な笑みを浮かべて「ハジメマシテ」と挨拶した。その隣で、背高貴公子が翡翠色の目を優しげに細める。


「で、キットの隣にいるのがイタリア大使館のアレッソ」


 佳奈が端の席に座る青年天使にぺこりと頭を下げると、彫像のような顔立ちをした彼は、ゆるくウェーブのかかった髪を揺らしながらイタリア語訛りの英語を喋り出した。かなり聞き取りにくいが、川島と蘭野は慣れているのか、クスクス笑った。


「彼、夏にレセプションで藍原さん見かけたんだって」

「イタリア大使館の、ですか?」

「うん、そう。あんなに人多かったのに、よくチェックしてるよ」


「アレッソは遊び人だもんね~」


 蘭野が茶々を入れても、日本語をほとんど解さない青年天使は、清らかな笑みを浮かべるばかりだ。


「その時彼ね、藍原さんに話しかけたかったらしいんだけど、藍原さんのすぐ傍にキングコングみたいにデカくて人相の悪いハゲがいたから、怖くて近寄れなかったんだって。誰だろ、そのキングコング。藍原さんトコの部長クラス?」


 間髪入れずに「そうです」と応えるのは当人に悪いような気がして、佳奈はあいまいな相槌を返した。



 しばらくして、白地に金の動物が描かれたラベルの瓶ビールといかにも辛そうな色合いの料理が運ばれてきた。幹事役のキットが洗練された仕草で乾杯の音頭を取る。


 一気にグラスを空ける一同を見ながら、佳奈は見慣れぬビールを一口飲んだ。自宅で父親と一緒に飲むビールに比べると、かなりあっさりした飲み口だ。

 店内に満ちる匂いをさらに凝縮したような香りを放つタイ料理は、「スパイシー」という言葉では言い表せないような不思議な味がした。辛くて、酸っぱくて、しょっぱいのに、何となく甘い。それがパクチーの刺激的な清涼感と交わり、さらにインパクトを増している。


 キットが「どう?」と言いたげに艶やかな視線を送ってくる。佳奈は隣で生春巻きをつつく川島に助けを求めた。


「この味って、何て言ったらいいんですか?」

「何だろ? 私的にはハマる味としか言いようがないんだけどな」

「あ、ホントそんな感じですね。『ハマる味』って英語でどう言うんですか?」

「うーん、『addictiveアディクティブ tasteテイスト』 かな。『I’mアイム so ソー addictedアディクティド.』って言ってもいいし」


 二番目に教えてもらったフレーズを佳奈がぎこちない発音で繰り返すと、キットは整った顔を嬉しそうにほころばせた。薄い唇からのぞく白い歯が妙に艶めかしく、ドキリとする。

 慌てて正面に視線をずらすと、今度は翡翠色の瞳をした背高貴公子のマイケルと目が合ってしまった。


『カナサンは甘い飲み物のほうが好きですか? ココナツのカクテルも美味しいですよ』


 大きな手がそっとドリンクメニューを差し出してくる。佳奈は消え入りそうな声で礼を言うと、メニューに見入るふりをして顔を隠した。

 イケメンたちの些細な仕草は、タイ料理以上に刺激的で、緊張する……。



 佳奈が首をすぼめて固まっていると、客を出迎えるタイ人店員の訛った日本語が聞こえてきた。

 ドアのところに、やや小柄な黒髪の女が立っていた。さつま揚げをほおばっていた川島と蘭野が、口をもぐもぐ動かしながら揃って手招きした。


「ミヨンちゃん。こっち~」

「少し遅くなりまシタ」

「全然大丈夫。中側に入って」


 席を立った蘭野に促された女は、ニコニコと笑みを浮かべながら佳奈の隣に座った。


「藍原佳奈サンですね。川島サンから聞いてます。ワタシは、韓国大使館武官室のパク美英ミヨンデス。よろしくお願いしまス」

「こちらこそ……、あ、日本語……?」

「英語よりは話せるケド、まだ勉強中デス。テレビ見てると、分からない言葉、いっぱい」


 はにかむように話す相手に、佳奈は不思議な親近感を覚えた。くせ毛の髪を後ろで緩く結んでいる朴は、化粧っけもなく、かなり地味な顔立ちをしている。声をかけてきたイケメン勢にしどろもどろに応える彼女の英語は、佳奈が高校時代に使った参考書に載っていたフレーズそのままで、異様に分かりやすい。

 ネイティブ並みの英語を操る男装の麗人と美脚モデルの二人組に比べると、国籍の違う朴のほうがはるかに身近な感じがする。


 八人揃って改めて乾杯すると、多国籍のグループはますます騒がしくなった。英語と日本語とドイツ語が無秩序に飛びかう中、マイケルが遠慮がちに『カナサン』と話しかけてきた。


『ちょっとだけプライベートなことを聞いていいですか?』

『は、はいっ。あのっ、少しゆっくめに、お願いします』


 ぎこちない教科書英語に、翡翠色の目が優しい笑みを浮かべる。


『レオンから聞いたのですが、カナさんは、戦闘機のパイロットを目指していたそうですね。何がきっかけで、そういう道に進もうと思ったのですか?』

『子供の頃に、よく飛行機を見てたから……。ええっと、エアショーで』

『日本のエア・フォースの?』

『そうです。ブルーインパルスって、アクロバットチームがあって……』


『あー、知ってる。イタリアうちの空軍にもそういうのあったなあ。曲芸飛行して、空に煙で絵を描いたり超高速ですれ違ったりするやつ』


 アレッソが両手を素早く交差させる仕草をすると、大使館勢は一斉に「Ah…」と頷いた。


『確かに、ああいうの、綺麗ですね。佳奈サンが憧れるのも分かります』


『少なくとも、レオパルト戦車に憧れる女の心情よりは理解できる』

『いいでしょ別にっ』


 野性的な笑い声を上げるゲルマン軍人に、川島がドイツ語で猛然と抗議した。賑々しく応酬を始めた二人の声を塞ぐように、マイケルは細長い身を乗り出し、佳奈のほうに面長の顔を寄せた。


『それでパイロットの道にチャレンジしようと?』

『チャレンジは、できませんでした。背が足りないから』

『背丈が関係あるのですか?』

『自衛隊のパイロットは、身長制限があるんです。158cmより大きくて、190cm以下……』


『だいたい62インチから75インチ以下、ってトコかな』


 横から蘭野が補足すると、マイケルは濃いブロンドの髪を揺らして肩をすくめた。


『じゃあ僕もダメだ。高すぎて』

『低くても高くてもダメなんて、変ですよね』

『高すぎてダメなのは、何となく分かるなあ。戦闘機のコックピットって狭いでしょ? 僕が座ったら、キャノピーが頭でつっかえて閉まらないんじゃないかな』


 翡翠色の瞳が茶目っ気たっぷりにくるりと動くと、つられて佳奈も思わず吹き出した。


 街中で初めて言葉を交わした時にはほとんど聞き取れなかった英語が、自然と心の中に入ってくる。先ほどまで気負っていたのが嘘のように、伝えたいことが無意識のうちに彼の国の言葉に変換されていく。


『……それで、士官学校、ああ、防衛デイフェンス大学校アカデミーというんだったね。そこに入るのは諦めて、一般の大学に?』

『はい』

『やっぱり、専攻は飛行機関係?』

『そういう選択は、できませんでした。お母さんが病気になって、入学試験の勉強ができなかったので、無試験で入れる大学に行きました。でも、一年半くらいで退学して……』

『大学の外に新しい夢を見つけたの?』


 優しいフォローが胸に刺さる。佳奈は目を伏せて首を横に振った。


『授業料を払えなくなったんです。お母さんのために、お父さんは仕事を変わったんですけど、うまくいかなくなっちゃって……。自分で何とかしようと思って、アルバイトを始めたら、仕事が忙しくて勉強ができなくなって、諦めました』

『それは、何と言ったらいいのか……。辛かったね』


 マイケルは翡翠色の瞳を悲しそうに曇らせた。佳奈は慌てて笑顔を作り、『でも今は……』と言いかけて、はっと口を閉じた。

 他の面々が、揃って佳奈のほうを見ていた。ゲルマン軍人とドイツ語で口喧嘩をしていたはずの川島も、まじまじと佳奈を見つめていた。


「藍原さん、大学、行ってたんだ。追立2佐から、高卒枠採用みたいな話を聞いてたから、てっきり……」


 男装の麗人に、同窓の先輩の姿が重なる。



――急に大学の知名度が低いのに気付いて将来が心配になったってわけ? 二年次ならまだ高校生相手に勝負できるから、敢えて退学して高卒枠に割り込んできたんだ?――



 佳奈は、川島のくっきりとした切れ長の目から視線をそらすこともできずに、凍り付いた。

 学歴のことは誰にも知られたくなかったはずなのに、なぜ自らペラペラしゃべっていたのだろう。英語での受け答えに精一杯で、嘘をつく余裕がなかったからかもしれない……。



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