想定外の内定通知書


「F-15のパイロットさんが面接官か。すごいな。どんな人だった?」


 グラスの中身を飲み干した進司は、娘にもビールをすすめつつ、三つ目の缶を空けた。


「見た感じ怖そうなんだけど、話し始めたら面白いの。私がね、F-35よりF-15のほうが綺麗だって言ったら、ニコニコしてた」

「それこそ、佳奈じゃないと出てこないセリフだな」


 普段は物静かな進司が大笑いした。その隣に座る陽子も、祝い酒を酌み交わす父娘の会話に笑みをこぼした。


「やっぱ、そこがポイント高かったのかな。飛行機の話ばっかりして、それで内定になっちゃった」


 まだ興奮気味の佳奈は、父親の真似をしてグラスを一気に空けた。今年の夏に二十歳になって以来、アルコールを飲むのは二度目だ。誕生日に初めてビールを飲んだ時は、苦いばかりで好きになれなかったが、今日はその味がとても爽やかに感じる。


「そのパイロットさんはホントに嬉しかったんだと思うよ。苦労して長年やってきて、若い人から憧れの目で見てもらえたら、そりゃあ先輩冥利に尽きる」


 F-15に乗っていたという面接官とおそらく同年代の進司は、感慨深げに目を細めた。


「勤め先はどこになるんだろうね?」

「最初は市ヶ谷って言われた」

「じゃあ、本省で働くのか?」

「分かんない。自衛隊の事務所みたいな場所も、同じ敷地の中にあるみたいだし。航空自衛隊と関係あるトコがいいな」

「最後の面接では、面接官は空自の人だけだったんだろ?」

「あと、普通の服の人が二人いた」

「それなら、たぶん空自関係の所に採用されるんだよ」

「うん」


 佳奈はほんのりと桜色になった顔をほころばせた。今日の面接官のようなパイロット経験者がいる職場なら、飛行機が見えなくても、毎日が楽しそうだ。


「でも、通勤が大変ね」


 幸せそうに微笑む娘を、陽子は心配そうに見つめた。


「佳奈は小さいから、朝の満員電車は辛いんじゃないかしら。入間基地だったら、家から自転車で行けるのにね」

「今日のパイロットさんが入間基地の司令官になったら、私も入間基地に勤められるかも。自分がどこかの基地の司令官になったら私を呼んでくれるって、言ってたから」

「それはたぶん社交辞令だよ」

「そうなの? でも、……あ!」


 突然、佳奈はグラスを握りしめて声を上げた。


「私、『基地で働けるならどこでもいい』みたいなこと言っちゃった。北海道や沖縄にある基地に来て、って言われたらどうしよう」

「住む場所は用意してもらえるんでしょう?」

「でも……」


 眉を八の字にする佳奈に、両親は揃って首を振った。


「もし、私のことを気にしてくれているなら、気持ちだけありがたくもらっておくわね。私のせいで、佳奈は大学も行きたいところに行けなかったし、結局、そこも退学になってしまって……」

「お母さんのせいじゃないよ」

「佳奈には今度こそ、自分で掴んだチャンスを思いっきり活かしてほしいの」


 娘をまっすぐに見つめる母親の目は、わずかに潤んでいるように見えた。


「お母さんの言う通りだよ。父さんも、もう単身赴任するようなことはないから。あまり威勢のいいことを言える立場じゃないけど、お母さんのことは父さんに任せて、佳奈は行きたいところに行って、いろんな経験をしておいで」

「ありがと……」


 声を詰まらせる娘のグラスに、進司はビールをなみなみと継ぎ足した。


「とにかく、決まって良かった。公務員なら安定しているし、何より、危険のない仕事に就いてくれて、一安心だよ」


 佳奈は改めて、父親とグラスを合わせた。昔の夢は叶わなかったが、好きだったものに少しだけ近い世界にいられるだけで十分だ。


「ああ、佳奈がいない間に、環境省と文部科学省と、あと国土交通省の方から、電話があったわよ。またかけますって言ってたけど」


 佳奈は、自分の携帯端末にも不在着信の通知が三件あったことを思い出した。防衛省の面接が終わってから発信元を確認したが、それらの番号はいずれも「03」から始まっていた。防衛省以外のところには官庁訪問をしなかったが、未訪問の省庁から採用面接の連絡がくることなどあるのだろうか。


「試験結果が良かったから、引く手あまたってところじゃないか?」


 満面の笑みを浮かべる父親の顔を見ながら、佳奈は目まいのようなものを覚えた。


 防衛省の採用面接を終えて帰宅した時に、人事院から送付された最終合格通知書が郵便受けに入っているのを見つけた。そこには、佳奈が受験した「関東甲信越地区」の合格者千三百人余りの中で自分の席次が八位である旨が、記載されていた。

 確かに受験時にそれなりの手ごたえは感じていたが、そこまで上位に食い込めるとは思っていなかった。

 そして、今日の内定。あまりの幸運に、恐ろしささえ感じる……。


     *******



 佳奈の手元に内定通知の正式文書が届いたのは、あと十日ほどでクリスマスという時期だった。


 すでに大学を退学する手続きも終えていた。同級生より二年早く社会に出る寂しさを全く覚えないわけではなかったが、新しい世界への好奇心のほうが大きかった。



 省庁名が印刷された茶封筒を開けると、薄っぺらい紙が一枚だけ入っていた。上端真ん中に割り印があり、紙面右上にはいかにもお役所的な大きな印が押してある。

 「内定書」というタイトルの下には、そっけない文言で、採用内定を通知する内容が書かれていた。佳奈は、本文の下に記載された文字を凝視した。



『採用予定機関等名: 防衛情報本部』




「なんで……?」


 自分の勤め先となるらしいその部署名は、どう見ても、航空自衛隊と関係のある部署とは思えなかった。その前に、どう見ても名前自体が怪しすぎる。


 一体、何をする所なんだろう

 自分は何をさせられるんだろう



 佳奈は、携帯端末を手に、じっと固まった。


 内定を辞退する道はない。しかし――。



 突然、手の中の携帯端末が低い音を立てて震えた。液晶画面に、市外局番が「03」から始まる電話番号が表示されていた。この番号は、見たことがある。


「はい、……藍原です」

「防衛省山本です。昨日、ご自宅へ内定通知書を発送したのですが……」


 間違いなく、過去二回対面した怖そうな女性面接官の声だった。なぜ、このタイミングで電話が入るのだろう。まさか、その「防衛情報本部」という組織に属する人間が、どこかから佳奈の部屋を見張っているのだろうか。


「あ、あの、今、見てるトコで……」

「三月に入りましたら、正式な採用決定通知書を改めて送ります。それが辞令交付のご案内にもなります。それまでは特にこちらからご連絡することはありませんので、音沙汰なくてもご安心ください。それでは……」


 安心するどころじゃない。


「あの、お聞きしたいことが……」

「ああ、前に言ってた件でしょ?」


 相手は突然くだけた口調になった。


「ごめんね、私じゃ分からないのよ」

「え?」

「なぜ背が低いとパイロットになれないかって話よね? あの時に私の隣にいた『空』の人、今週いっぱい出張でいなくて」

「そ、そうじゃな……」

「でも、うちは結構『元』パイロットがいるから、入ってから彼らに直接聞いてみたら? たぶん喜んで教えてくれる……」

「その職場の、ことなんですけど!」


 淀みなく喋る相手をようやく遮った佳奈は、震える声で言葉を押し出した。


「この、『防衛情報本部』というのは、何なんですか?」

「市ヶ谷にある機関の一つだけど」


 相手の声のトーンが少し落ちる。


「最終面接の時、初任地が市ヶ谷になるって話は、聞いてたのよね?」

「は、はい……」

「市ヶ谷に飛行機がいないのは、現地見て、知ってたわよね?」

「はい……」

「それで、何か問題でも?」

「……」


 この女性面接官は絶対に尋問官だ、と佳奈は思った。どうにも逆らえない雰囲気に圧倒される。


「あ、あの、春までに、何か勉強しておいたほうが、いいことはあるかと、思って……」


 佳奈は取って付けたような質問を呟いた。先方の反応に、戦々恐々として耳を澄ます。


「勉強ねえ……。仕事は入ってから覚えてもらうことばかりだし……」


 何を覚えさせられるのだろう。


「あ、そうだ。藍原さんは、大学では英文科専攻だったのよね。できたら、ラジオ講座かなんかでいいから、英語を少しブラッシュアップしといたらいいかも。外国人との接触が多い仕事になるかもしれないから」


 外国人との接触、とはどういう意味なのか。


「あ、あの……」


 佳奈は泣きそうな声を出した。


「私、秘密のお仕事は未経験で……」

「は?」


 相手は、素っ頓狂な声を出すと、女性にしては豪快な笑い声を上げた。


「藍原さん、何か誤解してない? 確かに、うちの名前はちょっとアレだけど、あなたにやってもらうのは普通の事務よ。たぶんね!」





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