第47話 社会人
四月一日は入社式。
と、いうことは。
やっと。
やっとのことで大好きな人に会えるわけで。
朝。
準備を終わらせ最終チェック。
忘れ物はない。
母親から貰ったミラバンに乗り込み、いざ出発。
大学時代、運転する機会が少なかったうえに、研究室所有のミニキャブはクラッチが繋がりやす過ぎて、いい加減な癖が付きかかっていたみたい。乗用車的なペダル位置のクラッチは、感覚がイマイチおぼろげになっていて、帰郷当初ちょいちょいエンストしていた。しかし、春休み遊びに行きまくったおかげで、変な癖は呆気なく修正できた。
会社までの道。
所々に咲く桜。
先週末辺りが満開だったため、既に散り始めている。
風に吹かれる度、舞う花びらがなんとも美しい。
20分ほどで会社に到着。
厚かましいと思われたくないから、駐車場は一番離れたスペースに止める。
降りて見回すけど、大好きな人のクルマはまだない。
正面玄関ではなく、社員専用の出入り口から社屋へ入ると、
「おはよ。ガンバレ!新入社員。」
先輩社員からの挨拶。
「お、おはようございます!」
失礼の無いよう、元気よく答えると、
「おっ!そのハスキーボイス、いーね。」
特徴のある声を褒められた。なんか照れくさいけどちょっと嬉しい。
「タイムカード押しちょこうかね。名前は、何さん?」
「えっと、前村です。」
「前村さん前村さん…あった。はい。」
自分のカードを貰い、打刻。こんなの、豆腐屋のバイトではしたことなかった。なんか早速社会人っぽい!
「カードは毎日来たときと帰りがけ押してね。で、ここに入れちょき。もし、押し忘れた時は、ボールペンで時間書いちょって。ん~で、こっち来て。」
長机が並んだ小さめの部屋に案内された。
「もーちょいしたら呼ぶき、ここで座って待っちょって。」
「はい。」
中に入ると、同じ立場と思われるスーツ姿の人が既に二人座っている。
軽く礼をして自分も椅子に座る。
それから5分もしないうち、立て続けに二人入ってきた。
変な緊張感の中、待つことしばし。
ついに、
「新入社員はこちらに。」
出番がやってくる。
ついていくと、少し広めの部屋に案内された。
緊張しつつ前に並ぶ。そして、あまりわざとらしくならないように、グルーッと見渡すと…
おった!4年前といっちょん変わっちょらん! ←訳:ひとつも変ってない
大好きな人発見!
視線が重なったので、気付いているアピール。
でも…表情がイマイチビミョー。
喜びというよりは、驚いているように見える。
一瞬、なんでそんな反応をされるのか分からなかったが、帰郷時の晴美たちを思い出し、
そっか。ウチ、背がでったん延びちょーんやった。急に10cm以上も伸びたら、そらービックリするよね。
と、納得。
自己紹介に続き社長の言葉、新年度の挨拶、業務に関する様々な連絡事項と進み、朝礼も無事終了。
「これで入社式兼朝礼を終わります。今日もご安全に!新入社員はこの場に残っていてください。配属先に案内しますんで。」
ということらしい。
「事務の人はこっち。」
「調査はこっちね。」
「分析はこっち。」
それぞれ配属された部署の担当の元へ集まり、連れて行かれることになった。
参考までに、今年度の新入社員は五人。その内訳は一人が事務で、二人が調査。そして、自分を含めた二人が分析。
もう一人は男子で、背が高くてなかなかの男前。
分析課の詰所に入るなり、
「久しぶりやね、葉月ちゃん。でったん背ぇ伸びたね。オレと変わらんやん。」
大好きな人に声をかけられた。
「あ…うん…じゃなくて、はい!」
反射的にため口で喋ってしまう。
ヤベ!これからは上司なんやき、会社におるときは敬語で喋らんと。
いきなりやらかしたことを反省していると、別の社員が、
「葉月ちゃん?…あ~。」
なにかに気付いた様子。そちらを振り向くと、
そういえばこの人…
見覚えがある人だった。
「ねーねー笹本さん。前村さんっち、大気のサンプリングで毎回局舎に来よったJKでしょ?」
「そうそう。」
「たしか、でったん小っちゃくて、可愛らしい子やなかったですか?なんか、でたん背ぇ伸びちょーですよね?」
大正解だ。覚えてもらっていたことにちょっと感動。
「うん。なんか、オレもビックリ。」
昔ネタで盛り上がられているトコロに、
「じゃ、面倒っちかろーばってんが、もっかい自己紹介。ヨロシクね。」
部長が自己紹介の催促。
自己紹介のあとは今後の予定を簡単に説明。
教育はOJTがメインとのこと。
デカい会社だと、専門の業者を呼んだりして、しばらく(1か月~1年)新入社員教育があるらしい(大企業に就職した友達からあとで聞いた)。でも、ここの会社はそんなに規模が大きくないから、いきなし現場。共通の教育内容の時だけ新人で集まって受けることになっている。
説明が終わると、
「はい、これ。」
白衣と作業着を貰った。
白衣はロングコートタイプで、いかにも研究者!みたいなやつ。胸ポケットの上に会社名と名前が刺繍してある。
作業着は極々ありふれたデザインで、ホームセンターとかでも売っているタイプ。電気工事の人とか建設現場の作業員が着ている、ポケットがいっぱいついているアレで、色はベージュ。高校の時、出会った頃のヤツと変わっていない。
夏用と冬用と生地の薄い長袖があり、それぞれ着替えられるように3セットずつあるから結構な荷物。
仕事場では作業服の上下+必要な時に白衣、というのが正式なカッコで、通勤は作業服でもいいらしい。
たしかに今朝見た出社風景では、全員作業着姿だった。
貰った制服のセットをまじまじと見つつ、
毎日何着ていくか考えんでいーき楽ちんやな。でも、帰りがけ、買い物頼まれてスーパー寄ったとき、友達に会ったら恥ずかしかったりするんかな?
とか、どーでもいーことを考えていると、
「スーツ汚れたらいかんき、更衣室行って上だけ着ておいで。ロッカーは多分用意してあるはず。」
だそうで。
「うん…じゃなくて、はい!」
わたされた作業着セットを持って更衣室へ。
ロッカーには既にテプラで名前が貼ってあった。手荷物や作業着を入れ、着替える。
詰所に戻ると、要が測定室に案内してくれる。
そこで改めて、
「今日からオレが教育担当兼相棒ね。ヨロシク。わからんことがあったら何でも聞いてね。」
直属の上司が大好きな人で、しかも教育係とか…入社早々、ちょっと、否、かなり嬉しい展開だ。
目の前にあるのはでったん見覚えのある機械。
原子吸光光度計と分光光度計。
ということは無機担当。
卒業研究で使っていたヤツと全く同じ型なので、改めて操作を覚えなくていい。
ちょっとだけ気が楽になった。
設備、施設などの説明が始まる。
「コレ、今度から前村さんにも使ってもらう機械。大学ん時、使いよったっちゃろ?」
「…!うん。じゃなくて、はい!大学の時使いよったのと同じもんばい…じゃなくて、です。」
ヤバイ!要くんからの「前村さん」呼びが…どーにも馴染めんぞ。
自分が呼ばれてない感覚に陥って、どうしても返事が遅れるし、なによりも超絶ぎこちない。しかも、さっき意識しなおしたにもかかわらず、反射的にため口で喋ってしまう。
「ははは。オレに敬語、慣れんっちゃろ?あと、前村さん呼びも。ずっと葉月ちゃん呼びやったしね。しばらくはしょうがないよ。あんまし気にせんごと。」
完全に見抜かれていた。
「………。」
なんかもう…テンパってしまっていて、恥ずかしい以外の何物でもない。
こんな調子で教育は進んでゆく。
分析課内の設備や備品、施設の説明だけで10時休みになった。
「よし。休憩行こうか。」
「う…はい。」
要とのツーショット(同期は有機担当なので別行動)で休憩スペースへ。
緊張を解すため言ってくれた、
「何がいい?ビール?」
というお約束。
ここは「うん!」とか「そんなんこの中にないじゃないですか!」と返さなきゃイケナイ場面なのに…
「い…いや、お茶で。」
マジ返ししてしまう始末。
テンパっているのを強調してしまい、さらに恥ずかしい。
ベンチに座り、買ってもらったお茶を飲んでいたら、
「マジで背ぇ伸びたよね。髪も伸びてホントキレイになった。大人っぽくなったし。朝礼で前に立った時、一瞬分からんかったばい。」
しみじみと言われた。
「キレイ」とか「大人っぽい」とか、自分には縁がない言葉だと思っていた。だから、実際に言われてみると強烈に照れくさい。頬が熱を帯びてくる。けど、素直に嬉しいと思えた。
のは良いとして。
「………。」
思っていた以上に会話が続かない。
昔はどげんやって話よったかな?とか考えてしまうほどに。
晴美~!助けて~!
いない人に助けを求めつつ、必死こいて何か言葉を探していると、
「社会人一日目やもんね~。緊張もするくさ。無理せんでいーよ。」
今、一番安心できる言葉をかけてもらうことができて、僅かだけど肩の力が抜けた。沈黙はどうすることもできなかったけど。
「さぁて。仕事したむないけど、ボチボチ戻ろうかね。」
「うん、じゃなくて…」
「ははは。誰も見てなかったら敬語やないでいーよ。」
なんかもう…優しさが痛い。
その後も同じような流れで敷地内の施設などを見てまわり、終業時刻となった。
こんな感じで社会人一日目は終了したのだった。
翌日からは早速実務。
社会人一発目のサンプルは土壌。
溶出試験というヤツだ。
サンプルをよく混ぜて分取。秤量し、水と一緒に容器に入れ、振とう機にセットするとスイッチオン。
振とうだけで6時間かかる。次の作業は昼食の後、というよりも帰る時間のちょっと前。
待ち時間は教育。昨日と同じく業務内容の説明だった。
振とうが終わり、次の工程である「ろ過」までやると、一日が終わった。
幸い、細かい粒子のサンプルは無かったから、定時に上がることができた。
次の日は、試料を完成させて測定し、報告書の作成まで行う。
試料はろ液に塩酸を加え、加熱し濃縮。
この作業がまた時間を食う。
終わるとメスフラスコに移し、既定の量までメスアップする。
これでやっと完成。
測定できる状態になった。
学生の頃にもやっていたが、ホント面倒っちぃ。
途中、空白の時間が短かったのがせめてもの救い。
測定が終ると、報告書の作成。
報告書を上司に提出すると、このサンプルについては終了、ということになる。
内勤はこれの繰り返し。
入社して二週間ほど過ぎた頃。
初めての外出。
大気のサンプリングだ。
サンプリング業務は主に調査課の仕事なのだが、全部が全部そうというワケではない。分析課もいくつかのサンプリング業務を受け持っている。そのうちの一つが大気。
高校のとき見た機器類が倉庫にしまわれている。
そこにハイエースを横付けし、チェック表を見ながら必要な機材を積みこむ。
作業内容は、かなり忘れていたけど、やっているうち思い出した。おかげで初日なのに滞りなく終えることができた。
二日目の出発準備が終わったトコロで、
「これ、運転してみる?」
といったことになり、
え…マジで?
一瞬ビビる。
横に立つと山のようなハイエース。四角いのでデカさがモーレツに際立つ。大きなクルマはお父さんのでさえ運転したことがない。怖いけど、業務は早く覚えたいという気持ちでいっぱいだから、
「はい。頑張ってみます。」 ←どうにか敬語にも慣れた。
とりあえずやってみることにした。
「無理はせんとよ?危ないっち思ったらすぐ交代するき。」
「はい。」
キーを受け取り、運転席によじ登る。シートにちゃんと座り、運転姿勢を決め、前を見ると…
うわ~…何これ?でったん高ぇ!
見たことのない景色が広がった。
二列目のシートにしか座ったことなかったから、眺めがエライ新鮮。
そして、
ヤベー…これ運転しきるやか?
さらにビビる。
グローし、エンジンをかけ、ブレーキペダルを踏んでセレクトレバーを「D」へ。サイドブレーキを解除し、ブレーキペダルをゆっくり放すと…
おっ?なんかイケそう!
意外にも怖さは無い。
眺めがいいから見た目よりもはるかに運転しやすい。
目線が高いため、体感スピードが自分のクルマとはかなり違う。具体的には遅く感じるのだ。無茶しない限り、どんな危険でも回避できる気がした。
何台も前のブレーキランプが見えるから、予測が楽ちん。急ブレーキになりにくい。
道に出るときなんかは、自分が一番前に乗っているから、クルマや歩行者の確認が楽。
ハンドルもいっぱい切れて、大きさの割に小回りが利く。
ミラーがデカくて数も多いから死角も少ない。最初の現場である小学校の狭い通路も全然平気。
カーナビは、セレクトレバーをバックに入れるとモニターが切り替わり、寄せ具合がハッキリわかる。
なんこれ、無敵やん!
というわけで、結局この日は一日中運転手をした。
仕事もだいぶ慣れてきた頃。
掲示板には歓迎会の案内。
その下には出欠の確認。
要が言うには「クセのいい飲み会やき楽しいよ」、とのこと。
初めて(厳密には二回目。でもあれは未成年だったし、間違って飲んだから、自分的にはノーカン)好きな人と一緒に飲める!しかも、クセのいい飲み会ならば、なおのこと参加してみたい。
出欠表には「○」をつけた。
飲み会といえば、隣のお姉ちゃん。要を意識し始めた頃、送っていたのを思い出す。お姉ちゃんはこの会社の社員なのだが、少し前に結婚。もうすぐ二人目の赤ちゃんが生まれるから産休。なんでこんなことを知っているのかというと、帰省してすぐ会社の話を聞くため会いに行ったから。
飲み会当日。
会場となったのは隣町の居酒屋。
店に到着すると座敷へ案内される。
座るのは勿論最愛な人の隣。直属の上司なので、ずっと横に居ても怪しまれないのがいい。
時間になったので、飲み会開始。
まず最初にお約束の社長の言葉があるワケなんだけど、ビックリするほど早く終わる。どうやら呑み助らしく、既に我慢の限界だったみたい。というか、そう言って強引に〆た。
そして乾杯。
直後からコップを持ち、ビール瓶を持って、先輩社員やお偉いさんに挨拶してまわる。注がれたのを全部飲まなくても、イヤな顔をされないのがなんともありがたい。みんな、ものすごく可愛がってくれる。
大学の時、文系学科や他の大学との合コンで、何度かチャラいクソバカや、体育会系のノリをしやがるアンポンタンに無理矢理飲まされ、ムカついたのとは大違いだ。
ホント、聞いたとおりの良い飲み会だった。
ただ、ちょっと…
気付いてしまったヤなことがある。
それは…要はモテる、ということ。
特に若い独身の女性社員からは人気みたい。常に自分の反対側には女性社員がいて、その人から注いでもらいながら楽しそうに話している。最初から最後までほぼそんな調子だったから、なんかもう…嫉妬で、うわ~~~~っ!てなる。
時間が経つにつれ、みんなできあがってくる。
それは葉月も同じことで…。
お偉いさん&先輩へのビール注ぎノルマを達成し、要の隣に辿り着くと、食べ物に手をつける。
その頃には、アルコールがかなりまわっていていい気分。
身体が火照り…
飲み会だというのに股のないスカートを穿いてきてしまっていた。
座椅子に浅く座り、背もたれに身体を預け、M字開脚的に両膝を立てる。
酔った時の悪い癖。
無意識のうちに、裾を太腿まで捲り上げていた。
たまたま何気なくこちらを向いた要。
他の人に気付かれないよう、捲れあがったスカートをそっと戻してくれた。
そして、耳元に口を寄せ、小声で、
「葉月ちゃん!ダメやん!今、モロ見えやったよ?」
勿論、こんな時はパニックに陥るのが、昔からのお約束。
酔って赤い顔がさらに赤くなり、目をウルウルさせながら、
「もぉ!スケベ!アホ!ウンコ!」
叫んでしまう。
せっかくバレないよう、小声で注意してくれたというのに。
「どげんしたんか?」
「何か?何が起こったんか?」
「誰、今の?」
一斉に注目。
しまった!と思ったが後の祭り。
近くにいた仲のいい男子社員が寄ってきて、
「要?何があったん?」
追及している。
要は平然と、
「いや、何も。」
受け流してくれていたけど、仲良くなった女子の先輩たちからは、
「葉月?あんたなんしたん?」
絡まれまくる。
「いや…あの…なンでもなイです!」
どうにか誤魔化そうと試みるけど、
「いやいやいや。それ、何もなかった反応じゃないよね?」
「何があったんか詳しく!」
無理だった。
徐々に追い込まれて逃げ場が無くなり、諦める。
正直に、
「私、酔うと足癖悪くて…そんな感じです。」
白状すると、
「なんか?パンツ見えたんか?」
「らしいです。」
「ば~か。気をつけんか。」
「あ~っはっはっは!」
「社会人になってもパンチラとか。」
大笑いされる。
同期からは、
「オレ見てなかった。もっかい見せて?」
頼みこまれてしまう始末。
なので、
「うるせー!アホか!ゼッテー見せん。あっち行け!」
追い払った。
初めての会社飲み会で、見事自爆した。
といったハプニングはあったものの、聞いた通りのいい飲み会だった。
今回のような全体である飲み会が年に数度。課で行われる飲み会が1~2カ月に一度。仲いいもの同士ではしょっちゅうある。
そして、スカートを穿いて行ったときは、ほぼ皆勤賞でパンチラをやらかしている。
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