第16話 海

 買い物を済ませ、帰宅して待つこと30分。

 晴美より連絡。


 今、葉月におしえました。すぐにでも電話してあげてください。


 とのことだった。

 大丈夫とは言われたものの、やはり話すのが怖い。

 しかも、申し訳なさでいっぱいだ。


 以前のように接してもらえるのだろうか?


 不安が頭をよぎる。




 恐る恐る電話する。

 すると、


「もしもし!」


 一回目のコールでつながった。


「葉月ちゃん…あの…。」


 謝ろうとすると


「ごめんなさい!勝手に決めつけて勝手に落ち込んで!」


 言葉を遮られ、逆に物凄い勢いで謝られた。

 予想していた展開とまるで違ったため、調子を完全に崩し、


「いやいや…こっちこそ…なんか…騙したみたいになって…ゴメン。」


 思うように言葉が出てこなくなってしまう。


「そんなことない!こっちこそゴメン!ホントにゴメン!心配かけて本当にごめんなさい!お願いやき、好かんごとならんで!お願いやき…。好きじゃないでもいいき!好かんごとだけは…。」


 猛烈に必死さが伝わってくる。

 安心させるために、


「大丈夫。それはないよ。」


 可能な限り優しく明るい口調で語りかける。


「ホント?ホントに?」


「うん。ホント。だき…もう…落ち込まんでほしい。」


「…うん。」


 泣いている。

 ほとんど聞き取れないくらい小さな小さなかすれた声で返事。

 直後に大きく息を吐く気配。

 不安から解放され、安堵したのだろう。


 少しの沈黙の後。


「あんね…要くん。」


「ん?」


「直接会って話したいん…だき…ちょっとだけ…クルマでどっか連れてって欲しい。」


「今から?」


「うん。ダメ?」


 幸いなことに、陽は遊びに行ってしまっている。夕方までは帰ってこない。


「いーよ。なら、バス停まで出ちょき?すぐ行くき。」


「わかった。」


「んじゃね。」


「はい。」


 電話を切るとすぐに外出の準備。



 今から出る


 と送信したら、


 もうすぐバス停


 と返信がある。



 クルマに乗り込み出発。

 バス停が見えてくる。

 いた。

 暖かいカッコをしてベンチに座り、こちらを見ている。

 バスの停車スペースにクルマを止め、葉月をピックアップ。

 さっきまで泣いていたため、目が腫れてしまって酷く痛々しい。


「どこ行く?」


 聞くとすぐに、


「海見たい。…ダメ?」


 予め決めていたのだろう。


「ううん。いーよ。じゃ、行こっか。」


「うん。」

 

 途中、温かい飲み物を買い、一路、海へ。


 助手席ではずっと遠くの方を見ていた。

 いつもの明るさが全く感じられない。

 まるで別人のようだ。


 運転中。

 やっとこっちを向いてくれたかと思うと、


「要くん…ホントに…ごめんね。」


 謝ってくる。

 既に涙声。


「ううん。こちらこそ。お願いやき、もう泣かんで?」


「うん。でも…なんか…。」


 結局涙が溢れ、黙ってしまう。


 好きな人が絡むと、こうも弱いのか…。


 要と知り合って発見した新たな自分。




 あれから一言も喋れないまま海へ到着。

 道路の脇が広くなったところにクルマを止め、エンジンを切る。


「外、出てみる?」


 コクリと頷いた。

 まだ、まつ毛が涙で濡れている。


 道路を渡り、反対側の歩道へ。

 二人、手すりに寄りかかり、海を眺める。

 ぼちぼち11月も終わり。

 風が強く、冷たく、波も荒い。ゴロタ浜なので、波打ち際の石ころが波を受け、カラカラと音を立てている。沖では白波が立ち、完全に冬の海の表情だ。


 葉月は海をジッと見つめている。


「さぶくない?」


 聞いてみると、海を見たまま頷く。


 しばらくすると深呼吸を一つ。

 意を決したように、


「ねぇ…要くん…あんね…ウチ…要くんのコト…。」


 口を開いたものの…すぐに言葉が詰まる。

 言いかけてやめた「好き」。

 流れで続きが分かってしまう。


 告られたとして、今のオレに葉月ちゃんを受け入れる勇気はある?


 自分自身に問いかけてみる。

 答えは、多分「否」だ。


 離婚を突き付けられた時に感じた「大切な者」を失うという恐怖。今も、心のどこかに激しいトラウマとして残っていて、燻り続けており、そういった場面になると再燃しだす。


 また別れたら?


 この言葉が無意識のうちに心にブレーキをかけ、次の段階に進むことを躊躇させる。

 結唯さんを強く意識していたにもかかわらず、行動に移せなかった原因はまさにこれ。

 とんでもなく臆病者だということを思い知る。


 いつの間にか浮かない表情になっていた。

 そんな僅かな変化を感じ取り、


「詳しいこと…おしえて?」


 話題を切り替えてきた。


 こんな若い子に気を使わせるげな…オレ、サイテーやな。


 酷く情けない気分になる。


「いーけど…なんで?」


「ん?ちゃんと知っちょきたいき。」


「そっか。そーやねー…何から話したもんかな…。」


 しばらく俯き、黙ったまま話す内容を吟味する。

 そして、重々しく口を開き、


「去年の今頃かな。会社から帰ってきたら、突然離婚するっち言われて。男ができたみたいで…子供と一緒に捨てられた。」


 大まかな経緯を話しだす。


 初めて聞く、大好きな人の過去。

 想像もできない大人の世界。

 ドラマでしか見ないようなシーンがそこにはあった。

 本人からの言葉だと、考えていたよりもはるかに重い。


「え?何それ?酷い!」


 驚くとともに激しい憤り。

 初めて目にする怒りの表情。


「ははは。そやね。」


 力なく笑う。

 そして、さらに続ける。


「原因はね…好きになれんやった事みたい。面白みがないげな。真面目過ぎなんげな。結婚してから別れるまで一回も好きになれんやったげな。で、試しに子供作ってみたんやけど…それでも好きになれんやったっちゆわれてね。あ~…オレ、そこまでしょーもない人間やったんやなっち思ったら…でたんショックでね。」


 ここまで言葉に出してみて、


 …オレ、子供ほど年が離れた女の子前にして、何、こげな身の上話しよっちゃろ?


 我に返った。

 弱いところを見せてしまった、と後悔。


 葉月はというと、


「そんなことない!ウチ、要くんのコト、いいっち思うもん!」


 先程誤魔化してしまった「好き」を、精一杯、別のカタチで伝えた。

 かなり感情的になっている。


「葉月ちゃん…こげな人間のコト…いいとか思ってくれるって?」


 聞くと、頬を赤くしながら小さく、しかし力強く頷いた。


「ありがと。怒ってくれて嬉しいよ。」


 大好きな優しい微笑み。

 鼓動が跳ねあがる。




 改めて葉月の「好き」の大きさを実感してしまった。

 しかし、その気持ちに答えを出せない。

 受け入れる勇気もないくせに、中途半端に繋ぎとめてしまっていて、突き放すことすらできない。


 自分は一体この子をどうしたいのだろうか?

 何を期待しているのだろうか?

 これっち大人としてどうなん?

 その行動に誠意とかある?


 考えてみる。


 その問いに対し、出てきた答えはというと…


 優しくて、一途に慕ってくれているコトがたまらなく心地いい。

 この子からまだまだたくさんの優しさを受け取りたい。


 といったものだった。


 卑怯だ!


 最低だ!


 これから、様々な経験をしながら成長していく、未来ある女の子だというのに。

 自分勝手な都合で振り回して、酷い目に遭わせて。


 オレ、何様なん?

 どこまで自己中なん?

 誠意もクソもあったもんじゃないやん!


 激しい自己嫌悪に襲われ、再び黙ってしまう。


 これじゃダメだ!


 嫌われたくないけど、このままじゃなんか葉月を利用しているような気分になって、自分が許せない。

 しばし考えた後、甘えた気持ちが大きいことを暴露することにした。


「オレね…葉月ちゃんに救われたん。」


 バツが悪そうにボソボソと話しはじめる。


「離婚してからずっとキツイでね。精神的追い詰められて潰されそうになっちょったん。そんな時、葉月ちゃんと知り合って…いつも元気で。その元気、いっぱいもらえて…どんだけ救われてきたコトか。ホント、今までありがとね。」


 こげな弱い大人、嫌になったやろうな。流石にもうサヨナラ、かな?でも、これでいいはず。


 口に出した後、寂しい気持ちになってゆく。

 本当の気持ちを聞かせてもらった葉月はというと、


「ウチのコト、そげなふうに思ってくれちょったって…なんか…嬉しい。」


 予想に反し、喜んだ。

 みるみる明るい表情へと変わってゆく。

 やっと目を見て微笑んでくれた。

 いつもの笑顔。

 純粋に可愛いと思った。

 そして、この笑顔に救われてきたのだと改めて思った。


 これから先、この子だけは二度と悲しませないようにしよう!


 そう強く心に誓った。

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