世界大戦と眼鏡の魔女

富永浩史

第1話 竜と戦車と眼鏡の魔女(改)

 それは1916年のある日、ヨーロッパのどこかでのことでした。

 ドイツ軍は塹壕をはりめぐらせ、陣地に機関銃や大砲を据え付けて、敵がくるのを待ち構えていました。

 日が昇って、どれくらいたったでしょう。見張りの兵士が、声を上げました。

「敵軍接近!」

 ピッケルハウベをかぶった部隊長が双眼鏡をのぞくと、来るわ、来るわ。皿のようなヘルメットをかぶったイギリス兵がたくさん、向かってきます。

「撃て撃て、皆殺しだ」

 隊長の命令で、砲兵隊が一斉に射撃を開始します。とどろく筒音、クルップ社自慢の駐退器をきしませ吹き上がる砲煙。砲弾が雨あられと敵軍に降り注ぎます。巻き上がる土煙、吹っ飛ぶ人体、あたり一面、阿鼻叫喚の地獄絵図……が、繰り広げられるかに思われました。

 しかし、英軍はそんなに、ばかではありません。こんなこともあろうかと用意した新兵器が、爆煙のとばりを抜けて、突進します。

「な、なにか大きなものが迫ってきます!」

 ドイツ兵は真っ青になって叫びました。部隊長は、ふん、と息を荒くします。

「うわさの、タンクとかいうやつか。そんなものは、大砲でやっつけてやる」

 さすがに将校様、先のソンム戦のことは聞いているようです。このときは余裕しゃくしゃくでした。ところが……

「う、うわああああ、あれは何だっ」

 望遠鏡で観測していた別のドイツ兵が、突然、大声を上げました。

「ば、化け物だっ!!」

「うろたえるなっ」

 部下を落ち着かせようとした隊長も、いざ自分で「それ」を見ると、あんぐりと、顎をはずしそうになってしまいます。

「なんだ、あれは」

「隊長、恐竜です!」

 また別の、部下の誰かが叫びました。

 きっと彼は、昔ロンドン名所クリスタルパレスで、見たことがあったのでしょう。

 まさにそれは、恐竜――メガロサウルスの復元像そっくりでした!

 全長十メートルを越えようかという、巨大な太古の竜が、キャタピラの上に載っているのです。

 ギャオオン! と、鳴いたりはしませんが、鋭い歯が一杯並んだ大きな口を開けて、兵士たちに食らいつかんばかりに、のそり、のそりと迫ってきます!

 これぞ英軍の秘密兵器、「恐竜戦車」。完成したばかりの菱形戦車を、さらに恐ろしげに改造したものだったのです。

「こ、こけおどしだっ!」

 隊長は強がりましたが、すっかり腰が抜けていました。

 それに、次の瞬間、恐竜の口から勢いよく炎が吹き出し、ドイツ軍の陣地に襲いかかってきたのです。兵士達は、すっかり、怯えてしまいました。

「怪物だー、ドラゴンだー、恐竜だーッ! 逃げろー!!」

 伝説の怪物と古生物の区別もつかなくなってしまったようです。

 でも、イギリス軍にしてみれば、敵が怖がってくれれば、どっちだってかまいません。戦いは、あっという間に終わるかに見えました。


 ところで突然ですが、この戦場のすぐそばに、ひっそりと魔女が住んでいたことは、両軍とも全然、知りません。

 なにしろ当の魔女が、誰にも会いたがらず引きこもっていたのですから。

 でも、それがいけなかった。最初の大砲の撃ちあいのとき、流れ弾が魔女の家のほうに飛んできて、どっかーん。

「なんてこったい!」

 魔女は一発でジオラマ用の廃墟みたいになってしまった隠れ家から飛びだし、怒り心頭、戦場に駆けつけます。

 そして途中で、砲撃孔につまずいて転んだりしました。いや足腰はしっかりしているんですよ、(少なくとも見た目には)若いので。ただ、前髪が長すぎて、あんまり前が見えていないみたいです。

 その頭上を、「恐竜」が吐いた炎があやういところでかすめていきます。目隠れっ娘が、もう少しでアフロっ娘になるところでした。

「くそう、だれだ、竜なんか呼び出したのは」

 やっとのことで「恐竜」を見つけ、おもいきり目をしかめてみると、すぐ、やれやれ、と肩をすくめます。

「ハリボテかよ!」

 さすがに魔女ともなると、本物の竜かどうかは一発でわかるみたいです。実際、恐竜戦車の恐竜のところは、鉄骨と布でできたハリボテにすぎなかったのです。

 「あんなんであたしをたたき起こすとは、いい度胸だ。どうしてくれよう……」

 どうやら、逆恨みも頂点に達したようす。

「よし、そんなに竜と戦いたければ、望み通りにしてやるぞ。じぇいっ!」

 魔女は気合いとともに、とっておきの丸眼鏡をかけました。

 きらりと光るのは、ただの照り返しか、はたまた魔力の光か。

 ぱっ、と前髪をかきあげて、エロチックな、眼鏡ッ娘魔女に大変身。無駄に露出度も高いのですが、誰が見ているでもありません。

 魔女はありがちな杖とかいっさい使わず、ハリボテの恐竜戦車の一台を指さして呪文を唱えます。

「日輪の力を借りて、今、本物の竜になーれ!」

 眼鏡から魔法の光がビビビーッと発射され、恐竜を包み込んだ、次の瞬間!


「うわあああっ、何が起こったんだ!」

 ドイツ兵にも、イギリス兵にも、まったくわけがわかりません。

 恐竜の、いかにもハリボテだった表面が、もりもりとうねり、波打ち、盛り上がり、たくましい筋肉と硬い鱗へと変貌していきます。

 絵に書いただけの前足をひきちぎり、にょきにょきと生える二本の爪。ぎらりと光る金色の目。そして今度こそ、上体を高々とそらして

「ギャオオン!」

 と雄叫びをあげました。

「ああっ、マノスポンディルスだっ!」

「ディナモサウルスだっ!」

「いやティラノサウルスだ!」

 次々に声が上がりますが、いずれにしろ、それは皆が知っている復元画とは、だいぶ、違っていました。体が水平のままなので、むしろずっと未来の復元のようです。

 でも、足は戦車のままなんですけどね。

 ぽかんと見上げる両軍の兵士達の前で、その恐竜は、まず、まだハリボテのままの恐竜戦車を見つけると、いきなり、がぶり。

 その首筋に噛みつきました。ハリボテはしょせんハリボテです。あっけなくかみ砕かれ、べりべりと、車体から引きはがされてしまいました。 

 それだけなら、良かったんですが、なにしろ火炎放射器なんか仕込んでいたものだから、そのボンベが壊れて燃料がエンジンの上にかかってしまいます。

 たちまち、ドカン!

 燃え上がる戦車を尻目に、いまや本物となった恐竜は、ハリボテが食べられないことに気づいたのか、ぽいと地面に放り出し、キャタピラで踏みつぶしてしまいました。

「やや、敵戦車をやっつけたということは、味方なのか?」

 ドイツの部隊長は、ふと、そんな希望を抱きましたが、そんなわけ、ありゃしません。恐竜は、ぐわーっ、と、ドイツ軍に向かっても吼え立てます。

「やっぱりそうかー。だが、やられはせん、やられはせんぞ!」

 隊長はいさましくサーベルを抜いて立ち向かいます、が。

 ばくん。

 いともあっさり、恐竜に丸呑みにされてしまいました。

「だめだーっ、退却だーっ」

 ドイツ軍は陣地を捨てて一目散に逃げ出します。恐竜は追いかけようとしますが、足になってるマークⅠ戦車の速度は人間と大差ないですからね、かんたんには、追いつきません。

 それに、逃げる敵より手頃なえものが、まだいっぱい、周りに群れています。恐竜は今度は、英軍の随伴歩兵に襲いかかりました。

「うわーっ、運転手は何をやってるんだー!?」

 まさか魔法をかけられているなんて知りませんから、運転手が操縦を間違えただけで、気づけば停まってくれると思ったのでしょう。でも恐竜は容赦なく、また兵士をパクリ。

 あとはもう、ぐだぐだです。中には勇敢にも、小銃で立ち向かうものもいましたが、効きやしません。ただの古生物なら、これで死ぬはずなんですが、なにしろかんじんの魔女にも伝説の怪物との区別がついてないっぽいので、どうしようもありません。

 しまいにはやっぱり口から火を吐いたり、ほかの戦車を尻尾ではたいてひっくり返したり。もう、手が付けられないとはこのことです。

 大惨事のわりには、あんまり死体は転がっていませんが、そりゃそうです。みんな、肉食恐竜のお腹におさまってしまいましたからね。逃げる兵隊を追いかけて、恐竜はゆっくりと、町のほうへと……


「ありゃあ、やりすぎたかな?」

 一部始終を他人事のように眺めて、魔女はつぶやきました。

「ま、いっか。夜には魔法、解けるでしょ。それより、次の引っ越し先を探さないとなあ」

 後始末をするつもりは、いっさい無いようです。

 そんなだから引きこもらなきゃいけなくなるんだ、という自覚は、まったくありません。でも、誰にも止められないので、仕方ありませんね。


 もちろん、「マークⅠ・恐竜戦車」についての公式な記録は、なにひとつ残っていません、が。

「肉食恐竜だったのがまずかったかな、次はイグアノドン型にしよう。もちろん、鼻には角だ。クリスタルパレスは、大英帝国の誇りだからな」

 と、葉巻をくゆらせながら言った要人がいたとか、いなかったとか。

 

                            (終われ)

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