シルバーバック


容姿には恵まれた方だと感じていた。倉木優一郎は思わず煙草を咥え、すっとライターの火が近付いてくる。


「あ、どうも」


相手は年下だというのに、何故かそんな口調になってしまった。


「いえいえ。お二人は何のお仕事を?」


カウンター越しにライターをしまいながら聞いてくるバーテン。隣に座る神崎律が答える。


「印刷会社の総務してる。この人は先輩」

「なるほど。仲が良いんですね」

「でしょ」


滑らかに喋ることが出来ているのは酒の力か。神崎はジントニックを呷る。

おい、とその腕を少し引く。お前はただ酒が飲みたかったのか、と。

客は二人以外に数名いたが、全員女性。倉木の肩身が狭いったらない。


「分かってますって」

「用事を済ませて早く出たい。そして今すぐキャバクラに行きたい」

「それ禁断症状ですか?」


少し引き気味で神崎は倉木を見たが、そんなことには気付かなかった。神崎はマティーニを貰って、バーテンに尋ねる。


「客層ってだいたい女?」

「そうですね。俺はお客様が初めて見た男性です」

「この女、見たことある?」


神崎は極力いつもの口調を控えた。

店内は改装をしたばかりのようで新しい木の匂いがした。出来たばかりという倉木の情報は間違っていないらしい。神崎や倉木の顔を知らないところからも、違う街からやって来た人間であることが覗える。

携帯の画面を見せると、バーテンは数回瞬きをした。


「いえ、ないですね」

「客として来たことも?」

「ええ、俺が知ってる分には」

「じゃあ、最近辞めたアイツのことだけど」


バーテンがごくりと生唾を飲み込むのが分かった。倉木はそれを見ている。


「……蓮浦のことは、正直俺もよく知りません」


ビンゴ、だ。神崎はマティーニの注がれたグラスの縁をなぞる。


「ここら辺の奴じゃなかったんだっけ」

「関西の方から来たって言ってましたけど、それが本当かどうかは」

「蓮浦か。そいつの客だろ、この女」

「え」


神崎は携帯を手元に引き寄せた。

お見事、と倉木は拍手を送りたくなった。どこからそんな話法を取り入れたのだろうか。もしかして生まれつき持った能力なのか。


「……あんた等、何調べてんですか?」

「その女が自殺した。理由はあんたが察した通りだ」

「痴情の縺れ?」

「はあ?」


落ち着け神崎、と倉木がその肩を押さえる。きっとこの為に自分が抜擢されたのだろうと予想する。確かに神崎が暴れたら関では止められないだろう。宮武でも良かった理由がこれか。

一瞬倉木の方を見た神崎は大きく息を吐いた。


「まあいいや、あんたにそれは関係ない。とりあえずその蓮浦って奴のこと教えて」

「多分名前も偽名だろうな。今時履歴書ですら誤魔化せる世の中だぞ」

「あ、そうですね。じゃあ写真出せ」


倉木の助言の基、神崎は言った。バーテンは困惑した顔をしている。渡すか否か。それとも追い返すか否か、か。


「……いいですよ、でもこれは」

「あんたからの情報だとは漏らさない」


お互い名前も明かさずに約束を交わす。これがどこまで有効だろうかと考えている余裕はなかった。

バーテンはスラックスのポケットへ入れていた携帯を机の下で器用に操作する。画面に映された男の姿を神崎と倉木に見せた。二人は画面を覗き込む。


「ガタイが良いな、この顔は関が好きそう」

「そうなんですか?」

「今はあんまり言わないけど、七海の顔とか好きだって騒いでた時あるよ。若めの顔が好きなんじゃない」

「童顔じゃなくて?」

「童顔か?」


いや、どっちでも良いですけど。

神崎はその画面を携帯で撮る。送って貰えば良いものを。多分連絡先を教えるのが面倒なのだろう。前に宮武や関、矢田が神崎の連絡先を知らないことを聞いて「教えておけ」と指摘すれば「連絡先増えると携帯が重くなる気がするんですよね」と本当に思っているのか怪しいことを言っていた。実際今の神崎の携帯内にある連絡先は両手で足りる程だ。


「関西から来たってことは関西弁?」

「いや、関西弁じゃなかったんで、関西かどうかも分かんねって感じです。方言も特に無かったです」

「蓮浦の太客は?」


ここはメンズバー。この店のルールは、気に入った男店員に指名予約を入れると、その時間は自分のものになる。と言ってもテーブルで並んで喋ったり酒を注いだりするくらいだ。やっていることは予約制のキャバクラかと思うが、予約している時間は絶対にそのテーブルを離れることはない。

こうして飛び入りで入ってくる客の方が稀だと言う。平日の夜というのもあり、なかなか空いているのもその所為だと思っておこう。


「画像の女性です。一年前くらいに通い始めていて……見たのとはちょっと雰囲気違いますけど」

「彼女は最初から蓮浦を指名予約してた?」

「どうだったか……」


バーテンは首を捻る。手詰まりか、と二人が思ったところでパッと顔を上げた。


「夏樹さん、ちょっと」


呼ばれた人間を見る為に神崎と倉木が振り向く。ちょうど後ろの席を片付けようとしていた男がこちらを見た。その視線がバーテンから二人へ向けられ、驚いたように止まる。


「いらっしゃいませ。倉木さんですよね、噂は予々」

「夏樹さんはここのオーナーです」

「今、蓮浦の情報集めてる。あいつどうやって雇ったんだ?」


流石顔の広い倉木。神崎は連れて来て正解だと確信した。

それにしても神崎よりも若いオーナーだ。倉木のことを知っているということは、同じ高校だったのだろう。あの掃き溜め高校からこの繁華街に就職した人間はいくらいるのだろう。


「ツテのツテで関東来たって聞きましたけど……正直素性はよく知らないです。仲良かった従業員、いたか?」

「いえ、あいつ飲みに誘っても絶対来なかったんで。お客さまと外で会うことも無かったと思いますよ」

「今井葵って女、よく来てた?」

「蓮浦が辞めてからパッタリ」

「今井葵は蓮浦以外に指名したりしてた?」

「いえ。それはないですね、蓮浦が自分で次の予約取ってたので」


収集量はなかなかだが。


「蓮浦って今どこにいるか分かるか?」

「いや……分からないです。辞めて三ヶ月以上は経ちますし」


神崎の質問は空振りだった。いや、固よりここで捕まるという期待は薄かった。写真が手に入っただけ儲けものだ。


「最後にいっこ良い?」

「はい」

「蓮浦は何のクスリやってた?」


バーテンが数回瞬きをした。









いちおう、と貰った蓮浦の履歴書を見てみる。倉木と神崎の間に座っているレンゲが神崎の顔を覗き込んだ。


「神崎さん、忙しそうだね」

「なに、構ってほしい?」

「うん、構って構って!」


レンゲが神崎に抱き着く。キツい香水の匂いが脳にまでぐわんと響いた。男って大変だな、とつくづく神崎は思うのだ。

レンゲの向こうで倉木がお気に入りのキャバ嬢に癒やされている。少し機嫌が直ったかな、とその様子を見た。

メンズバーからのキャバクラへ直行だった。勿論キャバクラの分は倉木持ちだ。


「いーこいーこ」

「やだー棒読み。そういえば、ナナミさん、逃げてるって本当?」

「あーみたいだな」

「樺沢組から逃げてるんでしょう? うちの店にもね、見つけたら知らせるようにって御達しがあったってママが言ってた」

「……樺沢から?」


倉木は面倒な連中から追われていると言っていた。それが樺沢でないと思っていたのは、倉木なら樺沢なら樺沢だと言うと考えていたから。


「どうして?」

「なんかね、」


レンゲが少し周囲を気にして、神崎の耳へ口を寄せる。潜んだ声で言った。


――組のデータ持ち逃げしたって。


「へえ、知らなかった」

「神崎さんってナナミさんと仲良いって勝手に思ってた」

「それ色んな奴に言われる。ねえ、この顔見たら教えて欲しいんだけど」


神崎は携帯を出してその画像を見せた。レンゲはそれを覗き込み、「りょーかい、お店の女の子にも言っとくね」と笑顔をつくる。それが営業的なものでも、神崎は構わなかった。もしも本人に伝わり、本人から神崎に会いに来てくれることが一番手っ取り早いのだから。


「倉木さん、七海が追われてるのって本職からなんですか?」


倉木のお気に入りが席を離れた所を狙って話しかける。ウイスキーを一口飲んだ倉木が神崎の方を見た。


「そりゃ出勤してなかったら追われるんじゃないか?」

「ああ、言い方が間違ってました。七海が逃げ回ってるのは、何からですか?」

「俺は七海じゃないから分かんないな」


まあ、そうですよね。と、神崎もバーボンを飲んで答えた。






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