言わねば花


神崎律は決断をした。

食べ終えて会計をしている七海をファミレスの外で待った。桃は黙って神崎の手に繋がれている。これからどうなるのかは、この手に託されているのだ。


「ご馳走さま」

「ごちそうさまでした」


倣ったように桃がお辞儀をする。


「どういたしまして。これからどうするんですか?」

「この子の家に一度行って何か無いか探してくる。最悪、母親の写真があったら警察に頼むしかない」

「神崎さんは捜さないんですか?」

「そういうのは専門外だし、どこかに委託する義理もない」

「本当にないんですね」


七海は真っ直ぐ神崎を見た。神崎の身長は平均よりも高くヒールも履いているので、七海と7センチほどの差しかない。一般的には高めだが、神崎の知りあいの男の中でも七海は小柄な方だった。


「何が言いたい」

「神崎さんは義理堅い人だと思っているので、ここまできっぱりと切り捨てるなんて。相手の方を何をしたのか気になりますね」

「そんなに義理堅くも優しくもない」

「そうですか? 俺は神崎さんみたいな人にこの界隈で始めて会いましたよ」

「あたしもだ」


揶揄されているように思えて、神崎は言い返すように話した。

それから少し後悔して、掌を七海に向ける。降参のポーズ。白旗。


「桃ちゃん、家どこ?」

「いちまえのアパート、です」

「ここの通りを真っ直ぐですね」


七海は関わる気満々らしく、桃も既に懐いてしまっている。これはもしも誰かに見つけられた場合、誘拐には取られないだろうか。桃の証言が重要になってくるが、たしか未成年と駆け落ちした成人が誘拐で捕まったニュースをがあったな、と神崎は考えていた。


「一旦家に帰ろう。ママが帰っているかもしれない」

「……うん」


子供は大人の言うことを分かっている。義理も優しさもない神崎のことを理解していた。

七海の言う通り、『壱前』のアパートは通りを真っ直ぐ行った場所にある。この通りは商店街であり、繁華街よりも穏和な空気が流れている。真っ直ぐ行って、線路を跨いでまっすぐ行った先が『壱前』だ。

指し示したわけでもなく三人は歩き始める。七海は商店街の並びにあった電気屋の表に向けられているテレビの画面に目が行った。アナウンサーが深刻な顔で今日起こった事件を報道している。今日の正午あたりに男女の遺体が店で発見されたらしい。死亡していたのはその店のオーナーの男と、従業員の女。第一発見者は従業員の女らしく、その風貌から七海はキャバクラかホステスを予想した。隣の街の繁華街だ。どこにでもある事件だと思ってから、少し先に行ってしまった神崎と桃を追いかける。


「高校ですか?」

「え、なに」

「ささきさん(仮)とは、高校の同級生だったんですか?」

「いや、中学。小学校も同じだった気がするけど、向こうは二年の夏明けには転校してた気がする」


少し驚いた表情をした七海を見て、神崎は苦笑した。遣る瀬無い笑顔だった。


「転校しても連絡を取り合ってたわけじゃない。高校卒業間際に、急に現れて言ってきた」

「もう殆ど宣言ですね」

「だろうな。あいつはあたしに宣言しに来たんだ、わざわざ」

「自分は死ぬ、と」


桃はちらちらと神崎の顔を窺う。神崎はしゃがんで、その顔を覗いた。言いたいことがあるのだ。


「あたしは桃のことは可愛いと思う。"そのまま"で居るなら、ずっと可愛いと思う」


七海はその様子を見ていた。残酷なことを言う大人だ。将来誰に刺されても文句は言えない。桃はその言葉を理解しないまま受け取る。いつか分かる日がくる、というのは大人の押し付けだ。いつかが来なかったのは、死んでから分かるのだから。

神崎の足が止まったのは、七海に肩を掴まれたからだった。


「なんだよ」

「サツです」


その目は獲物を狩る獣の如く、遠くを見据えていた。三人は一旦角に身を潜める。


「桃の家、この先の赤茶色のアパート?」

「うん」

「……そうか」


まさにそのアパートの前にパトカーが停まっていた。母親に何かあったのか、それとも関係のない事件なのかは判断しかねるが、警察がいることだけは分かる。神崎は七海を一度見て、目を伏せた。長い睫毛の影が出来る。


「七海、先行け」


目を開いて第一声。七海は特に驚きもせず、「すみません」とそれを受諾した。予想通りであり、マニュアル通りの処理方法。


「桃ちゃん、大人の事情でここでさようなら。あとは、りつさんが何とかしてくれます」

「マジシャンのおにーさん、帰るの?」

「大丈夫。君の背中には天使がついてる」


天使という単語に目を煌めかせた桃の頭を撫でて、七海は速やかに来た道を戻った。

その後ろ姿を見て神崎はジャケットを脱ぐ。いくらか一般人には見えるだろうという算段のもとだった。桃は不思議そうな顔をしてそれを見る。


「天使って……いるの? りつさんにも視える?」

「生憎あたしには視えないが、あいつには視えたんだろうな。桃が良い子でいる限り、きっとその天使はお前を守ってくれる」

「天使が?」

「そうだよ。だから一緒に行こう」


手を引く。七歩丈の袖から出た腕に、湿気の多い風が当たる。古傷が傷んだ。雨がもう少しで降るのだろう。

二人で歩いて桃のアパートに近づく。何も桃に口止めしなかったのは、神崎なりのけじめでもある。

桃の家の部屋はアパートの二階の右から二番目だ。そこを出入りする警察の人間と一人目が合う。アパートを見上げる大人と女児の姿を見て、もう一人の警察の人間と何か話をした。それから、事は簡単に運んだ。

神崎は身分を問われ、桃のことを簡潔に話す。桃は話し合う大人の姿を見て、黙っていた。黙るしかないのだ。力のない子供は。










神崎は定時に仕事を終え、事務所を出た。するりと路地裏から猫のように現れる七海が前に立ちはだかり、歩を止めた。


「美味しいワインの店を見つけたんですけど、行きませんか?」

「結構。誘うなら、花中央通りの女でも誘ってやれば」

「つれないこと言わないでくださいよ」

「自分の罪悪感を慰める為にこっちを巻き込むのは止めてくれ。迷惑だ」

「罪悪感? なんのことだか」


すっとぼけた顔をする。七海は神崎の肩にかけていた黒い鞄を取って、その先を歩き始めた。このまま花中央通りの風俗に入っていっても可笑しくないと考えた神崎は、呆れながらその後ろを追う。

大通りはネオンで覆われている。特にこの街は人も多ければ店も多い。一番に飲み屋、二番にキャバクラ風俗ホストホステス。倉木曰く金があれば童貞を卒業できるらしい。こちらを振り向くことなく歩いていく七海の背中を突く。


「ワインじゃなくて、飯が良い」

「色気より食い気ですね」

「行かないなら返せよ」


鞄の取っ手を掴んで引っ張る。

神崎の視線を受けて、七海は鞄を返した。


「美味しい唐揚げ定食の店を知ってます」

「行こうぜ相棒」


いつもより高いヒールを履いていた神崎は七海の肩に腕を回す。体格の差で神崎の方が宙ぶらりんにも見えるが。

その現金さに苦笑いしながら二人は定食屋へ入った。ほどほどに混んでおり、丁度空いた奥の席へ落ち着くことになる。

水を一口飲んだ後、七海は高い場所に設置されたテレビを見上げた。先日のニュースが報道されている。それに神崎も気づいて、振り向いて同じように見た。


「先に逃してもらって、ありがとうございました」

「改まって何だよ」

「助かったので、言っておこうと思って」

「そんなのより、仕事投げてくっついて来たお前がいつ死ぬのかが気になる」

「死ぬ前は神崎さんに遺言言いにきます」

「止めろよ縁起悪い」


どん、と唐揚げ定食と焼き鯖定食がテーブルに置かれた。


『関係者の話によると、二人は交際しており―――』




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