告白

翌日の昼過ぎ、母と私は家に帰った。


思ったより散らかっていない室内で猫の無事な姿を見た時、安心してほっと胸を撫で下ろした。

母が先に居間へ行き父と話をしている間、私はキッチンにある包丁を布で包んで戸棚の後ろに隠した。

次は物置として使っていた一室の扉を開け、そこに猫の餌や水をたっぷり置いて避難できるように整えた。


こそこそしている所を父に見られると逆上される恐れがあったため、それらを手早く済ませた私は居間に移動した。

父はむっすりと機嫌が悪い表情をして座椅子に座りテレビを見ており、母が懸命に訴えている話に時折返事をしたり言い返したりする程度だった。

父と母が話している時に私が口を挟むと父が逆上することが過去にあったので、私は何も言わずに扉の側に座り二人の会話に聞き入った。


しばらくすると、手応えがない会話に音を上げた母はお茶でも入れてくるとキッチンに向かった。

テレビの音だけが響く居間に、父と私だけが残された。

私は昨晩の恐怖からまだ立ち直れておらず、父と二人だけにされるのは怖くてキッチンに向かおうと立ち上がった。

その時、今まで私の存在など気にもかけていなかった父が声をかけてきた。


「なぁ、お前……まだ母さんにあの事バラしてないんだろう?」


父の声にビクッと肩が跳ね、私は金縛りにあったかのようにその場に立ち尽くした。

何か言わなければと思うのに声が出てこず、否定も肯定も出来ずにいる私を、父は鼻で笑った。


「今母さんに言えばいいじゃねぇか。お父さんと身体の関係を持ってまーすって」


「お父さんと二人で長年お母さんを裏切ってましたって言えよ!」


ギリッと微かな音がして、漸く私は自分が奥歯を噛み締めていることに気が付いた。

巫山戯た口調で戯ける父が許せないと怒りが湧くのに私の身体は固まったままで、言い返せないのが悔しかった。


「今までしてきたことを母さんに言えって言ってるだろっ!!」


「言わねぇと今すぐに母さんを殴り殺すぞ!!」


無言で立ち尽くす私に痺れを切らした父はそう恫喝し、側にあった湯呑みを投げつけてきた。

飛んできた湯呑みが壁に当たって割れた音で硬直していた身体が動き、私は逃げ出すように母の元へ向かった。


キッチンでお茶を入れていた母は何かあったか尋ねてきたが、私は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

幼い頃から今まで長年に渡って隠してきた父との関係を、よりにもよって自分の口から語らなければいけないのかという苦々しい思いと、話さなければ母が殺されるかもしれないといった恐怖が頭の中でぐちゃぐちゃと混じり、いつの間にか私の目から涙が溢れていた。

突然泣き出した私を母は心配し、もう少しで父と話し合いが終わるからとか大丈夫だからと言ってくれたが、私は首を振ってそうじゃないと否定した。


私は深く項垂れたまま、震える声で今まで父と関係を持っていたことを告げた。


項垂れていた私には、母がどんな表情をしていたのかは分からない。

母は声を詰まらせたまま私を抱きしめ、泣きながら何度も何度も謝った。

きっと罵られて嫌われると長年思い続けた私は、母が抱きしめて受け入れたことに心底驚いた。

だけどそれ以上に嬉しくて、母を失わずに済んだ安心感に涙が止まらなくなった。

そして母は、キッチンにいるように告げて居間へと向かった。


しばらくキッチンで呆けていたのだが、父と母を二人きりにするのは危ないかもしれないと思い立ち慌てて居間に戻った。

そこで私が見たものは、携帯電話を片手に喚く父とそれに掴みかかる母だった。

あろうことか、父は母の親戚や戸籍上の父に電話をかけ、私に長年性的虐待をしていたことを暴露していたのである。


「お前の娘を犯してやった!ざまぁみやがれ!!」


狂気的な笑顔を浮かべ、鬼の首を取ったかのような口調で電話をかける父を見て、私は咄嗟に携帯電話を取り上げようと掴みかかった。

早く、一刻も早く取り上げないとと焦る私に、父は邪魔するなと怒鳴りながら何度も何度も拳を叩きつけた。

殴られる痛みよりこれ以上曝露されることを恐れた私は、母と二人で父を羽交い締めにして漸くその手から携帯電話を取り上げた。


母は取り上げた携帯電話を握りしめ父から庇ってくれたが、私は動けずに蹲った。

目と目の少し下辺りを父に酷く殴られたせいで鼻血が止まらず、口内には溢れるほどの血が流れ込み、鼻と口から出た血がボタボタと床に落ちていた。

私は殴られた場所が酷く痛んでぐらぐらと目眩がするのと同時に、色々な人に暴露されてしまったことが辛くて涙が止まらなかった。

そんな私を見て父は、


「それくらいのことで大袈裟にするなっ!目障りだ!!」


と大声で怒鳴りつけ、日頃座る座椅子にどかっと腰を下ろして背を向けた。

母はそんな父に対して文句を言いつつ、私にタオルを差し出して手当をしてくれた。


その日はそれ以上話し合いにならなかった。


私は鼻血が中々止まらなかった上にあちこち殴られたせいで身体中が痛く、頭痛がして動くことができなかった。

母はそんな私を病院に連れて行こうとしたのだが、父が暴言と暴力で止め、私も大丈夫だからと強がるしか無かった。

顔を含めて身体中をこんなにも殴られたのは初めてで、これ以上父に逆らって何かされるのが怖かった。

だからその日は、母と二人で父に怯え、寄り添って過ごす以外方法がなかった。

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