滅びの国、最果て亭の料理人

実里晶

悪夢、住むところの料理人


 食事処 《最果て亭》の二階でノルンはのどかな午睡を堪能していた。


 焼きすぎた麺麭パンの色をした頬を静寂が優しく撫で、薄玻璃の窓から差し込む太陽の光が柔らかなブランケットみたいに十七歳の壮健な体を覆っている。

 尖った長い耳が時折、ぴくぴくと何かに反応したかのように動くが、ここでは眠りを妨げるものは鳥の囀りさえ絶えて久しい。

 周囲を絶壁に囲まれた岩上都市リシアンから人気ひとけが絶えたのはいつ頃だっただろう。ファンシアン城の一番めの城門は開かれたままとなり、ノルンはかつての使用人小屋に《最果て亭》の看板をかけた。

 客の都合により、営業は夕方遅くから明け方にかけて。朝は次の日の仕込みをしてからの就寝だ。

 よって、これは怠惰ではなく正当な睡眠なのだが……店の扉をしゃにむに叩く二組の拳によって静寂はいとも容易く崩れ去っていった。


「ノールーンーっ。いるんでしょっ出てきなさいよ」

「いやね、ディミは無粋で……。こういうときは乙女らしく歌って差し上げたらいいのよ。どんな殿方でも飛び起きなさるわ」


 だからというわけでもないが、ノルンはパチリと目を覚ました。

 紫水晶の瞳が埃っぽい部屋の黄ばんだ空気をぼんやりと捉え、すぐさま状況を察して飛び起きた。

 着の身着のまま階下に降りて扉を開けるとそこには氷色と金色の少女の瞳が二対並んで、いかにも期待に満ちた様子で待ち構えていた。

 ディミトリアカとアクラネッヤのふたりは最果て亭の常連客だ。

 いつも美しい装いに身を包み、友人どうし連れ立ってやってくる。とはいえ性格が正反対な二人らしく、ディミは子供っぽいフリルやリボン満載の黒いドレス、ネッヤは白く清純な大人っぽいドレスを着ていることが多い。

 どちらも貴族の子女であることは間違いないが、深くは訊ねていない。

 本来、女性が伴も連れずに食堂を訪れることは世間の常識では恥ずべきことだ。

 もちろん訪れる人の少ない最果て亭では、誰かに見咎められる心配もないが。


「何か適当につくって!」

「お願いします。久しぶりに狩りに行ったらお腹が空いちゃったの」

「おいおい……まだ開店前なんだぞ……」


 ふたりはずうずうしく店の中に入り込むと、激しくカウンター席を叩いて料理を催促する。

 どちらも容姿はまたとないほど整っており、黙っていれば可憐なレディに違いないがこれではただの飢える野獣である。


「持ち込みの食材は他の客の目がない昼間にしてくれってあなたが言ったのよ。文句はないでしょう?」


 そう言ってネッヤは澄ました顔をしている。


「食材?」

「そうだ、ちゃんと《レイゾウコ》とやらに入れておいてやったのだぞ!」


 ディミがまな板のような胸を張る。


「冷蔵庫だな。いったいいつの間に……」

「裏口があいていた」



 ということは、ノルンが戸を開けるまでもなくこっそり侵入して食材を入れ、わざわざ表に回ったのか……謎の行動だが、二人のやることなすことといえば大抵は意味のないものなので気にするほうが損かもしれない。

 厨房に入り、隅に置かれた銀色の箱の扉を開けた。

 ひんやりとした冷気が流れ出てくる。

 ノルンの父親は旅の錬金術師で城に召し抱えられて技を極め、召喚師となった変わり者だ。銀色の箱はその父親が発明したもののひとつだ。

 外側は金属でできた箱で、中には氷の魔術が閉じ込めてある。

 理屈はわからないが、どこにでも置けて便利な氷室ひむろだ。これがあると大量の雪氷を城の氷室小屋に運び込む仕事をしないで済むのが非常にありがたい。

 扉を開けるとそこには狩りたてホヤホヤ、遠慮容赦なく切り刻まれた食材が血を滴らせていた。


「うわっ……。これは掃除が大変だな」


 店の表からは「はぁやぁくぅ~」と待ちきれない大合唱が聞こえてくる。

 ひとまず掃除は後回しにして、使えそうな部位を掴みだした。

 最低限、内臓が抜き取られていて幸いだった。狩りの獲物は内臓を残すと痛むのが早い。杜撰ながら血抜きをした気配もあった。


「これ、食べられるか?」


 待ちきれなくなったディミがやってきて、溌剌とした金色の瞳で見上げてくる。


「さあ……少し古くなってはいるみたいだな」

「汚れたので湯あみをしていて遅くなったのだ」

「最近暖かくなってきたから仕方ない」


 ノルンは台の上に無造作に置かれた書物を手に取る。

 彼の亡き母が残したレシピ集だ。

 食堂を開いたはいいが、あまり料理が得意ではないノルンにとって、そして腹を空かせた少女たちにとって唯一無二の心強い味方といえる。


「今日はこれにしよう」


 適当に料理を決めた。食べ物に執着のないノルンとしては、悩むだけ時間の無駄だ。それに悩めば悩むだけ肉は傷む。

 レシピ通り肉の汚れをきれいに洗い落し、骨を避けて一口大に切り落とす。

 筋を切っておくと柔らかくなるということと、フォークで刺しておくと下味がしみこみやすくなる、とレシピに書いてあったのでその通りにする。


「あ、しまった」

「おっ、なんだ。フソクの事態か? 責任をとって腹でも切るか?」


 ディミが不安そうに、いちばん尖った肉切り包丁を差し出してくる。

 ノルンは首をゆっくり横に振った。


「ここには無い調味料を使うレシピだったんだ」


 レシピを広げて見せる。

 ディミは文字を読まないが、根拠はあるのだと示すためだ。


「片手落ちだのう、ということで片手落として詫びを入れるか?」

「いや別の味つけで美味くなると思う」

「ほんとかの~~~~?」

「やってみよう。まずはショウガだ」


 おろし金を用意して、つんと臭いのする生姜をすり入れる。

 これだけでも臭みをずいぶん誤魔化してくれるはずだ。

 塩と胡椒を振りかけ、しっかりと揉み込んでいく。肉のもぎゅもぎゅした感触が気持ち悪い。ここからどうしようか。

 ふと、思いつくことがあった。


「ディミ、好きなものをなんでも入れていいぞ」

「えっ……なんでだ、それは何の策略だ」


 黙って作業を見守っていた少女が、不審そうな、それでいて期待に満ちた視線を向けてきた。


「そうじゃない。今日は特別だからだ」


 単純に何を入れていいか見当もつかなかったからなのだが、なんでも物は言いようである。


「ほんとになんでも入れていいのか?」

「ああ。下味が濃いほうが臭み消しになるからな」


 ディミは調味料を並べてある棚に行くと、はちみつの瓶を手に取った。


「これがいい!」


 木の匙で琥珀色に輝く滑らかな蜜をたっぷりすくい、とろりと落とす。


「それからこれも、それも。アーモンドとチーズも入れてみたい」

「そのふたつはあとで粉に混ぜよう」

「これとそれとあれも!」


 少女の手によってお気に入りのマスタード、にんにくやワインが次々に投入される。ハーブもローズマリーやバジル、オレガノなど手当たり次第だ。

 とんでもない味になるのではないかと思ったが黙って見守ることにして、その傍らでノルンはアーモンドを叩いて細かくし、チーズをすり下ろしておく。

 そしてふたつの粉を、ジャガイモから取り出したデンプン粉に混ぜた。

 それと同時に竈に火を入れ、火台に浅めの鍋を据え、油を底に溜まる程度に注ぐ。温まるのを待って、味をしみこませておいた肉に粉をまぶした。


「もういいかな? 相変わらず火加減てものがわからないな……」


 油の中に衣をつけた肉を落とす。

 水分が残っていたせいかじゅわっという音と共に激しい泡が上がり、油が跳ねる。


「あちっ――うわ、これは思ったより忙しいぞ。すぐに揚がりそうだ」


 次々に肉を投入していく。

 生焼けになりそうだ。竈の中を火箸で動かして、火の勢いを調整しながら揚げていく。


「まかせるがいい。ネッヤ、皿だ。フリットにぴったりの平たい器を用意するのだ!」


 ディミはすばやく表に戻って行った。頭の両脇で括った黄金色の髪の束が、子犬の耳のように跳ねていた。

 世間知らずで我儘な性格の少女だが、料理が好きなのだ。

 その点はとくに料理に情熱を傾けることもなく、店を大きくしようなどという野望もなく、とことんやる気のないノルンと正反対、と言えよう。


「おお~~~!」


 からりときつね色に揚がったフライが刻み野菜と共に木皿に盛られると、ディミが感動の声を上げた。

 調味料が多く、焦げ付いたものはゴミ箱に捨てたので、結果として皿の上は美味そうな色合いの揚げ物が並ぶ。肉の大きさをもっと丁寧に揃えるべきだったのだ、とノルンは反省点を心に刻み付けておいた。


「私は魚がよかったな」


 ネッヤは不満そうに言って椅子の上で足をブラブラさせている。

 ディミはというとフォークで衣をまとった肉の塊を刺し、滴る肉汁をうっとりと見つめていた。


「これはなんという料理なのじゃ?」

「竜田揚げという。もう別物だがな。さあ、どうぞ」


 パンを添えながら、ノルンがうながす。

 ディミはふっくらした唇で、からっとした衣にかぶりついた。

 小さな歯が下味の染みた肉を食いちぎり、いつもよりも長く咀嚼する。ごくり、と白い喉が飲み込んでいった。それから、満足そうな笑みを浮かべて、唇にまとわりついた油を舐め取った。


「ノルン、お前は食わないのか?」

「ああ、俺はいつも通りにさせてもらう。どうだった?」


 訊ねると、ディミは「ふひふふふ」と謎の含み笑いを漏らした。


「肉はたいへん柔らかだ。そして……なんだかぼやっとした味がする」


 塩味はちょうどよく、蜂蜜とのハーモニーが絶妙にあまじょっぱくて堪らない。衣にまぜたチーズとアーモンドが贅沢な香りとまろやかさを演出するが、やはり、入れ過ぎたハーブ類と生姜と辛子の味が喧嘩してなんともいえない、と少女は語った。


「でも――――ふしぎだな、ノルンよ。あまり旨くないのに悪くない」

「そりゃ、ディミが味付けを手伝ってくれたからな」

「ううむ、やはりこのディミ様が手をかけてやっただけはあるということか」

「おいしいのか、おいしくないのか、どっちなのよ」


 ディミは大きな口で、勢いよく肉を頬張った。

 ネッヤも料理に口をつける。

 しばらく咀嚼し、苦笑を浮かべた。


「ヘンな味」


 しばらく、ネッヤの上品に「サクサク」食べる音と、ディミが豪快に「ザクザク」食べる音が重なった。

 料理はあっという間に空になった。


「ありがとう、ノルン。余は楽しかった。うむ、楽しい料理であった。褒美としてそなたに余の専属料理人となる権利を与えよう。謹んで受けるがよい」

「あいにくと俺には最果て亭があるのでね」

「そうよ。それにノルンは私の愛人になって、海のお屋敷で永遠に暮らすのだから、それは無理よ」

「そういう予定も無いな」

「いつでも心変わりを待ってるわ」


 今回の料理は満足に足る出来だったらしい。

 冗談とも本気ともとれない会話を交わしながら、ふたりは満面の笑みで、デザートに出したクッキーをつまんでいる。

 そうこうしているうちに陽はだいぶ傾きはじめ、客が訪れる時間帯になっていた。


 からんからん。


 ドアベルを鳴らして最初の客が入ってくる。

 最初の一団は汚れた野良着を着込んだ男たちだった。

 半袖から出た腕は黒い毛に覆われ、耳には尖った三角耳が生えている。連れは茶色の垂れ耳と灰色の尾の長い狼っぽい顔つきをした――要するにコボルドだ。

 もしもここがふつうの店だったら、ノルンは悲鳴を上げて逃げ出すべきだった。

 だが、ここは最果て亭である。

 彼は穏やかにディミたちからは離れたテーブルを案内し、酒の注文を取る。


「いけね」


 ノルンは冷蔵庫の片づけ思い出し、大慌てで厨房に戻った。



*



「それにしても。こいつをどうしようか」


 銀色の蓋を開き、ノルンは渋面を浮かべた。

 べったりと底に垂れた血はかたまりつつある。

 何より困ったのは、ディミが雑に下拵えを施した食材と《目があう》のが難点だ。

 彼の目線の先には禿げ上がった人の頭が鎮座していた。

 人、というと語弊がある。亜人と呼ぶべきかもしれない。

 ゴブリン、と呼ばれることの多い人型の魔物である。

 先ほどフリットの材料にしたのはこいつの肉だ。物言わぬ死体となった魔物を目の前に、ノルンは溜息を吐いた。


 最果て亭に人間の客はいない。

 

 奇異な言動や行動からわかる通り、ディミもネッヤも、どちらも人ではない。

 ディミはおそらく竜、ネッヤは水棲の魔物――セイレンか人魚である。

 どちらも雑食だが、人の食物は味気ないとかいって、こうして持ち込みの食材を運んでくる。店には亜人の客も訪れる。トラブルになるかもしれないのであまり見られたくはない代物だった。


「俺も人間離れしてきたなァ……」


 しみじみと呟いた。

 街が魔物たちに占拠され、人間が死に絶えてノルンだけが残され、もう五年は経つ。

 ノルンは毒薬を飲んだが死にきれず、長命種に姿を変えて魔物たちの間に紛れて暮らしている。

 店を構えて料理を出しはじめたのは生きていくため、ただそれだけだ。

 一部を除いて魔物たちは食材を加工することがあまりない。獲物を捕まえたら、ほとんど生のままでそれを食べる。

 だから料理というものになじみがない。多少まずいものを出しても、珍しがられてそれが商売になるのだ。


 ただ、魔物相手の商売には危険もともなう。

 今日は危なかった。ディミはプライドが高い魔物で、もしも料理が失敗していたらほんとうに腕を落とすことになっていたかもしれない。

 そこで「自分の手で作った料理は、自分に責任があるのだし、好きで味付けしたのだから微妙な味でも満足できるだろう」と考えて方向性を変えてみたのだ。

 ノルンは我ながらうまい手だったと心の中で自画自賛する。


 しかし――青年は知らず知らずのうちに、眉間に深い皺を刻んでいた。


(人のいなくなったリシアンで、悪知恵を働かせて生き残ることに何の意味があるのだろう?)


 彼は時折、そんなことを考える。疑問に答えは出ず、答えてくれる人もいない。

 母親はとうの昔に毒薬を飲んで命を自ら断ってしまった。

 父親は行方不明。城の人々は魔物に虐殺された。街も同じだ。


 思考を打ち切るのはいつでも、店からノルンを呼ぶ声だった。


「エールをふたつ!」


 知らないうちに表に客が増えていた。

 首なし騎士の二人組が酒をはやくとせかしてくる。

 ドアを開けもせず入ってきたゴーストが恨めし気にこちらを見つめている。

 羽を生やしたハーピーが、メニューの字を同席した半蛇のラミアに読ませていた。


(――今日は忙しくなりそうだ)


 ノルンは思考を打ち切り、仕事に集中することにした。

 料理は好きでもなんでもないが、手を動かして火を使っていると仕事に打ち込む父の姿がまぶたをよぎる。魔物たちの金切り声は笑いさんざめく同朋たちの笑い声に変わり、レシピの向こうから誰かの微笑みが返ってくる気がした。


 にぶい胸の痛みだけがノルンに己が何者なのかを教えてくれる。


 最果て亭の夜は、まだ明けそうにない。

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