決壊 (3)

 

 

 

 夜遅くになって、ようやくルウケの館は騒がしくなった。玄関扉が慌ただしく開け閉めされる音に続いて、複数人の足音が入り乱れる。使用人頭が夜食をどうするか尋ねる声を遮って、ヘリストがラグナの所在を問う声がした。

 廊下に出ていたラグナは、部屋に戻ると静かに扉を閉めた。ほどなく騒々しい足音が廊下を駆けてきて、扉が激しく叩かれる。ラグナが「入れ」と告げる間もなく、扉は勢いよく開かれた。

「もっと早くやってくると思ったが、意外と遅かったな」

 そうと分かっておれば、もう少しゆっくりしたのにな、と思わせぶりに呟いてみせてから、ラグナは口角を引き上げた。

 肩で息をするウルスが、そこに立っていた。尋問とやらの名残だろう、口のと右の頬には膏薬が貼られ、両手には指先まで隙間なく包帯が巻かれている。

 やや遅れて、ヘリストもその後ろに駆けつけてきた。サヴィネは、恐らく厩に馬を繋ぎに行っているのだろう。

 ウルスは、つかつかとラグナの面前に進み寄り、真っ直ぐラグナの目を覗き込んできた。

「君が手をまわしたんだな?」

 有無を言わさぬ口調で、ウルスが訊いた。

「突然、お咎めなしと放免された。誰に聞いても、何も言ってくれやしない。すまなかったな、と謝るばかりで、埒があかない」

 ウルスの背後から、ヘリストも、咎めたてるような声で呼びかけてくる。

「ラグナ様、先ほど使用人頭から、ラグナ様が夕刻に町へ手紙を届けさせたと聞きました。一体、何をなさったのですか。お教えください」

 ラグナが何も言わずにいると、ウルスが、ふ、と目を伏せた。唇を噛みしめ、両手をじっと見つめ、それからまなじりを決して視線を上げた。そして、もう一度ラグナと目を合わせ、一音一音を噛み締めるように言葉を発していく。

「僕は、確かに、罪を、犯したんだ」

「なんだって?」

 素っ頓狂な声が、ヘリストの喉から飛び出した。

 ウルスは、ぎゅっと強く両目をつむってから、恐る恐る後ろを向く。

「……すみません、先生。自分のしでかしたことが、そして何より王家の皆さんに迷惑をかけてしまうことになるのが恐ろしくて、今まで言えませんでしたが……、紅玉を盗んだのは、僕なんです……」

「なんてことだ……」

 ヘリストが、がくりと壁に寄りかかった。爪を立てるようにして両手で額を押さえ、ずるずると床にへたり込む。

 ウルスは、再度ラグナに向き直るなり、右手を大きく振り開いた。

「そうだ。僕は裁かれるべき盗人だ。なのに、王太子である君が、その片棒を担いでどうするんだ!」

「何故、そんなことを……」

 震える声で、ヘリストが問う。ウルスは、師に背を向けたまま、力無く俯いた。

「僕は……僕は、どうかしていたんです。あの紅玉さえあれば、もしかしたらラグナに勝てるんじゃないかと……、彼女を振り向かせることができるんじゃないかと……」

「紅玉の、像……」

 ヘリストが、愕然と呟いた。

 ウルスは、足元を見つめたまま、今度はラグナに向かって声を絞り出す。

「それに、僕は、君を出し抜こうとしたんだぞ。君に助けてもらう資格なんて……」

「勘違いするな。俺はお前のためを思って行動したんじゃない」

 満を持してラグナが口を開けば、ウルスが驚きの表情でおもてを上げた。

「大切な幼馴染みを助けたい、という彼女の――我が愛しい婚約者の願いを聞いたまでだ」

「婚約、ですと? それは一体どういうことですか!」

 床に膝をついたまま、ヘリストが声を荒らげる。その顔は、僅かな時の間に、すっかりやつれ果ててしまったように見えた。

 ラグナは、芝居の語り手のように、少し改まった声で話し始めた。

「自分の父親と同様、故事にちなんで好きな女に求愛しようとした我が儘王子が、彼女に内緒で紅玉の女神像を作るよう、手先の器用な従兄弟に依頼した。良い原石が見つかったら確保しておいてくれ、あとで自分が買い取るから、と。

 しかし、なにしろ王子はいい加減な性格なため、従兄弟と約束した諸手続きを見事に忘れてしまっていた。不本意にも盗みの嫌疑をかけられた、忠実なる従兄弟は、王子に醜聞が立つのを恐れ、黙秘を続けている。――それが、俺が届けさせた手紙の内容だ」

 ラグナが話し終わるのと同時に、二人の口から言葉にならない唸り声が漏れた。

「像はまだ完成していなかったようだが、彼女は俺の求婚を快く受け入れてくれたよ」

 そう言って、ラグナは後ろを振り返る。

 寝室の扉があいて、フェリアが無言で姿を現した。

 

 

 ウルスは、何も言わなかった。何も言わずに、部屋を出ていった。ようやく本館に戻ってきたサヴィネが、家まで送ろうと声をかけたようだったが、ウルスの返事は聞こえてはこなかった。

 おそらく彼は、全てを理解したんだろう、と、ラグナは悟った。それこそ、ラグナとフェリアの間で、どのような取引がなされたかも、全部。ウルスに全て見透かされた、とラグナが認識していることすら、ウルスは解っているのだろう。

 ヘリストは、しばし壁にもたれて放心していたが、開けっ放しの扉からサヴィネの足音が近づいてくるのが聞こえるや、あっという間に自分を取り戻した。サヴィネに、明朝に王都へ早馬をお願いする、と予め告げ、書状をしたためるから、と、フェリアを伴って部屋を出ていった。

 

 一人取り残されたラグナは、掃き出し窓をあけてバルコニーへと出た。

 小さい頃に一度、冒険譚のようにここから部屋を抜け出せないか、と、三人で縄梯子を作ろうとし、ヘリストにこっぴどく叱られたことがあった。実行しようと言い出したのはラグナだったが、話のきっかけはフェリアだった。そして、より安全に降りられるよう、単なる縄ではなく縄梯子を作ろう、と主張したのが、ウルスだった。

 まったくもって、変わり映えの無い。昔を思い出してラグナはくつくつと笑った。

 ふと、欄干に背を持たれかけて、思いっきり身をのけ反らせる。

 中天に、少し欠けた丸い月が見えた。

 今、足で軽く床を蹴れば、俺は頭から下へ落ちるのだな。他人事のようにラグナがそう考えた時、部屋のほうからノックの音が聞こえてきた。

「殿下、お客様がおいでで……」

 使用人頭の声が途中で途切れた、次の瞬間、扉がいきなり開かれ、エリック・ランゲがずかずかと中へ入ってきた。

「お客様、困ります! 下でお待ちくださいと申し上げたではありませんか!」

「うるせえ。こいつと話をしたら、さっさと出ていってやらあ。ぐだぐだ騒ぐな!」

 と、怒号をぬって、金属同士が擦れる甲高い音が、廊下のほうから聞こえてきた。

「ラグナ様! ご無事ですか!」

 明日に備えて寝支度をしていたはずのサヴィネが、長剣を握って飛び込んでくる。その抜き身のごとき気配に、さしものエリックも、ぎょっとした表情で動きを止めた。

「大丈夫だ、問題ない。二人とも下がれ」

 サヴィネと使用人頭は、互いに顔を見合わせてから、今一つ納得がいかない様子で、不承不承頷いた。そうして、ぶつぶつと口の中でエリックに対する悪態を呟きながら、部屋を出ていく。

 扉が閉められるのを待って、エリックがラグナに詰め寄ってきた。

「どういうことだ!」

「何がだ」

「盗られた宝石のことだよ! 昼間に俺が来たときには、知らないって言ってただろ!」

 肩で息をしながら、エリックがラグナを睨みつける。

 ラグナは、彼の視線をしれっと受け流した。

「自分がしでかしたことの大きさに気がついて、怖くなって、つい嘘を言ってしまった」

「ああ、確かにこの手紙にもそう書いてあったな。だがな、与太話も大概にしやがれ! あの時のお前は、間違いなく、この件について、何も知らなかった!」

 これがこいつの武器なんだな、と、ラグナは思った。粗野で愚鈍だが、人を見る目には、確かなものがある。

 とはいえ、今回ばかりはエリックには、この目をしっかりと閉じておいてもらわなければならない。

「だが、宝石は見つかったんだろう? 俺が手紙に書いたとおりに」

 エリックが、ぐう、と唸り声を漏らした。

「お前が信じたとおり、ウルスは仲間を裏切るような人間ではなかった。王太子という異分子が、彼に無理矢理そうさせただけだ」

「それも、この手紙に書いてあったな。何が『エリック・ランゲの公正な判断と仲間に対する信頼』だ、俺に恩を売っているつもりか!」

 束の間、二人は無言で睨み合った。

 やがてエリックが、大きく息を吐き出して肩を落とした。

「なあ、本当は、何があったんだ」

 ラグナは、ゆっくりと息を吸うと、同じ主張を繰り返した。

「手紙に書いてあるとおりだ」

 エリックの口元が怒りに歪んだ。顔を真っ赤に紅潮させ、「クソが!」と吐き捨て、靴音も荒々しく去ってゆく。

 玄関扉が乱暴に閉められる音が、壁越しに微かに聞こえてきた。

 再び訪れた静寂の中、ラグナは再び窓のほうへと足を向けた。バルコニーには出ず、窓際の長椅子の上に仰向けに倒れ込む。

 何度目か知らぬ溜め息が、仄かに差し込む月光を揺らす。

 堤は、決壊してしまったのだ。あとは、誰も彼も、ただ押し流されてゆくのみ……。

 

 

 

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