第4話 エリートな彼ら

「雪哉は、最近忙しいのか?仕事のほうは順調なのか?」


 三人での乾杯が終わり、新之助が尋ねる、ヒロが俺の顔を覗き込む。


「楽しいよ。ようやく慣れてきたってとこだ。上手くいくことばかりじゃないけど、それでもやりがいはある」


 俺は軽く笑い、そう答える。

 嘘ではない。嘘は言っていないけれど、本当でもない。

 だけど、そんなことを正直に愚痴ってもしょうがないだろう?

 俺はそんな言葉を喉の奥で飲み込んで、ビールグラスを傾ける。


 知ってるさ。こいつらはきっと知っているし、俺も知っている。

 俺が本音を言ってないこと、

 そして、こいつらがそれをお見通しだということ。

 二人ともずば抜けて優秀な奴らだから。


 新之助は、学生時代はメンバー数100人を超えるバスケサークルの主将でいながら、ビジネスにも興味を持ち、今は上場を果たした某ベンチャー企業でインターンを経験し、新卒で人材輩出企業と名高いL社に入社した。そして、1年目には営業として圧倒的なパフォーマンスを出し、二年目の春には異例のスピードでマネージャーへと昇進を果たした。


 ヒロのほうは、学生時代はパッとしなかったくせに、俺が就活を始めた頃にはいつの間にか外資のコンサル企業へ内定を得ていた。そのままコンサルタントとして二年間働いた後、ヒロは社会人三年目に新之助の会社に転職を決める。経営企画部の経営戦略チームという花形部門だったにもかかわらず、転職から二年後、社会人5年目を控えた春に、異動希望を出した。異動先は新之助のところだ。


 今じゃ新之助は新規に立ち上げたペット関連サービスの事業責任者、ヒロは新之助のブレイン兼プロダクト責任者だ。優秀人材が集うL社でも期待の若手としてずば抜けた活躍を見せているらしい。


 俺たち3人はバスケサークルの仲間で、昔は俺が副主将として新之助を支えていたのにな。ヒロはどんくさくて、レポートだって、彼女見つけるのだって、俺と新之助が色々助けてやってたんだ。それなのに、ヒロはいつしか立派になって、一方で俺はといえば、今……。


 2人が俺に語りかける。

「ちょうど一年前だな。お前が東京こっちに戻って来たときに飲んだのが最後だ」

 と、新之助。


「前回ゆきやん、言ってたもんね。俺がネット広告のマーケットを切り開くんだって」

 と、ヒロ。


 ヒロは少し顔が赤い。俺が着く前から2人で飲んでたのだろう。役職者の彼らは定時前から理由をつけて早上がりすることもわけないんだろう。


「そんなこと言ってたな。懐かしいよ」

「おいおい、そんなことで大丈夫なのかよ」

 俺は乾いた笑いを見せ、新之助が冗談交じりにはやす。

 

 その様子を見たヒロが、これは真面目な話なんだけど、と頭を掻きながら言う。

「あの時の言葉、頼もしかったんだよ。僕もその頃ちょうど経営企画で悩んでて、ずっと海外市場調査だとか戦略立案だとかそんなことばっかりやってて。実際の事業に携わりたかったけど、ずっと踏み出せずにいたんだ」


 一息置いて、またヒロが続ける。

「ゆきやん、業界変えて飛び込むのはすごいと思った。メーカーから広告、それもネットのなんて異業種だし全然違うでしょ。だからあの時の言葉で勇気もらった。ゆきやんのおかげで僕も動けたんだよ」


 こいつはもう酔っているのだろう。だからこんな恥ずかしげもないことを言えるのだ。俺がヒロの立場なら、俺は絶対にこんなことは言わない。俺がこいつの立場なら……、そう思いながら、俺の口からふいに出た言葉は嫉妬まみれの皮肉でしかなかった。


「よく言うよ。外コン出身のエリートのくせに」


 ビールジョッキを持つ手に、力が入る。

 違う。

 俺はこんなことを言いたいわけじゃない。俺は今朝のエレベーターでのくだらない、どうでもいい日常の愚痴を言いに来たんだよ。ただ、大学時代と同じように、くだらぬお喋りを楽しみたいだけなんだ。


 だけれど、社会人も5年も経ってキャリアの成否が見えてくると、だんだんと冗談を言えなくなってくる。成功者を前に、の者が馬鹿な発言をすると、余計に自分を低いレベルに貶めてしまうからだ。冗談を冗談と笑えないこと、それは人間を不自由にし、また成功から遠ざかってしまう。

 そんことはわかっているのに、俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、ヒロは俺の皮肉を否定することなく、へへヘと照れ笑いしながら言う。


「ゆきやんだって、一流メーカーから一流広告企業への華麗なる転身だ」


 こいつに悪気はないんだ。良い奴なんだよ、誰にでも優しくってさ。


「給料は上がったのか?前は相当高かったろ。この高給取りめ」


 新之助はまさにザ・九州男児を体現したような男で、気になったことはズバズバと聞いてくる。それがたとえ、当人にとって辛いことでも。


 そう、俺の前職は日本を代表する一流企業だった。

 今の会社だって、決して悪くない。歴史こそ浅いものの、急成長するマーケットの第一線で戦うアドテク(AdTechnology)企業だ。オフィスだって、六本木の一等ビルの高層階に複数フロアにまたがって入ってる。


 でもお前は、知ってるのか?俺が前の会社を辞めた理由を。

 俺の今置かれているポジションを。

 知らないのに、そんな浮かれさせるようなことを言わないでくれよ。


「わりぃ、ずっと我慢してたんだ。便所行ってくる」


 俺は席を立ち、トイレに入り涙をぬぐう。実際には涙なんか出てないけどな。

 詩的に言うなら、そう心が泣いてんだよ。男の嫉妬と惨めさ噛み締めて。

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