第14話これから

 「何をしたい」と質問から始まった。

 「太陽電池を設置したい」と頼んだ。

 目の前に座る人物は、定年を迎えようとしている。私も定年まで三年になろうとしているが、これからでも、太陽電池を設置させてくれるなら、外国に行ってよいと言った。

彼はこの種の話で二十五年ほど前に迷惑を掛けた人物でもある。普通なら嘲笑を買う発言である。だが彼は笑わなかった。実は、二十五年ほど前に私の意図を知っていた。

 だから彼の耳には、二十数年前と同じことを繰り返しているとしか聞こえないはずである。

 定年を三年後に控えて今回は追い詰められ、ふたたび筆を執り始めた。 

 「職場の中で何をしたいのかと聞いている」

 私はその問いに対する回答をしているつもりである。太陽光発電の設置に関わるような職務に従事したいと繰り返した。彼が権限の範疇かどうか不明である。だが私よりはるかに強い権限を持っている。

業者の力を借りず自分たちの力で設置するのである。

彼の顔が険しく変わるのに気付いたが、かまわず続けた。

「派遣された時、自分たちの手で設置する足がかりになるはずだ」

 「職場の中でのことだ」

彼は質問を繰り返した。

 彼がどこまで把握しているか不明である。どこから話せばよいか判断ができない。

 少しの沈黙の後に、彼は一言、もらした。

 「二十年前の離婚騒動は」

 語尾は聞こえない。彼が語尾を濁したせいか、それとも私が聞こうとしなかったのか、どちらか分からない。

 彼の顔を見ると惨めに歪んでいた。少なからぬ痛手を受けたのだろう。そしてあの時は自分の顔は、目の前の彼の顔と同じだったにちがいない。あるいは努めて無表情を装い、能面のように無表情になっていたかも知れない。

 「あの時、退職をしていたら、どうなっていたと思う」

 ひどく思い詰めていた。この歳まで生き続けていなかったかも知れない。

 これは素直な感情であった。

 「まだ拘っているのか。他人の前で話すな」と彼は忠告した。

 私は承伏をしなかった。

 個人個人の生き方で唱えようと言う訳でない。社会全体の問題である。


 彼との再会は気の重い出来事であった。自分の思いを伝える数少ない機会だと思った。同時に過去の話に及ぶことも覚悟をしていた。あの出来事に話が及んだ時の私の心境は心が凍りついた。すべてのことを消し去ることができたらと願い続けても、出来る話ではない。

彼の立場なら多くの話を聞いているはずである。だが世間話で収束させようなどとは思わない。裁判所か法廷で証言そして聞こうと決めていた。

 「九州に帰ってきたのも理由があってのことでしょう」と言って、私は顔をそむけた。

 心の中で思った。

 それが見せ物の役であっても、見せしめの役でもあっても甘受するしかない。


 彼は話を戻した。

 「報告文書が遅れると言う評価も聞いている」

 一息、吐いて彼は質問をした。

「報告文書が遅れる」と言う評価を過去にも二度受けた。

最初は、彼と最後に再会をした二十年前のことである。関東での出来事であった。

 報告文書を出し渋るのも仕事のうちと思っていた。

下手な報告文書で事業が進んでは困ると信じていた。まだ三十歳前後のことで完全に理解していた訳ではない。ただ土地の運用の問題が解決する前に小さなことを報告し事業を進めるべきではないと感じていた。たとえば水害を防止するために市が要求する遊水地の問題や、都市計画のために市が要請していた土地の割譲問題などである。

離婚直後の頃で疑心暗鬼になっていた。すでに相手の女性に複数の男性から電話があったことは聞いていた。自分に対する大きな悪意が存在することを気付いた。


 次にF市での出来事である。

 わざわざ検査の日に要望文書を出せと催促に訪ねてきた。

 例の電光掲示板の件である。要望書を出せと言うのである。

 要望書を出せと強要することがおかしいことであるが、屋上に設置予定の電光掲示板を道路に面した場所に移すように要望をせよと言うのである。

 そこに移せば、電光掲示板の役割は十分にはたせると言うのであるが、耳を疑う言葉であった。何度も足を運んだが、夕方になると人通も絶える路地裏である。彼は指揮官を説得し、あるいはだまし指揮案の印鑑を付いた要望書を出せと言うのである。彼は本気にその路地裏が人通りの多い道と信じているのであろうか。僕と感覚的なミスマッチは大きい。道路建設の公共事業では通過する車両の台数の計算を偽装し、道路の新設を行うことが問題になっている。

 要望書をもとに、電光掲示板の位置を決めたと言い逃れをするつもりであろう。その時には路地裏の人通りの数など、要望書だけが残ることにある。移設をしたと説明をし、責任をかぶせるつもりだろう。「そんなことはない」と彼は断言した。悪意は認められない。正しさを信じ切っている。様々な経緯や事情や醜い思惑があったにちがいなかった。油断をすると、どのような目に遭わないとかぎらない。

 最後にFの勤務地を訪れたのは四年前のことである。Nの勤務地を去る直前のことであり、そこから異動の噂を耳にしたのである。

 案内をする者との、屋上での会話も忘れない。

 「あまり厳しいことを言うなよ。二十年前のことをすべて暴露してやるぞ」と彼は脅迫まがいのことを口にした。この言葉が耳に入らない風を装いながら、青い空き看板を指差しながら言った。

 「あの看板だよ。あの看板を使えば大通りからも庁舎は見えるようになる」と

 脅迫的な言葉を吐かねばならない背後関係も利害関係も不明である。転属前で複雑な争いごとに巻き込まれるのは嫌だった。だが四年経過した今でも庁舎の屋上でのこの会話がフラッシュバックするのである。

 例えば再就職先を募るため広報ビラの配布依頼があった時などが、そうである。

 F市の勤務地の一人一人の顔を思い浮かべ、彼らにビラを実費で印刷させ、街角で配布させろと言いたいのである。

 彼らは再就職がなくて困るのは自分たちでないと開きの直り、恥知らずにも自らが行うべき仕事を押し付けているようにしか思えない。

 明らかに会議のやり取りを想像し、至るを斡旋や人材の宝庫であると広報するこのような記憶がこの作品を書かせる動機になっている。

 彼らに会った時に皮肉を込めて言うのである。

 「ありがとう、君の言葉のおかげで決心がついた」と。


 様々の思いが去来する。

 「出鱈目でもよい。報告を出せ」と狂気と脅迫観念にかられた言葉を耳にする。無意味な報告である。高い国費を使ってネットワークを整備しても、同じ報告も求めてくる。不備があるのである。同時に事務系の人を減らせと言うが、意味不明な仕事は減るまい。


 「職務上のことだ。何をしたい」

「自信がない。試みても空回りをする」と答えた。

これまでは空回りでも、わずかは周囲が動くことを感じた。だが九州に帰って来て、その実感はない。

一年前のシステム導入の時の自分の姿を思い出していた。

 「システムが十分に使用に耐えると言うことは検証すみだ」と確信をもった答えが返ってくる。

 だが、現実には新しいシステムになって操作は煩雑になり、報告文書も減らず、仕事が増えたと不協和音ばかりが聞こえてくる。

 心の中で出鱈目を言うなとつぶやき、「実際には使い物になっていないだろう」と言いはなつしかない。

 平気で嘘をつく者、出鱈目を言う者は多い。

だが彼らは嘘をついていないと信じている。役に立っていると評価を信じ切っているのである。

 彼らは信じ込んでいる。嘘をついている訳でない。だから責任を追求されることはない。

 彼らを動かしているのは無知だろうか。それとも意図的な思惑だろうか。

 実害の伴わない時は良いが、実害を伴うと問題は別のはずである。

 改善をするにはシステムを直に使う多くの者の意見を聞く必要がある。操作する者が入れ替わるたびに教育も必要である。そのためには教育用システムの一部が必要である。数年後にはシステムの統合も迫っている。納入している業者も事業がうまくいかねば困る。、営業努力の一環として業者の利益にもなるはずだ。私は現在の社会秩序の中でうまくいけば良いと思った。

 天下りなどと言う現に存在する社会通念と争う気はない。実体を把握している訳でもない。だがここ二、三年の体験から硬直し切った世界では彼らの営業努力に期待する方法が最短の道だと信じていた。

 二年と月日が無駄に終わった。

 小さな工夫や機転、努力で改善されような気がする。だが進歩を望まず忌避しているように見える。人間関係や利害関係で忌避しているかも知れない。私の個人的に問題であれば、二十歳代の工事の時の出来事に大きな原因があるように思う。

 

 私を襲った不幸な出来事の原因を勝手に解釈したり、憶測が奇妙な価値観が偏見や迷信を生み出し、今も周囲を苦しめているようにも思える。

 学校の成績が悪いから、あのようなことになったのだ。

 出身が離島の小島だから、あのようなことになったのだ。忘れられない歴史があった。

 銃剣術が強くないから、あのようなことになったのだ。

 すべて違う。私の口を封じるために仕組んだのである。


 暗い気持ちで重い足を引きづるように去ろうとする時である。

 「胸を張れ」と背後から彼の声がした。言葉に反応し、おどけて胸を張ると、ふたたび背後から声がした。

 「張りすぎだ」と。


 翌日、私にとっては十分に衝撃的なニュースを目にした。

 数ヶ月前の情報漏洩事件の結果、六万台のパソコンを調達すると言う。関わることのできない遠い世界で動き始めたようである。一層の混乱を招くことになるのではと危惧を抱きながら、諦めの度合いを深めるしかなかった。


 彼との再会は気の重いことであった。自分の考えを伝える数少ない人物だと思った。忌まわしい過去の出来事に触れることも覚悟をしていた。あの出来事に話が及んだ時の私の心境は心が凍りついた。すべてのことを消し去ることができたらと願い続けても、出来る話ではない。


 Kの職場を去る直前の五年前の出来事を今でも思い出し、暗澹とした気持ちになる。

 例の女性宅で振られた腹いせに腹を切り、腹を切り死のうとした男である。あれから、すでに三十年ちかい歳月が過ぎようとしている。

 この出来事が起きる予兆は半年前から起きていた。

 急に私に対する彼の態度が刺々しくなったのである。

 理由は彼の口から直接、聞けない。

 ただ、出身派閥の争いに巻き込まれるなどまっぴら御面であると言うようなことを他の者と話していいる光景を目にしていた。

 その直後に彼の態度が豹変し、例の男の姿を近くで見掛けるようになったのである。

 奇妙な刺々しさは、その予兆だったと感じた。

 彼が女性宅で腹を切る直前に同棲していた女と別れる直前に彼女が自己あるいは他人に危害を加えることを防ぐために包丁を隠したと大声で叫んでいるのを耳にしていた。

 このような言動が切腹事案を招いたのではないかと思ったのである。

 彼の姿を身近に目にした時、奇妙な符号を感じた。心理的な連鎖を感じた。彼は保身を図るために私との距離を取り始めたのである。


 その男が事務所に駆け込んで来のはKの勤務地を離れる直前のことであった。

 その時の彼の眼つきは普通ではなかった。

 血走っていると言う言葉がふさわしい。

 彼は見るなりいきなり暴言を吐いた。

 「昔のことは言わないけど」と。

 彼の言葉が聞こえないふりをしながら、書くことを強く決意した。

 台所の包丁で腹を切った男と、彼を過激な行動に走らせる重要な要素になったと思っていた男が、異常に高ぶり会話を交わしている。僕は冷め切った視線で二人を見ていた。僕は自分が去った後の職場の様子に思いを馳せていた。彼は巧みに腹を切った男を取り込んでいたのであろう。救急車で運ばれた彼が数年後に退院するまでは、この男の存在を直に知らなかったはずである。もちろん自らが捨てようと女性が凶行に及ぶのを防ぐために台所の包丁を隠したと具体的な行動まで叫ぶ言葉を知っていたかも疑わしい。

 どちらにしろ腹を切った男はオベッカを使い、扇情的な言動を繰り返すことで、彼の腹切り事件を招く原因に造ったと信じていた二人の男を冷めた目で見ていた。

 同時に、僕の人生を背景になった事情を理解した。

二人の異様に興奮する姿を見ながら、周囲の言葉とおり、これまで推測だ起こり得ない出来事だと封じ込められてきた思いを、見直していた。

 良好な人間関係が存続するために互いにかばい会わねばならない狭い社会の中では起こり得る出来事にちがいない。自己の利益のために外に漏らしてはならない隠匿すべき出来事でもあったのであろう。

 だが集団暴行や破廉恥な事件は世間を賑わしている。

 自分の身辺で起きたにすぎない。

 偽善や人間社会の道徳をすべて脱ぎ捨てて裸になり動物としての自己の欲望や心象を認めた時、猥雑な欲望に襲われたことがある。

 推測だ憶測だと押し潰されたことが、自己の人生を歪め、意図しない方向に進む大きな動機になっていたとしか言いようがない。

 自分の人生に起きた出来事が真実であったと、今でも断言はできない。

 だが人間社会で起き得る事件であり、人間社会の真理にちがいないと感じた。

 思えば、思春期から四十年近くも経過した。

 先述したとおりひどい閉塞感と厭世感、無力感に襲われた。一人前の大人なりかかる思春期と言う時期である。自己の生きる目的を知りたいと思った。正確には生きる意味を造りたかったと言うべきであろう。父親のような無意味な人生を送りたくないという思いから到達した世界かも知れない。

 人口問題、環境問題、エネルギー問題、食糧問題の怯えていた。これは小さな島から家族ごと逃避して来たせいで考え始めたことであろう。極貧生活と抱え込んだ問題に絶望的な心情になった。この絶望的な運命と闘うことも自己の人生の目標に位置づけようとした。

 遺伝など先天的に決められた罪業などの存在とも格闘してみようと思った。

 だが結局、生き延びるためにも現在の職業を選択するしかなかった。結果は絶望的にミスマッチであった。

 組織を引きづり込もうとか思うのは気違い沙汰である。どのような政治家でも出来ないことであろう。奇人変人であり、この世で生きるためには場違いな存在であった。

 結局、すべてに敗北した。

 だが他の道を選択し、潜り込んでも、どれもミスマッチな選択だったに終わったに違いないとも思う。

 いかなる立場の人間にも自己の夢の実現に人生を賭けるなどと言うことは出来ない世の中である。そんなことは四十年前の自分にも分かっていることだった。だが、それを捨て去ることができず、今日まで生きてきた。

 定年後の再就職を控え、新たな仕事を探さねばならない状況になった時、就職は出来まいと思う。




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