第11話火葬まで

 言葉には不思議な魔力が秘められている言われている。

 それは古い昔から言われていることである。それは真実であろう。

 父を評して他人が言う、昔の人という言葉が、それに類する言葉だった。

 単に昔流の生き方しか出来ず、時代に取り残されてしまったと意味の言葉だったかも知れない。

 だが僕は違う取り方をした。

 この言葉の意味を、とうに昔に死んでしまった人と言う意味に解釈した。


 腰痛に苦しんでいた父は僕が十歳の頃に糖尿病を患い、次はアルコールで肝臓を壊し、最後にはアルコール中毒にまで身を持ち崩した。

 周囲の者が社会復帰を望み、退院をさせても、仕事もなく、酒を飲み再入院する。その繰り返しだった。

 あきらめて病院に放置をしておくしかなくなった。病院では身体の調子が良い時は、手伝いをしていたという。彼にとっては、そこが安住の地だったようである。

 自分にとっては父は縁のない存在だと思いたいと思った。彼のことを意識すると、ひどいコンプレックスに陥り、勇気を挫かれるのである。だが親戚は違った。ことあるごとに自分の父は彼であり、自分は彼の息子であると言う位置づけを押しつけようとした。自分自身は彼との関係をすべて拒絶したいと願った。だが近い世間は、そうではなかった。

 息子だから彼のことを気に病むべきであると。そして息子が第一に気に止むべきであると。特に近い親戚は、そう願ったようである。

 面倒ごとを無理にでも狭い家族の中に押し込めたかったかも知れない。

自分自身、 近づきたくないという態度を露骨に出した。このような態度を母は嫌った。父の親戚に対する遠慮から、何度も改めるように忠告もされた。

 このようなことで三十年の長い近い年月が過ぎていた。

 存在を思い出すと、勇気を失った。

 病院に引き籠もっている間、父は何を考え、何を感じて生きていたのだろうか。

 一年に一回、友人や親戚に年賀状を出すことだけは続けていたと言う。

 

 その父が危ないという。  

とうとう来るべき時が来たと、内心、密かな安堵感を味わった。

 もっと早く、この時期が来てもよかったと不謹慎なことさえ思った。

 自分の父の早死にを願うなど抱いてはならない感情だと非難されることも承知しているが、仕様がない事実だ。

 

 医者は父が末期の肺ガンで余命は一ヶ月もないだろうと告げた。会うには最後の機会だというので、急ぎ帰った。

 皮膚の肉は付かず、ミイラのようになっていた。

 骨も縮んだせいか、随分、身体全体が小さくなっていた。皮膚は黒ずみ骨の形まで透けて見えた。まるでミイラを連想した。酸素マスクをしており、苦しそうに呼吸を繰り返していた。死ぬ間際の人だった。幼い息子は恐れて近づこうとせず、必死に私の首にしがみついた。


 死期が間近であることは、誰の目にでも明らかだった。

 父の葬儀のことが家族内で問題になった。

 密葬も考えるべきだと言うと、世間体が悪いと母が嫌がった。

 もちろん母は派手に葬儀を望むものでない。父を葬る棺桶、あの世に送る飾り付けも最低の葬式でもいいと言うのである。でも、僕の本心は父の存在を世間に思い出させたくないのである。静かに忘れられたままにで送り出したかったのである。

 三十年近くも病院で体を預け、社会への貢献や奉仕などと縁のない生き方をした男であると内心で思った。親類縁者の中にも「まだ生きていたのか」と思った者もいたのでなかろうか。


 最後に面会をしてから、一月半ほどの間、三日置に電話をした。

 父の様態を心配してのことではない。

 いつその日が来るのか、関心があるだけである。

 すでに、自分の心の中では彼は死んでいるはずだった。そう思い込むことで三十年間、僕は彼の呪縛から逃れようとしていたのである。それでも完全には彼の存在ががもたらすコンプレックスから僕が逃れることが出来た訳ではない。

 内心では、もっと彼が遠い存在になることを願い続けていた。

 正直に言うと僕は父の死を願っていたのである。

 「死ぬを待っているようで、気味が悪いから電話をするな。その時には連絡をする」と母は言った。

 母は僕の内心を見抜いた。

 彼が死んだのは、それから三日後のことであった。

 整然と葬式をし、火葬に付した。

 葬儀の間、僕は涙ぐむこともなかった。

 むしろ肩の荷が下りたと思った。

少し心に空洞が出来た感じがしないでもない。なにしろ憎む対象がなくなったのだから。

 

 妻は僕の父に対する感情を気付いていた。 「あなたに父が何をしたと言うの。暴力を振るった訳ではないでしょう」と聞いた。別に責めるのでもなく、父を大事にしなさいとか説教するのでなく、ただ一度だけ言ったことがある。

 世間には子供を殺す父親もいる。子供に暴力をふるう父親もいる。このことを僕も承知している。

 「父は僕の心の重荷であった。他人と対等になれなかった。勇気を砕き続けた。彼の代わりになる父親探しを続けていた」

 母が父と離婚をしなかった理由は何だったのだろうか。離婚をすることがみっともないと考えたのだろうか。あるいは父方の兄弟のことを考えた結果だったろうか。離婚をしたら夫婦は赤の他人になれるが、父の兄弟が負担をすることになる。父の兄弟は、そのことを嫌っていたのであろうか。

 

 すべてが終わった後、耳鳴りが感じた。

 海なりの音である。

 父が健康で、僕が十歳まで過ごした村の音である。

 特に風の強い日は、大きな海なりの音が風に紛れて聞こえた。小学校に入る頃には電気の灯りが始めて村に灯るようになると電線のもの悲しい、うなり声とともに低く単調で耳障りな海なりに音が村に響いた。


 自分は、これから父の記憶を掘り起こすことがあるだろうか。

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