『横浜元町コレクターズ・カフェ』特別書き下ろし短編  柳瀬みちる

KADOKAWA文芸

 "Supper" 

大崎おおさきさあ、最近付き合い悪くね?」

 サークルの友人でもある梅屋の言葉に、結人ゆいとは少しドキッとした。

「別にそんなことないと思うけど」

「ひょっとして、今日も”まりさん”に会いに行くとか? そんな可愛い彼女なら、オレにも紹介しちゃえよぉ~」

「……あーごめん梅屋うめや! 今日はちょっと急いでるから!」

 結人は鞄を前に抱え、全速力で走り出す。「ずるいぞ大崎ぃ!」と追いすがる梅屋だったが、幸いなことに50メートルほどで諦めてくれた。

 ”まりさん”とは、《ブラックバード》の常連・マリイのことだ。

 綺麗なものや可愛いものを愛するマリイは、きっと精神的には「乙女」という分類で正しいのだろう。だが生物学的にはあくまでも男性だし、梅屋の言うような関係ではない。断じて違う。

 と、少し前にもそう説明したのだが、どういうわけか、梅屋は未だに誤解を続けているらしい。

(いつまでもこんな状態が続くのは面倒だし、いっそ二人を対面させてみるべきか?)

 しかし。仮にマリイと会わせてみたところで、それはそれで変な勘違いをしそうなのが梅屋という男である。結人は、それをよくわかっていた。

(それに、やっぱり《ブラックバード》のことは知られたくない)

 ――横浜・元町商店街の外れに存在する、小さな喫茶店 《ブラックバード》。

 かつてレストランだったその場所は、今やコレクターたちの集う不思議な空間と化していた。彼らは紅茶やケーキをお供にして、切手だのテディベアだの鉄道模型だのといった様々なコレクション品の話に花を咲かせる。

 結人もまた、常連の一人だ。もはや《ブラックバード》は心のオアシスであり、かけがえのない店ともいえた。

 今日は何の絵本を読もう。どんな美味しいケーキと出会えるだろう。それを想像するだけで、自然と笑顔になってしまうのだから。


 だが《ブラックバード》に関しては、実はひとつだけ不満があった。

 お馴染みのメニューを開き、”季節のケーキ”に目を走らせながら、結人はわずかに嘆息する。

(これで軽食さえあれば、本当に完璧なんだけどな)

 きちんと昼食をとってはいても、夕方にもなると腹が空く。二十歳の健康な男子としては、当たり前のことだ。先ほどから結人の腹部も、ぐうう……と悲鳴をあげていた。

(ケーキやお菓子ばっかりじゃなくて、たまにはパスタみたいなしょっぱいものが食べたい……)

 もちろん、ここに来る前にファストフードなどで腹を満たしてきてもいい。しかし、なぜだか結人は、それを裏切りのように感じてしまうのだ。結人の愛する《ブラックバード》と、そして――

「結人さん、本日は何になさいますか?」

 笑顔でそう問いかけてくれる、店長にして唯一の店員、佳野よしのに対しても。

「……あ、えっと、」

 メニューを行ったり来たりしながら、結人は言葉を探す。

「あの、佳野さん。一度聞いてみたかったんですけど、この店って一切軽食っぽいものがないですよね」

 その理由を、結人はよく知っている。だがあえて口には出さず、話を次へ進めることにした。

「だけど、お客さんから、『腹にたまるものを食べたい』とか『しょっぱいものが欲しい』っていう要望は出てこないんですか?」

「軽食のご要望ですか。もちろんございますよ」

 少々お待ち下さいと言い置いて、佳野がカウンターへ戻っていく。そこで何やら作業をした後、1枚の皿を掲げてみせた。

「軽食をご希望のお客様には、こちらをお出しいたします」

 その皿に載っていたのは――

「スコーンと醤油しょうゆ!?」

「冗談です」

 笑って、佳野はすぐさま皿を下げる。

「本当は、こちらをお出しています」

 今度はレジ袋を掲げてみせた。その特徴的な赤い色は、全国展開している有名ベーカリーのものだ。結人もよく知っている。

「ああ、ポンパドウルのパンは美味しいですもんね。元町には本店もありますし、これならお客さんもきっと満足……って、いや、えっ?」

「結人さんもいかがですか。これは私の夕食にするつもりでしたが、ひとつでよろしければ分けてさしあげますよ」

「いやいや、冗談ですよね? だってまさか、そんな、買ってきたパンをそのまま出す、とか……」

 驚きのあまり、しどろもどろになる結人に対して、

「もちろん冗談ですが」

 そう言って、佳野が微かに眉を寄せた。

「結人さんは……私が本気でそのような事をする人間だとお思いなのですね……」

 みるみるうちに、麗しい顔が曇っていく。慌てて、結人は首を振った。

「あ、いや、違っ……そういうわけじゃなくて! というか僕は、」

「――冗談です」

 にこりと微笑んだ佳野だが、直後、急に声のトーンが暗くなる。

「しかし軽食の件につきましては、本当にご要望が多いのですよ。私としても、どなたか調理の出来る方にいらしてほしいとは思っているのですが」

「そこで僕のほうを見るの、やめません?」

 これ以上、この話を続けるのは危険だ。結人は、さりげなくメニューへ視線を戻した。

(まあ、いいか。大好きな絵本を読みながら美味しいケーキが食べられるってだけでも、じゅうぶん幸せだもんな)

 あまり多くを望んでは、きっと罰が当たってしまう。

「それじゃあ、今日は”季節のケーキ”とチャイミルクティをお願いします!」

「かしこまりました」

 佳野の声にかぶさるようにして、コツコツコツ、と階段を駆け下りるヒールの音が聞こえてきた。恐らくマリイがやってきたのだろう。それに続いてもうひとつ足音がするのは、マリイの連れなのか、はたまた――。

「本日もまた、大勢のお客様にご来店頂けそうですね」

 佳野は嬉しそうに微笑んで、手早くお湯を沸かし始めた。

 

 ドアベルが歌い、扉が開く。

「いらっしゃいませ。ようこそ《ブラックバード》へ」

 そんな佳野の声とともに、長くて短い夜が始まろうとしていた。

                                  (終)

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