第38話 RED ROOT 再び
――別に、夏公が終わってから赤根と会う機会がなくなって寂しくなったワケじゃないんだからねっ!
残暑の日差しにやられて、馬鹿なことを考えつつも、俺は再び喫茶店レッドルートへの道のりを歩いていた。ツンデレキャラみたいな台詞を考えてしまったが、なるほど俺に台本を書く力はないのだろう。こんな捻りのない面白くもないフレーズしか浮かばないのだから。
ところで、弁明させてもらうが俺は誓って、上述の台詞が示すように寂しいなんざ思っちゃいない。ただ夏公演のお礼を、レッドルートの店長である赤根のお父さんに言わねばならぬと思っただけである。ましてや、もう夏休みもあと数日しかないけれど、赤根のやつは宿題に追われていないだろうかなんて心配はしていない。
そうこうしているうちに目的地へとたどり着いた。入り口の前に向かい……三秒ほど立ち止まり、流れるようにすぐ横の人気のない細い道へと入って行った。気づいた。何もお礼を言うのに直接会う必要はないのではないかと。
携帯を取り出して、お礼の仕方について調べてみる。ここは細い道で全体に影が落ちているため、日差しに画面が見づらいということもなかった。「お礼」とまで検索スペースに書き込んだところ、予想変換に「お礼状」なる文字が出てくる。選択。なるほど、手紙か。それが普通だろう。そもそも営業中に「お礼を言いに来ました」なんて輩が現れても迷惑なだけだ。少し考えればわかることだな。よし、帰ろう。
「あれ、もしかして相田君?」
携帯の画面に落としていた目線を上げると、どこかで見たような女子がいた。たぶん同い年ぐらいか。
「ひょっとして私のことわかってなさげ? ほら、家庭科部の吉田だよ。この間の公演で顔合わせたよね? こんなところで何してるの?」
「えーと……吉田さん、の方こそ何してるの?」
「その自信なさげに名前呼ぶの止めてもらえないかなぁ。私ね、この店でバイト始めたんだー。この間のことがきっかけで」
自称家庭科部の吉田さんは、小道の数メートル奥にあるレッドルートの裏口と思しい扉を指さした。そうか、バイトなどの従業員はあそこから入るのか。なるほどなるほど。困ったな。
* * *
そのおよそ十五分後。既に昼のピークは過ぎてそこそこ空いているレッドルートの席についた俺のところに、注文の品を携えて赤根の奴がやって来た。ちょっと待って欲しい。俺が注文したのはコーヒー一杯だけなのに、その手にはもう一杯のコーヒーと二個のショートケーキがある。
ああそうか別のテーブルの注文の品だろうと、俺が納得するやいなや彼女は全ての品を置くと、俺の向かいの席に腰かけた。
「説明を求める」
テーブルの上に置かれた品々を指しながら尋ねると、こともなげに「ショートケーキは父からのサービス。そんで私は休憩」という返事が来た。
「なぜここで?」
「なりゆき」
「なるほどわからん」
「な。が台詞頭に三連続。私なら台本はこんな風に書かないかなぁ」
「な、な……なんだそりゃー?」
「別に『な』で縛らなくていいよ」
と赤根はクツクツと笑った。予想外にウケて逆に恥ずかしくなる。何と返したものか迷い頬を掻いていると「とりあえず、夏公お疲れさま」と声をかけられた。
その言葉に「お疲れ」と返す。その後しばらく互いにケーキを黙々と食べる時間が続いた。ふいに、赤根が口を開く。
「先輩たち、もう引退しちゃったんだね」
「……そうだな」
やれ
挨拶は沙織先輩からだった。
「私は長々と喋ると芝居がかった物言いになっちゃうだろうから、手短に」という前置きで始まった挨拶は、実際に最短のものとなった。続けて何かを言いかけたその瞬間、言葉に詰まり、何も語ることができないほどに泣き始めてしまったのだ。
結局、皆泣き始めてしまい。引退式はひどい有り様で進んでいった。芦原のやつまで泣いていたのだから、絶対に全員泣いていた。
「ケーキを食べてるときの話題じゃなかったね」と赤根は小さく呟いた。
「どんなときならその話題が合うんだよ?」
俺としては、合うタイミングなんてないからいつ話題にしたっていいだろ? という思いでそう言ったのだが……、
「んー、梅干し食べてるときとか?」
「なんでさ」
「じゃあ、ゴーヤを食べてるときとか」
「まず食いもんから離れろって」
赤根は唇を尖らせる。いや、おかしいのは俺じゃなくね?
「ならコーヒー」
「飲み物も変わらないから。つうか今まさに飲んでるだろ、コーヒーは」
「つまり話してもいい事柄だったということになるねー」
そう言って赤根はコーヒーをコクコク飲み始める。俺と同じ結論に辿り着いたと言えなくもないが……。まったく。つまらない回り道に思わず頬が緩んでしまう。
「頑張ってね、部長さん」
一息ついたところで、赤根はそう言った。
「……おう」
俺が次期部長――いやもう現部長か――になることは、その引退式の際に全体に告知された。もっと反対意見なりが出るかと思っていたが、あっさり受け入れられたのは意外だった。
「ただし頑張り過ぎて潰れないようにねー」
「大丈夫だよ。今回ので、周りに頼ることもちゃんと覚えた」
「うん、それでいいよ。次は文化祭公演になるけど、私も頑張るし」
「あ、そうだ。その文化祭の台本も任せていいのか?」
沙織先輩が引退した以上、ウチの部で台本を書けるのは赤根だけとなる。既存の作品を使うという選択肢もあるだろうが、やはりオリジナルの話をしたいという思いはあった。
「少なくとも、書くつもりではいるよ。採用されるかどうかは分からないけどさ。文化祭向けの台本はちょっと苦手意識がなくもなくて」
「公演ごとに何か変えて書いてるのか?」
「一応。上手く台本に反映させられてる自信はないんだけど、台詞の雰囲気をね。今までの公演は教室が会場だったから、台詞はずっと日常の話し言葉に近い感じで書いてたの。狭くて観客のすぐ近くなのに大仰な言葉回しはおかしいかなって。……でも文化祭は体育館でやるから、もっとそれっぽい台詞書かなきゃかなぁ、とか」
そんなこと気にしたこともなかった。先ほどテンプレ台詞しか浮かばなかった俺とはえらい違いである。
「というか、文化祭は体育館なのか」
「うん。教室とか講義室は、各クラスの出し物以外でも部活動の企画でとか一杯になるから、ウチにはできれば体育館でやって欲しいらしいよ」
体育館での劇を想像してみる。単純な話として、体育館は当然教室よりも大きい。となれば今まで以上にしっかり発声できなければならない。
「文化祭が十一月中旬だろ? 九月中には台本稽古を始めたいとしても、何週間かは基礎練――特に発声の練習期間にしたいかなぁ。ちょうど下旬に
などとぶつぶつと練習の計画を立て始めた俺を見て、赤根はクスクスと笑う。
「もうすっかり部長さんって感じだねー」
「……そりゃあ、正直プレッシャーだってあるしさ」
「うんうん。そうやって弱音を吐けてるうちは大丈夫。あと……台本の件、だけどさ。ある程度当て書きをしようと思ってて……それと問題がなければそのまま演出もできたらいいかなー、みたいな?」
まじまじと赤根の顔を見てしまう。役者に合わせて台本を書く沙織先輩とは違い、たしか赤根は当て書きをしない派であると新人公演のときに聞いていた。加えて自分の台本のときに演出をするのも好まないと聞いた気がする。
赤根は少し頬を赤くしながらそっぽを向いている。
「そりゃ、そうしたいなら現時点で否定はしないし、むしろそうしてくれたらありがたいけど……大丈夫なのか?」
「だってさ……ずっと……」
その後の言葉はモゴモゴとして、何と言っているのか聞き取れなかった。
「え? なんだって?」
「だから、その…………約束」
より一層顔を赤くする赤根に「約束?」とオウム返しに問いかける。
「したでしょ。約束。屋上で。誠くんが入部する前に。でもまだ、果たせてない、から」
屋上でした約束? ――あ、思い出した。あれはそう、俺を役者として当てにして台本を書くとかなんとかだった。しかし新人公演は沙織先輩が脚本を務めて、今回の夏公じゃ俺は舞台に立たなかった。そのため、俺は未だ赤根の台本で演技をしたことがない。たしかに互いに約束を果たしていない状態であるのかもしれない……が。いやいや、たしかにそんなこと言ってたけど、もうそれ若気の至りってことでいいんじゃない? 別にそこまで真っ赤になりながら宣言しなくても、引退するまでにそういう機会ぐらいあるっしょ。
――と、本音を言えば、ここまで考えたことをよほど早口で声に出してしまいたかったが。……かっこ悪いよなぁ、それ。
「ああ、あれか。そうだな頑張ろう。お互いに」
努めて平静に、なんでもないことのように返して、もう残り少ないコーヒーを口に含む。騒ぐまでもなく信じているのだと、少しでも表現したかったのだが……。
「カップを持つ手が震えてる。緊張してるでしょ」
「……そりゃあ、あんな風に『約束』だなんて言われたら、照れるし緊張もするだろ」
「照れ――!?」
赤根の表情が変わる。顔が赤いのは変わらないのだが、先ほどまでは俯きがちの恥ずかしさからくる赤さのように見えたが、今は目を左右に泳がしてそれこそ照れからくる赤さに見える。段々と、今度はこっちが恥ずかしくなってくる。
なるほど、恥ずかしさと照れの感情はこんなにも違うのか。恥ずかしいは少しネガティブで、照れるはちょっとポジティブ。勉強になりました。是非今後の舞台で活かしていきたい。じゃないとこの恥ずかしさの元が取れん。
「あのーもしもーし。君たちーそんなに顔を真っ赤にしてるとまるで告白してるみたいだぞー。店長もめっちゃ見てるしー」
「よ、よっしー!?」
バイトの吉田さんがテーブルの横で腰を下ろしてそう呟いた。俺と赤根は吉田さんの目線に釣られ、カウンターの方を古びたゼンマイ仕掛けの人形のようにギギギと向く。店長さんはキュッキュッキュッ! と異様に音を立ててグラスを拭いていた。
「わ、私そろそろ仕事に戻らないとー!」
「お、おう。忙しい時にわざわざごめんな。じゃあ俺は帰るから、今後ともよろしく。同じ演劇部として!」
「うん! 演劇部の仲間として! よろしく!」
俺がどうこうする間もなく、赤根はテーブルの上を流石の手際の良さで片づけて去って行った。
「演劇部の仲という話だったが……」
会計の折、店長さんもとい赤根父に話しかけられた。その声は渋く、次にどんな言葉が飛び出してくるのか、少し怖い。
「あ、えと、はい……」
「同級生として、ぜひ今後とも勉強も見てやっては貰えないかね?」
――ん?
「僕なんかでよければ、もちろん」
「謙遜することはない。君のことは絵美からよく聞いている。ああもちろん、今日のお代はいらないよ」
「え、いや、そういうわけにも――」
そもそも夏公のときの礼のために来たのだし、これではまるで交換条件のようでなんか嫌だ。そこで俺は――
* * *
最後に再びお礼を言って、俺はレッドルートを後にした。
ようやく少し傾き始めた日差しのもと、帰路に着く。
「正直パニクってたな、俺」
お金を払うときに言ってしまった台詞を思い出す。
――俺も男ですから、女の子相手には奢らせてください!
俺はそう言って、コーヒー二杯とケーキ二個の代金をしっかり耳を揃えて支払っていた。
あぁヤダ。恥ずかしい。というかなんで店長も「それじゃあ仕方ないな」なんてサムズアップしちゃうんだよ。それってそういう……。いや、一旦このことは保留にしようそうしよう。
一つ深呼吸をして空を見上げる。
すっかり空を見る癖がついてしまった。大きな雲も見当たらず、僅かに存在する雲は薄っすらと
きっと今日の夕焼けは、とても綺麗なものになるだろう。
第三章 夏公演編
―― 完 ――
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