第32話 オーディションと演出 with 胃痛
合宿二日目の午前。
昨日の楽しげな空気は一転し、今日の空気はピンと張り詰めていた。夏公演の配役を決めるためのオーディションが開かれるためである。なんでも合宿二日目に夏公演のオーディションを行うのは、毎年恒例のことらしい。
普段は全体で一緒になって行う発声練習も、今日は各自ウォーミングアップとして行うことになっており、あちこちから「んーマ~~、んーマ~~」というハミングの音や「あ! え! い! う! え! お! あ! お!」という腹式呼吸を意識した発声練習、あるいは台本の台詞を読み上げる声なんかが聴こえてくる。
「なんか、見てるこっちが緊張してきます」
と横で羽里ちゃんが呟いた。今回の公演で最初から完全な裏方に回るメンバー――俺、芦原、草加部さん、羽里ちゃん、そして和花先輩――はこのオーディションには参加しないこととなっている。ちなみに宮子ちゃんはというと、本人の希望でオーディションに参加することとなっていた。
「そっか。新人公演は当て書きだったから、オーディションは今年初めてか」
今度の呟きは芦原によるもの。そして「部長からも聞いてるだろうけど、一応な」と前置きしながらも、オーディションの流れを説明してくれた。
ウチの部でのオーディションは、まず一人一人に、希望する役と演技を観て欲しいシーンを選んでもらうことになっている。例えば、オーディションで俺に順番が回ってきたとしたら「希望するのはA助で、雪山で遭難するシーンを見てもらいたいです」と答え、そのシーンを演じることとなる。
ここで肝となるのが、役者がオーディションで演じるシーンを選ぶことだ。選び方としては、単純に自分の好きなシーンを選ぶという方法と、そのキャラクターにとって重要な場面を選ぶという方法がある。前者の方がよい演技をすることができる可能性は高いし、後者なら重要と思った場面が役者と演出で一致すれば「その役を理解してますよ」という大きなアピールとなる。
これを全ての役者に対して行うのが、オーディションの前半。
ついで後半では、前半を参考に今度は演出主導で、観たいシーンと演じる役者を指名していく。つまり演出は「B郎が海で溺れるシーンをやって貰おうと思っていて、B郎に□□君、C子に○○さんが入ってみて」というような指示をしていくことになる。
これを演出が納得いくまで続け、ようやく配役が決まっていくことになる。役者からしても、後半の配役の感じで誰がどの役か大体察していくのだとか。
この配役の決定は、学校によっては部員全体での多数決によって決まるところもあるというが、この部では完全に演出の鶴の一声で決まる。……つまり俺の責任は重大ということで、胃が痛くなる。
ところでもちろん夏公演の台本にはA助もB郎も、雪山も海も出てこない。あくまで説明のための例である。念のため。
「誠君、そろそろウォーミングアップも終わりでいいじゃないかな?」
緊張でシクシク痛むお腹を押さえていると、沙織部長に声をかけられた。
「そうですね……。それじゃあ、集合でお願いします……」
「もっと大きな声で!」
「……しゅうご――」
「もっと!」
「シューゴォォォォオオ!!」
と破れかぶれで号令を出し、遂にオーディションが始まった。微かに聴こえた「演出が一番緊張してるからやりやすい」という発言は一体誰のものなのか……。
* * *
オーディションと言っても、これまでの読みあわせの練習で、何となく「この役はこの人かな」という雰囲気は生じてくるものだ。
今回の台本は、役の重要度では四人のメインキャストとその他脇役に分けることができる。そのメインは男役二名、女役が二名。
以前芦原がこっそり教えてくれたところによると、俺が演出を務めることになった背景の一端には、その重要な女役に沙織部長と赤根の二人を当てはめたいという思惑が無きにしもあらず、なのだとか。演出と役者は、基本的に兼役しないことが望ましい。
たしかに、現時点では俺が抱く配役のイメージも、その二人が中心だ。そのヒロインとでも言うべき二役のうち一つは、幽霊となってしまう主人公の生前の彼女役――由香。もう一役は、幽霊となった主人公を唯一見ることのできる霊感の強い少女役――ほのか。
先輩の後ではやり辛いだろうという配慮から、一年生から順にオーディションを進めて行く。
俺からすれば共に配役を決める側に回って欲しかった宮子ちゃんは、赤根が有力候補の方の
次いで、二年生で一人だけオーディションに参加する、赤根の番が回ってきた。
「私は……由香役を希望します」
宮子ちゃんと赤根の一騎打ちを期待する空気が、その一言で打ち砕かれた。部屋のどこかから聞こえた「ふぅーん」という呟きは、たぶん沙織部長によるもの。赤根が希望したのは、皆の予想に反し、沙織部長が演じることになるだろうと目されていた役であったのだ。
……胃の痛みがズキズキと増してきた。
赤根の演技が終わり、今度は三年生の番となる。「誰からですか?」と問いかけると、真っ先に手を挙げたのは沙織部長。
部長は腕を組み、唇を人差し指でトントンと叩きながら、ゆっくりと舞台に見立てた空間へと足を運ぶ。
そして舞台中央で、俺の方へと向き直り、ケロリとした笑みを浮かべてこう言った。
「それじゃ、私は……ほのか役を希望しようかな?」
赤根と同じくと言うべきか、あるいは逆にと言うべきか。ともかくも、沙織部長が希望したのは、やはり予想に反した役だった。
……誰か、胃薬ください。
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