第6話 漸く流れ出す時間

 誰かに就寝時の挨拶をしたのはいつ依頼だろうか。


 俺が最低限高校を出て就職をしたのは親父の酒癖が悪化の一途を辿ったからだ。


 酒を飲んでは家族に罵声を浴びせかけ暴力を振るい、外では良い面をして自分の世間体だけが大切な親父だったが、酒の飲みすぎが祟り肝硬変でこの世を去っている。


 少し体が弱かった母は親父から受けるストレスと、元々親父の安月給では家計がまわらないので入れていたパートと家事の両立で過労で倒れ、そのままポックリ逝ってしまった。


 俺は母が倒れたと聞いた時は急いで病院に向かったが、既に母は帰らぬ人となっていた。


 親父は自分のせいで母が死んだと気落ちして体調を崩して痩せ細り、病院で検査を受けたら末期の肝硬変が発覚、そのまま後を追うように死んでしまった。


 最後には「すまない、すまない、すまなかった。」と、うわ言のように繰り返していた。


 悪人という程ではなく、我が強いため他人を省みることが少なかっただけなのだろうが、幼い頃から激昂すると暴力を振るわれていたので、悲しいという気持ちはなかったが、あんなに恐ろしかった親父でさえこんなに簡単に死ぬのか、と少し呆然とした。


 それからは保険金が入ったとはいえ、一生遊んで暮らせる程でもなく、少しだけ出来た余裕で爬虫類の飼育を再開しようかと考えたが、あまり気力が湧かなくてそのままにして、職場と家の往復をしたりと代わり映えの無い生活を五年近く続けていた。


 親しい友人も少なく、電話など殆どしないので、「おやすみ。」という言葉など恐らくほぼ五年ぶりであろうか、入院している親父に何度か言って以来だろう。


 そう考えるとふと小さい頃よく高熱を出して喘息の発作が出ていた俺を、暗くした部屋で寝かしつける母が、扉を少しだけ開いて心配そうに見ていた親父に、「扉から漏れる光で小太郎が眠れないでしょう。」と言ってばつが悪そうに親父が「おやすみ。」と返して離れていったのを思い出した。


 暴力や罵声によって蓋をされていた幼い頃の優しい記憶、親父もただ恐ろしいだけではなかったとようやく思い出した。


 小太郎の閉じた目から涙が伝った。

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