いざ旅立ち…?

『実験は終了した。我が弟子たちよ魔器を手に此処より旅立つが良い』



 壮絶な修行の日々は始まった時同様に突然に終わりを告げた。

 魔女が統べる暗き地より抜け出れる日がやって来ようとは思ってもみなかった弟子たちは開放感よりも困惑を感じていた。

 ともあれ魔女の指示は絶対であり、逆らうことはできない。そもそも魔女がその気になれば現在の弟子たちでさえ強制的に放逐してしまえるだろう。最悪処分される可能性を考えれば従っておくのが賢明だった。


 魔女の領地は常に暗い。気候も天候も常に変わらず、空は闇に覆われている。この地が世界のどこかに本当にあるのかは弟子達にも分からない。あの魔女ならば自分で世界を作り上げることぐらいやってのけそうだ、と皆が思っていた。

 

 別れも兼ねて弟子たちは野外の円卓に集った。弟子たちが対等であることを示すのがこの円卓だった。素質も出自もバラバラだが魔器の能力を加味すれば戦闘能力が同格になるよう弟子たちはされていた。

 そう。魔女によって鍛えられたのは主に戦闘能力だ。

 だからこそ弟子たちには魔女が彼らを何と戦わせようとしているのかわからなかった。倒したい相手がいるのなら自分で戦えば良いのだ。恐らくは弟子たちが一丸となって魔女に挑んたとしても勝ち目など万に1つもありはしない。



「一体、師は何をお考えなのか……?」



 〈完璧なる者〉サエンザが全員の気持ちを代弁して会の口火を切った。妖精の血を引いているとしか思えない美貌の青年であり、流れるような金髪が憎たらしいほど似合っている。二つ名通り全てにおいて非の打ち所がない。彼のみは魔女の薫陶を受ける前から英雄に相応しい実力を備えていた。その能力の高さ故に与えられた魔器の力はもっとも弱い。



「んなこた良いんだよ! 晴れて自由の身だ……成り上がる機会が訪れた! あの女の意向なんぞ考えたくもねぇ……」



 刈り上げた黒髪の好戦的な男……〈才ある者〉タトゥーリオが吠えた。後半になるほど勢いが落ちたのは傲岸な彼ですら魔女を恐れているが故だろう。



「これだから野蛮人は……。まぁこの陰気臭い地を離れられるのは良いことよ。それだけは疑いないわ」



 〈美しき者〉ラルバが自慢の赤い巻き毛を指で弄びながら関心なさげに呟いた。挑発的な言葉に立ちあがりかけたタトゥーリオを〈才なき者〉アルゴナが穏やかに押しとどめた。



「まぁまぁ皆。最後なんだから喧嘩は止そうよ。お師匠様が何を考えているのかは分からないけど悪いことだとも限らないじゃないか!」



 ふっくらとした体格のアルゴナは魔女の指導を得ても唯一人間としての範疇を超えないままだった。だが彼を侮る者は一人としていない。彼の人柄もあるがアルゴナの魔器は最も強力な効果を持つ。それを知る者ならばアルゴナを敵に回したいと考えたりはしない。……最もアルゴナが誰かを敵視するところを見た者もまたいないのだが。他の5人からすればあり得ないことに魔女すら善人だと思ってる節がアルゴナにはあった。



「こんな集まりしてる暇があるんならとっとと出ていくぜ俺は……」



 〈醜き者〉カナッサが呆れたように立ち上がった。容貌故に親からすら捨てられたこの小柄な男をコウカは嫌いではなかった。修行中幾度か助けられたこともある。



「カナッサもこう言っているし、出よう。別れを惜しむほど親しかったわけじゃないし……まぁ元気で」



 〈半端者〉コウカが締めくくる。サエンザが始め、コウカが終わらせる。決まりきった流れもこの日で終わる。恐らくはもう会うこともないだろうとコウカは考えていた。


 陰鬱な空の下で枯れた草原を歩く。コウカの髪は元は黒だったが過酷な修行に耐えかねたのか白髪となっていた。他の弟子達は皆故郷に帰り、思い思いに行きていくのだろうが自分は一体どうすべきなのか? コウカは決めかねていた。

 閉鎖的な故郷は強くなったコウカを受け入れはしないだろう。そもそもコウカのことを覚えているのかどうかすら怪しかった。


 おとぎ話のように外に出てみれば数百年が過ぎ去っていた…というような事態の方がまだ希望があるというものだ。そこまで考えてコウカははたとあることに思い至った。どれほどの歳月をこの地で過ごしたのだろうか? 昼夜の別が無い地であるため時間の感覚はとうにない。

 “門”へと向かいながらコウカはそんな考えても詮無いことを延々と考えていた。待っている者も誰ひとりとしていないというのに。


 “門”は枯れ草の只中に変わりなく建っていた。この門を潜れば別の地……元の世界に行くことができるのだ。修行で時折出された課題のために幾度か通ったことがあるものの、どういった仕組みなのか未だに理解できない。

 門の横にはサエンザが待っていた。他の4人は既に旅立ったあとのようだ。



「やぁコウカ! 遅かったじゃないか!」



 待ち合わせなどしていないコウカはサエンザを訝しげな目で見た。

 コウカはサエンザと対になる素質のものとして選ばれた。〈完璧なる者〉の対がどうして〈半端者〉なのか、〈無能者〉の間違いでは無いのかと幾度コウカが考えたことかをサエンザはまるで理解していない。

 対になる弟子達は基本的に仲が良かった。〈才ある者〉は〈才無き者〉を小馬鹿にしつつもよく連れ立っていた。〈美しき者〉は〈醜き者〉を気にかけていた。

 同様に〈完璧なる者〉サエンザも〈半端者〉コウカに親しみを覚えているようでよく話しかけてきた。だがコウカはサエンザが嫌いだった。二つ名通りに半端な人格を持ったコウカは半端に力を付けたが故にサエンザとの差が見えるようになってしまっていた。


 常に輝かしいサエンザを見るたびにコウカの心中に嫉妬と自己嫌悪が顔を見せる。 妬ましい、煩わしい、どうして俺はお前のようでないのだ。どうして俺はお前を素直に認められないのだ、どうしてこんなに狭量なのか。どうしてお前はこんな俺を友人だと思っているのか…ああ厭わしい、他ならぬ自分自身が情けない。それがコウカのサエンザに対する思いだった。



「待っていてくれと頼んだ覚えはない……」

「ああ!私が勝手に待っていたんだ、すまないなコウカ」



 なぜそんなに簡単に謝れるのだ。俺は貧農の出でお前は見かけどおりに一国の貴公子、何もかもが違いすぎるだろう。蔑むのが普通だ。

 コウカの胸中はサエンザとまみえる度に歪んでいった。そんなことなどお構いなしにサエンザは言葉を続ける。



「よかったら私の国に来ないか? 友人である君と共に国と民のために戦えたら……そう思うんだ。もちろん部下なんかではなく」



 なんと魅力的な誘いだろうか。立身出世を夢見るならばこれ以上の待遇は無いだろう。いずれ王となる輝かしき英雄の横で支える身分差を越えた友。後世語られるべき物語の一幕に相応しい光景だ。

 だからこそコウカに子供じみた反抗心が首をもたげた。ふざけるな!俺はお前の添え物ではない!そう主張していた。

 だが口には出せない。臆病と微かに残った良識に後押しされて、気が付けば内心とは違う言葉をコウカは口にしていた。


「いや……いい……故郷に帰るんだ」

「そうか……気が変わったらいつでも訪ねてきてくれ! 我が家の門は君にいつでも開いていることを覚えていてくれると嬉しい! ナルレ家のサエンザは君の友達だ」


 コウカは凛々しい声を背に逃げるように門を潜った。望んでもいない故郷へと。



 結果を言えば“門”はコウカの願いを叶えてくれた。たどり着いた場所は疑いなくコウカが過ごした村だった。



「ああそういえば……空って青だったな」



 魔女の地とは違う清冽な空気を思いっきり吸い込む。それだけで先程までのサエンザとのやり取りで溜まった胸中の澱が溶けていくようだった。

 気分が良いのはそこまでだった。村の様子がおかしいことにコウカは気付いた。

 人がいない。畑には草が生い茂り、農耕が行われているようにも見えない。家々は痛み、廃屋同然……というよりは廃屋そのものだった。疫病か飢饉かはたまた賊にでも襲われたか理由は不明だが故郷の村は廃村となっているようだ。


 元々いい思い出があったわけでもない。ざまを見ろという思いすらある。一しきり笑ったり嘆いたりを一人で楽しんだあとにコウカは重大な事実に気付いた。

 


「ひょっとして……この国でマトモな仕事に就けないんじゃ……」



 村の様子から見て10年程は経過しているだろう。消息を絶ったコウカは人別帳から削除あるいは死亡と記されているに違いない。

 かつて噂に聞いた冒険者組合だとか傭兵ギルドもそうした者を受け入れることは無い。そういった組織はある程度実績を積んだ者同士の集いであり看板を背負わせる以上は素性が胡乱な人間はお呼びでは無いのだ。小作人になるのも難しい、農奴になるのは流石に嫌だ。

 今からサエンザの国を訪れるにしても道中は何かと物入りだ。魔女の地に貨幣など当然無かったので無一文である。


「とりあえず……街にでも向かってみるか……」


 道程は何とかなる。道に従っていけばいいし、食料は獲ればいい。魔女は課題を達成するまでの過程に対する配慮など無かったので、野で生きる技能は弟子全員が身につけざるを得なかった。ラルバなどは絶対にやらなかったが魔物の肉すら食らった経験もあるのだ。

 自分を励ましながら、それでもトボトボとコウカは歩き出した。

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