The beautiful beast

雨乃時雨

The beautiful beast(前)

 昔むかし、とあるところにとても綺麗で、とてもとても心優しい女性が居ました。彼女は小さな村に住んでいて、とても幸せな毎日を送っていました。

 ある日のことです。その日は村一番長生きなおじいさんの為に井戸から水を汲んで、その人の家まで運んでいました。

「いつもありがとね、助かってるよ」

「いえいえ、困った時はお互い様です。私が両親を亡くした時、おじいさんはとても優しくしてくださったでしょう? そのお返しですよ」

「そうかいそうかい」

 おじいさんは嬉しそうに何度も頷いて、ふと窓の外を見ます。

「もうそろそろ日も暮れてきたねぇ。早く帰りなさい」

 彼女も窓の外を見ると、赤橙の夕日が村を優しく照らしています。娘は桶いっぱいに入った水を水瓶に移してから、分かりましたと返事をしました。

 暮れゆく日の中、踏み固められた土の道を歩いて帰ります。彼女が家に着くとそこには杖を持った見知らぬおばあさんが立っていました。

「あなたは誰ですか? どうして私の家に?」

 彼女は問いました。するとおばあさんは、小さな目をギラリと彼女の方へ向けて言います。

「私は暇潰しをしにきたんだ」

「暇潰し?」

 彼女は思わず首をひねりました。

「ああ、暇潰しさ。お前はとても美人で、とても親切だと聞く。人間は優しくないのにお前はどうして人間に対して優しくする?」

「そんなことはないわ、人は皆優しいもの。悪事を働く人も皆、心のどこかに優しさを持っているのよ。今は何らかの原因があって、その優しさが隠れてしまっているだけで、人は皆優しいのよ」

「本当に?」

 確かめるようなおばあさんの言葉に彼女はゆっくりと頷きます。

「じゃあ、賭けをしよう」

「賭け?」

 彼女は生まれてから一度も賭け事をしたことがありません。

「そう、賭けだ。お前の姿を醜く……そうだな、獣の姿に変えてやろう。そして魔法の力を与えよう。ただし、その魔法の力を自分の欲望のために使ってはいけないよ。他人のために使いなさい。でも、きっとお前は次第に冷たい態度になっていく人を見て、自分のために魔法を使いたくなっていくだろう」

 おばあさんは杖で床を軽く叩きます。コンという音が鳴りました。

「お前が死ぬまで一度も自分の欲望のために魔法を使わなかったらお前の勝ちだ。逆に使ってしまったら、お前の負け」

「負けたらどうなるの?」

「お前の一番大事なものを奪ってやろう。逆にお前が勝ったら……、そうだな。お前にとって大事なものを今後ずっと守っていくと誓おう」

 もう一度、おばあさんは杖で床を叩きました。先程よりは大きな音が、家に響きます。

「分かったわ。その賭けに乗りましょう。魔法の力でもっと皆の役に立てるのでしょう?」

「あぁ、魔法の力を使えば今以上に村の人間の役に立てるだろうな。でも、お前が獣になったら奴らは今まで通りの優しさでお前に接しなくなるだろう。それでもいいんだな?」

 彼女は頷きます。

「私は人間の優しさが、見た目によって変わらないと信じてるわ」

 じゃあ、とおばあさんが言って、思いっきり杖で床を叩きました。雷が落ちたと思うほど大きな音が家に鳴り響きます。

 その音が鳴りやむや否や、彼女の視界がだんだん暗くなり、やがて真っ黒に塗りつぶされてしまいました。


**


 目を開けるといつも通りの朝でした。彼女はいつも通り、自分のベッドから身を起こして伸びをします。

 昨日のことは夢だったのかしら。そう思って何気なく頭の方へ手をやると、違和感を感じます。

「耳……?」

 頭に耳が生えているようでした。手を見ると今までのすべすべとした肌とは全く違い、茶色の毛が生え、鋭い爪が伸びています。

 彼女は水瓶の方へと行き、水面に映る自分の顔をまじまじと見つめました。

「昨日のことは夢じゃなかったんだわ!」

 水面に映る自分の顔を見て、思わず叫びます。そこに映っていたのは、小さな目、平べったい鼻、牙が生えた口、茶色の毛。彼女は獣になっていました。

 彼女は水面に映る自分を見ていると、戸が叩かれる音が聞こえます。

「朝から大きな声を出してどうしたの?」

 隣に住む奥さんの声です。奥さんは父母を亡くして一人になってしまった彼女に優しく接してくれたうちの一人でした。

「ねぇ、とてもすごいことが起きたの」

 そう言って、彼女は扉を開けます。そこには手にバスケットを持った奥さんが立っていました。

 奥さんが彼女の姿を見るや否や、そののニコニコした顔がみるみるうちに恐怖に変わっていきます。

「あ、あなた誰なの……?」

「私よ、この家の一人娘。昨日、この姿に変えられてしまったの。でも、私は私よ」

 彼女が優しく声をかけても奥さんの警戒は解けません。娘は奥さんの方へと歩み寄ります。奥さんは思わず後ろへ一歩下がりました。

「……の」

「え?」

 恐怖で顔をひきつらせながら発した奥さんの声がよく聞こえなくて、彼女は聞き返します。

「ばけもの! ばけものよ!」

 そう言って奥さんはバスケットを投げ捨てて、どこかへと走って行ってしまいました。

 娘はそれを悲しげに見送り、奥さんが投げ捨てたバスケットを拾います。どうやら奥さんの家でとれた卵やブロッコリー、カブを入れていたようですが、落とした時に割れてしまったのでしょう。バスケットの中は卵の白身と黄身でぐっちゃぐちゃになっています。娘は割れた殻を思わず手に取りました。

 元凶が自分とは言え、せっかくの卵がこうなってしまっては奥さんも悲しむだろう。娘は卵が元通りになってほしいと願いました。

 すると、娘の手から白い光が溢れ出て、卵の殻とバスケットの中で悲惨な状態になっている白身と黄身を包み込みます。

「これは……魔法かしら」

 白い光が収まると同時に、手に持っている元通りになった卵を見て、彼女は思わず呟きます。

 そういえば、昨日おばあさんは私に魔法の力を授けると言っていたことを娘は思い出しました。

「じゃあ、これも魔法を使えば……」

 バスケットの中を見ると先程まであった白身と黄身は無くなっているようでした。きっと卵が元通りになった時、一緒に消えたのでしょう。しかし卵と一緒に入っていたブロッコリーやカブなどの野菜の茎が、落ちた時の衝撃で折れてしまっています。

 彼女は先程のようにブロッコリーとカブが元通りになるように願います。すると、それらも淡い光に包まれてみるみるうちに採れたてのような新鮮さを取り戻していきました。

 彼女はその光景を見て、感嘆の声を洩らしました。

「すごいわ、魔法の力って何でもできるのね」

 彼女は元通りになった卵とブロッコリー、カブを綺麗にバスケットに戻します。今までとは違う、獣の鋭い爪で奥さんの家の野菜を傷つけないように丁寧に、慎重に。

 そしてほぼ元通りになったバスケットを隣の家の戸口に置きました。

 それにしても、奥さんはまだ帰ってきません。奥さんがどこに行ったのだろうと思って辺りを見回しても、見えるのは朝日を受けて青々と輝く野菜と赤い煉瓦れんがの家のみです。みんな朝食をとっているのでしょう、あまり人の姿はありません。

 そういえば今日は村の一番端にある家に住む仕立て屋から手伝いを頼まれているのでした。彼女はそのことを思い出し、家に戻って自分の朝食を作り始めます。

 朝食を作っている間、何度も何度も隣の奥さんの顔が頭をかすめます。あの恐怖という言葉を絵に描いたかのような顔を。そして、そのあとに昨日のおばあさんの言葉が思い出されるのです。

 そのたびに娘は頭を横に振ります。

「人は見た目によってその優しさを変えない。奥さんは驚いただけよ。すぐにこの私にも慣れて、元通りになるわ」

 娘は自分に言い聞かせるように呟きます。

「そうよ、奥さんは家の前に置かれているバスケットを見て驚いて喜んでくれるはずだわ。そしてこの魔法の力をもっと他の人のために使えば、もっともっと喜んでくれるはずよ。きっとそう、だから大丈夫」

 娘は一人分のスープを作って、それをお椀に入れました。台所の隅においている黒パンを皿に乗せ、お椀と皿をテーブルへと持っていきます。

「いただきます」

 彼女は丁寧に手を合わせて、よく噛んで食べます。仕立て屋も朝早くから来てほしいと言っていたわけではないので、急いで朝食を食べなくても大丈夫でしょう。

 彼女は黒パンをスープに浸してゆっくりと朝食を食べます。

 いつも聞こえてくる鶏の鳴き声が、今日は聞こえませんでした。

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