第53話 最後の試練

「ったく、軍事演習でもここまで強行なこたあねえぞ!」


 おそらく、百は『竜』を瞬殺しているであろうロウハが走りながら叫んだ。滝のような勢いで『竜』が襲ってはきたが、すべて三人に遮られた。リュウモには牙も爪も届かず、〈八竜槍〉である彼らに疲労はない。

 だが、目的地に近付くにつれて襲って来る数が激増している。

 最初は一度に襲って来るのが五。五が八へ、八から十と増加し、今では三十の『竜』が四方八方からリュウモを亡き者にしようとして来る。

 ただ一度として攻撃が届くことはなく、しかし、このまま増加の一途を辿ればさすがの〈八竜槍〉でも処理限界を超える。そうなった場合、敵を殺し尽せてもリュウモを守れなくなる。今以上の力を持って動いた途端、殲滅はできても、護衛が不可能になってしまう。

 〈竜峰〉は目に映っている。距離にして一里ない。縮まるにつれて『竜』の個体に体が大きく、強力なものが混じる。


「よくもまあ、これで昔の人は滅亡しなかったものだ」


 大人の丈を超える中型の『竜』を真っ二つにしながらガジンが呆れた口調で言った。

 襲撃を繰り返す『竜』に一歩も引かず、一撃で屠っていく三人だが、どうしても移動速度が落ちる。

 それに、リュウモには懸念があった。まだ翼竜種が出張って来ていない。故郷で初めて〈禍ツ气〉浄化を行ったとき、多数の翼竜が殺しに来た。予想でしかないが、〈禍ツ气〉の大本に接近するほど、強力な『竜』が出現し始めるはず。そのことを三人に伝えると、厳しい顔をして彼らは考え込む。


「リュウモ、『竜』は『气』を感知して襲って来たといったが、それは〈龍王槍〉の『气』だけに反応しているのか」

「いえ、そうじゃ、ないと思いますっ。巨大な『竜』の『气』を察知して襲って来てるだけだと! さっきから狙われてるのはおれだけですしっ」


 〈龍王槍〉の固有の『气』に反応したのではない。他の『竜』と同様に縄張りに侵入して来た巨大な相手を排除しようとしているのだ。

 四人の〈竜槍〉につられて『竜』は襲撃を続けている。


「じゃあ、ひと際馬鹿でかい『气』があらわれたら奴らはそっちに向かうわけだな?」


 ロウハの確認に「はいっ」とリュウモは走りながら答える。


「ガジン、俺が〈竜化〉して引き付ける。その隙に行け」


 冷徹な、合理的判断だった。反論の余地はない。進むことが困難ならば、誰かが道を切り開く他はいのだ。だが、それは……。


「駄目ですっ、そんなことしたら……! 進めてはいるんだからこのままでもッ」


 彼らと同じ末路を迎えてしまう。リュウモは〈八竜槍〉の強さをわかっているが、絶える事のない襲撃を何日も退けられるとは思わない。


「無駄に時間を費やすだけだ。ぱっぱと終わらせるに限るんだよ、こーいうのは。相手の戦力をばらけさせねえと、〈竜峰〉に着いたときお前を守るのは手間だ」


 笛を奏でている最中に『竜』が殺到して来れば人手が足らなくなる可能性がある。〈八竜槍〉は敵を殲滅できても、対象を守り切ることは難しい。

 三人にとって、今の状況は卵の黄身を手に持って落とさずに戦えと言われているようなものだ。

 全力を出して万が一、リュウモが死んでは目も当てられない。笛を使っている最中に邪魔されるわけにはいかないのだ。


「行け坊主。別に死にやしねえよ。『竜蛇』みてえなとんでもが出て来なけりゃな」


 それ以上なにか言うのを、リュウモはぐっと堪えた。無駄に言葉を重ねれば、ロウハを信用していない風に聞こえるだろう。彼にとって侮辱に等しい行為だ。槍士として誇り高い彼に贈るに相応しい言葉は、ひとつしかない。


「御武運を!」


 集団の中から、ロウハが離れる。リュウモの後ろで〈竜气〉が荒れ狂い、噴出する。


「上手くいったようだな」


 ぱたりと糸が切れたように『竜』の姿が消えた。背後では轟音と『气』が吹き荒んでいる。鬱憤を晴らすかのような大暴れをしているらしい。

 千切れ飛んで行く哀れな『竜』の姿が幻視できてしまうぐらいには、苛烈な戦闘が行われているようである。


「先生、どうぞ先に。イスズはここにて『竜』を引きつけますゆえ」


 『竜』が再び襲い掛かって来ると、イスズがそう提案する。ガジンは弟子の身を案じる素振りも見せず、むしろ信頼を覗かせ、うなずいた。


「加減はいらん。叩き潰せ」


 ここまで上から物を言うガジンの態度を、リュウモは初めて見た。上下関係は、気安さの証明でもあり、紛れもない師弟としての在りように映る。


「ええ、お気を付けて。貴方も幸運を、リュウモ」


 イスズが『竜』の前に立ち塞がる。旅の始め近くと同じく、二人だけが目的地に向かう。


「死なないで、どうか無事で!」


 二人の無事を祈る他になかった。

 森を抜ける。いよいよ〈竜峰〉が目の前に威容をあらわした。道とはとても呼べない急斜面に、苔むした岩と地面だった。木々の類はない。


「まったく、歓迎は有り難いが、こうも数が多いと嫌になってくる」


 山の麓には、おびただしい数の『竜』が、雲霞の如き大軍を為していた。

 ため息をひとつ。それからガジンはぼそりと呟いて〈竜化〉し――消えた。

 爆流に比する運動量から発せられた風に、リュウモは尻もちをついた。

 そして、顔をあげたときにはすべてが終わっていた。神隠しにでも遭ってしまったかのように、『竜』は命を刈られて死骸を晒した。

 暴れ狂う荒神と言える力だった。立ち上がる間に『竜』が皆殺しにされるとは……。


「行け、リュウモ。あとはこちらですべて請け負う」

「はい、行って来ます!」


 全力で、リュウモは〈竜峰〉への最後となる道を駆けた。麓から山の裾にまで一気に走り抜けた。『竜』は一匹もいない。

 好機とばかりに一気に急勾配を登る。斜面はどんどんときつくなり、手で四つん這いにならなければ進めなくなる。麓では戦いが続いていて、ガジンの姿はリュウモの視力でも捉えづらくなっていた。


「さ、寒っ……!?」


 肌が冷気に刺され、吐いた息が白くなる。まだここまで高度はないはずだ。周囲に温度に影響する『气』が流れている。

 関係ないと、リュウモは体を動かす。この程度、肌寒い程度で済む。支障はない。

 上体を安定させて、立ち上がって進もうと〈龍王槍〉を杖代わりにしようと地面に突き立てた。

 ガギッと、音がして穂先が


「うわっ、さ、刺さらない――!?」


 硬質な音がした。金属の類が擦れ合った音ではないのは確かだが……。


「この、地面、まさか……ッ」


 苔むしている土を掘り起こすと、下にあったのは濁った白色。

 リュウモは視線をあげる。勾配はさらにきつくなり、その先には壁があった。

 木登りならぬ壁登りをしなければならないらしい。リュウモは怯むことなく壁の前に立って槍を背負った。

 凹凸に手を引っ掛け、足場がしっかりしているのを確認し登り始めた。

 幸い、壁は崩れる様子は一切なかった。障害になる物が無いならば、野生児以上の身体能力を持つリュウモの独壇場だった。猿のようにすいすいと登り切る。


「ここが〈竜峰〉……」


 下とは違い、頂上の足場は土ではなかった。


「やっぱりそうだ――この山、『』の骨だッ」


 東の〈竜域〉にあった『龍王』の骸より何十倍もの規模だ。さっき登っていたのは人でいう後頭部にあたるのだろう。今いるのは、頭頂部あたりか。

 〈龍王槍〉が刺さらなかったのも当然だ。骸の主は、生前において槍よりも遥かに強力で長生きな『龍』だったのだろう。

 山を一呑みどころではない。骸の『龍』の顎にかかれば都が大地から一瞬で消える。頭部の大きさはそれぐらいは確実にある。


「他にも、ある……」


 足元の頭骨ほどの大きさはないが、いくつもの『龍』の亡骸が大地に横たわっていた。

 最も巨大な頭骨を囲うように他の頭骨が点々とあった。

 ――墓だ、ここは、龍の墓なんだ。

 何十里もの距離がある広大な墓地。骨は墓標だ。

 こあれだけの数、過去に『龍王』を超える個体がいた証だった。何事もなければ『龍王』もこの中に列していたのだろう。


「どうすればいい、おれはどこに行けばいい」


 背負っていた〈龍王槍〉が背を押して来た。前に進め、ということだろう。

 一歩目を踏み出し――静電気に似た痛みが、頭から股下まで通り抜けた。


「ッ……上!」


 上空から、ひとつの巨大な影が、舞い降りた。故郷が燃えていたあのときと同じ足音を立てて。

 まるで、その姿は門番のようで、〈竜峰〉への道を立ち塞さいでいた。


「〈禍ツ竜〉――――お前が、最後の試練なのか」


 赤い眼に睨まれても、不思議と、リュウモの心に恐怖は無かった。

 あったのは、この『竜』を倒さなければならないという、使命感に似た感情だけ。

 〈禍ツ竜〉の胸には、都で突き立てた〈龍王刀〉が抜けずに刺さっている。

 怨敵を見つけた『竜』は、一層に憎しみを掻き立てられ、狂い、禍々しくなっていた。

 痛みが、かの『竜』を更に強くしたのかもしれない。


「行くぞ」


 〈竜王槍〉を握り締め、敵を睨みつけた。

 瞋恚の吼え声が、辺りに響き渡る。

 最後の戦いが、試練が、始まりを告げた。

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