第51話 最強対最強

 ガジンは『气』を整えるように歩調を緩めながら友人に近付いた。

 諸々と言ってやりたいことがあった。実は帝に密かに命じられて各地を巡っていたのではないか。昔の馬鹿話や少年時代に貸した金を返せだとか、様々な土地にあった槍術はどうだとか、色々だ。

 だが、それもすべて吹き飛んだ。ラカンが戦いに全力で臨もうとしている。槍士ならば、すべきことはひとつしかない。

 一歩ずつ進むごとに気持ちが整頓されていく。

 理性の冷水に浸された感情が静まると、闘志が溶岩のように溢れ出す。

 応えるために、本当に久しぶりに『气』を全開する。呼吸をひとつ、肺から全身へ酸素が行き渡るように深く吸い込む。

 感応した『气』は体内を駆け巡り、わずかに滲み出た『气』がラカンのものとぶつかり合う。風が巻き起こり、石の床をがたがたと揺らし罅が入った。


「うわっ……やっぱりガジンさん色々おかしいって?!」

「言っとくが俺もできるぞ。イスズはまだ無理だろうがな」

「お恥ずかしい限りです。しかし、あれがラカン様ですか……この両の眼で見てもまだ信じられません、先生と同格など」

「気持ちはわかる。昔は俺とガジンとシキの三人でもぶち転がされた」


 ロウハが懐かしい話を持ち出した。ガジンにとっての完敗とはあのときだ。

 どうやっても勝てないからと悔し紛れに三対一の勝負を提案し、負けた。

 なにもかもが数十年も前のことだ。昨日のことのように思い出せるのは、この場にラカンが経っているせいだろうか。


「本当に、当時のあいつは皇国最強だった。まあ、よーく見てろ、最強同士の戦いをな」


 ロウハが合図の為に右手をあげる。


「いざ尋常に――始め!」


 昔と同じ開始の合図が下された。

 ガジンの顔がいつも以上に引き締まる。余裕や油断をすべて消し去った表情で、ガジンは発走した。

 踏み締められた地面が陥没し、次いで後方に爆発する。 後ろにいるリュウモへ被害が行くだろうが気にする必要はない。あの二人がいれば上手く処理する

 一秒と経たずにラカンを槍の間合いに捉えた。彼はすでに迎撃の初撃を突き出していた。

 頭を血煙にする一刺しを最小の動きで避け、そのまま突進する。槍を短く持ち直し、腹目掛けて一閃。懐に潜り込まれてこれをやられれば、ばっさりと腹を割られて臓物をぶちまける羽目になる。

 刃が腹部を切り裂く前に止められる。ラカンはわかっていたように左手で槍の柄を握っていた。凄まじい速さでラカンの槍が引き戻され、勢いを殺さず掌で槍を滑らせて短く持ち、ガジンの脇腹を狙う。

 ラカンの行動を焼き回すようにガジンは槍の柄を掴み防御する。


「うわ?!」


 互いが停止し、世界はようやくリュウモ達へ衝撃を届けた。砕け飛んだ床の欠片は全部、二人が払いのけている。

 穂先がカチカチと揺れた。力は互角。足の踏ん張りで床が割れて捲れあがり、破片が出来あがる。

 ざりっと擦れ合う音と共に、二人は同じ個所、腹に前蹴りを放った。直撃。

 一旦間合いを外すため、勢いを殺さず後ろへ飛ぶ。追撃はなく、着地してゆっくりと体勢を整える。

 遅滞した世界で行われた命のやり取りを、ガジンは懐かしく感じていた。

 全力で動き回り、戦った跡は会場が目も当てられない姿になる。そのせいで整備担当者からは毎回渋い顔をされたものだ。


(ラカンと手合わせをしたのは、いつが最後だったか……)


 公での全力全開の試合など〈八竜槍〉になってから一度もない。面子を保つために誰かに下される姿を見せられなくなったからだ。

 型通りに動き、それで終い。だが今は異なっている。一切が必殺のやり取りだ。殺すために全身全霊でもって槍を繰り出す。盗賊相手に戦うのとはわけが違う。

 ロウハのときでは、お互いが市街地へ気を使い全力を出さなかったのだ。

 槍を握り直した。体を流れる血が熱くなる。暴力的な興奮が湧き上がってくる。

 抑圧されていた力が枷を外す。極限にまで達した精神が不可思議な感覚を起こす。

 次になにをすべきかが自然とわかる。相手がなにをしてくるのかも。

 ラカンが、動いた。

 即座に槍先が飛んでくる。二人にとって最早距離に意味はない。必要な認識はおのれのどこへ攻撃がくるのか。

 火花が散り、槍同士がぶつかり合う。一度では終わらない。ラカンが腕を引き、更に突きを繰り返す。

 単純な動作であるはずのそれが、ラカンが行うことによって大嵐と化す。

 死へ蹴落とす連撃を悉くガジンは回避する。柄で受け軌道を逸らし、足を使って射程外に逃げきろうとする。力が込められた一撃が放たれる。

 凶刃が届かない位置にまで退避したはずが、射程が。ラカンが深くまで踏み込み、片手で槍を突き放ったのだ。自由自在に間合いを変化できる槍術の強みを存分に生かした刺突。今までの攻撃はこれのための囮。

 ――お前の得意技だったなッ!

 幾度もやられた技だ。返し方は体に刻まれている。

 地と這うように上体を低くする。頭上を槍が通り過ぎ、抉り込むように懐へ潜り込む。

 狙いすましたかのように膝が顔面目掛けてきた。ガジンは攻めを諦め、横に体を倒すようにして避ける。

 素早く体勢を立て直し、槍を構え直す。反撃が予想されていた。でなければあそこまで円滑に迎撃には移れまい。

 対策を講じているのはお互い様であったようだ。ラカンの腕前は数年前の手合わせからそこまで変わってはいない。


(〈竜化〉は、無理か。自分のみの力で倒せ、とでも言いたのか?)


 槍からの反応はない。お喋りだった人間がいきなり黙りこくったかのようである。もしかしたら『竜蛇』に抑えつけられているのか。

 つまるところ、単独でやる以外にはない。望むところである。

 呼気をひとつ。ガジンが仕掛けた。爆発に等しい連打がラカンに叩き込まれる。

 噴火のような力の前に、余波で会場が壊れていく。

 瓦礫が飛び交い、その中を二人の槍士のみが時間から隔離されたように神速を持って動き回る。

 基礎的な技から応用へ。応用から奥義、絶技の数々が披露される。


(重い、それにやはり速い……ッ)


 手に伝わってくる衝撃は、まるで骨を芯から打ち鳴らし関節を砕くかのようだ。並みの武器であったなら――いや、最上の代物であっても――槍ごと腕をへし折られ、背骨までばきりと逝くかもしれない。

 戦いで冷え冷えとした感触を味合わされるのは久しぶりだった。一手、読み誤ればラカンの槍はガジンの喉か臓器を破壊し死に至らしめる。だが――。

 ――それはお前とて同じだろう、ラカン!

 実力伯仲。その意味はガジンが感じていることを、ラカンも同じく感じているのだ。気後れする理由はどこにもない。

 槍を突き出す。その際、特殊な捻りを加えて穂先の軌道をわずかに狂わせる。丁度一回転するように槍が回る。

 受け方を間違えれば『气』と槍で自らの獲物を弾き飛ばされる。

 小手先の、しかし高度な技術を必要とする一撃。

 手緩い、と言わんばかりにラカンは力技でもって上段から叩き落とした。

 砂塵が舞い上がり、視界が潰れる。二人は鏡合わせしたような動きで槍を振る。

 不意打ちなど、生前のラカンならばやらなかったし、死後も変わらないらしい。

 煙が張れ、変わらず槍を構える彼の槍先が、揺れて音を立てている。

 ガジンの槍はそうなってはいない。武器の性能差からではない。

 押し切れる。確信を抱いたガジンは『气』を極限にまで高め、勝負に出た。

 一気呵成に攻め立てる。反撃さえ許さない速度の連撃を、渾身の力を込めて繰り出す。

 対して、ラカンは。


「――――ッ!」


 全身全霊で迎え撃つ。無呼吸運動に近しい動きに『气』が急速に消費され、再び高められる。無尽蔵の『气』の削り合い。

 果てが無いかと思える打ち合いが続く。


「凄い……」


 至高の戦いに見惚れたのか、イスズが言葉を零した。

 槍が物理法則に逆らう速度で唸りをあげる。

 ラカンは上半身を逸らして避け、次を柄で斜めに受けて衝撃を逃がす。

 ラカンの技量は神憑り的だ。それは疑いようがない。才は間違いなく彼が上だ。

 ――だが、私が勝つ……!

 ラカンは〈抜槍ノ義〉終了後、長い間皇国のいたるところで過ごしていた。

 その間、ガジンは腕を磨き続けていたのだ。槍の鍛錬に関しては一切妥協しなかった結果が、如実にあらわれてきている。

 それでなお、一歩違えれば数瞬と経たない内に敗北する。ラカンの技量は〈八竜槍〉と比較して決して格落ちしない。


(思えば、お前は帝からなんならかの密命を受けていたのだろうな)


 皇族の槍術指南役に抜擢したと帝が明言したときから、なんとなくそう思っていた。

 高速で移動する中、意識はぼんやりと戦いとはまったく別のことを考え初めている。

 体に染みついた動作が、余分なものを取り除こうと働いているせいかもしれない。

 〈八竜槍〉の最終試練にまで残ったが、ラカンは決まった役職を持たなかった。人格になんら問題がなかったのにである。

 なにをしているのかと聞いても、はぐらかされるだけで詳しいことは一切口にしなかった。ただ「探している人がいる」とだけ言った。もしかしたら……。


(〈竜守ノ民〉を、リュウモを探していたのか……?)


 だから、最後に最大の〈竜域〉である北へ向かったのか。すべては当人が死亡した今、知るのは帝のみだ。

 最早、原型を留めていない会場には破壊と打ち合いの音のみが響いている。

 そうだ、昔にこんな風に滅茶苦茶にして大目玉を食らった。懐かしい。

 ラカンの対応が遅れている。槍がこちらに向かって来る頻度がすくなくなる。

 いつもは逆だった。試合で我慢比べをしても、音をあげるのは自分だった。

 槍に力が無くなりだし、捌くのが容易になる。

 三人で向かって自分達は必ず青空を仰いでいた。「勝てるわけないだろ、こんなのに」とロウハが空笑いしていたのは印象深い。

 最後とばかりにラカンが反撃に出る。全力を賭けた一刺が頭部を穿とうと向かってくる。

 これも、逆だ。ガジンが追い詰められて渾身の一撃に賭ける。自分がやっていたことだ、対処法は心得ていた。

 機を見計らい、単調な攻撃になった槍に向かって突進する。なんの牽制も技も使われていない刺突を見切るのは容易い。

 それでも頬にかすり傷を負ったのは、彼の技術の賜物であった。

 槍を短く握り、体ごとぶつかるように――突き刺した。

 戦いの音が、止んだ。


「私、の、勝ちだ……」


 まだ現実が受け入れられないような、浮足立った勝利宣言だった。

 ああ、君の勝ちだ。

 久しく聞いていなかった友人の声を皮切りに、白い空間は色を取り戻して行く。

 ラカンの体が、消えていっている。


「ラカン!」


 ロウハが急いで会場に上がって声を張り上げた。ラカンは無言のまま振り向く。


「ああ、いや、くそっ……」


 死んでいたはずの人間になんと声を掛ければいいのか、今更になって考えているらしい。


「今の俺なら、テメェにも勝てたからなッ!」


 ラカンは苦笑していた。すくなくともガジンにはそう見えた。

 死者に掛ける言葉ではないが、ロウハらしいとでも思ったのかもしれない。

 彼の姿が風に揺られる木葉のように消えると、再び視界が白く染まった。

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