第35話 〈八竜槍〉、二人

 ロウハは、夕暮れの天幕の下で、報告を待っていた。

 簡易的な椅子がいくつか並べられ、隣にはイスズが座っている。彫像のように目を閉じ、瞑想している彼女に緊張の色は見受けられない。


「…………」


 会話が、無い。実務のこととなると、堰が壊れたように、次から次へと言葉が溢れてくるのものだったが、会議が終わると、ぱたりと止んでしまった。

 ロウハは、どうもイスズとの距離間の取り方に手こずっていた。男相手ならいざ知らず、女で十七ときたものだ。しかも、超を三つは付けてようやく表現できるぐらいの、高貴な家の出である。


(いやいや、俺は悪くないだろ、これ)


 天幕を上から押し潰しそうな、重い沈黙にロウハはそろそろ耐えかねていた。元より、自分はガジンやラカンのように気が長く、耐え忍ぶような性格をしていない。口を開いて、なにか話そうとするのだが――。


(なんも話題が浮かんでこねぇ!)


 ロウハ。今年で三十六になる中年である。流行の移り変わり激しい皇都の女子と共有できる話題など、砂粒ひとつほども持っていなかった。そもそも、槍士には圧倒的に男が多い。偶に、女槍士がひとりも存在しなかった時期すらあったのだ。女の身でありながら槍士であるというのは、それだけで珍しいのだ。

 ロウハも、軍の任務で女槍士と同行するのは初めてだった。しかも、二十に満たない。

 ――どうすっかなぁ……。

 別に、会話は必要ではない。冷たい言い方だが、任務が果たせればそれでいい。しかし、今後を考えれば、結局、お互いを知り合っていた方がいいのだ。一度きり顔を合わせて、はい、お終い、ではないのだ。〈八竜槍〉として、これから何年もの間、仕事を共にする中になるのだから。


「おい、イスズ」


 彼女の名を呼び――邪魔をするように報告を持ってきた〈影〉が入って来た。必要以上の礼儀は不要と言ったのはロウハだったが、間が悪いと小言を零しそうだった。


「申し訳ありません、完全に見失いました」


 〈影〉の報告は、ロウハの愚痴を吹き飛ばして消すに足るものだった。


「見失った? どういうことです」


 瞑想していたイスズの目蓋が開かれ、きつい光が〈影〉の若者を見据えた。


「主要な街道、村、賛同、都、すべての〈影〉から、我標的を発見せずと。痕跡を追いましたが、途切れました」


 〈影〉の若者は、今にも駆け出して行きそうなほど、悔しさを滲ませている。弦か今で捜索を続けていたせいか、息は荒く、『气』の乱れが酷い。

 ロウハは、半ばこの結果を予想していたが、これだけ早い段階で手掛かりが無になったのは痛い。次の手をどう打とうか、考えていると、イスズが〈影〉の若者に杯を持って近づいた。


「報告、ご苦労。詳細を聞きましょう。――その前に、飲みなさい。強行軍の中、水分を補給しなければ、動きは鈍り、頭は回らなくなります」

「は、は……ありがとうございます」


 杯を若者は受け取ると、中身を喉を鳴らしながら一気に飲み干した。イスズの表情が、まったく動かないので、相手を気遣っているように見えないが、意外と人が良いらしかった。

 彼女が〈八竜槍〉に就任してから、目まぐるしい日々だった。宮廷は騒々しく、イスズと交流を持つ暇すらなかったのである。何度か顔を合わせただけで、込み入った話をしたことなど一度もなかった。

 ――まあ、性格は大丈夫だろう。

 イスズが就任したさいに、ロウハはそう思っていた。なにせ、あのガジンの弟子である。人柄に問題があれば、ガジンが槍を教えるはずがない。


「気が利かなかったな、許せ」

「い、いえ?! この疲れは我が未熟ゆえ……!」


 恐れおおくてしょうがないと、若者は頭を下げた。大袈裟な態度をとる〈影〉に、ロウハは苦笑する。


「詳しい報告をなさい」


 落ち着いた若者に、イスズは先を促した。〈影〉の若者は一息ついて、詳しい報告を始めた。最後まで聞き終えると、ロウハは卓上に広げられている北領の地図を、鋭い視線で睨んだ。


「痕跡が完全に消えたのは、皇都と大街路の、丁度、ど真ん中あたりか」

「左右には山……身を隠す場所はどこにでもあるように思えます」

 皇都と大街路の間は、整備された山間の街道を通らなければ、時間がかかる。街道の道を外れれば、当然ながら周りは山々に入ることになる。イスズが言うように、潜む場所はいくつもある。

「あれは、確かにど田舎育ちで、この辺りには詳しい。地の利はあいつにある。だがな、十一の子供ひとり連れて、〈影〉を振り切るのは無理だ。たとえ、あいつでもだ」

「ですが、現実に痕跡は消えている……」


 ロウハは、二人が消えた地点に、他になにがあるか、地図を眺めた。


「仮に、俺らがガジンなら、どう行動するかな」


 敵の行動を予想するのならば、まずは相手の視座に立って物事を考えよ――先代の〈八竜槍〉からの教えのひとつだった。それは、イスズにも伝えられている。


「先生の状況は、決してよくないはず。物資があるとはいえ、皇都で買った物量を鑑みれば、三日分程度。補給しなければ、北まではとても持ちません」

「加えて、育ち盛りの、十一になるわんぱく小僧がいる。買った分の食料を合わせても、三日以上ちんたらしていれば、食う物が無くなる」

「周りは山。食料は豊かですが、狩りにでもすれば〈影〉がすぐに痕を見つける。補給はできないはずです」

「つまりあいつは、現状を打開するためには、三日以内に、十一の子供を連れ、〈影〉に捕捉されないようこの地域を抜けて、大街路のような食料を補給できる場所に立ち寄らなければならない」

「先生の行動速度がいくら早くとも、この地帯を一日で通過できるとは考えられません」

「となれば、どこかに身を隠していると考えた方が自然だが、あいつめ、どこにいる?」


 すべての主要な街道には〈影〉の目を光らせた。彼らは優れた後追いの技を叩き込まれている。いくらガジンの痕跡を消す技が凄まじくとも、いちいちそんなことをしていれば、時間がかかりすぎ、追いつかれてしまう。連れの子供もいる中、〈影〉からの追跡を振り切るなど、土台無理なはずである。


「山に逃げ込んだのなら、〈影〉が見つけられないはずがありません」

「これだけの数を投入しているわけだしな」


 ――範囲を広げるか? いや、そうすると、すり抜けられるかもしれん。


「待ち伏せするのが、一番いいんだがな……」

「〈影〉では先生を見つけたとして。止められません。生きて捕らえよと命が下っている以上、わたしたちが先生に追いつくことが第一です」

「別れて、どこかの都に行くのは、選択肢としては、ありだが。一対一ではさすがに分が悪い。戦力の分散は、無理だな」

「賭けに出るのは、まだ止めた方がよいですね」


 この鬼ごっこは、ガジンにとって不利な状況から始まっている。だが、時間が経てば不測の事態が勃発するのは、こちら側だった。迅速に解決しなければ『外様』がどんな反応をするかわからないからだ。


「……〈影〉、形跡が消えた辺り、どんな地形で、なにがあった?」

「山間にある、ちょっとした平地で、左右には小高い山、左に行けば氏族の村へ、右は行き止まりです」

「その氏族の村は?」

「他の〈影〉にすべて調べさせましたが、いませんでした」


 ――誰かに匿われている線も消えた。

 念入りに、完璧に痕跡を消しているから、どこかの氏族に逃げ込んだかと思えば、違う。


「…………どうして、今まで速度を重視して、逃げ一辺倒だったのが、貴重な時間を浪費してまで、足跡を消したのか、わからん」


 疑問に、〈影〉の青年が答えた。


「行動に変化があらわれているということは、目的が変化した可能性があります」

「目的、変化――――逃走経路を、先生は変更した?」

「かと言って、左は行き止まりのどん詰まりだぞ? 行先を変えるにしても、あいつがそんな馬鹿げたことをするか?」

「しませんね、先生なら」


 〈八竜槍〉に就任したさい、軍事、軍略、指揮等を、教え込まれている。だから、利の無い行動には出ない。まして、自らを袋小路に追い詰めることは絶対にしない。逆に言えば、利があるのならば、多少の危険があろうと突き進む。


「発想を変えてみるか、目的を達成するために、どうしてもここを通らなければならないとしたら?」

「行き止まりの場所で、ですか?」

「ないか……」


 暗礁に乗り上げて、ロウハはもう一度、地図全体を眺めた。ガジンの考える行動をすべて考証してみても、そのどれもが当てはまらない。ふと、〈影〉に目を移すと、今更ながら、報告に来ている者が、違うことに気づいた。気になって、ロウハは聞いた。


「いつもの男はどうした?」

「は? ああ、いえ……。実は、痕跡が消えた場所で、二手に別れたのです。片方は報告へ、もうひとりは周囲を調べに。今はこちらに向かっているはずです。彼はこの近く出身なので、土地勘がありますので」

「そうか」


 〈影〉が言った場所の地点を見た。そこには、地形的に、進行方向には、足を進めるに困難なものは見当たらない。


「――? 地図上では、ここにはなにもないが、これは?」

「ガジン様の足跡が消えた、左の先は〈竜域〉です。前年に認定されたので、この地図にはまだ載っていませんが」

「なるほど、それなら、確かに行き止ま」


 『坊主にとっちゃ、〈竜域〉なんて、庭みたいなもんらしいぜ?』

 クウロが言ったことが、稲妻のように駆けた。


「〈竜域〉だ……やつら〈竜域〉の中にいる!」


 ロウハが言い放った内容を、二人が理解すると、〈影〉の青年が声を荒げた。


「馬鹿な! ガジン様といえど〈竜域〉は危険すぎます! それに、子供を連れて行くなど自殺行為――!」

「あいつが連れているガキは、いったい誰だ? ――かつて、国土が荒れ果てるまえの業をもたらし、今なお〈竜域〉の中で生活していたやつらだぞ」


 今更、帝の言葉が身に染みた。――侮るな、と任務に出る前に帝は、再三言っていたではないか。


「ガジンの妙な行動にも、納得がいく。連れのガキが〈竜域〉へ逃げ込むよう提案して、ガジンが了承したのならな」

「先生が言ったのではないでしょうか?」

「それはない。――昔、氏族の子供が〈竜域〉近くで『竜』に惨殺されたのを見て、あいつは心の底では、酷く『竜』を恐れている。意地っ張りだからな、表には出していないだろうが」


 ガジンの過去に、イスズは目を見張った。


「この〈竜域〉を横断した先には、でかい都がいくつかある。それに、距離を見れば、時間もそうかからん」

「横切れば、街道にある施設を訪れずとも、領主が住む都へ、三日と経たずに行くことができます」

「決まりだ。陣を引き払え。速度がすべてだ。都へ向かうぞ」

「ロウハ様、決めつけるのは、まだ早いのでは……」

「あいつらは〈竜峰〉の場所をまだ知らない。だが、ガジンが向かっている都には、気心の知れた、頼りになるやつがいる。おそらく、皇国で〈禍ノ民〉を除けば『竜』に一番詳しい男がな」


 地図に書かれた都を指さして、ロウハは懐かしそうに目を細めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る