第14話 川の民

 翌朝、釣りのための準備を終えると、リュウモはジョウハに連れられて釣り場に向かった。

 玄関での先で、つんっと、嫌な臭いが漂ってきた。これは、最近嗅いだことのある、人の焼ける臭いだ。


「ああ、リュウモ。すまんがちょっと寄るところがある。そんな時間はかからんから」


 向かうべき川は村から北にあるが、ジョウハは東の方角へ足を進めた。

 そちらには、黒い煙が上がっていた。村の外れにまで行くと、人だかりができている。

 すすり泣く声がいくつも聞こえてきて、リュウモは彼らが発する悲しみに、胸が詰まりそうになった。


「葬儀、ですか」

「ああ。昨日の戦いで、二人、亡くなったんだ。年寄りの爺さんたちだったが、陽気で、勇敢な人たちだった。俺も、ガキの頃に色々と世話になったもんだ」

「そんな……おれなんかのために、最初から葬儀に出なくて、いいんですか」

「いいんだいいんだ。昨日の内に話はつけておいた。第一、あの二人ならきっと、おまえさんを手伝ってやれと言うだろうしな。ただ、ちょっと嫌な思いをするかもしれん」

「おれが、ですか?」

「年寄り連中の一部がな、おまえさんたちをどーしても毛嫌いしたいんだ。なにか言ってくるかもしれんが、年寄りの戯言だと、聞き流してやってくれ」


 リュウモはうなずいた。自分のために、この人は親しい者の葬儀に出ず手伝ってくれようとしている。断る理由はなかった。

 葬儀を執り行っている場に向けて、リュウモは足を運ぼうとした。


「その場で止まれ」


 人だかりの手前で、刃物のような鋭い声が、集団の発していた悲しみを切り裂いて耳に届いた。びっくりして、リュウモは足を止める。

 隠しもしない、酷い敵意。燃えている遺体の近くから、漂ってきていた。


「どういうつもりだ、ジョウハ。その者を葬儀の場に連れてくるなど……!」


 親でも殺されたかのような形相だった。はっきりとした憎しみを感じる。


「おい、村を救ってくれた恩人にその言い方はないだろ、村長」

「なにをするかもわからん相手を、村に留めておくだけでも危険なのだ。さっさと出て行ってもらえ」

「そりゃ、昨日散々っぱら話し合ったろうが」

「三日だ。それ以上の滞在は認めん。祈り、さっさと行ってしまえ」


 取り付く島もないとはこのようなことを言うのだろう。

 ジョウハは苦い顔をしていたが、なにを言っても無駄だと悟ったのか、燃えている遺体の前で手を合わせて祈ると、すぐにリュウモの手を引いて集団から離れる。

 その際、強烈な恨み言が、耳に入った。


「ちきしょう、我ら『外様』が死のうと、『譜代』の肥え太った奴らは歯牙にもかけん。ちきしょう、ちきしょう……」


 氏族の長が、友の死に涙を流し、炎の前で怨嗟の声をぶつぶつと呟いている。

 それから逃げるように、リュウモは顔を背けて、ジョウハの背について行った。


「すまん、言った通りになっちまった」

「いえ、そんな……」

「いや、本当にすまん。いつもは、あんなんじゃないんだ。ただ、今回亡くなったのが、村長の親友でな。心が荒れてしまっているんだ。許してやってくれ」

「わかり、ました」


 さらりと告げられた事実に、リュウモは衝撃を受け、以降口を開けなかった。

 それから、村から出てすこしばかり北上し、小川に辿り着いた。

 ごろごろと石が川辺に転がっている。川は曲線を描き、それが最も大きな箇所に、岩壁のように切り立った岩があった。

 地中深く突き刺さった岩は、その大きな顔を地表に覗かせている。丁度よく、人が簡単に登れるぐらいの角度になっていて、その下には緩やかな流れの水面が見える。


「あそこが俺のお気に入りの場所でな、天気が良い日に一杯やりながら釣り糸を垂らしているのが、またいいんだこれが」


 くいっと、杯を傾ける動作をする。リュウモは、突き出ている岩を見た。


「それは、なんだかいいですね。とても静かで、落ち着きますし」


 川の、さらさらとした囁きのような声。周囲の木々が奏でるせせらぎ。偶に水面から魚が飛び跳ね、ポチャン、ポチャン、という響きがあるだけだ。

 それら以外はなにも無い、必要のない光景だった。


「うんうん、だろう? 村のやつらは大体、自分のお気に入りの場所を決めるんだ。ここは、俺の場所だ」


 気に入った場所を褒められ嬉しいのか、人懐っこい笑みを浮かべている。

 暖かい気持ちになりながら、リュウモは岩に登り、平らになっているところに腰を下ろした。巨大な岩は、二人分の重量にはまったく動じず、ぴくりともしない。


「さあて、じゃあ始めるか」


 ジョウハは、素早い手つきで釣り針に餌をつけると、川に糸を垂らしてくれた。流れに沿って、浮きが揺れている。

 反対側で水しぶきがあがった。間違いない、魚だ。しかも、かなりの大物だった。


「なんか、魚に馬鹿にされた気がします」

「おめーなんかに釣られるかよってか? 大丈夫。我慢だ我慢。ここは結構な穴場だからな」


 ジョウハの言葉を信じ、四半刻ほど。リュウモの浮きが大きく上下に揺れ、沈んだ。


「お、きたきた! ほれ、竿を引くんだ!」


 下半身に、ぐっと力を込めて踏ん張り、すこしの間、魚と格闘すると、リュウモは見事、釣りあげた。


「お、中々の大物じゃないか! こいつは、干し魚にしても美味いやつだぞ」

「わ、わわ?!」


 びちびちと活きよく暴れ回る魚をどうすればいいかわからず、右往左往していると、ジョウハがさっと釣り針を外した。

 竿の重さが消えて、リュウモはやっと肩の力を抜いた。


「はは、昨日、あんなに勇ましく戦っていた戦士様は、どこいっちまったんだい?」

「そ、そんなこと言ったって……」


 不意を打たれたように、どっと疲れた気がした。初めてのことは、必要以上に気を使う。

 リュウモは気を取り直すように息を吐くと、もう一度、釣りに集中し始めた。

 半刻ほど経って、どうやら最初に自分が釣り上げることができたのは、まぐれであったと、リュウモは認めざるおえなくなった。

 ジョウハは、まるで魚を口説き落としているかのように、ひょいひょいと釣り上げた。

 半刻としない内に、十匹もの魚がジョウハの竿にかかったのである。対して、リュウモは二匹釣るのが限界であった。単純に五倍の差がついた。天と地、大人と子供の差があった。

 しかし、大量であるはずなのに、ジョウハの顔色は優れなかった。しきりに釣った魚の様子を見ては、眉をひそめている。


「魚が、どうかしたんですか?」

「ん? いやあ、やっぱり最近釣れる魚は、どうも元気がないっつーのかな。様子がおかしいんだよ。身は引き締まってるし、でかいんだけどな」

「そうなんですか?」


 リュウモは、釣り上げた魚をもう一度よく見た。素人目では全然良し悪しはわからないが、活きはいいように思える。塩焼きにでもして食べたら、とても美味いだろう。


「なんていうのかな……元気がないといえばない。そう、怯えているような、感じなんだよな。釣り上げられて、こう、ほっとしてるみたいな」

「魚が水からあげられて?」

「ああ、変だよな? 川も水も、最近おかしいところが沢山あるし、なにより、声が悲鳴を上げてる。金切り声って、言った方がいいか」

「声、ですか」


 リュウモは、耳を澄ませて、ジョウハが言う『声』が聞こえるかどうか試してみた。

 川の流れる音が聞こえて来るだけで、彼が言った金切り声はどこにも無い。


「川や水の声は、俺たちコハン氏族しか聞こえてこないぞ。まあ、これも昨日言った、体質みたいなもんだ」


 ずっと同じ場所で暮らしていた影響か、コハン氏族は血を引く者なら誰であれ、水の声を聞くことができるのだという。凄い者は、川が人と同様に喋り出すのだそうだ。

 リュウモは、故郷で動物と会話できた村長の顔が思い浮かんだ。


「水、川が変になり始めたのは、最近なんですか? それとも、いきなり?」

「一月前ぐらいからだなあ。そんなに声が聞こえてこない俺でも、かなり強く耳に入る」


 ジョウハは、透き通った川を見つめた。


「表面はなにもないように見えて、その下はボロボロなんて話、よくあるもんだ。ただ、今回に関しては、全っ然原因がわからん。村のみんなも、不安になってる」

「初めてなんですか、こんなことって?」

「勿論だ。――――ああ、いや待てよ……?」


 なにか、似たような話を聞いたような……。

 ジョウハは瞼を閉じて、記憶の糸を手繰り始めていた。青い空を見上げながら、人差し指で、こん、こんと額を叩いている。すこしずつ叩く早さがあがっていき、止まった。


「ああ、そうだそうだ、思い出したぞ!」


 あのときだ、あのとき。そう言って、ジョウハは語り始める。


「おまえさんと会ったときに、熊が狂っておかしくなっちまったっていう話はしたよな?」


 リュウモはうなずいた。一日前の出来事を忘れてはいない。


「実は、同じ頃に、今ほどじゃなかったらしいが、川がおかしくなってな。どうも、村の連中も、体調をよく崩していたんだ。俺が、まだガキだった頃だ」


 記憶がおぼろげなのか、ところどころ止まりながら、話す。


「それで、えーと……その、おまえさんと同じ色の瞳をした連中が、助けてくれたんだ」

「おれと、同じ色の瞳?」


 ――そういえば、村長が若い頃に外へ出たって、爺ちゃんが言ってた……。

 確か、四十年ほど前だったはずだ。ジョウハの歳が五十なので、彼が子供だったときに起こった事件との年月は大体一致する。


「薬を処方してくれたり、熊を退治してくれたりしてな。最後は、川の上流に行って、なにかしてたみたいだ」

「上流――なにか、あるんですか?」

「ここらの川の源泉は、〈竜域〉にあるんだ。川を上へ上へ辿ってくと、到着する。まあ、助けてくれた連中は、さすがに〈竜域〉に踏み入ったりはしなかったみたいだが」


 ――上流でなにかしていたことは、確かってことか。

 〈竜域〉から流れ出てくる川。その上流に、なにかが起こった。


「まあ、そんなわけでな。俺たちは〈青眼〉であっても、比較的友好なのさ。なにせ、恩人なわけだ。俺の友人なんかも、ガキの頃、本気で死にかけてたからな。助けられてからは、考えが変わったよ。勿論、俺も」


 ようやく、リュウモは得心がいった。どうしてコハン氏族は、自分を害しようとしなかったのか。ずっと昔、〈竜守ノ民〉たちは、すでに信用を勝ち得ていたのだ。

 自分は、皆が死した後も、故郷を出ても助けられている。

 心の中を、暖かさと切なさが横切った。


「しっかし、そんときに連中が上流でなにをやってたかは、わからん。村長が知ってたらしいが、間の悪いことに、当時の村長は一年前に亡くなったんでな。手掛かりがないんだ」

「上流……〈竜域〉には源泉――もしかして」


 ひとつの可能性が頭を過り、リュウモは大岩から飛び降りる。足場が石で不安定だったが、難なく着地すると、川辺に跪いた。

 水面に指をつけて、湿った指を無くなった左耳の傷跡に当てた。

 『竜』に耳を切り落とされた日から、リュウモの左耳の傷跡は、〈禍ツ気〉に敏感になっていた。故郷では、布で耳まで覆っていたからまだましだったのだが、今回はどうか。


「いッ――!」


 焼けつくような痛みが、左から右へ走る。火傷とは比べるべくもない。

 間違いなく、川に〈禍ツ気〉が含まれている証だった。


(でも、変だ)


 水、特に川や海には、強い浄化の作用が『气』に働く。だから、川、海に濃い〈禍ツ気〉があるというのは、おかしなことだった。

 源泉が駄目になったとも考えられるが、そもそも元がそこまで変容してしまっては、この村は〈禍ツ気〉によって滅んでいる。

 おそらく、川の途中で〈禍ツ気〉が発生しているのだ。ならば、原因を排除してしまえば川は元の様子を取り戻すだろう。濃いといっても、辺りが黒く染まっていないのなら、まだ自然の浄化作用の許容範囲を超えていない証拠だ。すくなくとも手遅れではない。


「ジョウハさん。〈竜域〉には入れなくても、上流になら行ってもいいんですよね?」


 リュウモの提案に、ジョウハは目を見開き、うなずいた。





 家に戻り、釣った魚と道具を置いて、再び二人は川に向かい、上流に歩いた。


(もしかしたらだけど、予想は当たって欲しくないな)


 可能性が皆無なわけではない。むしろ、川の上流で〈禍ツ気〉が発生している線は濃厚だ。

 きっと、何十年も前にこの村を訪れた村長たちは、〈竜域〉から出て来てしまった『竜』を処理して、村に平穏を取り戻したのだ。

 自分に、村長と同じことができるだろうか。不安に苛まれながら、リュウモはただ歩いた。

 上流に向かうにつれて、辺りは鬱蒼とし始めた。木々が陽の光を遮り、葉がその身を透かせ、隙間から入って来る陽光が空中に光の帯を描いていた。

 足元が下流よりさらに不安定になったので、慎重に足を進める必要があったが、二人とも足腰は強いため、転ぶようなことはなかった。

 それを見つけたのは、上流に入ってから、四半刻程度経ったときだった。浅瀬に、魚よりも巨大な影が倒れている。それも複数。


「酷い……」


 あったのは、大量の魚の死骸ではない。『竜』が、何匹も川に横たわって死んでいる。体中を傷だらけにし、爪や牙が折れている個体も多い。

 〈禍ツ気〉によって理性が消し飛び、自らを省みずに戦った跡だった。


「こ、こりゃあ、大変だ……!」


 初めて『竜』をその目で見たジョウハは、今にも腰を抜かしそうだ。


「ジョウハさん、これを口に当ててください」


 リュウモは、布を袋から取り出して、ジョウハに渡した。


「こ、これは……?」

「〈禍ツ気〉……簡単に言うと、『竜』が死んだ後に発する『气』は、普通の人の体には毒なんです。これは、体に入って来る〈禍ツ気〉を防いでくれるものです」

「い、いや、それだったら、おまえさんが使ってくれよ。これでも体は丈夫だ」

「おれは大丈夫。これぐらいなら、平気です。もっと酷くなっていたら、そもそもここに来る前に死んでます。おれも、ジョウハさんも」


 リュウモの場合は、怒り狂った『竜』相手に、であるが。


「わ、わかった……。しかし、本当に、水が泣いて、ああ、いや、叫んでるな。こんなの初めてだ」

 耳鳴りが酷いように、ジョウハは眉間に皺を寄せていた。

「と、ともかく、〈竜鎮め〉の方々に連絡しないとな」

「〈竜鎮め?〉」


 聞いたことのない名前に、リュウモはジョウハを見上げた。


「『竜』は神ノ御使い様だけどな、本当に、偶に〈竜域〉から出てきて、外側で死んでしまう御方がいるんだと。そういった『竜』を、ちゃんと供養して魂を鎮め、天に送るのが〈竜鎮め〉っていう人たちだよ。皇都の宮廷におられるから、連絡すればすぐ来てくれる」

「でも、『外様』の人の言うことを、『譜代』の人たちは聞いてくれないんじゃ……」


 今朝、恨みを込めて『譜代』を罵っていた老人の話を聞いた限りでは、『外様』の存在など、どうでもよいという風だった。


「そうでもないんだけどなあ……昔は、確かに酷くて、皇都にも入れないようだったらしいんだがな。今じゃ、一部ではあるけど『外様』連中が皇都で商売してるくらいだぞ?」

「でも、そんな急に変わるんですか? 百年も、経っていないんでしょう?」


 ジョウハと、今朝の老人は、大体だが四十は離れているだろう。たった半世紀程度の月日で、人の心、国に染みついた感情や習慣は変化するだろうか? したのだとしても、あまりにも急激だ。舵取りを九十度方向転換したようにすら思える。


「風向きが変わったのさ。まあ、風を送っているのは帝なんだが……。とにかく、今はこの状況をなんとかしよう。どうすればいいか、知っているのかい?」

「その、〈竜鎮め〉の人たちがどういった感じで『竜』を処理するのか知らないですけど……。普通、こうなったら、『竜』を一か所に集めて火で焼きます。それから灰になった骸をある場所に撒きます。ただ、そこは〈竜域〉の中にあるので、無理ですね……」


 『処理』と言ったとき、ジョウハの眉がひそめられたのを、リュウモは見逃さなかった。


(『竜』について説明するときは、もっと気をつけよう……)


 信頼している人を、傷つける言動をするべきではない。


「……大体、俺が聞いた〈竜鎮め〉の方々の送り方と一緒だな」

「なら、大丈夫じゃないでしょうか」


 不安ではあったが、外には外の掟がある。郷に入っては郷に従えという言葉もあるくらいである。下手に相手のやり方に文句を言うのはよくない。結果として〈禍ツ気〉が抑えられればいいのだ。


「応急処置、ですけど、とりあえず『竜』を水の上から退けましょう。そうすれば、下流はましになるはずです。コハン氏族の人たち風に言うなら、水が大人しくなるはずです」

「そう、か…………よし、いいぞ、わかった。覚悟を決めたぞ!」


 パン! と頬を叩いて、ジョウハは自分に言い聞かせて、気合を入れていた。

 リュウモは川に入って、『竜』の死骸を観察した。幸い、触れてもまだ問題ない範囲だ。

 川を穢すほどの〈禍ツ気〉の濃さであったから、心配していたが杞憂だった。単純に、量が多いだけだ。地道にひとつずつ消して行けば、川はいつもの様子を取り戻す。

 死骸の下に手を入れ、持ち上げた。運ぶにしても、小型の『竜』であってもかなりの重量があるが、リュウモにとっては、そこまで重労働なわけでない。

 一匹目の死骸を川から出して、陸に置いた。ドスン、と重量を感じさせる、小さな地鳴りが起こった。

 振動で、それまで動いていなかったジョウハの体が、びくっと震えた。


「ああ、御使い様……申し訳ありません。下賤の身である我ら人が、御身に触れることをお許しください――!」


 まさに恐々といった感じで、ジョウハは『竜』の死骸に触れた。腰が入っていない、へっぴり腰のせいで、中々、捗らないようだ。

 そんな大人ひとりを尻目に、リュウモは淡々と、つまらない作業でもするかのように運び続ける。

 実際、『竜』の死骸運びは、リュウモにとっては嫌な記憶がたんまりと詰まっていた。


「う、うお……結構、重いな」


 そう言いながらも、ジョウハは軽々と『竜』の骸を持ち上げて、川から退かせた。


「肌が痛んだりしないですか?」

「おう? 問題ないぞ。この通りだ」


 むんっと、力こぶを見せて、ジョウハは笑った。

 過敏な者は、〈禍ツ気〉を含んだ物体に触れるだけで、酷い痛みを訴える。

 ジョウハは、そういったものとは無縁であるらしかった。


「村の人たちで〈目覚めの時〉を迎えた人は、いたりしないんですか?」

「〈目覚めの時〉? なんだいそりゃ」

「いえ、なんでもないです。忘れてください」


 リュウモは、また『竜』を一匹担いで、川から上げた。

(やっぱり外の人たちって、〈竜守ノ民〉とは違うんだな)


 生活の循環の仕方や、体の作り。それだけではなく〈目覚めの時〉が存在しない。

 だが、〈竜守ノ民〉が住んでいた場所を考えれば、外の人々と違いが出るのは当然だ。

 〈竜气〉はそこにいる生物に影響を与える。コハン氏族が長い間、川の近くに住みつき、周囲の環境に適応し、水の声が聞こえるようになったように、〈竜守ノ民〉もまた環境に合わせて代を重ね適応したのである。

 幼子であっても生来から体は頑強で、力は大の大人を上回り、〈目覚めの時〉を迎えれば『竜』さえも退けられた。

 ジョウハが必死で運んでいる『竜』の骸も、リュウモは重さを感じさせない動きで、簡単に持ち上げ、すでに何体も川から引き上げている。


「ほ、本当、思ってたけど、おまえさん、体力あるよ、なっ!」


 ジョウハは、最後の一匹を運び終え、額の汗を袖で拭いながら言った。


「体は丈夫なんです、おれらは」

「そう、なのか……」


 聞こうか、聞くまいか、ジョウハは迷っているようだった。だが、禁忌に触れると思ったのか、口から言葉が紡がれることはなかった。

 親切な人たちでも〈禍ノ民〉については、聞きたくはないらしい。


「よし、これでいいんだよな」

「はい、川はすこしすれば元に戻ると思います」

「はあ、よかった。じゃあ、帰るとしようか。釣った魚を調理しないとな」


 リュウモはうなずいて、帰途についた。途中、一度だけ、惨劇があったであろう現場を振り返った。

 『竜』は、だらん……っと、生気を無くした躰を晒している。痛ましい。

 本当なら、骸を〈竜ノ墓〉まで持って行ってやりたかったが、それは外の規則に反する。

 手を合わせ、彼らの冥福を祈り、リュウモは村に向かって歩いて行った。


 村に戻ると、ジョウハは急いで村長の家に走った。

 リュウモは、先に家に帰るよう言われたので、彼の家に歩いている。

 昨日とは違った、優しい色の夕焼けが家々を照らしていた。

 村は、まだ日が落ち切っていないにも関わらず、誰ひとりとして外に出歩いていない。

 喪に服しているのだろう。リュウモも、あまり外に居続けるのはよくないと思い、足を早めた。

 ジョウハの家の玄関口に着き、戸を開けようとしたときだった。うなじ辺りに、刺されたような違和感が広がった。誰かに見られている。

 咄嗟に、後ろを向いた。視線の先には、家屋の影に隠れている、黒衣装に身を包んだ人物がいた。


(村の人、じゃないよな)


 人物が纏う雰囲気が、コハン氏族たちが持つ空気とまったく違っている。

 緊張から解放された者と、まだ緊張の最中にいる者。人物は後者であるようだ。

 しかし、氏族の者ではないのだとしたら、誰であろうか。

 ジョウハが言っていたが、ここは皇国からかなり東の辺境と言われても仕方ない位置にある。そのような場所に外から来訪者が来るというのは、珍しいはずだ。

 そこまで考えて、リュウモは苦笑しそうになった。

 他ならない自分が、その珍しい来訪者ではないかと。

 気にするべき事柄ではない。リュウモはそのまま人物を確認せず、戸を開けて中に入った。




(ようやく見つけた……!)


 リュウモが見た人影――ゼツはやっと見つけた標的の姿を確認し、風もかくやという速さで野を駆けていた。日は落ちかけ、闇は濃くなり始めているが、関係はない。


(あの様子なら、あと二日は留まらねば準備は完了すまい。急ぎ、ガジン様に報告せねば)


 気配を悟られたが、幸い、〈青眼〉の少年はこちらが追手だとは気づいていない。そもそも、自分が追われているという認識すらないようだった。

 寡黙な、大人しそうな少年だったが、ゼツは彼を探し出すのはかなり苦労した。

 痕跡を消しながら進む、普通の標的であれば、探すのは困難ではない。どこかに隠れていようと、〈影〉の業ですぐさま見つけ出せる。皇国に牙を剥く存在を、何度と追い詰め、始末してきたゼツには、自負も実績も腕もあった。

 だが、〈青眼〉の少年は、信じ難い力技で、〈影〉であるゼツの追跡を、一時的とはいえ振り切った。

 ――本当に、まだ信じられない。休むことなく、一晩中、山を五つも超える距離を、走り抜けるなど。

 少年は、訓練された軍人の速度を、はるかに超える速さで駆け、突き抜けたのだ。

 まさに力技。子供とは思えない、人外の体力と速力である。

 足跡は残ったまま。木々の枝や葉には擦れ、折れた跡がいくつも残っていたが、追うのは容易でも、追いつくのは困難を極めた。標的を地の果てまで追えても、捕らえられなければ意味がない。あれを捕らえるには、もっと人数が必要だった。今の部隊には、追跡に長けた人材は何人かいるが、不足している。

 ――村から出られると、また面倒なことになる。

 ゼツは、疲労が溜まった重い体に鞭を打ち、上司の元に走り続けた。

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