第37話 彼女の悩み

「初めての人殺しがそんな重大任務だなんておかしいよな。まぁ、バーチャルリアリティー訓練でもう何万人も殺した後だったんだけど。実際に一度も人を殺したことがないし、パイロットだし、超絶美少女だし、怪しまれずにメデュラドに侵入できるんじゃないかって魂胆だな」


 まるで昨日のことでも語るかのように、彼女は初めての人殺しについて続けた。


「その当時、ルーニエスとメデュラドの仲が悪くなり始めていた。多分このころから、メデュラド国内では魔物の被害が大きくなり始めていたんだろうなぁ。その当時はそんなこと思いもしなかったけど」


 彼女は、近くにあったボロボロのベンチへと腰かけた。手を置くだけで、ミシリときしむ木製のベンチ。

 大人二人が座れば余裕もないほどのそれに、俺もためらわず腰かける。


 俺たち二人は、この街では浮いていた。

 道行く人たちが、珍しいものでも見るような視線を俺たちに送りつつ、足早に通り過ぎていく。



「フレイアの妹、アクアスって言ったんだけど。その子、ルーニエスの高官のお子さんとすごく仲良しでな。そいで、高官の娘さんが、ついうっかり国の重要機密事項をアクアスに漏らしちまったんだ」

「それで、口封じのために……?」

「そうなんだろうな。でも私はその時、まだ一二歳のガキンチョだ。ただアクアスという女の子を殺さないとルーニエスが酷いことになるとだけ言われて、言われた通りにアクアスを撃ち殺した」



 なるほど、それで一部の人間しか知らないはずのメデュラド王族の情報を、彼女が知っていたのか。

 これから殺す相手のことだから、彼女には伝えられたんだ。王族だけが持つ称号を。

 



 そこで一度区切り、大きく深呼吸する彼女。

 俺は何も言わず、彼女が再び口を開くのを待ち続けた。


 きっとこれは、俺がとやかく言える問題じゃない。



「……それでな。つい最近までは、アクアスを手にかけたことなんて何とも思ってなかった。無事に任務を遂行できてよかったなとしか、思ってなかった。だけど……」

「フレイアが……」

「そうだ。私が殺した女の子の実の姉が、目の前に現れた。昨日の夜、フレイアと宿舎の前で話し込んでいただろう? それを、私も聞いてしまってな……。だから、急に現実感というか、罪悪感というか、そういうものがこみ上げてきた」



 彼女が、目を伏せた。

 だけど俺は、やっぱり何もしない。ただ聞き役に徹する。







「……ここからが本題だ。さっき、謝った理由。あの時、戦えなかった理由。幻滅されても仕方ない。だけど、正直に話す。さっきの戦闘で、私は迷ってしまった」

「迷った?」



 たっぷりと空白を置き、決意を固めるように何度も深呼吸をするシャルロットさん。

 やがて、小さな声でこう言った。



「フレイアがここで死ねば、私の罪悪感も消えるんじゃないかってな。罪悪感を向ける相手が、いなくなるんだから」

 


 彼女の言っている意味が、最初理解できなかった。



 何度も彼女の言葉を頭の中で反芻する。



 やがて、干からびた大地に水がしみこんでいくように、腑に落ちた。



 アクアスを殺した犯人がシャルロットさんだということを、きっとフレイアは知らない。

 フレイアが生き続ける限り、シャルロットさんはいつバレるのかという恐怖を常に抱え続けなければならない。



 ならば、フレイアがいなくなれば?


 きっと彼女は、そういうことを言いたいんだろう。



「最悪だよな、私」



 そういった彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちた。

 涙をぬぐうことも、声をかけることもできなかった。

 

 頼りになる隊長でも、常に気をつかってくれる上官でもない。ただの女の子でしかないシャルロット・ハルトマンが、そこにいた。




「だから、トリガーを引けなかった。でも、そんなことを考えた自分が、今度は怖くなった」

「それで、さっきは攻撃しなかったんですね?」

「そうだ。でもフレイアの乗る輸送機にレイダーが突っ込もうとしたとき、我に返った。私は、姉妹二人もこの手で殺してしまうのか、と」


 そこまで語った彼女は、涙をふきつつ顔を上げた。

 そしてまっすぐな瞳で、俺を見据える。



「これが、私がお前に打ち明けたかったことだ。私はな、リョウスケ。お前がこの世界に、私の部隊に来てくれたことが冗談抜きでうれしいんだ。

 今まで、私と同じ空を飛べる奴は一人も現れなかった。しかもそれが同年代だなんて、奇跡って言っても過言じゃない」


 鼻をすすりながら、彼女はやっと笑顔を浮かべた。

 もっとも、いつもみたいなキラキラの笑顔じゃなくて、だいぶ無理して作り上げたものだったけど。



「だから、お前には知っておいてほしかった。これからずっと一緒の空を飛びたいから」



 まっすぐ目を見てそういわれ、俺はもう我慢できなくなった。

 


 ベンチに置かれていた彼女の小さな手に、自分の手を重ねた。

 今の俺にできる、精一杯の行動。



「俺も、シャルロットさんと出会えてよかったと思っています。あの、これからどうするんですか? フレイアのこと……」

「んー、なんかな。お前に話したら気が楽になってな。もう少しだけ先延ばしにしても、いいんじゃないかって思った。いつかは言わなきゃならないかもしれないけど。それは今じゃなくてもいいはずだ」

「そう……ですね」




 彼女の力に、少しでもなれただろうか?

 その答えはきっと、俺の手を握り返してくれたシャルロットさんの瞳が物語っている。


 そうだ。焦る必要なんて何もない。

 時間をかけて解決しちゃいけないなんて、誰も言っていない。



「リョウスケ。こんな汚らしい人間だ。私は。それでも、これからも一緒に空を飛んでくれるか?」

「もちろんです。これからも、よろしくお願いします」



 今度の微笑みは、やっと彼女らしい、キラキラしたものだったと思う。

 俺も、つられて笑った。





「じゃあリョウスケ。今度はお前の番だ。お前は私の悩みを背負ってくれた。今度はお前の悩みを私が背負う番だ」




 ためらう理由など何もない。俺はあの空で見た光景を、ことこまかに彼女へと伝える。

 話している途中で、また吐き気がこみ上げてきた。


 だけど彼女は、やさしく俺の背中をさすったまま、いつまでも俺の言葉を待ってくれた。




 ……何度も何度もそれを繰り返し、ようやくすべてを話し終えたのは、もう太陽が水平線に沈みかけ、その反対から夜の闇が差し迫ろうとしている頃だった。





「そうか、そりゃあ吐くよなぁ……」


 瞬き始めた一番星を見上げながら、シャルロットさんはしみじみと呟いた。

 

「でもリョウスケ。それが正しい反応なんだぞ? 恥じる必要はない。人殺しを楽しんではいないということが、これで証明されたわけでもあるんだしな」


 ポジティブな彼女の言葉。

 そう俺も心に言い聞かせると、自分の感覚がマヒしていないんだということを再確認できて、少しだけ安らかな気持ちになる。



「ゆっくりでいいんだ。また一緒に同じ空を飛べるように、ゆっくり慣れていこう。暫くは、奥の方でのんびり飛ばせてもらおうや」


 俺の肩を、元気よく彼女がはたく。

 ついさっきまであんなに弱っていたのに、今は全力で俺のことを考えてくれてくれている。


 もうこの時には、俺はシャルロット・ハルトマンという人間に惚れこんでいたのかもしれない。



「そう……ですよね。すぐに解決できる問題でもないですし」

「そうだ。私も自分の問題を保留する。お前も自分の問題を保留していいんだぞ」


 深く考えない。今の問題は、明日の自分に先送り。


 明日の自分なら、この問題を解決できる何かを手にしているかもしれないから。




「さて、そろそろ帰るか! 日も暮れそうだしな」

「そういえば、すぐ帰るなんて言ってきちゃいましたけど、大丈夫でしょうか?」



 来た時よりも、心は軽い。

 シャルロットさんの笑顔も、キラキラしている。



 この調子で、ゆっくり行こう。

 そう心に決めた俺に、どこかで聞いた声が投げかけられた。


「あれ? オニーチャンと美人なオネーチャン! こんなところで何してるの?」




 つい最近、聞いた声だ。


 俺たちは、声のした方向に体を向ける。



 そこには――


「なになに? デート? デートならもっといい場所があると思うんだけどなぁ」



 ――あの日、アーネストリア城塞市であった、あのクマのぬいぐるみの女の子。



 彼女が、あの日と同じ洋服を身に着けて、こちらに微笑みかけていた。









 


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