第2話 晴れた満月の夜に

 あれから一週間が経ちました。

 晴れた日もありましたが、ほぼ雪が降り続いた一週間でした。

 ヨハンは窓の外を見ています。

 今は雪もすっかりと止み、綺麗な夕焼け空が広がっていました。降り積もった雪が夕陽に照らされて、景色の全てを朱く染めています。その光景はまるで、地にオーロラを敷き詰めたような美しさでした。

 ヨハンは目の前に広がる赤の世界に、しばらくの間見入っていました。この季節の日の入りはとても早く、ほんの数分で空は暗くなりました。

 星々が煌き輝き出すと、急に部屋の中へと月の光が射し込んできました。

 今夜は満月です。

 ケット・シーが住む国の、森の中の一本の大きな木の下で、また猫たちの集会が開かれます。


(……そろそろ行こうかな? モゥが待ってるかも)


「にゃ~ぉ」


 ヨハンはいつものように、窓をカリカリと引っ掻きます。椅子に座っていたおじいさんは立ち上がり、ヨハンの側まで歩いていきました。


「どうしたんだいヨハン、こんな夜中に散歩に行くのかい?」

「にゃ~」

「今夜は雪は降らないみたいだけど、外は寒いよ? それでも行くのかい?」


 ヨハンはお座りをして、じっとおじいさんを見つめた後、「にゃ~」と一言、返事をしました。


「そうか、じゃあ開けるからね……。そうだ、これをしていきなさい。ばあさんがお前のために編んでくれたマフラーだよ」


 そう言うとおじいさんは、ヨハンの首にマフラーを巻いてあげました。赤いタータンチェックの、モコモコとしたマフラーはヨハンにとても似合っています。


 ――ガラガラガラ


 ヨハンはおじいさんに窓を開けてもらうと、月の輝く夜空の下へと飛び出しました。


「ヨハン、窓の鍵を開けておくからね。帰ってきたら自分で開けて入ってくるんだよ」

「にゃ~ぅ」


 ヨハンはおじいさんに返事をすると、小川に架かる小さな橋へと急ぎました。

 橋にちょうど着く頃、向こうからモゥがのそのそとやってきました。相変わらず牛のような猫です。


(……ちょっと太ったかな?)


 一週間ぶりに再会したモゥは、少しだけ大きくなったようにヨハンには見えました。


「久しぶりだな、ヨハン」

「うん、久しぶり!」

「しかし綺麗だな~……この景色、今のうちに楽しんどけよ!」


 モゥは辺りを見回しながら言いました。


「そうだね、次の満月は晴れるか分からないしね……まるで星空みたいだ」


 雪の絨毯が月の光に照らされて、星屑を散りばめたように輝く風景を、ヨハンはそう喩えると、


「……お前、上手いこと言うな」


 とモゥは感心しています。


「最初はまったく話せなかったのにな!」

「リリーとモゥのおかげだよ、ありがとう」

「俺のおかげじゃねぇよ……リリーの教え方が上手いんだろうよ。俺もリリーに習ったんだ」

「え! そうなの?」

「あぁ、すげースパルタだったのを……覚えてる……俺は物覚えがわりぃからな」


 遠くを見つめるモゥは、ブルブルと震えています。


(そ、そんなにだったんだ!?)


「そんなことより、そろそろ行くぞヨハン……リリーを待たせて怒らせると厄介だからな」

「う、うん。そうみたいだね」


 そうして二人は前に通った公園のトンネルへと急ぎました。

 雪の積もる街を駆け抜け、トンネルのあった場所まで来ると、数匹の猫が立ち往生しています。


『ざわざわざわざわ』


 二人は公園に集まる猫たちに歩み寄っていくと、立ち止まりざわめく彼らに、モゥは聞きました。


「ん? おいお前たち、どうしたんだ? そんなところに突っ立って」


 モゥの声を聞くとみんなが振り返り、その中の一匹の猫が言いました。


「あ、モゥさん……トンネルが開かないんですよ」

「何だって!? ……ちょい見してみ。……う~ん、どうやらトンネルが埋まっちまってるみたいだな。……よし、みんなで雪かきするぞ!」


 モゥの提案で、その場にいた全員で雪かきをすることになりました。


 ――二十分後――


「……雪かきってのは、意外に大変なんだな、ヨハン」

「……そうだね、疲れたよ……」


 力持ちのモゥでも、これはさすがにこたえたようです。ゼェゼェと肩で息をしています。


「お! トンネル開いたじゃないか、よしみんな行くぞ!」


 モゥの掛け声で、みんな一斉にトンネルの中へと入っていきました。


「モゥ、僕たちも急ごう!」


 みんなに続いて、ヨハンとモゥもトンネルをくぐります。

 長いトンネルを抜けると、ヨハンは眩い光に目を瞑りました。


「モゥ、前から思ってたんだけど、コッチの世界は昼なんだね……」

「あぁ、コッチの世界はアッチの世界と昼夜が逆転してるん……んげっ!!」

「どうしたの!? モゥ」


 モゥが急に変な声を出したので、ヨハンは驚いてしまいました。


「ヨハン……あれ、見てみ……」


 モゥは視線をそらし、先の方を指して言いました。


「ん? ……あっ!」


 ヨハンの視線の先には、切り株の上で腕を組み仁王立ちし、不機嫌そうな顔をしたリリーの姿がありました。


「あなた達……レディをこんなに待たせて、いったいどういうつもりなの!」

「あの、これにはわけ――」


 ヨハンがそこまで口にしたところを遮って、モゥが反論し始めました。


「しょうがないだろ、こっちもいろいろ大変だったんだ」

「何よ、その言い草は。……私たちがどれだけ待ったと思ってるの! 一時間半よ、一時間半!」

「それがどうした。俺たちはな、二十分も雪かきしてたんだ、こっちだって疲れてるんだよ!」


 リリーとモゥの口論は更に激化し、それは五分ほど続きました。

 ヨハンは二人のやり取りを聞くに堪えられなくなり――


「二人とも、いい加減にしろよ! ……僕はこんな口喧嘩を聞きに来たわけじゃないんだ」


 ヨハンもついつい口調が強くなってしまいました。


『……!!』

「……ごめんね、ヨハン」

「……悪かったな」


 ヨハンが止めに入ったことで、二人は落ち着きを取り戻しました。


「もっと仲良くしようよ、仲間じゃないか」

「……そうだな……悪かった、リリー」

「……なによ、悪かったのは私なんだから、謝る必要なんてないわ。……ごめんなさいね、モゥ」


 どうやら二人は仲直りしたようです。

 気付けば、周りにいる猫たちは、この前に来た時よりも更に大人数になっていました。その数、ざっと見ても三十匹以上。


「結構な人数が集まったようね……モゥ」

「そうだな、そろそろいいんじゃないか? ……とその前にリリー、ヨハンに説明があるだろう?」

「あっ! そうだったわね。……ヨハン、少し長いけど、これから話すことをよく聞いて」


 ヨハンは静かに頷きました。

 そしてリリーは深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めました――。


「……私たちが今いるこの世界は、ケット・シーと呼ばれる種族が暮らす世界なの。ケット・シーって言うのは、“猫の妖精”って意味よ。二本足で歩き、人語を喋る……それが私たちケット・シー。人間の中に紛れて一緒に生活している者……。この世界で生まれ、この世界で生活している者……様々ね。そんな私たちケット・シーは、王制を敷いているの。王様となった者はこの世界を統治するのが仕来りなんだけど……つい最近、王様がご病気で亡くなられてね。……だから次の王様の候補になりそうな人を探しているのよ。王様は選挙によって選ばれるから」


 リリーはここで一息つきました。


「そうだったんだ。……でも王様に奥さんや息子さんはいなかったの? いるんだったら後継者になればいいのに……」


 ヨハンは少し気になり、リリーに聞き返しました。


「……ふぅ~。問題はそこなのよ……。王子が生まれてからしばらくして、王妃様と王子は共にどこかへ行ってしまったらしいの。……いま生きているのか、死んでいるのかさえも不明なのよ」


 リリーは困った顔をして、首を左右に振りました。


「だからお前を連れて来たんだ、ヨハン」


 モゥはまるで出番を待っていたかのように喋り始めました。


「でもなんで僕なの?」


 ヨハンはそこがとても疑問に思いました。


「初めてあの橋の上でお前を見た時、こいつは何かが違う……そう思ったから声をかけたんだ」

「私も……初めてあなたを見た時に、なんだか不思議な感じがしたの……一目惚れしちゃったわ、モゥもなかなか見る目があるわよね~」


 二人ともべた褒めです。ヨハンは恥ずかしそうに俯きました。


「でも、僕に王様なんて、そんなの無理だよ」

「ヨハン、諦めるんだな……。リリーはこう見えても、王宮の秘書官なんだ。そのリリーがお前に決めたんだよ。きっといい線いくと思うぞ」

「そんな~……」


 モゥに諦めろと言われて、ガックリと肩を落とすヨハン。


「安心なさいヨハン。たとえ選挙で選ばれたとしても、王様直属の執事が認めなければ、王様になることはないわ」

「そうなんだ。僕が認められるわけないし……だったらなってもいいかな?」

「よし、決まりね!」


 リリーは、ヨハンが承諾してくれたことがとても嬉しかったようで、ピョンピョンと飛び跳ねています。そして、大衆に向かって宣言しました。


「みんな! この地区の候補が決まったわ、彼の名はヨハンよ、応援して上げてね!」


 ――パチパチパチパチ


『おぉ~、ヨハーン頑張れよ~』


 あちこちで拍手や声援が飛び交いました。みんな、ヨハンを認めてくれたようです。


「じゃあヨハン、あなたのことを色々と聞かせて! 推薦状を書かなくちゃ」


 そう言うとリリーは、切り株の脇に置かれた、可愛らしい花柄のカバンからペンと紙を取り出しました。


「え~と、名前はヨハンと……住んでるお家と家族構成は?」

「ログハウス風なお家で、おじいさんとおばあさんの三人暮らしだよ」

「へ~、ヨハンはじいさんばあさんと暮らしてんのか~」


 とモゥは興味深そうに聞いてきました。


「そうだよ、とても優しくて温かい人たちだよ。……モゥは?」


 どこか羨ましそうな表情をしているモゥに、ヨハンは聞き返してみました。


「よくぞ聞いてくれた! ヨハン聞いてくれよ! 俺の家はデカくて遊びがいはあるし、飯も美味いから文句はないんだ。けどよ、あのガキんちょ……五歳の女の子なんだけどな、俺の眠りは妨げるわ、パンチしたら泣き喚くわ、尻尾で遊ぶわ、飴玉投げるわ……もう踏んだり蹴ったりってな感じでよ~。……いっそコッチで暮らそかな」


 少し涙目になりながら、モゥは自分の家のことをヨハンに教えてあげました。


「アハハハッ! 最っ高ねその子、モゥはいじりがいがあるから楽しいんじゃな~い?」


 リリーは大爆笑しながらモゥに言いました。


「……勘弁してくれよ~」


 モゥは肩を落とし、しょんぼりしています。


「じゃあリリーは?」


 ヨハンは次にリリーに聞いてみました。


「私はずっとコッチで暮らしてるから、人間に飼われたことないのよね。私の家は代々秘書官なの……父と母と姉がいるわ」

「へ~、そういう家系なんだ」


 ヨハンはとても感心しているようです。


「オホン! 次の質問よ、ヨハンのご両親は?」

「あっ……。ごめん……僕、覚えてないんだ。気付いたらおじいさんに拾われてた」


 ヨハンは少し申し訳なさそうにリリーを見ました。リリーも聞いてはいけないことを聞いてしまったと、後悔しているようです。


「そうなの……ごめんね。んまぁいいわ、そこら辺はなんとかなるでしょ。以上よ」

「ううん、いいんだ。ところで、それ持ってどこ行くの?」

「王宮に行って受付に提出するのよ。きっと今頃は各地の候補者が集まってるはずよ。急ぎましょ!」

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