真夏の悩みと煩悩クエスト

 翌週。


 私達は前回とは反対側の駅方面、茜商店街から見て北側を散策した。こちら側は住宅が多いせいか、食べ物屋さんは少なくてナポリタンがあったお店は僅か4軒。

 うーん、物足りない……。

 それは真夏ちゃんも同じようで、前回のようなテンションがまるでない。

 いかん! こんなものでは私達のお腹は満足しないのだよ。


 そうだ、ここは真夏ちゃんの期待に応えるために、目に入ったオイシそうなものは片っ端から食べることにしよう。

 方針転換!

 こういうデートもありだよね。うんっ! アリ! 臨機応変!


「真夏ちゃん、プラン変更。今日は『食べてみたい』と思った店は全部入ることにしよう」

「え? えっ? なんか本来の目的と違う気がしますけど、それだとタダの食べ歩きになっちゃいませんか?」


 ありゃ? ダメ?

 諸手を挙げてOKだと思ったのにキョトンとしてるぞ。


「そうだけど、なんていうかさ、食べ足りないっていうか……」

「それってお姉ちゃんが、ただ食べたいだけですよね」


 うっ、やめて! そんな純真な眼差しで私を見るのは! 煩悩に負けてる自分が薄汚くみえるから。


「だめ……かな?」

 なんか横目にじーと見られているんですけど、これは自堕落な私への軽蔑では……


「……イイと思います! 実は私も物足りなかったんで、それ、うれしいです!」

「うわぁ、ありがとう!!」


 いやぁドキドキした。「お姉ちゃんは、ただの食欲魔人です」とか「貪食は七つの大罪です」とか言われたらどうしようかと思ってたから。

 不用意な発言でお姉ちゃんブランドを落すわけなはいかない。


 しかし、真夏ちゃんはしっかりしてるなぁ。

 お腹のスイッチが入っちゃっただけの私とは違うよ。

 私、普段は大食いじゃないけど、食べるぞーって思ったときは、お腹の重みを感じるまで食べないと気が済まないんだ。

 ぴっちりした服が体を圧迫する感じとか、丸々としたお腹を撫でる感触とか人には言えないけど快感。

 そう、私はいまスイッチ入っちゃってるんです!

 真夏ちゃん、今日は私の煩悩クエストに付き合ってもらうよ。



 仲間を引き連れ都会という名のダンジョンをさすらう冒険者。さぁ敵はどこだ。なぐごいねぇが~


「あ、お稲荷さん!」


 パーティーメンバーに加わった真夏ちゃんが、さっそく黄色い声を上げる。

 最初に出会った敵は、お稲荷さんだ。

 真夏ちゃんが指さす方を見ると、かわいい木製のお稲荷さん型の看板に「みけつ」の文字。遠くからでも微かに稲荷さんのいい香りが漂ってくる。

 うう、この香りはたまんない。いきなり強敵だ。


「食べちゃおうか」

「はいっ!」

 うひーん、いい顔するなぁ。そんな顔されたら、もうお姉ちゃん20個でも30個でもお稲荷さん買っちゃうよ。


 店員さんが透明なパックに入れてくれたお稲荷さんは、日の光を浴びてピカピカ。

 お稲荷さんってピクニックとか運動会のイメージだから、日常にあるとなんか新鮮。

 そんな非日常をパクっと頬張ると、唇に触れる柔らかな感触に続き、皮からじゅわと甘いお出しが出てきて、そのお汁を吸ったお米がほろほろ口の中で崩れる。


「うん、おいひい!」

「うん、これならいくらでも食べちゃう」

「だね」


 ホント100個くらい食べられそうな美味しさだ。

 これは穴場発見!

 ここに住んで長いけど、ちょっと歩いたらこんなおいしいお店があったんだ。今度先生に買ってってあげようっと。

 先生、おいしいって言ってくれるかな。


「僕のためにおいしいお稲荷さんを見つけてくれたんだね。ありがとう、梓」なんて言われちゃったりして。んで、頭をぽふぽふしてもらうんだ。

 にゃー!

 そうだ! ここでサキさんが言ってた悩殺下着の出番か! ぽふぽふ程度で満足しちゃってどうすんの!


「梓ちゃんには、セクシーさが足りないのよね」


 あのサキさんの侮辱とも思える言葉に奮発して買った下着。高かった。

 ここで使わずいつ使う!

 先生から来ないなら私から撃って出てやる! これが本当のセンセイ攻撃ってやつだ。


 ふんっと軽いガッツポーズをしていると、真夏ちゃんが私の事をじーっと見てる。

 いけない、いけない、未成年には言えない妄想だった。最近妄想が暴走ぎみかも。欲求不満だったらやだなぁ。


「お姉ちゃん、向こうにドーナツもあるんだけど……」

「行ってみる?」

「うん」


 冷静を装って返事をしつつも現実に帰れば食欲に忠実な私が降臨。どっちに転んでも煩悩だ。

 食べかけのひじきのお稲荷さんを頬張りながら、のんびりドーナツ屋さんまで歩く。ぽくぽく、ぽくぽく。

 いいね~煩悩クエスト。


「あ、豆乳ドーナツだって」

「豆乳ドーナツ?」

「どんな味だろうね」

「う~ん、食べないと分からないですね」


 とりあえず敵を知るために、プレーンとメイプル、チョコ、抹茶フレーバーから倒すことにする。

 半分じゃなくて1個ずつ食べるところが私達らしい。ハイレベルプレイヤーの私達はそんなセコセコしたことはしないわよ! まとめてかかってらっしゃい!


 店員さんが小さな紙袋に包んで渡してくれたドーナツは、まだ熱々で香ばしい香りがふわっと漂う出来立てだ。う~ん、いい感じ。


「これ焼きドーナツですね」

「はい、いま丁度焼けたところです。油を使わないのでヘルシーでカロリーもやさしいですよ」

 だって。


「真夏ちゃん、カロリーだって」

 ちょっと、真夏ちゃんのお腹を見ちゃう。


「うう~、お姉ちゃんのイジワル……」

「ごめんごめん、でもここのはローカロリーだからいくら食べても大丈夫だよ」

「知らないから言うんだ。私、幾らでも食べたら絶対太るよー」

「そうか~、真夏ちゃんだったら3、40個はいけちゃいそうだもんね」

「そんなに食べないよう」


 真夏ちゃんにダメージを与えてしまった。これじゃ同士討ちだ。ちょっとイジワルだったね。でもかわいくて、つい。

 店先にある緋毛氈に二人で座り、仲良く焼きドーナツをぱくつく。

 焼き豆乳ドーナツはさっぱり味。ちょっとぼそぼそするけど意外においしい。


「ほろっとしてておいしいけど、真夏ちゃんどお? 味の感想は?」

 真夏ちゃんの味覚はどんなかな。


「はい、えーっと……焼きドーナッツ独特の小麦の焼ける香りが食欲をそそりますよね。生地はちょっと重めのケーキのスポンジみたい。しっかり歯ごたえがあって、噛むほどにまぶし砂糖と豆乳を含んだ生地が口の中で絡み合ってふくよかな甘さが広がってくる感じ。普通の揚げたドーナツって甘さが前面に来るけど、これは後味がゆっくり楽しめる優しい味で、さっぱりしてるから、ついもう一個食べたくなっちゃう」

「……」

「お、お姉ちゃん? 口が空きっぱなし」


「スゴ……凄過ぎるよ真夏ちゃん! やっぱ文才ある~。なんでそんなのスラスラ出るの!?」


 今度は私がダメージだ。

 私が感動のあまり真夏ちゃんの両手をがっしり取って詰め寄って褒めちぎったら、真夏ちゃんに「そ、そうですか」と逆にびっくりされてしまった。


「思った通りに、言っただけですよ」

「それが、ぽろっと出るのが凄いんだよ。怖いなぁ才能って」

「怖い?」

「そうだよ、無自覚なのが怖いよ。真夏ちゃん国語の点数いいでしょ」

「いえ、全然ダメですけど」

「え? なんで?」

「暗記ダメなんです。漢字が覚えられなくて、私……」


 あらら、なんか落ちて行っちゃうよ。


「小っちゃい頃から覚えるの苦手なんです。だから社会とか理科とかも全然ダメで」

 あーれー、私の天使ちゃんがどんどん小さくなっていく。


「学年が上がると覚えるのも増えていくから、結構やばいなって思ってます」

「そうなんだ。でも言葉とか食材とかいっぱい覚えてるじゃない」

「好きなものは覚えられるんですけど、モッツァレラチーズとかパルミージャーノレッジャーノとか覚えてもテストに出ませんから」

 うん、うん、確かに。


「お母さんは、『真夏は集中力がないから覚えられない』って言うんですけど」


 暗記の辛さか~。分かるわー。私も大学入試の勉強してるとき凄い苦労した。

 覚えられなくて、夜中にストレス発散でバリバリお菓子食べてたっけ。

 あれ、すごい量食べてたなぁ。

 ヒドイときはポッキー10箱とか大袋のパイの実全部とか食べてたもん。ご飯食べた後だったのに。

 いやー太らない体質でホント良かったよ。

 わたし普通の体質だったら、今ごろ100キロくらいあってもおかしくない。


 だけど真夏ちゃんはそうはいかないんだ。

 なんとかしてあげたいな。真夏ちゃんの笑顔が見たい。


「ねぇ真夏ちゃん、私と一緒に勉強してみる?」

「え?」

「あ~、でも正確には私じゃなくて先生となんだけど」

「ん?」

「先生は実は凄い人なんだよ。医科大学の内科医だったんだけど勉強し直して総合医になったんだ。だから勉強のプロだよ」

「そうなんですか? なんか申し訳ないですけど、のほほんとしてて頼りなさそうなんですけど」


 あたた、やっぱりそう見えるんだ。先生って。

 あんなにデキる人なのに、商店街のみんなからイジられまくってるし、皆に先生の凄さが伝わってないんだよねー。

 白衣を着てる時は威厳があるんだけど、むしろ先生の本体って白衣の方じゃないのかしら。


「大丈夫、先生なら」

「お姉ちゃんじゃなくて?」

「うっ、教えたいのはやまやまなんですが、きっと私より上手に教えてくれると思うんだよね。だから私も一緒に先生の授業を受けるよ」

「でも、そんな迷惑になっちゃう」

「違うの迷惑じゃなくて、私が真夏ちゃんの役に立ちたいから」

「なんで」

「なんでかな。なんでだろ。だって好きな人が困ってたら力になりたいじゃない。それじゃダメ?」


 それを伝えたら、真夏ちゃんの瞳に光るものが。

 あれれ、なんかぽろぽろ泣き始めたよ。


「ううっ」

「どうしたの?」

「ありがとう、お姉ちゃん!」


 震える小さなて手で、私のスカートの裾をぎゅっと握っている。

 じんわりこぼれる涙をハンカチで拭いてあげながら、真夏ちゃんの素直でキラキラした笑顔の裏にある苦しさや悩みを少しだけ吐き出すお手伝いができて、よかったと思えた。

 本当に妹みたいで愛おしい。

 やさしい焼きドーナッツさんありがとう。おかげで真夏ちゃんにもっと近づけた気がするよ。


 まだ少し目をはらした真夏ちゃんの横に座わり、ちょっと傾いてきた日差しの中まったりドーナツを食べる。

 丈が短いワンピースの足をそろえて、お行儀よくちょんと座る真夏ちゃん。

 店先をふわりと通り抜けていく風に揺れるポニーテイル、ちっちゃいドーナツを両手で持って食べる仕草がまるで子リスのようでとってもかわいい。


「真夏ちゃん、おいしいね」

「はい、おいひいです」

「こういう思い付きで入る食べ歩きもいいね」

「はい、こういうのいいです……」

「ん?」

「お姉ちゃん、ありがとう」


 このありがとうが食べ歩きの事なのか勉強の事なのか分からなかったけど、さっきとは違ったいい顔になってる。

 その顔につられてか、通りかかる人が興味をそそられて、どんどんドーナツが売れていく。

 あ、それで店先に椅子があるのね。

 私達、随分お店に協力してあげちゃった。



 ドーナツを食べたら、また煩悩クエスト再開。

 午後とはいえ8月はかなり暑い。アスファルトの照り返しもあって二人とも汗だくになってきた。

 商店街は日影が多いから暑さがあまり気にならなかったけど、世界はこんなに厳しかったんだ。

 私甘やかされて生きてきたんだなぁ。


 それに一杯食べると体が熱くなるし、ノースリーブだけど全身ベタベタ。人が見てなかったらここでスカートバタバタしたい。髪も真夏ちゃんみたいに結んで来ればよかったな。


「あっついねー、真夏ちゃん汗すごいよ」

「お姉ちゃんも」

「ちょっと休もうか」

「はい」


 もう北街区の駅前まで来ているので、避暑によさそうな店もチラホラ見えてきた。

 ここに来るのは今日二度目。ナポリタンの食べ歩きでも来たので、これだけ歩けばそりゃ休みたくもなるよ。


「真夏ちゃん、ここはどお?」


 ぱっと目に入ったお店だけど、いい店か危うい店か全然分かんない。残念ながら私は初見でお店の良しあしを見抜く力がないので、ここは真夏先生の鑑定眼に頼むとしよう。


「う~ん、なんか店構えが埃っぽい感じがしますけど」

「そうか……でも、か弱いお姉ちゃんはもう体力の限界」

「じゃ、その奥のお店はどうですか? ちょっと店先ののぼりがうるさくてゴチャゴチャしてますがアッチの方が良さそうですよ」

「甘味所だね」


 ガラガラと音がする引き戸を開けると予想通り純和風。

 木の格子椅子に四人掛けのテーブルがあり、のぼりにあった通り、かき氷の機械が入口カウンターに置いてある。メニューを見ると、あんみつ、わらびもち、おしるこ、甘酒。

 甘酒もいいなぁ。夏の飲み物だからね。でも今は冷たいものがいい。同じ飲み物でもひやしあめとか。


「あ、ここビッグパフェがありますよ!」

 店の中を見回していた真夏ちゃんが、テーブル横にあったアクリルスタンドを見て歓声を上げた。


「おおっ、いいね~。じゃ、それ一つずつ」

「食べるの?」

「食べるでしょ?」

「お姉ちゃん、食欲に素直すぎだよ」

「へへ~、だからこうなっちゃったんだよ」


 ビッグパフェ、いったいどんなものなんだろう。どのくらいビッグなのかな? チョコかな? フルーツかな? 写真がないから色んな想像ができちゃう。

 ワクワク、ワクワク、来るのが楽しみ。


 パフェを待つ間、避暑地から外を伺うと面格子の窓越しにアブラゼミの声。

 私達の後から店に入って来たサラリーマンが暑い暑いと言いながらネクタイを緩めて、手拭で顔をゴシゴシふいてる。

 夏の風物詩だねぇ。

 いいなぁ。男の人はあんなこと出来て。夏は絶対男の人の方がいいよ、女の子は化粧も崩れるし、日焼け止めは面倒だし、脇汗は気になるし。


「あっ!!!」


 私の奇声に真夏ちゃんが目をパチクリさせている。

「どうしたの? お姉ちゃん」


 いいこと思いついちゃった!

 これならきっと真夏ちゃんも元気になっちゃう!

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