♯2

みゆき なにしてくれてんのよ。ここはあたしが丑の刻参りするために場所をとってあるの。

中年男 (紳士的な態度)おや、そうなんですか?それは失礼しました。さっきから銀杏の木を放り出してずっとおふたりで喋ってばかりいるものだからてっきりここは空いているものかと思いまして。

みゆき 空いてるわけがないでしょう。あたしがお参りしようとしてたのにこいつが邪魔するもんだから文句いってただけよ。さっきっからずっとその話をしてたのに、あんたきこえなかったの?

中年男 お若いおふたりの会話を盗み聞きするなんて、そんな破廉恥な……。

みゆき ちょっと、お若いおふたりとかってひと纏めにしないでくれる?あたしとこいつとは何の関係もないんだから。

トシオ (鼻で笑う)……ハレンチだなんて言葉、久々にきいた。

中年男 (喰いつく)破廉恥。言いませんか?最近は。

トシオ 全然。(みゆきに)ねえ。

みゆき そーよねえ。言葉は知ってるけど、どんな字だったかイメージできないわ。

トシオ どんな字って、みゆきさん何言ってるんですか。カタカナ四文字でしょ?

みゆき そうじゃなくて漢字があるのよ。三文字。……書けないけど。

中年男 「破・廉・恥」……ハは破る。レンは安い値段を意味する廉価の廉。チは恥と書きます。恥の概念が安っぽくて破れている、そういう人としてどうかなーって有様を表す言葉です。わかりやすく砕いていえば恥知らず、でしょうか。


 みゆきはお前のことだといわんばかりにトシオを見る。トシオ反発する。ふたりは中年男を無視して無言で抗争をはじめる。


中年男 ……(突然声を張る)しかし本当にそうなのでしょうか?

みゆき え?

トシオ うわ、びっくりした。

中年男 「恥を知る」という言葉があります。よくいいますね「恥を知れ」と。恥という概念は日本において高潔な人格者が持つ倫理、行動様式であるとされています。恥の文化があるから日本人は礼儀正しく清潔で勤勉かつ真面目。つまり日本人の文化良識の土台を支えるとてもよいものであると考えられています。しかし本当にそうでしょうか?たとえばあなた(ビシッとトシオを指す)あなたはそんな社会習慣に満足していますか?恐れることはありません。心の深淵を覗いてごらんなさい。恥ずかしい奴だと人に思われたくなくて社会からおしつけられた規範から外れないようびくびくしながら生きる。実はそんな生き方に息苦しさを感じているのではありませんか?そうでしょう。

みゆき (トシオに)ちょっとぉこのおっさん何いってんの?

トシオ (熱心に聞いている)待って待って。今いいとこなんだから。

中年男 ルース・ベネディクト女史はその著作『菊と刀』において日本を「恥の文化」であると定義しました。他律的な「恥の文化」の社会においては個人より集団が、正義より名誉が優先され、個人の道徳心は他者により左右されてしまう。恥を恐れて生きていくということは、社会規範から逸脱することを恐れて、己を押さえつけて生きていくことに他なりません。恥という概念は私達を縛りつける鎖なのです。 (口調を変えて)さきほど、あなたは……みゆきさんとおっしゃいましたっけ?あなたは丑の刻参りをするのに警察がどうだとか神社の許可がどうしたとか悩んでらっしゃった。

みゆき やーねー、やっぱりきいてたんじゃない。いつからきいてたのよ。

中年男 しかしそんなことでくよくよ思い悩む必要などないのです。

みゆき へ?

中年男 そもそも丑の刻参りをする、つまり誰かに呪いをかけるという行為そのものが反社会的な行為。私達は五寸釘を手にしたその瞬間から反社会的存在なのです。そんな反社会的存在である私達、つまり社会の常識を飛び越えた超越的存在である私達が何故世俗的な規則の番人である警察に怯えたりいちいち神社の許可を得たりしなくてはいけないのでしょうか。

みゆき え?いいの?しなくて。(話が違うぞという顔でトシオを見る)

中年男 「廉」という漢字は安っぽいという意味とは別に「清々しい」とか「潔くけじめのついた」など、シンプルな美しさを表す言葉でもあるのです。

みゆき (話の展開がみえなくて無感動に)へー。

中年男 私達の行動・思想を制約する恥という概念に対して潔くけじめをつけて一線を画し軽やかにこれを突き破る。これぞまさに「破・廉・恥」!社会の常識・既成概念から解放された全く新しい自由な人間としての在り方。それが丑の刻参りをするべく社会の規範から抜け出した私達の本質なのです。


 トシオ感動して拍手。


みゆき (感心)すごーい、破廉恥って立派な言葉だったんだー。

中年男 と、いうわけで (振り向いて木に釘を打ち付けようとする)

トシオ (気付く)……え?あれ!

みゆき (振り向いて)こら……ちょっと待てーい!

中年男 (動作が止まる)は?


 みゆきは中年男と銀杏の木の間に割って入る。

    

みゆき だーかーらぁ。さっきっからいってるでしょ。今夜はあたしが一番乗りしたんだから、あたしがお参りするの。駄目よ。横入りしちゃ。ちゃんと順番を守って。あなたたちって社会人としての常識が欠けてるんじゃない?そんなんじゃあーあこの人達はどんな育てられ方をしたんだろ、可哀そうにーって思われちゃうわよ。恥ずかしくないの?

トシオ (低く冷静な声で)いいえ。みゆきさん。今の話をきいていなかったんですか?

みゆき え?

トシオ 何も思い悩むことなどなかったんだ。ぼくらは丑の刻参りをしようと五寸釘を手にしたその瞬間から反社会的存在。社会常識とはきっぱりけじめをつけて軽やかに既成概念を突き破る「破・廉・恥」……順番なんて……社会常識なんて……。(ナグリを構えゆらりとみゆきに迫る)

みゆき ちょっと、どうしたの?目がマジだよ?

トシオ ぼくには今日までこの神社に通いこの銀杏の木に打ち込めてきた想いがあるんだ。その想いを貫くためだったら、丑の刻参りの満願を果たすためだったら……ここは力ずくで押しのけてでも!

みゆき な、何よ。か弱い女に暴力を振るおうっていうの?ひどーい。ひどいひどいっ。

トシオ みゆきさん、どいてください!ここはぼくに譲ってもらいます!

みゆき いやーっ近寄らないで!痴漢ヘンタイ童貞ダメ男ブサメンお下劣レイプ犯!

トシオ (たじろぐ)いや、そこまでいわなくても。傷つくなぁ。しませんよレイプなんて。ただちょっと順番を替わってもらおうってだけで。(中年男に救いを求める)ねぇ。

中年男 いえ、私も感心しませんね。

トシオ えぇっ!

中年男 丑の刻参りとは木に念を打ち込めることで神と遭遇するということ。善悪の違いこそあれ、これもまた神事に他なりません。呪いとはその一途な思いがあってこそ。こともあろうにその神事の最中に女性を見て劣情を抱くとは! (怒っている)

トシオ いや、抱いてないですから。劣情なんて。

中年男 (無視)確かにあなたはお若い。わかります。私だってあなたくらいの年頃は青くて若い衝動を持て余してモヤモヤしていました。まして深夜こんなかわいらしい魅力的なお嬢さんとふたりっきりで向き合えば、人にいえない卑しい想いを抱くこともあるでしょう。(みゆきに)しかしそれを責めてはいけない。それはこの青年の罪じゃない。あなたの美しさの罪なのです。

みゆき あら。やだわ(赤くなる)

トシオ そんなんじゃないし。もしもーし、人の話をちゃんときいてください。

中年男 (無視)さて、せっかく一番乗りなさったことだし、ここはそれを尊重してみんなでお嬢さんがお参りを終えるのを待とうじゃありませんか。あの震災の大混乱の中でも自主的に列を作り秩序だって行動した大衆ひとりひとりの高度な社会意識。それこそが美しい日本の心というものです。

トシオ (弱々しく抗議)……さっきといってることが違うじゃないか……。

みゆき (舞い上がっている)おじさん、すてき……。

中年男 (みゆきの手を取って銀杏の木の前に誘導する)さ、お嬢さん、どうぞ。

みゆき (勝ち誇って)とにかく今夜この銀杏の木で丑の刻参りするのはあ・た・し。この権利は絶対誰にも譲りません。

トシオ あーあー、そうですかっ。わかりましたよ。じゃあもういいです。やってみればいいでしょ。どんなことになるか。(あきらめてベンチにドカッと座る)


(続く)

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