新元号:西暦

平成三十年。国論は二分されていた。

「総理。ご決断を」

 総理の右側から迫るのは文科相だった。彼をはじめとする保守系の政治家たちは、一様に「日本の伝統を重んじ、国を誇れるような元号」を求めていた。元号を漢籍からとるなどと言語道断。誇れる日本の伝統である元号を絶やしてはならぬ……というわけである。

 総理も内心は同じだった。ぜひともここでかっこいい元号を選び、この元号になったのは誰それ総理のときだと小学校で教えられるようになりたかった。だがここで、そんな素朴な思いを優先させるわけにはいかない事情があった。

「総理。ご決断を」

 左から迫るのは国交相だった。彼は総理の率いる与党と連立する小党の一員だった。彼を始めとするリベラルな政治家たちは、時代錯誤と言って元号の廃止を求めていた。確かに一理ある、と総理は思った。何かのたびに、平成何年が西暦何年なのか換算するのは面倒だった。それに、元号を廃止した大胆だが先見の明のある総理と言われるのも悪くないと思っていた。連立政党の意向を無視すれば政権がおぼつかないという理由ももちろんあったが。

「「総理、ご決断を」」

 総理は生来、優柔不断だった。決めなければならないことは他人に決めてもらって、今日までの七十年を生きてきたからだ。だがそれをしてくれる側近たちは、このありさまである。

「……わかった」

 総理は、自分の決断が真に迫るように、低い声で言った。注目が一挙に集まるなか、総理は色紙を一つ選ぶ。

 これこそが、双方の要求のちょうど間をとる名案であると、総理は内心自画自賛していた。



「新元号は……西暦」



 それから三年後のことである。さる大学の准教授が、役所へ提出する研究計画書の作成を行っていた。しかしこの准教授、アメリカから先年赴任したばかりであり、日本語は達者だが文化には未だ慣れないでいた。当然、ジャパニーズショルイの制作も苦労極まり、大学の事務員に手伝ってもらいながらなんとか進めているところだった。外からは明るい春の陽気を楽しむ学生たちの声が聞こえてくる。

「ではここに、本日の日付を……西暦でお願いします」

「あぁ、えっと今年は……そうだ。西暦二〇二一年だな」

「いえ違います。そっちの西暦ではなく、三年のほうの西暦で……」

「三年のほうの西暦? なんのことだね? キリストが生まれてからわずか三年しか経っていないということはあるまい」

「いやいや、キリストではなく元号のほうの西暦です。今年は改元から三年目にあたるので」

「あぁそうか、そうだったな。普段使わないもんだからすっかり忘れていた。西暦三年、と」

 准教授は頭を掻きながら用紙へ記入していく。日本語には同音異義語が多いから、レインキャンディーを間違えるなよと、アメリカの同僚が笑っていたことを思い出す。雨と飴くらいなら間違えることもないのだが、ここまで大胆な同音異義語は初めてだと准教授は困惑した。

「では次に、研究計画のスタートとゴールの期間ですね。スタートは来年度からですよね?」

「うむ。これは十年かかる大掛かりな計画だからな。終わりはA.D.で二〇三二年だから……年号の西暦で十四年まで。いやこの国では学校のスタートは四月で終わりが三月だな? では四年の四月から十四年の三月までと」

「いえ違います」

「そうか?」

 准教授が指折り数えだそうとするのを、事務員が止める。

「日本の学校では正月を過ぎても四月になるまでは前年と同じ年として扱われます。年度というシステムですね。なので四年度の四月から十三年度の三月……のはずです」

「なんとややこしいのだ。ただでさえ西暦でややこしいのに」

 准教授は非合理的極まりないシステムに憤慨した。しかしルールに沿って書かなければカケンヒに採択されないので、怒りを飲み込むほかなかった。

「ではいよいよ最後の作業ですね。今までの業績をここへ書いていきます。元号で」

「ここもゲンゴーなのか……」

 准教授は予め用意していた業績のリストを取り出した。アメリカでの業績であるから、もちろん西暦(A.D.のほう)である。これをちまちま、元号の年へ直していかなければならない。

「まったく……昭和というのは何年まであったんだったかな」

「六十四年ですね」

「では一九八九年は昭和六十四年か」

「いえ、昭和六十四年は一週間しかなかったので、ほぼ平成元年ですね」

「なんだと? 一週間? 本当にややこしいな。平成は三十年きっかりで終わったからまだ計算が楽だが」

「平成も四か月間だけですが、三十一年があります」

「……だれが得をするんだ、この仕組みは!」


 准教授が業績を書き終わったころには、外もすっかり暗くなってしまっていた。それでも何とか、彼は書類を書き上げることができたのだった。

「ようやく終わった……あとすべきことはあったかな?」

「ここに印鑑を。お持ちですよね?」

「うむ……」

 准教授は「ろすうぇる」と書かれたゴム印を、所定の場所へついた。しめて二十七か所である。

「終わりか?」

「そうですね。では早速文科省へ送ってしまいましょう。ファックスで送るように指定されています」

「Fuck?」

「ファックスです。世界に改元を知らせた日本伝統のからくりです」

「からくり? そんなものがどこにあるのだ? この時代に」

「本学の博物館に所蔵しています。使えるように手配しているので行きましょう。ささっ」

「ふむ、本当に面妖な国だな……」

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