第31話 クランベルの試練


 次の日のお昼ごろに街を出て、診療所に着いたのは真夜中でした。


 マリス先生が私たち三人を待合室に集め、椅子に腰かけて足を組みます。


 デリミタ君の治療の結果を報告しなければならないのですが、声が出てきません。みなさんには励まされたし、よくやったと褒めてもらいました。でも、頑張ったかもしれないけど、結局デリミタ君を救うことはできなかったのです。


 月明かりが窓から差し込んで、診療所を淡く照らします。


 マリス先生への報告は、私にさせてほしい。アグラさんとストラツさん、それからプリングさんにそのようなお願いをしていました。自分の失敗は自分で報告したかった。尊敬するマリス先生にだけは、他人から聞かせたくなかった。だから、アグラさんもストラツさんも待合室の椅子に座って、黙って私を見てくれています。


 心を落ち着かせたくて閉じていた目を開き、深呼吸をしました。そして、報告をしようと口を開きかけました。


「怖いわね、予言って……」


 私より先に声を発したのは、マリス先生でした。ですが、予言とはいったいなんのことでしょう。


 私が口を開いたまま動けないでいると、マリス先生は息を吐くように話を続けました。


「リンパーク村の言い伝えがあるでしょう。あれは相当な力を持った預言者による予言だったらしいわ。その予言があったから、デリミタという少年は村人からの迫害を受け続けていた。パクリン菌は精神的に追い詰められて心が弱くなっている人間に感染すると、重症化するリスクが飛躍的に高くなる。逆に精神的に安定していれば、たとえ生まれつき高い魔力を持っていたとしても、今回のような深刻なケースにまで発展することはなかったでしょう。大昔の預言者は、村が少年によって滅ぼされることを予言した。しかし、その予言さえなければ少年は迫害されることもなく、精神的に追い込まれることもなかった」


 なぜマリス先生がこのような話をしているのか、私にはわかりませんでした。


 ですが次の言葉が私の心を、深い沼の底へ引きずり込まれたような気持ちにさせるのです。


「ややこしい話だけど、村を滅ぼしたのも少年を死に至らしめたのも、結局はその予言なのかもしれないわね」


 唇が震え出し、涙が溢れました。


「知ってたんだな、マリス。デリミタという少年が、治療によって命を落とすってことを」


 マリス先生は怒りのこもったようなアグラさんの言葉に何も返さず、私の顔を凝視していました。


 マリス先生は知っていた。知っていて、私を行かせた。わかっていて、私にデリミタ君を殺させた。


 デリミタ君を何とかしなければ悪魔の森はどんどん広がって、被害は拡大していたでしょう。放っておけば、デリミタ君は罪悪感をごまかし続けながら人々を襲い続け、苦しみ続けたかもしれません。


 でも、治療で死ぬとわかっていたら、他に方法がないかを考えることだってできたはずなのに。いいえ、マリス先生がそうさせたのなら、方法なんてきっとなかったのでしょう。それでも、悩みたかった。他に助ける方法がないか、考えたかった。


 悔しくて悔しくて涙が止まらず、目の前のマリス先生が歪んで全然見えません。


 私はその場から逃げ出しました。診療所のドアを開けて、外に飛び出して走り続けました。そうせずにはいられませんでした。


 どのくらい走ったでしょう。息が切れて苦しくなり、私は民家の壁に手をついて呼吸を整えました。


 どうにか呼吸のリズムが正常に戻り始め、私は壁にもたれて空を見上げました。冷たい夜風が肌を撫でます。


「全力で走ったら、少しは気持ちが落ち着いたか?」


 声をかけてきたのは、ストラツさんでした。月明かりに照らされたストラツさんの顔を見ていると、なぜか再び涙が出てきそうになります。きっと、彼の姿に安心させられたのでしょう。


「アグラが真っ先に追いかけようとしたんだがな。あいつはどうも熱くなりすぎるから、俺が止めたんだ。マリスの弟子なんて辞めてしまえ、なんてことを言い出しかねないと思って」


 辞めるなんて考えたことなかったけど、もしも今そんなことを言われたら、私は首を横に振る自信がありません。マリス先生を嫌いになったとか、裏切られたとか、そういった理由ではないのです。


 私の治療がデリミタ君の命を奪った。その事実がとても辛くて悲しくて、医療術師としてこの先やっていく自信がなくなったのです。


「クランベルは、よほどマリスに期待されているんだな」


 ストラツさんが私の傍へと歩み寄って、優しく微笑みました。ですが、私は言葉の意味がわからず、固まってしまいました。


「俺の言葉じゃない。オライウォンが言っていたんだ」


 オライウォンさんは森から帰って以来、私のことをすごく褒めてくれます。なぜだかわかりませんが、気に入られてしまったのは間違いないようです。


「オライウォンは予想していたよ。デリミタという少年が助からないこと、マリスは絶対に知っていたのだと。知っていて、わざとクランベルを寄こしたのだろうと。そして、医療術師という仕事の厳しさや、本質を教えようとしたんだとな。酒の席で絡まれたとき、やつはそう言っていた」


 そのあとストラツさんは、仕事の厳しさをプリングさんに散々叩きこまれたという愚痴を、延々と聞かされたそうです。


 オライウォンさんの言っていることが真実なのかはわかりません。だけどこのまま逃げ出しても、なんだか気持ちが悪いです。


 私はマリス先生のいる診療所へ戻ることにしました。


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