第13話 新人スタッフ


 微かに聞こえていたざわめきが、徐々に大きくなっていく。


 俺は今、どこにいるのだろう。


「クランベル、こっちの患者もお願い」

「はい! マリス先生!」


 聞きなれた声に、妙な懐かしさを感じる。


 ぼんやりとしていた意識が少しずつはっきりとしてきた。


 目を開けると、ぼやけた視界に見覚えのある天井が映し出されたが、それが診療所の天井だと気付くのに少し時間がかかった。


「あ、マリス先生! アグラさんが目を覚ましましたよ」


 クランベルの嬉しそうな声が、寝ぼけている俺の頭を目覚めさせる。


「いつつ!」


 起き上がろうとしたとき、全身に痛みが走った。


「いきなり動いちゃだめですよ。アグラさん、四日間も眠り続けていたんですから」

「そんなに?」


 眠っていた日数を知ったとたん、無性に腹が減ってきた。体が俺に、生きているのだと教えてくれているかのようだ。


「やっと目覚めたか、アグラ」


 声のするほうに目をやる。


 ストラツはすでに起き上がっており、壁にもたれて腕を組んでいた。


 意識を取り戻したのがストラツより後だったことを知り、先を越された悔しさが湧きあがる。と同時に、ストラツの無事を心から嬉しく思った。


「調子はどう?」


 マリスが俺の側へと歩みより、訪ねた。


「最悪だ」

「その様子だと、もう大丈夫そうね」


 体も頭も痛いし少し気分も悪いというのに、マリスは冷ややかに言い放って別の患者のもとへと立ち去っていった。


「相変わらず冷めてるねえ」

「そんなことないですよ! 先生はああ見えて、とっても優しい人なんです」


 クランベルの言葉にため息をつきながら、肩をすくめて見せた。


「あ、信じてませんね! アグラさんたちの治療で、先生がどれだけ精神をすり減らして頑張っていたと思ってるんですか?」

「まあ、それには感謝してるよ」

「そうですよ! 先生ったら、頑張りすぎてお化粧はがれちゃって大変だったんですから」

「けけ。ついに実年齢さらしたってわけね」

「そうなんです! ご自分の年齢がばれちゃうのを覚悟の上で……」


 人差し指を立てて力説していたクランベルが、突如青い顔をしてその場をそそくさと去っていく。


「実年齢がどうしたって?」


 ストラツ以上の殺気を感じて振り返ると、目を見開いて睨みつけるマリスの顔がそこにあった。医療魔術の力で抹殺されそうだ。


「治ったのなら、さっさと治療費を全額支払って出ていってもらえる?」

「へ? 治療費?」


 そういえばツケてばかりで忘れていたが、治療には費用がかかるのだった。


 任務で得た報酬をうまい飯と酒とちょっとした大人のお遊びに費やしたなんて、死んでも言えない雰囲気だ。しかもメイザー抹殺の報酬も見越して、借金までしている。俺とストラツには、治療費を払う宛てなど一切ない。


 マリスの殺気におののきながら、ストラツのほうに視線を泳がす。


 ストラツはサッと顔をそむけた。


 ともに命をかけた者同士なのに、なんて薄情なやつだ。


 よし! こなったら男らしくきっぱりと!


「ツケでよろしく!」


 男気溢れる台詞に、マリスが腕を組んで目を閉じる。ひょっとして俺の潔さに免じて、許していただけるのでは……。


 そう思った矢先、マリスが口を開いた。


「聞いてのとおりです」


 誰に向けての言葉なのかわからないが、マリスがマントをひるがえして背を向けた。


「なるほど。これは確かに、困った患者さんですな」


 マリスに言葉を返すようにそう言ったのは、腹周りに贅肉を溜め込んだおっさんだった。おっさんは上半身裸にステテコ一枚という格好で、ベッドの上にうつぶせで寝転がっていた。


「誰だ、おっさん」


 睨みつけながらそう言うと、おっさんがのっそりと起き上がり、ベッドから下りた。


 クランベルが草かごを抱えて、おっさんの前に差し出す。おっさんがクランベルに微笑みかけながら、かごの中から衣服を取りだして羽織った。


 白い分厚そうな生地に薄い青で十字が象られており、至る所に青い宝石のようなものがちりばめられている。


 それは王家直属、法執行術師の法衣。犯罪者を拘束したり特別な罰則を与える術に長けた、最高位魔術師の証だ。


「どうも。私、法執行人を務めさせていただいております、ワイズと申します」


 相変わらず胡散臭いへらへらした顔で、おっさんが名乗った。


「法の番人様が、俺に何か用でもあるのかよ」

「まあまあ、そう邪険にしないでください。私はもともと、この診療所の常連でして。いやはや歳をとると、あちこちガタがきちゃって」


 ワイズが手を後ろに回して、腰を軽く叩きながら言った。歳がどうのこうの言う前に、少しは痩せろと言いたい。


「なもんで、あなたのように治療代を払わない方がいると、診療所も経営に苦しむでしょう。そうなっちゃうと、私としても困ってしまうわけです」


 つまり金を払わねば法の名の下、俺を拘束するというわけか。


 しかし困った。はっきり言って、払う金などないのだ。戦っても負けはしないだろうが、さすがに王家直属の法執行人を倒して逃げるわけにもいかないだろうし。


「大丈夫ですよ、アグラさん! 捕まったりなんてしませんから」


 なぜかクランベルが満面の笑みを浮かべて、会話に入ってきた。


 どういうことだ? それはつまり、法律的に支払いが免除されるってことなのか。いやいや、そんなわけはない。


 困惑している俺の心中を悟ってか、ワイズが話を続ける。


「わかりませんか? あなた方はこの診療所で働いてもらうことになったのです。これまでおツケになられた金額の分、労働という形でお支払いするわけです。本来ならすぐに拘束してもよいのですが、これは被害を受けていらっしゃるマリス様の、せめてもの譲歩なのですよ」

「ちょっと待て! 無理だって。医学の知識もないし、魔法も使えないんだぜ。おい、ストラツ! てめえも黙ってないで何か言えよ!」


 壁にもたれながら他人事のように俺たちのやり取りを見ていたストラツが、ようやく口を開く。


「自分の腕を見てみろ」


 俺はあわてて、着せられていた病衣の袖をめくった。前腕部の中心あたりに、黒い墨のようなもので一周するように魔法文字が書かれている。


 やられた!


 これは法執行術師が囚人の手足に付ける、枷の役割を果たす魔法の一種だ。


「俺もやられた。腕に仕込まれた魔法が発動すると、俺たちの腕力が赤子のように弱体化するらしい」


 諦めきった顔でストラツがため息をつく。


 俺たちが寝ている間に仕掛けていたというわけか。


 命を拾った喜びや、寝込みを襲われた悔しさ、自由を奪われてしまったことへの怒り。寝起きに色々な感情が忙しくめぐってしまい、少々混乱気味だった俺の前にクランベルが歩み寄り、無邪気な笑顔を向けてきた。


「お二人と一緒に働けるなんて、すっごく嬉しいです。どうぞよろしくお願いします」

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