第6話 穴子

 昔のRPGのボス部屋までのダミー部屋のように、カウンターと裏の厨房をつなぐ中継地点に独立して、店には焼き場と呼ばれるポジションの者が居座る場所があった。


 そこは薄暗く周りが赤茶色タイルの壁に囲まれており、遠赤外線のサラマンダーに火をつけると熱がこもり、一年中汗をかいて体重が落ちる。水分補給しないと冗談ではなく脱水症状で倒れてしまう過酷な場所だった。


 仕込みでは海苔を炙ったりお土産に必要な穴子を焼いて冷ましておく。営業中ではオーダーに応じて様々な焼き物を狭いサラマンダーで焦がさないように、火加減の微妙に違う位置に箸で食材を移動させながら常に焼き続けていた。


 また焼き上がった食材を焼き皿に乗せて板前に運ばなければならず、板前のオーダーの声を聞いて返事をして、聞こえにくい裏の厨房に伝える橋渡しの役目もある重要なポジションでもあった。


 鉄の箱のようなボックスの上蓋を外し中に氷を入れて塩を振る。その上に網をかぶせてから、穴子の入っているバットを入れて冷やしておく。コンセントがないため苦肉の簡易冷蔵庫だ。


 全てのコースには穴子が入るため来店人数分を半焼きする。穴子をカットして焼き網に載せると徐々に冷えて固まった脂が溶けて、穴子のエキスが滴り落ちてサラマンダーに触れ香ばしい匂いの煙が立ち昇った。


 裏面に返し網にくっつかないように箸で調整しながら焼いていくと表面にプツプツと気泡ができてくる。焼きすぎると炭化して脂がなくなってしまう為、仕上げに何度もひっくり返して穴子内部に熱をためてジュクジュクと溶岩が煮立っているような状態で板前に持っていく。


 板前が握り半分にカットし半分はツメ(甘いタレ)、半分は塩をかけて柚子の皮を擦り下ろし穴子にふりかける。旬の穴子はフワフワで肉厚で脂が乗り舌に載せるとホクホクとろけて絶品だった。爽やかな柚子の香りが鼻を抜ける。


 私が転勤したての頃に穴子の仕込みをした。ビニール袋に締められた三十匹ほどの穴子が血と一緒に業者から届けられる。シンクの中で出刃包丁で袋に穴を開けて血を抜く。穴子専用の右下隅に穴の空いたまな板に穴子を乗せて目打ちした。穴子が締められて包丁が入っている首筋から出刃包丁を入れる。初めてだったのでなかなか上手くいかずに包丁が滑らない。


「今の脂のある穴子で苦戦してたら冬場の脂のない穴子なんて到底無理だぞ。あれはやりにくいぞ」


 指導してくれた先輩に言われるが一本目の穴子の肝を取った時に誤って下に落としてしまい先輩の足にくっついた。穴子は雑食で胃袋からは強烈な匂いがするものも多く、血が混じっていて白衣に着くと汚れが取れない。先輩はキレイ好きで短気だった。


「何するんだ」


 ぶん殴られて私は隣の冷蔵庫に吹っ飛んだ。先輩が睨みつける。


「すいません」


 初めて触った仕込みで上手くいかないのは仕方ないだろうが! 内心そう思ったが顔には出さず仕込みを二人で無言で続ける。口の中が切れたらしく鉄の味がした。


 そこからは驚異的な集中力で穴子の仕込みをこなし何とか終わらせた。半分にさけた穴子に返し包丁で骨と身を断ち切り、そこから背骨を一気に外す。


「カリカリカリカリカリカリ」


 包丁を滑らせると小気味のいい音が響く。


「ビ〜〜〜〜〜〜ッ」


 さらに背びれと尾びれを外すがこの時の音も気持ちがいい。穴子の仕込みには中毒性が有り、上手くいくと実に快感である。血合いを掃除して骨が残っていないか確かめて終了だ。


 痛みでアドレナリンが出たのだろう。不思議な感覚だった。それ以来私は穴子を見ると反射的に口の中に血の味がするようになった。幻覚の味覚かもしれないが事実だ。パブロフの犬のように反射的にそれは起こった。


 私は穴子の仕込みにのめり込むようになる。先輩一人一人によって微妙な仕上がりの差があり面白かった。うまく裂けなければ焼いた時に割れてしまい商品価値がなくなってしまう。焼き場を担当をしていた私は丁寧に一本一本考えながら仕事をした。


 穴子専用の小出刃を買いさらにスピードも追求し、毎日ひたすら百本近く裂くようになる。店長もたまに穴子を仕込む。


「俺の全盛期は穴子一本仕込むのに八秒だったな。クオリティーも含めてな」


 機嫌のいい店長は得意げに語る。本当かな? と疑うが先輩に聞くと本当らしい。相当に早い。


 肝は掃除をして下茹でしてから甘辛く煮付け、骨は低温の油から徐々に高温にしてきつね色に揚げて骨せんべいにして食べる。穴子の頭は定期的に作るツメを作る時に最初に入れて出汁をとる時に使う。店によって微妙に味付けの違う小肌と同じような看板商品になるネタだった。


 昔は独立する際、穴子のツメを暖簾分けで分け与えていたらしくそれくらい大事なものだった。砂糖、ザラメ、穴子の頭、骨、醤油、酒、塩で味を整えていくのでツメと呼ぶらしい。


 裂けた穴子はさらに穴汁と呼ばれる煮汁で煮て落し蓋をして柔らかくする。


「煮えたぎった穴汁は砂糖が入っているから皮膚につくとなかなか取れない。それに温度も百度を超えてるから万が一の場合は大惨事になるぞ」


 先輩に脅されて私は慎重に作業を進める。木べらと箸で器用に煮えた穴子をすくって、大きな盆ザルに重ならないように風車のように並べて冷ましていく。数が多いので扇風機で風を当てて冷まして次々に冷蔵庫にしまわないと場所を取るので狭い厨房では鬱陶しい。


 穴汁は二日火を入れないと腐ってしまうのでデリケートな管理が求められる。絶対にこぼさないように細心の注意を払い寸胴に移し冷蔵庫に入れた。


 穴子の仕込みは工程が多くて手間もかかるが、私が一番最初に任せられた仕事なので思い出深い仕込みでもある。

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