第5話 初づくし

「今日は仕事帰りですか〜? 」

「うんそうだよ。ちなみに何歳? 」

「幾つだと思います〜? 」


 意図せずにキャバクラでのテンプレートの会話をして盛り上がる。彼女は昼間は事務系のOLで働き夜はここでバイトで働いているらしい。低賃金では貯金もままならず東京で生活していくためにはダブルワークしなければ食っていけず、もちろん会社には内緒であるらしい。一瞬だけ暗い顔でため息をつく彼女には演技ではない信憑性があった。


「普段はどこに住んでるの? 」

「赤羽に彼氏と住んでる」

「それは秘密にしておいた方が客は君を口説こうと金を落とすんじゃない? 」

「あっ、そっか! 」


 無邪気に笑う彼女を私は気に入った。この業界で働いてまだ日は浅いらしく、まだスレていない裏表がない明るい女の子は好みだ。もちろん彼女の演技である線も捨てきれないが、ここは話に乗って彼女の天然ボケにツッコミを入れて笑いをとっていく。


 初めてのキャバクラにしてはスマートな楽しみ方ではないだろうか?


「お客さんは普段何されてるんですか? 」

「なんだと思う? 」

「う〜ん」

「ヒントはこの短い髪と、この手の匂いだね」


 またもやベタな会話だ。年下の女の子に対して俺は何をやっているんだろう? 冷静になると結構恥ずかしくなってきた。


「え〜なんですか? 」


 彼女が恐る恐る私の手の匂いを嗅ぎに顔と体を近づけ、彼女の太ももが私のジーンズに密着する。長いまつ毛だ。近くで見ると肌がきめ細かく薄化粧であることが分かる。目をつぶってスンスン猫のように匂いを嗅ぐ様子を見て、思い切って抱きしめたくなったが鋼の意思でこらえた。


「お酢の香りだ! もしかして料理人さん? 」

「正解。みんな寿司職人だよ」


 そのあとは寿司の好きなネタの話で盛り上がり話題は尽きない。相性がいいのだろう。物事の価値観も似たようなものだった。


 隣の同期を見渡すと各々がマンツーマンで楽しんでいる。酒を女の子に飲ませカラオケチケットを買い、つまみも追加する。女の子をその場に引き止めて延長をして午前四時まで宴は続いた。


「お客様、そろそろラストの時間です」


 黒服がひざまづいて先輩に耳打ちする。


「はい、はい。わかった、わかった。伝票持ってこ〜い! 」


 私は酒に強く酩酊しない体質なので、素早く先輩の後ろに回り込み伝票の金額を確認した。十二万六千円だった。あまりの高額に冷や水を浴びせかけられたように私は戦慄したが


「まあ、こんなものか」


 先輩は落ち着いていた。


「一人一万円でいいよ。あとは俺が払う」


 現金で男らしくスマートに支払う先輩は妙に大人に見えた。なんて頼もしい! 私が女だったら抱かれてもいい! 私は酔っていないがテンションが狂っていた。


 最後の見送りでエレベーターの前でお気に入りの女の子とハグした。どさくさに紛れてケツを触りキスする輩までいる。


「また来てね〜!!!!!!!!!」


 店に残っていた女の子全員に見送られ笑顔のハイテンションで別れたが、エレベーターの扉が閉まった瞬間、歌舞伎役者の早変わりのように男達は無言になった。浦島太郎が竜宮城に行った帰りはこんな心境なのかもしれない。全てを出し切った。東京に来て一番楽しい日だった。


 外にはうっすらと太陽が顔を出す灰色の静寂の中、道端のキャッチの兄ちゃんや立ちんぼの女達の姿もなく、電線で雀が行儀よく整列して鳴き始め、山手線の始発も走り出していた。


 見るからに酔っ払いの私たちはタクシーに乗車拒否され、空車のランプが点いた数台に無慈悲にも素通りされる。そこで同期の一人が勇敢にも道路に身を投げ出し、体を張ってタクシーを捕まえた。


「絶対に吐かないから、乗せてください! 」


 人の良さそうな運転手は渋々了承してくれた。室内では死んだようにぐったりして、降りてからはゾンビのようにフラフラ歩きながら寮に帰る。分かってはいるが数時間後は仕事だ。


「お疲れ」


 欠伸をしながら満足げに部屋に戻る先輩の横顔を呪いながら、このまま部屋で眠ると起きれない事が確実のため、出勤組はそのまま向かい店で仮眠をとることにした。


 地下鉄では我慢できずに座って寝てしまい目覚めたら終点だった。体に鞭打って反対のホームまで酔拳のように歩きながら電車に乗ったが、さらに戻りの電車でも寝過ごしてしまい我々は仲良く初めての遅刻をした。


 意外と職場の先輩からは怒られず、それどころか仕込み中にニヤニヤしながら昨晩の内容を確認してくる。


「場所は? 女の子の人数は? 全部でいくらだった? 」


 独身者はほぼ全員が遊び人であり夜の世界にも詳しい。板前はお客様との会話で幅広い知識も求められるために、いわゆる飲む、買う、打つは職人の嗜みであるような風潮がこの世界にはあった。


「ほどほどにしとけよ」


 店長からもお咎めなしで、その日一日は二日酔いと睡眠不足でみんな青白い顔で働き、よくトイレに篭り仕事にならなかった。





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