4:万能勇者と努力の魔法使い(前)

 何にしても、このままじゃ今日の探索で得るものが少ない。

 というわけで、その後も俺たちはウォーグレイブ丘陵を歩き回った。


 そして行く先で、魔物と遭遇すれば戦闘を仕掛ける。

 その都度毎、メルヴィナは竜化魔法で変身した。

 実戦の中で訓練を、反復的に継続したわけだ。


 もっとも、こうした努力が魔物討伐において、目指す目標と今後本当に結び付くのか? 

 ――と言うと、いささか疑問を感じないわけでもない。


 まず何たって、「着衣を素早く脱ぐ練習」という部分で、やはりどうかしている。

 どれだけ円滑な動作で装備品を外せるようになったとしても、魔法詠唱から「竜の息ドラゴンブレス」放射までの所要時間自体の短縮とは、無関係なのだ。

 むしろ以前より、ブレス攻撃発動前の手間が増えてしまった。


 まあ、そのぶんメルヴィナは、魔法を早口で詠唱しようと、滑舌や発音に工夫を凝らしているらしい。

 けれど、残念ながら今のところ、それも明確な成果は見て取れなかった。

 竜化の遺失魔法は、元々通常の魔法と比較して、効果発動までに数倍長い詠唱を必要とする。


 何度戦闘を繰り返しても、大抵はメルヴィナが竜化するより早く、俺とレティシアで魔物を掃討してしまった。

 時折、敵を全滅させる前にドラゴンブレスが間に合っても、手負いの巨大鬼トロルを殊更丸焼きにするぐらい。

 せいぜい凶悪な高火力で、魔物に止めを刺す場面しか見られなかった(それでいて広範囲が火の海になるから、味方も巻き込まれないように苦労させられた)。

 きっと、この遺失魔法は本来、平均的な妖魔などに対して使用すべき攻撃手段ではないのだろう。



 ……ただ、強いて言えば。

 訓練を経て、ひとつだけ明らかに改善された部分がある。


 それは、竜化が解ける直前の行動だ。


 もうすぐ魔法の効果が切れて、人間の姿に戻る――

 という頃合が迫ると、竜のメルヴィナは黄金に輝く巨体を翻し、森や茂みの中へ飛び込むようになった。


 それをあとから、レティシアやプリシラが衣服を携えて追い掛ける。

 変身が解けるや、すぐに装備品を受け取って、草木の物陰で身形を整えるのだ。

 この点は、大きな進歩と言えよう。


 とはいえ、着替えを済ませて戻って来るたび、メルヴィナは「お待たせ……」と弱々しくつぶやき、赤らめた顔を伏せていた。

 いくら異性の前で直接素肌を曝さずに済む方法を学んでも、心理的な負担がすっかり軽減されるわけではないらしい。

 もはや、憐れと言うしかなかった。



「そろそろ、街まで引き上げることにしようか」


 陽が傾きはじめたところで、この日もレティシアが皆に呼び掛けた。


 一も二もなく同意したのは、もちろん訓練で疲弊し切っていたメルヴィナだ。

 竜化魔法の行使には、元々大きな精神力を消費する。午前中と比して、面差しは明らかにやつれていた。色々な意味で、もう限界だろう。


 俺とプリシラも賛成して、エザリントンへ帰還することになった。


 結局、まぐれメタルを捜し出すこともできなかったけれど、こんな状況じゃ仕方ない。

 仮に出くわしていたところで、きっとまた取り逃がしていただろう……。




     〇  〇  〇




 街の正門を潜って、目抜き通りの真ん中に立つ。

 空を見上げてみると、もう日没間近だった。

 俺たちは、急いで「美しき雌鹿」亭へ駆け込んだ。


 部屋に荷物を置いてから、酒場の奥でテーブルを囲む。

 店の中には、酒や癒しを求める人々が溢れ、相も変わらず騒がしい。

 客の声に紛れて、旅人が奏でる楽器の音色も聴こえて来る。

 この地方ではかなり有名なうたで、吟遊詩人のダリルが作ったものだ。

 騎士と姫君の喜劇的な恋愛を、明るく軽やかに表現している……。エザリントンで逗留するようになってから、耳にする機会の少なくない旋律だった。


 しばし音楽に耳を傾けていると、注文した料理がテーブルへ届く。

 店の女主人であるジュディスも、下働きの娘と一緒に皿を並べてくれた。


「アシュリーたちは、いつまでエザリントンに居てくれるのかしら?」


 ジュディスは、華やかで、そのくせ人懐っこい笑みを浮かべる。

 店の主人と言っても、まだ二〇代で、所作に艶のある美人だ。


「……本当なら、もう他の土地を目指して出発する予定だったんだが」


 スープに浸した黒パンを咀嚼しながら、俺は苦笑いで応じた。


「まあ、この街は居心地がいいし、今引き受けてる依頼クエストが片付くまでは、あとしばらくのんびりさせてもらうよ」


 そう、エザリントンはいい街だ。

 少なくとも、俺は本心から気に入っている。

 もっとも当初は、通りすがりに立ち寄るだけのつもりだった。

 正直言うと、半ば観光気分で訪れたはずの街なのだ。


 ところが、この「美しき雌鹿」亭で仕事の斡旋を受け、成り行きから市庁舎の官吏と面会することになった。

 仔細を聞けば、依頼主は街の領主たるメドウバンク侯爵で、「地元の冒険者の手には余る魔物が居る。どうか討伐して欲しい」などと、頼み込まれたのである。


 まさかそれが発端で、ここまでエザリントンに長居することになるとは……。

 自ら招いた事態とはいえ、完全に想定外の展開だ。



「ふうん。――あたしには、勇者さまの事情はよくわからないけど」


 ジュディスは、物言いたげに眉を動かしてから、わざとらしく肩を竦めた。


「まだまだ長期滞在してくれるなら、うちの店としては助かるわ。今後もご贔屓にね」




 夕食後の打ち合わせでは、いつも通り明日の予定を確認した。

 基本方針は、今日の探索と変わらない。

 まぐれメタルを追跡しつつ、実戦ではドラゴンブレス放射までの連携を試行する。

 ただし、翌朝は市場に寄る必要がないから、出発時刻は少し早まった。


 やがて、星天課の鐘が聞こえたところで、思い思いに酒場の席を立つ。

 皆、宿の二階へ上がって行き、各自の部屋に引っ込んだ。

 一人になってからは、冒険日誌に記録を付けて、燭台の灯りを消す。

 寝台ベッドの上で横になると、毛布を被って目を閉じた。




 …………。



 ……しかし、なぜかすぐに眠れなかった。


 辺りは、とっくに静まり返っている。

 窓の外は夜闇に染まり、月明りが街並みを淡く浮き上がらせるばかりだ。

 にもかかわらず、不思議と気持ちが落ち着かない。

 いったい、この感覚は何なのか――


 寝転がりながら、そんなことをぼんやり考えていると。


 宿の廊下から、物音が聞こえて来た。

 まぶたを開いて、咄嗟に身体を起こす。

 誰か部屋を出たのだろうか。こんな夜更けに? 


 妙に落ち着かなかったのは、この気配が原因だろう。

 そっとベッドを抜け出して、宿の廊下を覗いてみた。

 暗がりで目を凝らすと、階段を下へ降りる人影が見える。


 俺は、どうにも気になって、あとを追ってみることにした。

 幅広剣を腰に下げてから、足早に部屋を出る。

 一階の酒場をざっと見回してみるが、人の姿は見当たらなかった。

 今夜に限れば、明け方まで騒ぐ酔っ払いは居なかったようだ。


 ……だが、店の奥にある裏口の扉が、半分だけ開いている。

 少しだけ考えてから、そこを潜って外へ出た。


 扉の向こうに続いていたのは、木立に挟まれた下り坂だ。

 さらにその先を眼差すと、暗闇の中にぼうっと光が浮かんでいた。

 俺は、ランタンへ引き寄せられる蛾のように、幅の狭い坂道を下りていく。



 ほどなくたどり着いたのは、街中を流れる川のほとりだった。

 小舟を係留した桟橋の傍には、ちいさく輝く球体が浮かんでいる。

 照明魔法で作られた灯りだ。


 そのすぐ隣で、木の切り株に女の子が腰掛けている。

 ほっそりとした身体を、薄手の部屋着に包み、分厚い魔導書を手元で捲っていた。

 綺麗な長い金髪と、深い海のような碧眼――

 紛れもなく、魔法使いのメルヴィナだ。


 近くまで歩み寄ると、すぐこちらに気が付いたらしい。


「アシュリー、こんな夜中にどうしたの?」


 メルヴィナは、おもむろに顔を上げて、声を掛けて来た。


「そっちこそ。夜間に一人で出歩くのは、危ないぞ」


 街中だからって、深夜に油断は禁物だろう。

 悪漢や物取りに襲われることは、決して少なくない。


「ましてメルヴィナは女の子で、かなり可愛いからな。もう少し自覚しろ」


「……アシュリーこそ、もっと自分の発言に注意した方がいいと思うけど」


 俺が注意すると、メルヴィナは不平そうに拗ねた。

 魔法光に照らされた面差しが、なぜかいつもより赤らんで見える。


「私のことなら大丈夫よ。何かあっても自分の身ぐらい、魔法で守れるから」


「馬鹿言え。市壁の内側で攻撃魔法なんか使ったら、資格停止処分になるぞ」


 おおやけに魔法使いを名乗る者は、基本的に大陸条約で制定された「魔導資格」を保有している。

 単に魔力制御の先天的な適正があるだけじゃ、就業することが認められない。

 条約加盟国の難関試験を突破して、初めて元素魔法などの行使を許可されるのだ。そうすることで各国の支配階級は、異能者の人口や実力を把握し、魔法犯罪の抑止につなげていた。


 それゆえ、罰則規定の該当行為に及んだ際には、資格の停止や剥奪といった処分もあり得る。

 取り分け「民間居住地域における個人及び社会法益を損ねかねない効果(破壊/幻惑など)が認められる魔法行使」については、厳しい制約が存在していたはずだ。


 けれど、メルヴィナは溜め息混じりにかぶりを振ってみせた。


「条件次第で初級魔法までなら、違法性阻却事由が適用されるわ。明確に正当防衛や緊急避難の構成要件を立証できれば、中級魔法でも合法とされた一等官吏裁判の判例だってあるもの」


「――あれ、そうだったか?」


「そうよ。もちろん、貴族出身者が多い司法官吏の裁量は、権威的だし、そのせいで恣意的にもなりがちだから参考事例だけど。あと、必要以上に強力な破壊魔法を行使した場合は、過剰防衛が適用されちゃうし」


 うへぇ、マジかよ。初めて知ったわ……。

 俺が一瞬、口を噤むと、メルヴィナはあからさまな呆れ顔になった。

 よくそれで資格試験を通過できたわね、とでも言いたげだった。


「アシュリーだって元素魔法が使えるんだから、魔導法律学は勉強したんでしょう?」


「……魔導資格の取得方法が、勇者は魔法使いと違うんだよ」


 つと目を逸らしながら、俺は指で自分の頬を掻いた。


「たぶん審査が遥かに緩い。だから俺は、メルヴィナほど真面目に勉強して来なかったんだ」


 俺が過去に受けた試験は、筆記も実技もごく簡単なものだ。

 出身地の最高統治者(国王や大公など)から推薦状があれば、魔導協会はあっさり認可してくれた。あれはやはり、特例措置だったのだろう。

 つくづく「勇者」というのは、特殊ななのだ……色々な意味で。


「その代わり、魔法行使に制約が多い限定許可資格なんだ。照明魔法みたいな一般魔法以外、ほぼすべての元素魔法を街中で使えないことになってる」


 だからって、それで苦労したこともないけどな。

 もしゴロツキに絡まれたりしても、剣の心得だってあるし。


「そ、そうだったんだ……」


 俺が説明すると、メルヴィナは大きく碧眼を見開く。


「えっと。アシュリーって、魔導量子学や魔導幾何学はどれぐらいわかるの?」


「そういう名前の学問があるらしい、ってことは知ってる」


「う、嘘でしょう。それじゃ、どうやって中級以上の破壊魔法を行使できてるのよ」


「どうせ魔法の効果は、ある程度までなら気合いと集中力次第だろ」


 色々試しているうち、大抵の魔法は見様見真似で何となく使えるようになったし。

 まあ、もちろん専門家の魔法使いや神官ほどには、攻撃魔法も回復魔法も上達しそうにないとも感じるけど。


「……勇者って、本当に出鱈目でたらめな職業よね」


 メルヴィナは、ちょっと考え込むような仕草のあと、納得いかない様子で唸った。


「私なんか、一生懸命勉強して、やっと魔法使いになれたのに」


「そう言われてもなあ……」


 メルヴィナの言葉に対しては、曖昧に受け流すしかなかった。

 世の中というのは、なかなか儘ならないものだと思う。



 俺は、何となく居心地悪さを覚えて、川辺まで歩み寄った。


「それはそうと、どうしてメルヴィナはこんな場所で魔導書を読んでたんだよ」


 暗い水面みなもを覗き込みつつ、やり取りを当初の疑問へ引き戻した。


「何か気になることでもあって、寝付けなかったのか?」


「……ええ。その、気になることっていうか。あれこれ考え事しちゃって――」


 やや話題にするのを躊躇するみたいに、メルヴィナはいったん言葉を濁す。

 俺は、そのまま無言で、川の流れを漫然と眺めていた。

 少しのあいだ、酷くぎこちない空気が流れる。

 だがほどなく、メルヴィナが弱々しい声で、ぽつりと漏らした。


竜化魔法ドラゴンシェイプが解けたとき、やっぱり裸になっちゃうのが辛いなって」


 俺は、静かに振り返って、メルヴィナを眼差す。

 魔法使いの少女は、切り株に座ったまま、下唇を噛んでうつむいていた。

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