第2章_第21話_革命が起きる


光の一切が遮断された地下室で。細い影は2つ、ランタンを手に掲げ、下方を照らし出していた。1つの影が戦慄いた唇を開く。しゃがれた声だった。

「やっぱり……『プロバイダー』の密告通りだ」

その呟きを掬い上げたのは、場違いに透き通った低音だ。同じく持ったカンテラを突き出すと、下に開けた空間が照らされ、浮かび上がる。

「これをどうするの?」

「決まってる」

その言葉は嗤うようで、震えていた。

「お披露目するのさ。平和主義ぶってる『世間様』にね」

声に同期するように僅かに震える肩に、もう1つの影が寄り添った。

「了解、オレたちの『トラ』」

空間の中長い間淀んだ空気が、2人ごと飲み込んでいくようだった。


「——、来たか」

合図と同時、茜達4人は走り出した。警備隊の面々と並走しつつも、遮蔽物を盾にして身を隠す。

事前の作戦確認はもう済ませた。本命の館、欅邸に4人で張り、出て来た傭兵を捕え、主人の元まで導かせる。ここまで大仰な計画なら、必ず本命からのアプローチがあるはずだとは龍巳の言。

砂がざんざらと舞う中、警備隊から黒百合隊は人知れず分かれる。いや、茜、樒、ノ風が分かれた。雪白は伝令として、警備隊の後ろにひたりと着いていく。彼に送られる樒の目線。一瞬、通じ合う何か。茜がわずかに乱れた呼吸を気にして振り向く頃には2人とも頭を戻していた。樒の胸にあるのはつい先ほどのやり取り。

出立前。雪白の元を訪れた樒は、剥き出しの刀身を前に口を閉じた。ちゃき、と乾いた音とともに刀を回した雪白は、映りを見ると刀を鞘に納める。それを待って口を開いた。

「あのね雪白、お願いがあるんだ」

「何でしょう」

親しげに目を細める雪白の視線にも、もう心が波立つことはない。苛立ちには囚われない。一瞬の共犯者めいた気持ちを持って、樒は雪白と向かい合えたのだ。軽く手首を握って、雪白に思いを分ける。

「ボクは……茜くんを守りたい。だから、お前とも今までみたいにてんでばらばらなんじゃなくて……協力したいと思うんだ。協力してほしい。一緒に守ろう」

返ってきたのは沈黙で、樒は諦めたように肩を落とす。頑なに自分の意思を自分のエゴとするきらいがある雪白に、一緒に守ろうでは伝わらないだろうとは感じていたのだ。それでも守ろうと言いたかったのはそれこそ樒のエゴ。だが、雪白はゆっくりと口を開いたのだ。

「お前は、守っていましたよ」

目を見張った。雪白に驚かされるのはいつものことだが、この驚きは格別だ。

「お前がボクを認めるわけ」

「ええ。そしてこれからは——もっと働いてくれるのでしょうね」

自分が思っている以上に、雪白は茜を想っているのかもしれないと思った。だけどそれにもう、みみっちく妬いたりしない。

「もちろん」

樒が差し出した手に合わせて、雪白が手をあげるから、樒はその手と手を思いっきり打ち付けた。

(雪白は多分、任せましたよ、って言ったんだ。だからボクは、誰に言ってんのさって舌を出してやった)

自分が今までの自分でないと感じる。とにかく自分は、自分の役割を果たすことで茜を守ろうと、樒は砂の中を駆けた。

さて、一行は襷邸に向かっていた。元々町外れから駆け出したが、走る内いっそう人里から離れていく。それもそうで、富者と呼ばれるにあたって、一種の慣例のようなものが、過去の巨大遺跡をねぐらにしていることと、人里離れて暮らしていることなのだ。その富者が、遺跡に遺されていた遺物を売って暮らしているのか、傭兵をしているのか、商人なのかは問わない。だが多くの場合、富者は商人ではなかった。ただ多くの金を持っていて、政府に金を落とした。その原初を辿れば何でも、食料の輸入先への安全なルートを確保したとか、巨大な機械を商人と取り引きしただの、ある装置を住処に構えているだとか。例えば、茜も毎日睨めっこしている紙は、ある豪邸で製造されたものである。月に一度大量に運び込まれてくる高級品、木の多くが紙を作るために突っ込まれる。残った木材で雨露を凌いだりするわけだが、これもトンカチやら釘やらを政府に売り付けるのは富豪の者なのだ。

今の茜からすれば苦いこと——そう都合よく遺物が残る筈がないだろうという疑念——を飲み込んで、彼は怒りを燃やした。富豪が倒れて、真っ先に煽りを受けるのは弱い者。確かに存在しえない財かもしれない、しかしそれは自分勝手な犯罪者に気ままに扱われていい理由にはならない、と。

「今日『トラ』を見つけるぞ。これ以上びた一文とて、奴らに渡してやるんじゃない」

応ッと気合を入れ、3人は更に速度を上げた。


「ねえミケ? 『番犬』は本当にいるのかな?」

猫の面が2つ、昼下がりのビルの廊下に、不釣り合いに、溶け込むように、立っていた。かつ、かつ、硬質な音を立てて2人は歩いている。ミケ、と呼ばれた青年は彼の『あに』を振り返って言う。

「いるんじゃないの。麻薬担当の隠れ家は、どう見ても武力で制圧されてた。袋叩きにして主人の面拝んでやろうと思ったら全滅だよ? 死体が回収されたことといい、そこらの商人の仕業じゃあないね。政府が関与してる」

「政府直属の実力行使部隊か……そんなのがもし本当にあるとしたら」

「うん、革命が起きるよ」

くくくっ、3つ喉を揺らして笑ったミケは、1つの小部屋に入る。その立方には、惨憺たる光景が敷き詰められていた。銃を押し付けて撃たれたような死体をミケはどけて、下にあるスイッチを戯れに押しては、また押した。

「ここで待つんだ」

『あに』は分からないという声で言った。とっとと逃げればいい物を。

「待つよ。『番犬』さんの顔を拝まなくちゃね」

ミケの指が冷えた血の跡をぺたぺたと辿った。

「早くしないと皆死んじゃうよ……? 『番犬』さん……」


ぞっとした気配がふいに茜を覆った。第六感、と呼ばれるそれだ。首の皮1枚のところを瘴気が通り過ぎて言ったような感覚。同じものを最近感じた。思い返すのは麻薬の香りと血に満ちた小屋の中、自分の台詞を遮った鋭い声。——「樒が呼んでいる」、あの瞬間臓腑を撫でた悪寒も、こんな色をしていた。

処理班はすでに3人、襷館のそばで待機している。ここに襲撃があるはずだ、と屋根の上に陣取って。——違うのではないか? そんな予感に駆られて茜は地図を広げた。笹の葉邸、椿邸、確かに市場には近い。商人で構成された野良、辻褄は合っている。だがそれだけでターゲットを決めるか? そもそも、手の内はどこまで読まれている?

『この手も読まれているのではないか』。

そう思い当たった瞬間、トランシーバーがザザッと鳴いた。楠邸にいる雪白からの通信である。茜はトランシーバーを手に取り集中する。流れて来たのは逼迫した声。

「こちら雪白、応答頼む。どうぞ」

すかさずボタンを押した。「こちら茜。どうぞ」

声は聞こえなかった。だがその数瞬に茜は雪白の狼狽した空気を感じ取った。雪白は楠邸に向かったはずだった。誰も襲ってくることはないはずの。

「族が大量に現れました。ひどい数だ……100はいる。武装が段違いです。戦況押されています。どうぞ」

「武装……⁉︎ ナイフだけじゃねえのか! 詳しい状況を」

ボタンから指を離した瞬間、連なった銃声が劈いた。音は茜を強く押し抜けていく。

政府から支給されているのは旧式の拳銃とナイフのみ、のはずだ。にも関わらず彼らがそんな兵器を持っているのは。

地図を取り出し広げると同時、雪白の声が届いた。

「向こうはガトリングガンを持っています、5台。今龍巳の指示が出ました。武器の補充に走るそうです。どうぞ」

椿邸。笹の葉邸。どちらも他の土地に旅するには内地に位置している。そう、この2邸は……武器を政府に売却していた。

ならば次狙われるのは、楠邸からも柏邸からも離れた、武器を持つ家。

「雪白、急遽白樺邸に来てくれ。そっちには取り急ぎノ風を向かわせる……! 」

茜は悔しげにそう絞り出した。


「白樺邸に向かいます。通信を終了します」

そう言って雪白はトランシーバーを懐に仕舞う。その前髪を爆風が散らしていった。ここから離脱するのにも一苦労しそうである。

顔を上げる、知らず歯ぎしりが溢れた。この状況に何も出来ない。既に無辜の血がいくつも流れたというのに、と思い返せば、雪白の刀は何の為にあると言うのか、と彼は焦りを募らせた。家の内側に引っ込んでしまえば対戦前の建築、銃弾を弾き飛ばしたが、窓は爆砕され、反撃しなければ一刻の猶予もない状況である。相手の装填をむざむざと待つ中、龍巳の朗々とした命令が響いた。

「派遣隊を結成する! 政府へ向かい、武器の補充を!」

その声色はつい先程の、彼の班長の声によく似ていた。

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